墓場まで何マイル
ここから墓場まで何マイル? 聞いてみたら誰か答える? 何マイルでもないんだよ ここを墓場にすればゼロマイル 死はいつも背中合わせに 身近なところに潜んでる いつでも手が届くところに そこから逃げるように生きてる 本当はそういうことなんだ でもさ 墓場にいても 死なないよ? 死体は自分では墓場には行けない 生きているから自分で行けるんだ (「隣人が自殺した日」の続きです。)普通に 今ココで死んだろか? とかはよく思ってる。そりゃぁーーーーーーー普通に。茶でも飲むかぁ ってのと同じくらいに普通に。ずっと前。・・・すんげぇ前。ある人と話をしたことがあったんだけれど、「自殺を考えたことはあるけれど、誰かを殺したいとかはないです」なぁんて、相手は言ってた。 なんじゃそりゃぁ?www自殺、自らを殺す、自分を殺す、立派な殺人。(極論)ココでも書いたことがあると思うんだけれど、殺したいというのが外側に向けば殺人、内側に向けば自殺。全てがそうというわけでもないかもしれないけれどさ、実質的にはそんなもんだって思ってる。「自殺する勇気がない」とかいうのも、実は理解できない。勇気なんていらない。 殺意(動機)だけあればいいw自殺するのに勇気がいると思えてる時点で、まだまだ死なない。人を殺すのに勇気っている? 必要な時点でちょっと違うでしょ。殺人事件の犯人は 大抵は、そんなモンで殺してないんだから。誰のときだっけかなーーーーー・・・覚えてないんだけれど遺族の人だっけかなーーー。こんなこと言ってたさー。「生きる勇気がないから死んだんだ」ってさー。死ぬ勇気?生きる勇気? 天秤にかけて考えてみる?生きる勇気の方が重いよ。 そうじゃなかったら、大部分自殺してない。考えてみ、死ぬのが怖いと思えるなら、そりゃぁ生きたいんだ。死ぬのに勇気がいると思えるなら、死ぬことに抵抗感があるんだ。なんのときだったか忘れたけれど・・・棺桶に入って遊んだような覚えがw夢の中か現実かも・・・区別つかないんだけれどさ・・・そんときに「死体じゃないんだから棺桶に入るな!」とか言われて「死体は自分では入りません、生きてるから入れるんです」と答えた。すんげぇ怒られた。 子供の頃の記憶。。。生きてるから何かできる、死んだらその後は生きてる連中にお任せ。自分の身体の始末も、様々な不始末も、全部他人任せ。勇気を出してやることでもない・・・。勇気を出す気があるなら、生きやがれ・・・。死ぬことに勇気を発揮できるなら、生きやがれ・・・と思う。自殺する人は 逃げることに夢中で 逝くのが大部分じゃないかな。知人は(知りうる限りでは)そうだった。逃げる勢いで 死んでまった、そんな感じ。そういうんではない自殺なんて、ホントに少ないんじゃないかな。ん?違うのってどういうのかって?自らの信念のためとかかな。昔日本であった ハラキリ(切腹)とかはその類でしょ。わたし自身、そういうことも考えているからってのもあるけれど(考えるだけで実行していないからコレを書けていますw)周囲への影響であるとかなんだとか、死ぬことによってどういうことがもたらされるのかとかを考えてそれでも逝くと決めたなら、逝ってくれ。 制止不能でしょ?そういうのが考えられない状態で逝くのはやめてくれ。死んだら後悔はでけん。 死ぬのは生涯に一度だけ。「今のNG! やり直しデス~♪」なぁんて効かない。とりわけ、自殺者が出た遺族への視線っていうのはね、微妙。本当に憶測で好き勝手なことを言われる。否定しきれない。無理心中の一部はそういうのも原因でしょ。(残すのがしのびない云々)それを知りつつもやるならば、やれ。迷うくらいなら それは やらないのが正解。(つづく: 後日 加筆訂正して Freepageに入れます)WOMAN系(一部MAN系)