生涯の時間をどのように浪費するか?
70億人といわれる人類=人間たち、混沌として出口がない状況が続いている。何をどうするのかは「既得権者」の思うままのマネー資本主義社会。恐ろしいことに地上の「掟=法律」も彼らの思うままなのである。現在マネーは全地球を支配していることは誰も異論はないだろう。共産のロシア、中国でさえひた走るマネー社会。既得権者たちは自分の握ったマネーは絶対に手放さない。富裕層の調査にこういう話があるのは周知のことだ。150円のものが100円で売っている、富裕層は絶対に150円のものは買わない、100円を探す。しかし、われわれはまっいいか、といいつつその場で150円を買ってしまう、いま必要としているからだ。我々は「機会」を楽しむことをモットーとしている。富裕層、その人種は機会なんて別な世界のこと、時間の浪費=人生の楽しみが金に置き換わっている。カネになる時間なら惜しみない。100円がどこかにかならずあるはずだとさがす。彼らは自分の金を守るために、増やすために生涯の時間を浪費する。しかし、富裕層にも我々フツーの人間にも同じように時間は限られている、永遠には続かないもの、だれだって知っている。富裕層は結果、人生は楽しむ事なく幕引きとなる。しかし、我々は少なくとも「楽しんだ」のだ、時間を……人生の楽しみは足元にいつだってある。ある有名な作家が云っている言葉がある。「百万円のじゅうたんに座ってお茶を飲むより私はかぼちゃの上でいい」と。2012/10/01/2034/汰歌義