いまだ浄化されず「日本人のカルマ」(1)
東日本大震災と福島原発事故という空前の惨禍について思い至ったのは、これだけのことが日本に起こったのは、私たち日本人が何か大きなカルマを溜め込んできたに違いないということです。今回の出来事につながるカルマは何か--それがわかれば、日本国および日本人の前途を予見することができます。少し考えて直ちに出てきた結論は、それは「核のカルマ」であって、それ以外にはありえないということです。 歴史をさかのぼれば、明治維新から近代国家への歩みの中でも、大きなカルマの蓄積がありました。極端な西洋の模倣、古き良きものの抹殺、富国強兵から軍国主義国家への傾斜。日清戦争(1894-95)、台湾併合(1895)、日露戦争(1904-05)、朝鮮併合(1910)。満州事変(満州侵略戦争:1931)、「満州国」樹立(1932)、支那事変(日中戦争:1937-45)、フランス領インドシナ進駐(1940-45)。治安維持法・言論統制と弾圧(1925-45)、国家総動員体制(1938-45)、軍事政権(1941-45)。太平洋戦争(第二次世界大戦:1941-45)。--これらのカルマは、1945年8月のヒロシマ・ナガサキ原爆炸裂を契機とする終戦、そして「平和国家への蘇生」によって解消されているとみられます(原爆投下に対する「アメリカのカルマ」は解消されていませんが)。 「核のカルマ」は、その後の歴史を通じて蓄積されてきたもので、表面的な事象としては、国土の狭い地震国に54基もの原発を集積させてきたことです。〔原発集積度=原発数÷1人当たり国土面積〕と定義して、原発による発電量上位5カ国ではこうなります(2008年データ)。人口(百万人) 国土面積(km2) 原発数 1人当たり面積 原発集積度1.アメリカ 305.8 9,629,100 104 31.5 3.3 2.フランス 61.6 551,500 59 9.0 6.63.日 本 128.0 377,900 55 3.0 18.34.ロシア 142.5 17,098,200 27 120.0 0.25.ドイツ 82.6 357,000 17 4.3 4.0これを見ると、日本が突出していることは自明です。日本に多い山岳地を除けば、もっと極端な数値になるでしょう。そしてフランスとドイツは、「ヨーロッパプレート」に乗っており地震国ではありません。アメリカの原発は、地震が多い太平洋沿岸を避けて、中部と東部に立地しています。 日本は、「原爆の洗礼」を受けて「核」の脅威について十分学んだはずなのに、それを活かすことができませんでした。古くは「平和利用」という美名のもとに、近年では「温暖化防止」を口実にして、「原発政策」を推進してきたのです。原爆の「核」と原発の「核」は同根で、「人間」だけでなく、「地球(巨大な生命体である「ガイア」の肉体)」や「自然界の生きもの」を加害します。原発などの核施設が平常運転されている場合でも、放射線による加害があります。それは英セラフィールドや仏ラ・アーグの、核施設周辺住民の放射線被害で歴然としています。また、アメリカの原発周辺地域での疫学的調査の記録が本になっています:『低線量内部被曝の脅威-原子炉周辺の健康破壊と疫学的立証の記録』(ジェイ・マーチン・グールド)。これによると、平常運転されている原発の80キロ、160キロ圏ですら危険があります。 しかし、日本の「核のカルマ」の大半は、国内に原発を実現させてきた手法にあると見られます。そのすべてに巨大な「札束」と、巧妙な「人心操縦」が絡んでいるのです。まず次の金額規模をご覧ください。・政府の原子力関連予算 約4,550億円/年・電源開発促進税(電気料金に上乗せして徴収され、電源立地地域交付金等の財源となる) 約3,500億円・14基の原発(「若狭・原発銀座」)を抱える福井県落ちた交付金(1974~2009) 約3,200億円・六ヶ所村再処理工場建設費 2兆円以上(1993年スタート時の見積 約7,600億円)・六ヶ所村の固定資産税収入 約52億円(30年前の50倍)・六ヶ所村の住民一人当たり所得 約1,360万円/年(青森県で2位の八戸市と1,000万円以上の差)・原子力産業の市場規模 約1兆500億円/年(原発1基 約5,000億円、保守修繕費 3,000億円/年、核燃料費 5,000億円/年等) ・東電の設備投資 約6,000億円/年(10電力合計 約2兆円の3割)・広告宣伝費(10電力+電気事業関連団体) 約1,000億円(内 東電 約240億円) このようなお金が、いわゆる〔政・官・業・学+マスメディア〕の「鉄の結束」を通じて、原発立地市町村や一般国民を懐柔するために、どのように使われているでしょうか。上記した原子力関連予算の、経済産業省の「取り分」は約1,900億円(資源エネルギー庁、原子力安全・保安院等)、文部科学省の「取り分」は約2,570億円(日本原子力研究開発機構等)です。役人にとっては、予算獲得が生命線です。この2省が原発推進に懸命になる理由が、これだけでもわかるでしょう。政治への影響力は、就任するや否や「省益」の代弁者になる大臣や副大臣を通じて、また政治家への「ご説明」によって発揮されます。 文部科学省は、学習指導(要綱)や教科書検定という「宝刀」によっても、中学生(公民教科)や高校生(社会科教科)を操縦します。また、文部科学省と資源エネルギー庁が発行し配布する小中学校副読本として、『わくわく原子力ランド』(小学生用)、『チャレンジ!原子力ワールド』(中学生用)、『教師用 解説編』などというものがあります。これらは原発の利点を解説し、「電力源のベストミックス」を強調しています。それに加えて、電気事業連合会が発行するDVD『偉人たちとの授業~放射線を知る』も、学校に無料で配布される仕組みで、原発の危険性より有用性を強調する洗脳教育教材になっています。 中央省庁の幹部から電力会社への「天下り」が、過去50年間に68人もいます。現在も13人が役員や顧問として在籍しています。そして電力会社の「監督官庁」であるはずの資源エネルギー庁や原子力安全・保安院は、原発を推進する経済産業省に属しており、中立的な役割を果たすようにはなっていません。これらのことを通じて、電力会社と経済産業省の癒着構造が生まれ、ここでの「談合」によって電力料金の体系や原発をめぐる様々な工作が行われています(これらについて勇気ある内部関係者の告発もあります)。現に、「総原価主義」といわれる電気料金の決定方式では、電力会社が申告する総原価の一定率として利益を保証するので、原発を主体として設備規模を増やせば増やすほど利益が増える仕組みです。ここから出てくる(原価に算入するものを含む)莫大な「原資」が、電力会社の潤沢な資金になり、実際のところ前面に出て「諸工作」を行うのは電力会社なのです。 政治家への働きかけは、例えば電力各社が加盟する「電気事業連合会」からの献金として行われます(主に自民党宛て)。一方、民主党に対しては、「連合」の最有力労働組合組織である「電力総連」が、原発推進を暗黙の条件として寄付や選挙協力を行っており、それは地方政治にも及んでいます。「電力総連政治活動委員会」という組織の傘下に、「東京電力労働組合政治連盟」等の公然とした組織があることが、それを物語っています。 学会に対する働きかけは大学への寄付があり、それを受けて大学では、原発に関する「寄附講座」や「寄付研究部門」を開設して、「御用学者」が学生や社会を洗脳する活動拠点にしています。それらの学者は同時に、経済産業省の指名によって、「原子力委員会委員」や「総合資源エネルギー調査会委員」や「原子力安全委員会委員」などに納まり、原発推進に「貢献」することになります。この路線に乗らない「硬派の」学者は、「官」からも「業」からも「干される」ことになり、研究資金などでたいへん苦労することになるようです。 マスメディアへの働きかけは、上記した1,000億円という広告宣伝費が如実に物語っています。地域独占の電力会社は、本来ならゼロでも済ませるはずなのに、トヨタやパナソニックを上回る広告出稿をするのです。中央や地方を問わず、マスメディアにとって安定した広告収入ほど有難いものはないので、「筆先の微妙な表現」でさえ、「広告引き揚げ」という事態にならないよう注意することになります。「報道は中立」というのは、神話に過ぎません。それだけでなく、マスメディア幹部やOBへの接待攻勢は業界では「公然の秘密」のようなものらしく、東電会長の記者会見の席上でフリーランスの記者が、その会長自身がマスメディアOBを引き連れて海外旅行した件を質問したのは最近のことです。 このようにして、単に原発立地に関係する人々だけでなく、国民全体が「老若男女を問わず」、いつの間にか「原発容認」に傾いていくような広範で緻密な仕掛けに、それと知らず飲み込まれているのです。それは原発の是非だけの問題ではなく、「原発文化」とでもいうべき、バランスを欠いたエコノミックアニマル的価値観で国民全体を牽引していく側面を持っています。その延長上に、経済成長だけを至高のものとして、その根本的な矛盾や他の生き方に気づこうとしない姿勢があります。これは、母なる地球や自然から遊離した人間の唯我独尊で、私たちが「アセンション」に向けて一刻も早く手放していくべきものです。