自分や誰かを責めてしまいたくなるときに
今、もしも、万が一あなたが、地震そのもの、またそれにともなって起きた出来事の責任の一端が、自分やほかの誰かにあると感じているとしたらそれは、まったく事実ではありません。どうか、そのような考えは、今すぐ頭から取り除いてください。その時の選択は、あなたにとっても、他の誰にとっても、その時、その状況の中で<最善であり、完璧だった>のです。それ以外には、ありませんでした。ああしていれば...こうしていたら...という思いは、誰にも、後からいくらでも湧いて来るものですが、あのとき、あの状況の中では、<誰もが最善のことをした>のです。「あのとき、私が呼び止めていれば」「なぜすぐ帰らなかったんだろう...」「あんなことさえしなければ...」という後悔は、ひっきりなしに湧いてきます。けれど、そうしていたからと言って、必ずしもその結果が今より良かったとは言えないのです。その時は、その時であり、人が違えば、立場や状況は皆違います。視点や抱えているものが違えば、下す判断も違います。決して、誰かが<正しい答え>を知っていたのでも誰かが<間違った判断>をしたのでもないのです。ただ、物事は、そうであって、あなたの、すべての人の選択は、最善だったのです。あなたが、そのような考えや後悔に捕らわれてどんなに苦しんでも、どんなに誰かを責めても、喪われた人々や消え去ったものごとが戻って来るわけではありません。それは、「今、ここ」にいるあなた自身や大切な人々の心の傷を深くするばかりです。誰もそんなことを望んではいません。今こそ、愛と癒しが必要なのです。あなた自身を許してください。違う判断をした誰かを許してください。どうか、あなたが許しの源であってください。今、それ以上に大切なことはありません。今はそれが理解できないとしても、すべては完璧だったのです。誰ひとり、失敗もしていなければ、過ちも犯していません。怒りや憎しみは、なにも生み出しません。愛だけが、あなたを癒し、すべてを癒すことのできるエネルギーです。どうか、今あなたが、愛に留まり、愛の「源」でいてくださいますように。心から祈っています。Love - your friends, nana&Joe 「神との対話」オフィシャルサイト