失格者の弁、蓮華谷火葬場跡。
お父さんの高野三郎さんが書いた「失格者の弁」を読みました。 『忘れもしません昭和四十四年六月二十五日、いつも通り出勤して間もなく、何気なく受けた電話だったが、「こちら警察です。京都西陣署からの連絡ですが、おたくの悦子さんが自殺しました・・・・・・」まさに晴天の霹靂でした。 取るものも取りあえず京都に飛び本人であることを確認したとき、「どうか誤報であってほしい」とのはかない一縷の望みも、もろくも崩れ去ってしまいました。翌日、赤旗なびき騒然たる京大医学部に安置された遺体を引取り、午後四時から洛西の衣笠山葬場にて家族と在京の友人たち十数人で涙ながらの最後のお別れをしました。すっかり灰となったまだ温かい骨箱を胸にだきしめたとき、あの娘は本当に死んでしまったのだという実感がヒシヒシとわき、これでやっと手許に帰ってくれたのだ、それにしても何と変わり果てた姿だろうと、あふれる涙はどうすることもできませんでした。』◇◇◇ 文中にある「洛西の衣笠山葬場」は、金閣寺の裏山に当時あった蓮華谷火葬場であるとネットで知り、跡地に行ってみました。入口です。原谷に向かう途中の坂道、住宅街のすぐそば。現在では山科の中央斎場に集約されている京都市の火葬場ですが、かつてはこんな場所にもあったんですね。初めて知りました。 現在では児童公園になっているそうですが、柵に囲まれた火葬炉棟は現在でも残っていて、隣にあるグラウンドには慰霊碑が。しかし看板や標札等はどこにも見当たらず…。人は誰もいませんでした。本当に怖いくらいの人気のなさ。やはり近隣住民の方々も近寄らないのでしょうか。予備の火葬炉棟だったそうです。このグラウンドに火葬炉棟があったそうです。