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カナダとほほ暮らし

カナダとほほ暮らし




2025.06.13
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テーマ:エッセイ
カテゴリ:ため息メモ


ドラマを見ている。

「それでも、生きてゆく」というドラマだ。

満島ひかりと瑛太と風間俊介、大竹しのぶ、全員が若く見える。

2011年のドラマだった。

こんなドラマが存在したなんて

全然知らんかったー。(藤井風ふうのイントネーションで。だって、岡山出身じゃけー)

見れば見るほど、

疲れた体と頭と心と 自分の全体を最高級に消耗させる展開で

一層疲れるのに 続きを見ずにはいられない。

私は、このドラマの人々や状況よりもずっと「普通」の平凡な暮らしをやっている。

なのにどうしてだろう。

もし、自分の人生をやめて 別の人間の人生に好きなようにスワップできちゃうとしたら

したいですか? そんな問いかけがあったら、

はい。という。

今の自分は、心の中で はい。といった。

今の自分の人生は、やめたい。 今の自分も、やめたい。

こんなくだらん愚痴か文句か泣き言か弱音かたわごとか

それはどうでもいい。

やめたいのはすぐわかる。

一瞬、自分をすっぱりやめて 別の人になったら

とても楽な気がした。

記憶喪失の設定のドラマが面白いのは たぶん それだ。

自分のことはすっぱり忘れたようになり

新しく生きる人になる。

私はそれをしたいのだと思う。

家族がどうとか 仕事がどうとか まわりの状況は全て無視して

自分を何か新しいものにしたいのだ。

他人の気持ちや反応はどうでもいいと思いたい。

明日、 この自分をやめて 別な人になれたら どうだろう。

身がかるくなるだろうか。

自由を感じるだろうか。

毎日、自分をやめられればいいのに。

「それでも、生きてゆく」を見ていると

許せないものは許せない、生きているのに本当は生きてない、

死んでしまったのにまだまるで生きているようだ、

幸せになってはいけないけどなりたい、

理解しあえるのに不幸のままだ、

もうありとあらゆる しがらみだらけ。

フィクションなのにかなり苦痛が止まらない。

私の人生は平穏無事でとても良い、って思えたらいいのに。

フィクションとノンフィクションのこの自分に何か違いがあるのだろうか?

やめられるんだったら 自分をやめたい。

自分で選んだ生き方でしょ、って言われても

結果はやめたいって思うんだよ。クレイジーだ。

子供のころ、やめられずにずるずる続けた習い事、

神様は私に練習の機会を与えた。

嫌になったらやめる練習。

今でも、できない。

いつまでも、できない。

つらい。









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最終更新日  2025.06.13 15:27:17
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