魅惑の西洋食器でテーブルコーディネートを

2007/07/24(火)22:11

小さな旅 書写山円教寺 

最近ちょっとダレている感のある私、しゃんとしたくて、先日このブログで触れて行きたい思いが募っていた書写山円教寺(書寫山圓教寺とも)へ行ってきました。円教寺は西の比叡山と称される天台宗のお寺、花山法皇・後白河法皇・後醍醐天皇の行幸のあった由緒ある古刹で、かつては30余の堂塔伽藍、寺領833石、霊域35町歩、山上に学ぶ僧1,000人といわれ、学問修行の大道場だったところです。何年ぶりかで訪れました。 えっ?月曜日に?って、そうなんです。月、火と会社が夏休みでお休みです。普段、時間的になかなか行けない事柄(郵便局など)を集中的に済ませて、行って参りました。 登山道を歩いて登ってもいいのですが、前日に雨が降り足もとがぬかるんでいることや時間的なことを考え、書写ロープウェーで上ります。下の写真が山麓駅の辺り、子どもたちの絵が幾つか飾られていてかわいい、写真はその一つ。 ロープウェーに乗ること数分、遠ざかっていく街並みを眺めながら山上駅に到着、そこから徒歩で登っていきます。降口では、まるで仙人が持つような長い長いまるで蛇のような杖を希望者に貸し出してくれるのですが、私が持ってもサマにならずおかしいのでそのまま。 月曜日とあってか、まるで人は少なく、ひっそりとしています。下の写真の仁王門まで徒歩10分くらいでしょうか。途中の参道脇には西国三十三カ所各霊場の観音像33体が並んでいて、そこそこで頭を下げますが、何組かの老夫婦は、それぞれの像の前で手を合せ、ちゃんとお参りしていて、ちょっと自分が恥ずかしくなりました。 仁王門をくぐると、そこは聖域とされているところです。 下が十妙院入口。こういう何気ない佇まいに、日本の建物の美しさを感じます。この建物内には江戸時代の狩野派の画家である狩野永納筆の襖絵が多数残されています。 下の写真が本堂の摩尼殿、石段の下から見上げたところです。創建は天禄元年(970)なのですが、何度か火災に遭い、昭和8年(1933)に再建されたのが現在の摩尼殿となります。摩尼とは梵語でどんな願いも叶う如意宝珠の意。 京都清水寺に似て舞台づくり、崖の上に立っています。性空上人が入山して4年目(開山は康保3年(966年))、天人が崖地の桜の木を盛んに拝む様子を見て霊木だと確信し、その桜を切り倒さずに生木のまま、6本の腕を持つ六臂(ろっぴ)如意輪観音像を一心に刻み円教寺の本尊としています。根のある生木に彫られた本尊を安置する本堂は、この崖地に築く以外になかったそうです。 虹色の光のシャワーを浴びる摩尼殿。こういう光に包まれると、みなの願いを成就へと導きそうです。 急な石段を上がり、次に短い石段を上がって摩尼殿内へ。読経が流れる中、線香を焚いて煙を浴び、手を合せました。写真は摩尼殿の舞台。 おみくじを引いてみました。結果は内緒よ(微笑)。 おみくじを結んで、おみやげを買って、さぁ~歩くぞぉ~とばかりに(だって36万平方メートルと広大です)出発、これからが修行?の旅です(笑)。 下の写真が大講堂。お経の講義や論議が行われた僧侶の学問と修行の場です。ちょうどこの時は市内の小学生たちが林間学校に訪れていました。ここで宿泊し思う存分自然に触れ合うことができるなんて、なんて素敵!羨ましいです。 ここは大講堂と下の写真の常行堂、2つをつなぐ食堂(じきどう)が「コ」の字形に並んでいて、「三つの堂」と呼ばれています。 下の写真が常行(じょうぎょう)堂。僧侶がひたすら阿弥陀仏の御名を唱えながら本尊の周りを回って修行をする常行三昧の道場です。真ん中の食堂の写真がありませんが(上の大講堂の写真に端だけ写っています)、ここも元は1174年、後白河法皇によって建てられた由緒ある建物。 下の写真が奥の院と呼ばれる、性空上人を祀る開山堂です。寛弘4年(1007)、上人の98歳での没年に高弟延照が創建、弘安9年(1286)に焼失し、現存のものは江戸期寛文11年(1671)に再建されたものです。 性空上人は比叡山や九州の霧島山などで修行を積んだ後、57歳にして更なる修行を志して書写山に入り修行一途の道に入っています。 この開山堂横には、平安時代の歌人、和泉式部の歌塚が立っています。一条天皇の中宮、上東門院彰子ら女七人と書写山にやって来た和泉式部は、高名な性空上人に会いたがるのですが、上人は躊躇い、ついに会えず終いの式部は、歌を残します。 「暗きより 暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月」 この歌に感動して詠んだ性空上人の返歌 「日は入りて 月まだ出ぬたそがれに 掲げて照らす 法(のり)の灯(ともしび)」 日とは釈迦、月は次に衆生を救う弥勒菩薩のこと。 まだ女人禁制でなかった時代の出来事です。ここのご住職からそんなお話などを伺いました。 下の写真が、性空上人に仕えた乙天、若天(おとてん、わかてん=不動と毘沙門の化身)の二童子を祀る護法堂です。 このお寺の境内には、一体どれほどの木々があるのでしょう?欝蒼と生い茂っていますが、今の季節、緑がとってもきれい。このお寺の境内は国指定の史跡で、また多くの重要文化財があることで有名ですが、山の、木々の呼吸する神聖で厳かな空気がたまらないのです。このシャワーを浴びることで濁った心も澄んでくるような、そんな気が致します。 境内端っこの展望公園から眼下を臨んで。山々の連なり、こういう景色をぼんやり眺めていると現実を忘れてしまいそう。 円教寺の大仏です。ひっそりと、だけどしっかりと見守っていらっしゃいます。 木の根の階段の急坂を登っていくと白山権現(下の写真)、展望公園の辺りよりこの辺り(裏)が実は山の頂点となります。が、ここでは展望はありません。ここは、大講堂、摩尼殿に次いで性空上人が吉所としたところで、上人が「この山に登るものは菩提心を起こし、また峰に棲むものは六根(六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意)を浄められる。」という文殊菩薩のお告げを受けて、行を積み心眼を開いたところとされています。また、性空上人入山以前より祠があり、素盞鳴尊を祀るお堂だったそうです。  苔もいたる所に。苔の道も風情があるでしょう?ここは瑞光院へと続く道。 「慈悲(こころ)の鐘」をついて帰路へ。ゴーンという音が幾重にもなって辺りにこだまします。 ロープウェー乗り場からの眺めです。 今日は境内に4時間ほどいたでしょうか。山道を歩いてばかりで汗が吹き出ましたが、少し何かを取り戻したかのような、そんな小さな旅でした。

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