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Her's(ハーズ)奮闘記!

Her's(ハーズ)奮闘記!

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2010年02月15日
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カテゴリ:主にオシゴト

『先生』と呼ばれる立場の、責任の重さ。
随分前にも、こんなことを書いた覚えがあります。

Her'sには、様々な経緯を通じて患者さまが来られます。
おそらく一番多いのは、かかりつけの医療機関・関係者からのご紹介。
他は、ネットで検索されたり、患者さま同士のくちコミなど。


医療機関からのご紹介の場合
来られる前の情報量が少なくても、紹介元が信頼に値するものですから
ほとんどの患者さまは、安心してお越しになられ
来室当初から『先生』と、敬意を持って呼んで下さいます。
患者さま同士のくちコミの場合も、ほぼ同様です。

しかし、ネットでの検索など、信頼に足る情報かどうか不明な場合
まず、Her'sという“横文字”に、いかにも不審なご様子で(苦笑)
『どういう所ですか?』といったお問合せから始まることが多いです。

まぁ、たいがいの場合“百聞は一見に如かず”で
実際にお越しになられると、必ずご安心頂けますが
たとえ医療機関からのご紹介でも、Her'sの稀有なスタンスから
桃松のことを何と呼べばよいのか(『先生』なのか『さん付け』なのか…)
迷っておられるようにお見受けできる患者さまも少なくありません。

また、医療関係者からのご紹介の患者さまで
ご紹介者が桃松のことを『さん付け』にされていた場合は
ほぼ間違いなく『さん付け』で呼ばれます。


桃松は、理学療法士という医療国家資格を有しています。
しかしHer'sは、医療機関ではありません。
いずれにせよ、桃松に対する呼称に、これといった決まりはなく
『先生』と呼んで下さるか『さん付け』にされるかは
患者さま次第、何が正しいとか、望ましいとかいうことはないのです。


ただ、やはり『先生』と呼ばれることには、目に見えない責任を感じます。
もちろん、『さん付け』であっても、責任の重さに変わりは無いのですが
『先生』と呼んで下さるからには、それ相応の信頼と敬意を感じて下さっていること
これが非常に伝わってきますから、背筋の伸びる思いがするのは事実です。



昔、私に『先生』の自覚を強く与えて下さったのは
まだ学生だった頃、実習で担当させて頂いた患者さまでした。

当時、今から思うと恥ずかしくて、穴があったらどころか掘ってでも入りたいぐらい
本当にいい加減でちゃらんぽらんだった私は
その患者さまの疾患が苦手分野だったこともあり
正直、どうもやる気が出なくて、一向に実習が進みませんでした。

しかし、指導教官との話し合いなどの末
快く実習を受けて下さっている患者さまに、誠意を尽くすことの当たり前に気付かされ
ある時を境に、拙いながらも一所懸命取り組むようになりました。

すると、その変化に気付いて下さったのか
それまでは『学生さん』としか呼んで下さらなかったその患者さまから
ある日『先生』と呼ばれるようになったのです。

あの時の、言葉に尽くせない感動は、今も忘れることは出来ません。
認められた喜び・信頼に応える責任・その重責に対する緊張感…
あの一言が、今の私に計り知れない影響を与えていることは、間違いありません。


そして、Her'sを起業し、ケアに当たるようになってまだ間もない頃
医療機関からのご紹介の患者さまでしたが
当初はずっと、桃松のことを『さん付け』で呼んでおられました。

リンパ浮腫は、専門医もまだまだ少ない為
Her'sがリンパ浮腫を専門にしているということで
紹介元によっては、表現は悪いですが“まる投げ”のようにされる所もあり
症状の変化、特に原疾患であるがんとの相関性も関わってくると
をれを説明して患者さまのご理解を得るのに、大変苦労することがあります。

その患者さまは、とても真面目にセルフケアにも取り組んでおられたのに
症状の変化は一進一退で、ともすれば悪化しがちなことも多く
(再々発の方だった為、がんの進行が大きく影響していました…)
一向に軽快しない浮腫に、不安とやり切れなさを感じ
ぶつけどころのない思いを常に抱えておられました。

桃松にもどうすることも出来ないことが多く
また、患者さまも、それを解っていてはおられても
やり場のない思いを、疑問と共に桃松に投げかけるしか気持ちの抑えようがなく
しかし、それを真摯に受け止め、考えられる限りの言葉を尽くし
ただひたすら、誠意を持って対応するしか出来ませんでした。

そんなことを繰り返している内に、桃松の誠意が患者さまに通じたのか
次第に心を開いていって下さるようになり
いつしか、自然に『先生』と呼んで下さるようになっていました。

ゆっくりと、でも確実に気持ちの距離が縮まっていくのを感じ
背中に感じる、この患者さまの“信頼感”の重さを感じ
でも、それは決して重圧ではなく
むしろ、まだまだ未熟だった桃松にとっては
“認めて頂けた”という、嬉しくも大きな励みとなっていきました。


そして最近、ひとり、またひとり、と
『さん付け』だった患者さまが『先生』と呼んで下さるようになり
大袈裟かも知れませんが、非常に厳かな気持ちでそれを受け止めています。


『先生』と呼ばれることは、私にとって
何物にも代えがたい、励みであり、戒めであり、宝なのです。

他の医療従事者が、こんなことを考えているかどうかはわかりません。
ただ、私には、とても大切なキーワードです。

これからも、『先生』と呼んで頂けるに相応しい人間でありたいと
肝に銘じる桃松です。









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最終更新日  2010年02月15日 17時13分30秒
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