2006/01/02(月)16:54
優雅に贅沢に ロココを現代に継承するセーブル
長い間、ヨーロッパ人は陶磁器の製法を知らなかった。
中国や日本の陶器を王侯貴族だけが手に入れることが出来た。
そしてフランスがポンパドール夫人の尽力の下、ついに宮廷を飾る陶磁器を完成させたのがセーブルである。
エッフェル塔を背に、セーヌ河にかかるセーブル橋を渡る。
太陽王ルイ14世やマリーアントワネット、そしてナポレオンが、華麗な馬車を仕立てて通った橋。
ヴェルサイユ宮殿へと続く路の途中にセーブルはある。
パリの西南約10キロ。セーブルは地下鉄の終点になる。地上に出るとすぐ、セーヌ川の河畔となり、橋の向こうに城が見える。
それがフランス国立セーブル製陶所。正面は博物館になっている。
奥の建物が現代の一流職人達のアトリエになっている。
現代の職人は、アートスクールを出て、国家試験をパスしてここにやってくる。
数年間は修行期間、一人前になるとアトリエが一部屋与えられる。
セーブルの前身は、ヴァンセンヌ窯(1738年創設)という。2人の陶工がパリの東にある古城に居をかまえ、軟質磁器を作り始めた。
それを国威賭けて時の大蔵大臣が応援する。
そして1756年、この窯を現在のヴェルサイユに近いセーブルに移したのが、ルイ15世の寵妃ポンパドール夫人だった。
当時のヨーロッパは厳格を重んじるバロックの時代が終わり、ロココ文化が誕生しつつあった時代である。
芸術家達の有力なパトロンであり、かつ常に流行を先取りしていなければ気の済まない彼女の情熱が、今日のセーブル窯の礎を築いたといえる。
画家、彫刻家、金工家、化学者など美術界、技術界から第一人者を選りすぐり、絢爛たるロココ様式を完成させていく。
その豪華にして繊細、華麗にして優美な陶磁器は時の王や王妃の日用品として、または贈り物として、富と権力の象徴として発展していくことになる。
セーブル独特の典雅な美しい色は、カオリン(陶土)の質、うわ薬や絵の具の配合、そしてそれらの絶妙な組み合わせによって開発されたものである。
有名な「ローズポンパドール」や「王者の青」なども、たゆみない研究の末に表現された色。
絵付けに使う絵の具は現在までに数千種類にも及んでいるという。
この製陶所には、世界中から良質のカオリンを集めて調合し、寝かせておく建物もある。材料の徹底的な選択も王者の青を守る秘訣らしい。
そして、セーブルの金彩文様、模様を一旦銅版に彫り、それを和紙に写し取り、陶磁器に貼り付ける。
その手間は大変だが、ここではより美しく仕上げるためには時間や労を惜しまない。
王室御用達だったセーブルは、現在では大統領御用達。生産量は限定され、その殆どが国賓への贈り物などフランス国花のために作られている。
注文がこなければ作らない、素材の選択を徹底したっぷりと時間をかけて歴史に選ばれた職人達の手によって造形され、描かれ、そして焼かれていく。
今も二十数か所のアトリエで働く、類稀なる百数十人の名工たちによって支えられている。
「幻の陶磁器」といわれたりするが、幻とならず、この美の伝統をいつまでも守っていって欲しいと願ってやまない。