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カテゴリ:選挙グッズ
戦前の二大政党制と現代の二大政党制
日本の戦前は、明治から終戦まで「軍人が尊ばれる社会」と考えがちだが、そうではない。衆議院が主導した二大政党時代が終わると、軍人から首相が選ばれるようになった斎藤実内閣以降にそのような傾向が出てきただけであり、それまでは、軍人が軍服姿で歩いていると、奇異な目で見られたこともあったし、戦争をする軍人は、「子どものチャンバラ遊びの域を出ていない、野蛮なもの」とみる向きもあったという。5.15事件や2.26事件というのは、こうしたものが爆発したものともとらえてよいと思う。 この二大政党こそが議会政治を崩壊させる一因になっている。現代においても同じことが行われるだろう。先日書いたベネズエラによる二大政党崩壊も、経済優先主義が招いた「軍人大統領歓喜」につながっている。二大政党は、守銭奴を活性化させ、やがて大衆がこれに反発し、議会政治を終わらせてしまうのである。だから、二大政党政治は、国民の意思によって、崩壊させることによって、議会政治を守りぬくべきである。 二大政党というと、政権交代可能なので、いかにも議会政治としてまっとうなことをしているかのようにみえるが、歴史の事実はそのような回答ではない。これにこたえられるのは、その歴史的経緯が特殊であるアメリカとイギリスだけ。つまりこれはアングロサクソンのものなのである。 なぜアメリカとイギリスでは二大政党が成り立つのか。新興国家である米国は、日本人がちょんまげをしていた時代から共和党と民主党の二大政党があるわけだ。 英国は国王家を守る貴族たちによる保守党と、市民文化を重視する自由党との二大政党で始まっている。ホーリー党とウィッグ党という、最初は派閥的なものであるが、次第に、資本家の保守党、経営者の自由党という色彩が帯びてくると、次に労働者のための労働党ができて、自由党は保守党と労働党の二極に分かれていく。 日本人からすると、資本家のための政党、経営者のための政党、労働者のための政党・・・で、いいではないかと思うが、彼らは二極に分かれようとする。 英国から派生した米国も同様で、保守性を重視するのが共和党であり、貧困層や移民に理解のあるのが民主党であるが、共和党の保守とは、もともと米国は王国ではないので貴族もないわけで、彼らが米国を作ったときの精神、こういうものが重視されている。 幾度か、第三党が結成されたりはしているが、話にならずに終わっている。 つまり、自然と白黒決める文化があるということだ。 アメリカ料理もイギリス料理も、ひさんなものであることを考えればわかりやすい。彼らには微妙な程度とか、中道とか、わびさびの感性に劣っているから彼らは二大政党で十分なのである。 ところが、日本の場合、選挙制度を無理やり小選挙区制にして、二大政党でなければならないと、型におしはめて作っていった。アメリカのまねをすることが進歩だと思っている人々がたくさん政治家にいるからだ。 そして保守政治家を名乗る輩が、次々にアメリカを真似ることで、これがあたかも日本の文化に昔からあったかのような錯覚を人々に喧伝している。わびさびをわからない人々が保守を名乗り、二大政党を賛美する・・・・こういうおかしなことが起きている。 では、なぜ日本で二大政党をやると、守銭奴が喜び、大衆が苦しむようになるか。そして苦しめられた大衆が反乱をおこすかを考えてみたい。 守銭奴の王国・経団連は、自民党にも民主党にも企業献金してきている。かつては、自民党・新新党時代にも両党に献金している。このとき第三党であった民主党は、労組色が今よりももっと強かったこともあり、ほとんど献金されていない。 議会政治が成熟してできた結果だとされる二大政党政治は、非常に金がかかるのだ。 そもそもは中選挙区をやめて、小選挙区にした理由の一つには、選挙区を狭くすることによって、金もかからないだろうというわけで改正された。で、実際には若干安くあがるようにはなってきている。だけれども、300も選挙区があるから、全体としては上がっている。とくに自民党はそうだ。ただ、最後に中選挙区で選挙をやったのは93年だから、物価の変動もあるから一概には言えないが、選挙に金がかかることは否定できない。 そして、各選挙区内は、どちらの政党が勝つか。どちらが政権をとるか・・ということになるから、利権の争奪戦になる。それは、自治体の公共事業にまで影響する。 こうした利権政治を破壊するのが小泉政権の役割であった。しかし、小泉内閣のなしたことは、日本国内の利権を奪い、米国の利権を優遇することなのである。所詮利権争いに彼が関与していることには、なんら変わりない。 つまり、大資本をどこに移動させるか・・・ここに戦いの主軸が置かれるのが二大政党政治となる。 こうなってくると、大金持ちや大企業・大資本、そういうところに関与していない大衆は、次々に苦しめられるようになる。 郵政民営化に賛成する人も、郵政民営化に反対する人も、実は同じことをやっているのであり、大衆にとっては、どちらが勝とうとも何の利益を生まないのである。 貨幣経済と金融が発達した守銭奴政権の最期・室町幕府の崩壊も、二大政党に相当する畠山氏・斯波氏における家督相続を巡る利権争いが発生して、当初は農民から刈りだされ兵士として参加するが、彼らは次第にボイコットする。なぜならば、彼らは農民であり、こんなことばかり続いてますます貧しくなっていくからである。そして戦国時代に突入し、武人政権が始まる。 では、戦前の二大政党はどうして守銭奴支配か。 彼らは政策を論じて、どちらが正しいのか、国民に問うて、選挙に勝ちあがって、政権交代がなされているわけではない。もちろん衆議院選挙がなされ、国民が投票していることには違いがないのだが、必ずしも第一党が政権をとっているわけでもなく、天皇から命が下って(実際には元老院が決めている)首相を選出している。 もちろん、この時代の二大政党は、まだ未熟だった・・という人もあるが、二大政党の支配構造というものは今日においても変わらないだろう。つまり、金の配分をどうするか・・・このことしか考えなくなるのである。 この時代の二大政党は、政友会が三井の側につき、民政党が三菱の側についている。つまり彼らは議会政治・政党政治をやっているようにみえたが、実際は利権争いにすぎない。 現代では、小泉内閣以降に、攻守ともに入れ替わっているが、自民党が米国主導の経済利権側に立ち、民主党が国内利権の側に立つ。とくに民主党の最近の変わりようは、普通に考えたらおかしい。小泉内閣誕生以前は、現在の自民党が言うような自由な経済政策について掲げていたが、自民党がそれをやってしまったので、民主党はかつての自民党政治、とくに農業者個別補償法案などにも代表されているようなこと。郵政民営化に反対すること・・など、とにかく、利権の争奪のため、相手と逆の立場をやるということ自体が目的化されている。 だからかように考えれば、「二大政党が健全な議会政治・政党政治を作る」などというのは妄想でしかないことがよくわかる。 タメてこそ力を発揮する資本の制度は、このように利権争いを永遠に続けるのである。平和党の提唱している自然主義経済は、この利権争奪合戦を無意味なものにするのである。 だが、このことに気づかない時代は、いましばらく続くだろう。 ■加藤高明と政党政治 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月02日 20時27分36秒
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