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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2006年11月04日
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カテゴリ:人生論
●心のポケット

 他人の不幸を外野席からながめながら、とやかく言うのは、簡単なこと。それなりに口達者な人なら、だれにだって、できる。しかし、自分に、その心のポケットがあるならまだしも、そのポケットがないなら、とやかく言ってはいけない。言われた人にもよるが、中には、言われることによって、死ぬほどつらい思いをする人もいる。それに、事情は、人、それぞれ。さまざま。

 「心のポケット」というのは、苦しみや悲しみを理解できる、心の広さをいう。同じような苦しみや悲しみを体験したことがある人だけに、そのポケットができる。たとえば不幸にして、自分の子どもを交通事故か何かで、なくした人のケースを考えてみよう。

 その人は、子どもをなくしたことによって、想像を絶するような、苦しみ、そして悲しみを経験する。つまりそのとき、「心のポケット」ができる。そういう人なら、同じように子どもをなくした人に向かって、なぐさめの言葉をかけてやったり、あるいは自分の意見を言うことができる。

 そのポケットもない人が、もっともらしい顔をして、同情してみせるのは、かえって相手に対して失礼というもの。

 が、中には、その心のポケットのないまま、わかったようなことを言う人がいる。中には、演技で、さも相手に同情したようなフリをして見せる人もいる。しかしそれくらい非人間的な行為もない。ふつうの神経をもっている人なら、絶対に、そういうことをしてはいけない。

 さらにここにも書いたように、事情は、人、それぞれ。さまざま。表に出てこない事情だって、山ほどある。そういう事情も知らず、表面的な部分だけを見て、あれこれ言うことは、許されない。とくに家族の問題については、そうである。いろいろなケースがある。

 少し前だが、私の掲示板に、つぎのような相談をしてきた女性がいた。内容は、おおまかに言えば、こうである。

 『介護制度ができたといっても、親の介護は、たいへんです。
  デイサービスを受けて、親が家にいないといっても、安心できません。
  いつ、なんどき電話がかかってくるか、わからないからです。

  病院の送り迎え、部屋の掃除、便の始末、それに認知症による世話も
  かかります。
  1日とて、安穏としていることはできません。

  しかし義理の姉たち(2人)は、そういう事情も知らず、「親の
  世話をちゃんとみろ」というようなことを、平気で言ってきます。
  間接的な、言い方で、そう言います。イヤミな言い方です。
 
 「あんたに任せておけば、安心だから」とか、「あなたは親孝行の
  人だと、昔からわかっていました」とか。さらには、最近は、
 「あなたのおかげで、母も、幸せでしょう。ありがとうございます」と。 

  また先日は、こんなことも言われました。

 「今度の一日だけ、母の面倒をみさせていただけませんか。あなたが
  よければ、一日だけ、母を温泉に連れてやってあげたいのです」と。

  つまりそう言いながら、その姉は、「一日しか面倒をみないぞ」と
  言っているのですね。 

  その上、今度は、12、3年前に死んだ父親の、13回忌をやれと
  言ってきました。母親の介護だけで、(私にとっては、義理の母親ですが)、
  たいへんです。

  大小便をもらしますので、私は、介護施設に入れたいのですが、義理の
  姉たちにそんな話など、できません。私の体重も、この1、2年で、10キロ近く
  減りました。おまけに持病の腰痛が、このところひどくなってきました」と。

 私は、このメールをくれた女性に、つぎのような返事を書いた。「義理の姉は、そこらの空き地にたむろして世間話に花を咲かせる、オバチャン連中だと思えばいいのです。相手を呑(の)んでしまえばいいのです。本気で相手にしてはいけない。また本気で相手にする価値のある人たちではない。

 本気で相手にしたとたん、あなた自身も、彼女たちと同レベルの人間になってしまいます。そして一度、同レベルになったとたん、人間関係は、修羅場(しゅらば)と化します。どうか気をつけてください」と。

 私のワイフも、この種の問題には、さんざん悩まされつづけた。ワイフやこちらの事情も知らず、あれこれと詮索(せんさく)してくる人は多い。だからといって、どうして、いちいちこちらの事情を説明しなければならないのか。

 こうした詮索好きの人たちは、たいていは一方的な情報だけを聞き、自分の人生観だけで、ものごとを判断する。判断するだけならまだしも、説教までしてくる。で、そういうとき、私は、とにかく笑って無視するという方法をとることにしている。もともと相手にしても、しかたのない連中だからである。ワイフにも、そう忠告している。

 ここに書いたことには、いくつかの教訓が含まれる。

(1) 心のポケットのない人には、相談するな。
(2) 心のポケットがないなら、相手の相談にのるな。
(3) 心のポケットは、できるだけ多く、つくれ。
(4) 相手には、どんな心のポケットがあるかを知れ。
(5) 自分には、どんな心のポケットがあるかを知れ。

 ともかくも、他人の不幸話に介入するときには、細心の注意を払ったらよい。安易な介入こそ、禁物。へたをすれば、あなた自身が、大やけどをする。





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最終更新日  2006年11月04日 12時41分34秒
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