地上に落ちた星
人は 光を放ち 命を 燃やす 瞬くような 色彩の中で 翼を広げ 自由という空を翔び それぞれの 生涯を 駆けている 大地を潤す 雨の滴は 虹色を帯び 心から 温もりを 奪う 身体から伸びる 影の中に 闇があるのに 気付かない ならば 奈落へ 行け なんとなく、中島みゆき「地上の星」を聞いてみる。わたしは、この曲でも泣ける。w地上の星。。。まるでわたしみたいだなって思った。地上にある星を誰も覚えていないわたしは精一杯に生きていたはずだった。勤務先の初のソフトウェア資産を作ったのもわたしだった。大学の研究室、会社の各部門だとか組合だとか位置付けや方向付け、いろいろなものを変えてきた。わたしみたいな破天荒な存在がいたからかもしれない、でも、その後もそれが継承されてるから、正しかったのだろう。多くの人にも影響を与えてきた。生き方や考え方、仕事のやり方、技術の積み上げ方、パターン無視常道無視、流動的に適宜対応するのが流儀だった。だから、半年以上未解決だった市場不具合なんかも担当して1日で改修したりもした。常識感なんていらない。あるがままを受け止めて考えることの方が大事だから。「普通は○○だから」、そんな考え方は邪魔になるだけ。今ある姿形だけを見てやるわけじゃなくて、場合によっては10年ほども先を見ていることもあった。10年くらい前に会社で提唱して蹴られた実用案が最近になって業界としても注目されるものとして挙がってる。自慢のように言うわけじゃないんだよ。わたしは方向性は間違ってなかった。そんだけでいいと思ってる。だってわたしは、すでにそこからは引いた身、隠者の身だから。かつては天上にあって、光り輝いて見えたかもしれない。でも本当は・・・地上にあって、舐めるように飛んでいたから天上にあるようにも見えていたんだろうと思う。自分でも、そんな風に感じていれたのだと思う。翼を失って地上に堕ちたときからわたしは闇にまみれてる。光を失ったから誰もここにいることに気付かないだろう。地上の星は今 何処にあるのだろう光を失ってもなお、探したり求めたりされるのかな。必死に光を取り戻そうともしていた。 無駄だったけどね。リスカ修正自殺衝動解消等等 他の人に光を与えてきたつもりだし、実際にそれによって今を光の中で生きてる人達も多い。そうした人とは、交流は途切れていくことになったけれどね。だって、輝く景色の中では、光がないわたしは識別できないよ。恩着せするツモリもないし、何かを返してもらおうなんて気もない。わたしがまとうはずだった光をわけたのだとしても構わない。先がないわたしよりも、先がある人達に光を与えられたのだから。自分が光を取り戻す最後のチャンスが今夏だった。。。前に進むためには支え・踏みとどまるものがないと、無理に思えた。それが存在してアテにできるはずだったのが今夏だった。この時期を過ぎればアテにはできないと思っていたから。そう思っていたものは、実際にはそんなものじゃなかったから徹底的に壊れて・・・このブログが生まれた。wすでに、わたしの居場所なんて、他の人にはわからないだろうと思う。物理的な位置じゃなくてさ。 いろいろな意味での居場所。WOMAN(初稿作成:Sep 03, 2008)