全て
| カテゴリ未分類
| 育児問題
| 教育問題
| 子どもの問題
| 育児エッセー
| 人生論
| 時事問題
| 日々の随筆
| 家族のこと
| 自分(はやし浩司)史
| 友人より
| BW教室のこと
| 生きザマの問題
| 心の問題
| 育児のコツ
| 親子の問題
| 宗教問題(心の問題)
| 幼児・子どもの心理
| 老人問題
| 【保存原稿・SS】
| 旅行記
| ニュース
| 子どもの世界
| 私が見た映画
| ●宗教
| ●日本について
| 社会時評
| 夫婦の問題
| ●経済について(日本+国際)
| 英語のことわざ
| ★BW方式
| 小説
| BW教室
カテゴリ:人生論
●心のポケット
他人の不幸を外野席からながめながら、とやかく言うのは、簡単なこと。それなりに口達者な人なら、だれにだって、できる。しかし、自分に、その心のポケットがあるならまだしも、そのポケットがないなら、とやかく言ってはいけない。言われた人にもよるが、中には、言われることによって、死ぬほどつらい思いをする人もいる。それに、事情は、人、それぞれ。さまざま。 「心のポケット」というのは、苦しみや悲しみを理解できる、心の広さをいう。同じような苦しみや悲しみを体験したことがある人だけに、そのポケットができる。たとえば不幸にして、自分の子どもを交通事故か何かで、なくした人のケースを考えてみよう。 その人は、子どもをなくしたことによって、想像を絶するような、苦しみ、そして悲しみを経験する。つまりそのとき、「心のポケット」ができる。そういう人なら、同じように子どもをなくした人に向かって、なぐさめの言葉をかけてやったり、あるいは自分の意見を言うことができる。 そのポケットもない人が、もっともらしい顔をして、同情してみせるのは、かえって相手に対して失礼というもの。 が、中には、その心のポケットのないまま、わかったようなことを言う人がいる。中には、演技で、さも相手に同情したようなフリをして見せる人もいる。しかしそれくらい非人間的な行為もない。ふつうの神経をもっている人なら、絶対に、そういうことをしてはいけない。 さらにここにも書いたように、事情は、人、それぞれ。さまざま。表に出てこない事情だって、山ほどある。そういう事情も知らず、表面的な部分だけを見て、あれこれ言うことは、許されない。とくに家族の問題については、そうである。いろいろなケースがある。 少し前だが、私の掲示板に、つぎのような相談をしてきた女性がいた。内容は、おおまかに言えば、こうである。 『介護制度ができたといっても、親の介護は、たいへんです。 デイサービスを受けて、親が家にいないといっても、安心できません。 いつ、なんどき電話がかかってくるか、わからないからです。 病院の送り迎え、部屋の掃除、便の始末、それに認知症による世話も かかります。 1日とて、安穏としていることはできません。 しかし義理の姉たち(2人)は、そういう事情も知らず、「親の 世話をちゃんとみろ」というようなことを、平気で言ってきます。 間接的な、言い方で、そう言います。イヤミな言い方です。 「あんたに任せておけば、安心だから」とか、「あなたは親孝行の 人だと、昔からわかっていました」とか。さらには、最近は、 「あなたのおかげで、母も、幸せでしょう。ありがとうございます」と。 また先日は、こんなことも言われました。 「今度の一日だけ、母の面倒をみさせていただけませんか。あなたが よければ、一日だけ、母を温泉に連れてやってあげたいのです」と。 つまりそう言いながら、その姉は、「一日しか面倒をみないぞ」と 言っているのですね。 その上、今度は、12、3年前に死んだ父親の、13回忌をやれと 言ってきました。母親の介護だけで、(私にとっては、義理の母親ですが)、 たいへんです。 大小便をもらしますので、私は、介護施設に入れたいのですが、義理の 姉たちにそんな話など、できません。私の体重も、この1、2年で、10キロ近く 減りました。おまけに持病の腰痛が、このところひどくなってきました」と。 私は、このメールをくれた女性に、つぎのような返事を書いた。「義理の姉は、そこらの空き地にたむろして世間話に花を咲かせる、オバチャン連中だと思えばいいのです。相手を呑(の)んでしまえばいいのです。本気で相手にしてはいけない。また本気で相手にする価値のある人たちではない。 本気で相手にしたとたん、あなた自身も、彼女たちと同レベルの人間になってしまいます。そして一度、同レベルになったとたん、人間関係は、修羅場(しゅらば)と化します。どうか気をつけてください」と。 私のワイフも、この種の問題には、さんざん悩まされつづけた。ワイフやこちらの事情も知らず、あれこれと詮索(せんさく)してくる人は多い。だからといって、どうして、いちいちこちらの事情を説明しなければならないのか。 こうした詮索好きの人たちは、たいていは一方的な情報だけを聞き、自分の人生観だけで、ものごとを判断する。判断するだけならまだしも、説教までしてくる。で、そういうとき、私は、とにかく笑って無視するという方法をとることにしている。もともと相手にしても、しかたのない連中だからである。ワイフにも、そう忠告している。 ここに書いたことには、いくつかの教訓が含まれる。 (1) 心のポケットのない人には、相談するな。 (2) 心のポケットがないなら、相手の相談にのるな。 (3) 心のポケットは、できるだけ多く、つくれ。 (4) 相手には、どんな心のポケットがあるかを知れ。 (5) 自分には、どんな心のポケットがあるかを知れ。 ともかくも、他人の不幸話に介入するときには、細心の注意を払ったらよい。安易な介入こそ、禁物。へたをすれば、あなた自身が、大やけどをする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月04日 12時41分34秒
|