土作り3日目
3日前より土作りに入った。
0時~8時警備、9時~幼稚園送迎の帰りに消防機庫前の土木作業、昼食後に剣術稽古、保安警備の学習、土作りというこの繰り返しを3日間やった。
昨日からは種芋を切って干した。
土作りは、のみたやから出された蟹殻、どんどん焼きで使用済みになった木炭と、会社から出されたのと自宅から出されたコーヒーかす、野菜の切れ端を混ぜ、EMを混ぜ合わせた。
さらに頭髪もいいと聞いたので散髪し、細かく砕いた。日本人の頭髪には燐が含まれていて肥料に適しているそうで、床屋さんが自分の畑でやっているとのこと。しかし分解されるのに時間がかかるらしいので気長に待つことにした。日本人の頭髪は肥料に優れてはいるが、最近はパーマをかけたり、染めたりする日本人が増えてきて、それだと全く使い物にならなくなったらしい。
私は生まれてこの方、一度たりともカット以外床屋に頼んだことはないので肥料に適していると思う。
次に蟹殻は、昨年、埼玉岩槻にて清水さんに習ったもので、本来は、菜種かす、野菜かす、酒かす、魚かす、魚骨、木炭、ぬか、などと一緒に混ぜてEMを掛け合わせるのだが、それらは酒かす以外は全て土作りに徐々に入れてきているので、ほぼ同じ土作りができていると思う。
あのボカシ作りは、非常にいいと思うが、金がかかる。したがって、我が家や会社から出された排出物を使って肥料にしてきた。
わざわざ金を出してホームセンターから買ってくるのでは趣旨に合わない。
いかに貨幣経済から離脱して、土作りをし、食物を育て、石油や原子力依存から脱却してこその自然主義経済である。
武農一如とは、自然万物全てを生かすことにあり、排除たるは武にあらずということを教えている。
富を満喫した貨幣経済の時代は飽和状態にあり、必ず武に帰るのが歴史のサイクルであり、政治においても、法律や予算という基準から、実物・実態に移行していく。
今は、中央政府のやることに、イデオロギー中毒者たちがガタガタ騒いでいるが、必ず実態に帰る。
中央政府ほど実態のない者はない。永田町や霞ヶ関に何か生み出している物はあるだろうか。単なるお決まりの条文や、勝手に人為的に決めた貨幣というものはあろう。それが無力であるとは今のところほとんどの人は思っていない。実際問題、人生をそれに振り回されている現状があるから、それにどの人も従っている。
そうして、学識ある人たちや、富を多く持つ人たちは、そのような今までの決まりごとに従って『上からの改革』ができると信じている。
しかし、日本も世界も、行き詰まったときは、必ず上からの改革が失敗する。
このような時代環境のとき、必ず『内から改革』する者が天下を治める。
先日、九州ブロックは杉本支部長の同志であるHIROさんのブログに面白いことが書いてあった。
『天皇』の『皇』は1人の王様イコール独裁者が99人の民の下になって支えるというものである。
王が下であり、民は上にある。これが本来の天皇の姿であったが、歴史をみるに天皇は、変革期においては鎌倉時代以降、上にしかいない。
これを考えると、下から支えてきた『皇』は、常に武家であった。
天皇の専制支配は、平安時代末期には行き詰まり、民は反乱し、武家こそが実態に近い地方の場にあったので天下を治めた。天皇は上からの支配しかやらないが、血の通ったコミュニティーを知りたる武家によって政権交代がなされた。
しかしその鎌倉政権も末期になってくれば、地を忘れ、上からの支配になる。それがため、足利氏という武家の味方、地方の味方によって倒される。この間、公家も巻き返しを図ったが結局上からの支配しか抜けないのがお公家さん発想であるから無理であった。
室町政権も、その末期、上からの支配しかやらなくなると応仁の乱に始まり、地方政権時代になる。
江戸時代末期も、徳川政権が形骸化して、地方の各藩が力を持った。
戦後のGHQ支配もそうだが、常に実態の力、地方の力、農の力こそが、次の時代の基準を決めることになる。
都市力というのは、あくまでも農村力から搾取したものでしかなく、農村は農村のみで成り立つが、都市というのは農村なしでは成り立たない。このことを皆、忘れてしまい、『上からの権力』に溺れる。
えーと何の話だっけ。まあそういうわけだ。