テーマ:詩&物語の或る風景(1049)
カテゴリ:詩人になりたい
【楽天市場】Chagallシャガール:ニューヨークアートポスター 「どんなに他人から羨ましく想われようと、自分でその幸運を喜べなければ不幸なことだろう」 僕たちは、他人の幸運を幸せなことだと想ってしまうけど・・・ 自分の幸運を、幸せなことだと感謝しているだろうか。 いや、その前に、自分の幸運を幸運なことだと認識しているのだろうか。 ”あたりまえ”のことを自分の幸運と気がついて、感謝している人はどれくらいいるのだろうか。 ”あたりまえ”のことを”有り難い”と想って、喜んでいる人はどれだけいるのだろうか。 日常生活は、刺激のない毎日である。 平凡であることは、いつでも簡単に、どこへでもすぐに、何でも手に入るものだと勘違いさせる。 そこでは、”あたりまえ”のことが、”有り難い”ことではない。 ”あたりまえ”のことが、”幸せ”ではない。 自分の不幸に気がつくのならば、自分の幸運にも気がついてもよさそうなものだ。 他人の幸運が羨ましいのならば、自分の幸運を数えてみたらいいのだ。 「一生懸命に生きる」とは、ひとつの信念に命を懸けることなんだ。 そんな覚悟もない人が、軽々しく言うことではない。 ”あたりまえ”の幸せに、気がつかない人が言うことではない。 悪口は言わない、言い訳はしない。 他人の批判はしない、批評もしない。 そんなことさえ守れないで、何を”あたりまえ”というのだろう? 他人のことを羨まない、他人の言葉に迷わない。 自分の行動について反省することが大事であり、他人の言動を心にかけてはならない。 何よりも自分の心を修めることが大切なことである。 TVを消して、耳を塞いで、静寂を聴いてみよう。 明かりを消して、眼を閉じて、暗闇を見つめてみよう。 無駄口をやめて、口を噤んで、自分と話してみよう。 この世界は、”大きな愛”で造られている。 僕たちは、”大きな愛”で生かされている。 ”あたりまえ”のことを、心から喜ぶことだ。 ”あたりまえ”のことを、幸せなことだと気づくことだ。 ”あたりまえ”のことを、”有り難う御座います”と感謝することだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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