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本当に長い間さぼってしまいました。
ところで、南先生の日本人研究、日本人学のスタートは岩波新書から発表した「日本人の心理」のようですが、その著書、手元に保管しておりましたが、見当たらず、もう少し時間がかかりそうです。 先生は日本人研究では、国民性の比較研究が重要で、8年間のアメリカ渡米生活で、アメリカ人との対比で、先生の日本人観が、初めから入っているようです。 しかしながらアメリカ人だけを取り上げるのでは、あまりにも偏った見方になると考え、アジア諸国、ヨーロッパ諸国との国民性の比較を考えられ、書物ではなく、現実に諸外国へ行ってみないと、日本人研究の重要なポイントが落ちると考えました。 1852年、中国行きを考え、その前の夏の国際社会心理学会議という会議が、パリで開催されたようです。その会議は、戦後、社会心理学の国際的な交流を図るための連絡会議、ユネスコがスポンサーとなって、開催されました。日本からは南先生が選ばれて、ご出席されました。 会場は、パリのユネスコ本部、議長はコロンビア大からで、パリ大学へ移った、クラインバーグ教授、パリ大ではフランス語で社会心理学の講義をしており、ドイツ語も流暢、会議中に、フランス語を英語に直す、通訳が間違えると、壇上で直ぐ直されたようです。 教授は先生がコーネル大で、学んだことを知り、恩師の、ダレンバック先生の事を懐かしそうにお聞きになられ由。各国の高名な教授が参加されたようです。 その後、1971年、東京で開催された国際会議には、パリでお目に掛かった、ベルギーのヌッタン教授が、副議長として来日されたとのことです。 会議終了後、ヌッタン教授を浅草にご案内し,浅草寺の境内にある、2メートル大のわらじを見て感嘆されたようです。「ああ~このようなわらじを履けば、早く天国に行けるという事ですね~」と独特の感想を述べられたとのことです。 アメリカ心理学の長老、ラングフェルト教授は、おしゃれな紳士で、南先生の恩師の消息を尋ねられたとのことです。アメリカ人なのにヨーロッパ風の雰囲気のある方で、その時70歳くらいとのことでし。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月21日 15時41分27秒
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