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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2006年12月14日
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カテゴリ:育児エッセー
【子育て・新格言】(改)

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私の子育て論は、格言集から始まった。
今から、もう20年以上も前のことである。

以来、格言集は、何度も、書き改めた。

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●子どもは芸術品

 母親にとって、子どもは芸術品。とくに乳幼児期から幼児期にかけての子どもは、そう思うべし。こんな投書が載っていた。

 郵便局で並んで待っていたときのこと。前に立っていた母親が、子どもをおんぶしていた。子どもは母親の背中で、アイスを食べていた。そのアイスで、その人の服を汚してしまった。そこでその人が、「アイスで服が汚れましたが……」と母親に注意すると、その母親はこう言ったという。「子どものすることだから、しかたないでしょ!」と。投書したその人は、「何ともやりきれない気持ちになった」と書いていた。

 私にも似たような経験がある。

 新幹線の中で走り回っている子どもたちがいたので、注意すると、いっしょにいた母親はわざと私に聞こえるような大声で、こう言った。「うるさい、おじさんねエ」と。以後、私はともかくも、一時間近く、ピリピリとした雰囲気のままだった。

さらにレストランで、箸を口に入れたまま、走っている子どもがいたので、「あぶないよ」と声をかけたことがある。どこかの子どもが、綿菓子の棒が喉に刺さって死ぬという事件が起きる、少し前のことだった。が、その子どもの母親は、私にこう言った。「あんたの子じゃないんだから、いらんこと言わないでくれ」と。すごみのある声だった。

 こうした母親は、自分の子どもが注意されると、自分の作品をけなされたかのように感ずるらしい。芸術家が、自分の作品をけなされたような気持ち? つまり親と子の間に、カベがない。子どもとの間に距離をおいて、子どもを客観的に見ることができない。私自身は母親になったことがないので、そういう心理はよくわからないが、そういうことらしい。

 こうした心理がよいとか悪いとか判断する前に、母親にはそういう心理があるという前提でつきあうこと。だから、母親の前で、子どもを注意したり、批判したりするときは、じゅうぶん注意する。そのときはそうでなくても、『江戸の敵(カタキ)を、長崎で討つ』ということも、この世界ではよくある。クワバラ、クワバラ。


●美徳の陰に欠点あり

 『美徳の陰に欠点あり』。これはイギリスの格言。美徳とまでは言わなくても、こうした例は、子どもの世界ではよくある。たとえば「字のきれいな子どもは、書くのが遅い」など。こんなことがあった。

 E君(小3)という子どもがいた。習字の教室で書くようなきれいな字で、いつも書いていた。それはそれでよいことかもしれないが、その速度が遅い。みなが書き終わって、一服しているようなときでも、まだ半分も書いていない。ノロノロといったふうではないが、遅い。そこで何度もはやく書くように言うのだが、それでも、それが精一杯。

 が、とうとう私のほうが、先に限界にきてしまった。そこでこう言った。「ていねいに書かねばならないときもある。そうでないときもある。ケースバイケースで、考えて書きなさい」と。とたん、E君ははやく書くようになった。が、その字を見て、私は驚いた。まったく別人の字というか、かろうじて読めるという程度の悪筆だった。しかしそれがE君の「地」だった。

 ほかにも「よくしゃべる子どもは、内容が浅い」など。ペラペラとよくしゃべる子どもは、一見、利発に見えるが、その実、しゃべっている内容が浅い。脳に飛来する情報を、そのつど加工して適当にしゃべっているだけといったふうになる。子どもの世界には、『軽いひとりごとは、抑えろ』という格言もある。子どもがペラペラと意味のないことを言いつづけたら、「口を閉じなさい」といって、それをたしなめる。

 言葉というのは、それを積み重ねると、論理にもなるが、反対に軽い言葉は、その子ども(人)の思考を停止させる。まさに両刃の剣。たとえば、「ほら、花」「きれい」「あそこにも花」「ここにも花」「これもきれい」式の言葉は、その言葉の範囲に、子ども(人)の思考を限定してしまう。人間の思考は、もっと複雑で深い。それにはやい。が、こうした軽い言葉を口にすることで、その言葉にとらわれ、それ以上、子ども(人)はものを考えなくなってしまう。

 その状態が進むと、いわゆる多弁性が出てくる。「多弁児」という言葉は、私が考えたが、このタイプの子どもは多い。概して女の子(女性)に多い。

 これについて、こんな興味ある研究結果が報告されている。ついでにここに書いておく。

 言語中枢(ウエルニッケの言語中枢)は左脳にあるが、女性のばあい、機能的MRIを使って脳を調べると、右脳、つまり右半球のだいたい同じような場所(対照的な位置)にも、同じような反応が現れるという。

また言語中枢(ウエルニッケの言語中枢)の神経細胞の密度も、女性のほうが高いということもわかっている。このことから、男性よりも女性のほうが、言葉を理解するのに、有利な立場にあるとされる。つまり女性のほうが、相手の言葉をよく理解できると同時に、おしゃべりということ(「脳のしくみ」新井康允氏)。ナルホド!

 
● 『人、その子の悪、知ることなし』

出典はわからないが、昔から、『人、その子の悪、知ることなし』という。つまり、親バカは、人の常、世の常ということ。(私も、そうだが……。)

私の印象に残っている事件に、こんなのがあった。それを話す前に、子どもの虚言(いわゆるウソ)と、空想的虚言(妄想)は分けて考える。空想的虚言というのは。言うなれば病的なウソで、子ども自身がウソをつきながら、自分でウソをついているという自覚がない。Tさん(小3)という女の子がそうだった。

 もっともそういう症状があるからといって、すぐ親に報告するということはしない。へたな言い方をすると、それこそ大騒動になってしまう。また教育の世界では、「診断」はタブー。何か具体的に問題が起き、親のほうから相談があったとき、それとなく話すという方法をとる。

 が、そのTさんが、こんな事件を起こした。ある日、私のところへやってきて、「バスの中で、教材用の費用(本代)を落とした」と言うのだ。そこでそのときの様子を聞くと、ことこまかに説明し始めた。「バスが急にとまった。それで体が前にフラついた。そのときカバンが半分、さかさまになって、それで落とした」と。落とした様子を覚えているというのも、おかしい。そこで「どうして拾わなかったの」と聞くと、「混んでいた」「前に大きなおばさんがいて、取れなかった」と。

 しかしその費用が入った袋の中にあった、アンケート用紙は、カバンの中に残っていたという。これもおかしな話だ。中身のお金と封筒だけを落として、その封筒の中のアンケート用紙だけ残った? それ以前からTさんには、理解しがたいウソが多かったので、私は思いきって事情を、父親に電話で説明することにした。が、父親は私の話を半分も聞かないうちに、怒りだしてしまい、こう怒鳴った。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。父親は、警察署で、刑事をしていた。

 そこで私は謝罪するため、翌日の午後、Tさんの家に向かった。Tさんの祖母が玄関で私に応対した。私は疑って、失礼なことを言ったことをわびた。が、そのときこのこと。私は玄関の右奥の壁のところに、Tさんが立っているのに気づいた。私たちの会話をずっと聞いていたのだ。私はTさんの顔を見て、ぞっとした。Tさんが、視線をそらしたまま、ニンマリと、笑っていた。

 そのあとしばらくして、Tさんの妹(小1)から、Tさんが、高価な人形を買って、隠しもっている話を聞いた。値段を聞くと、そのときの費用と、一致した。が、私はそれ以上、何も言えなかった。

 子どもを信ずることは、家庭教育の要(かなめ)だが、親バカになってはいけない。とくに子どもを指導する園や学校の先生と、子どもの話をするときは、わが子でも他人と思うこと。そういう姿勢が、先生の口を開く。先生にしても、一番話しにくい親というのは、子どものことになると、すぐカリカリと神経質になる親。つぎに「うちではふつうです」とか、「うちでは問題ありません」と反論してくる親。そういう親に出会うと、「どうぞ、ご勝手に」という心境になる。



●子どもの会話

 ある日幼稚園の庭のすみに座っていると、横の子どもたち(年長児)が、こんな会話を始めた。

A男「おまえ、赤ん坊はどこから生まれてくるか、知っているか?」
B男「知らないよ」
A男「だからお前は、バカだ。赤ん坊はな、ママのお尻の穴から生まれてくるんだぞ」
B男「ふうん」
A男「いいか、うんちがかたまって赤ん坊になるんだぞ」
B男「ふうん、じゃあさあ、どうして男からは赤ん坊が生まれないんだよ?」
A男「バカだなあ。男はなあ、うんちがかたまって、金玉になるんだぞ。金玉はうんちがかたまったもんなんだぞ」と。

 また別の日。母親とこんな会話をした子ども(年長児)がいた。

C女「お母さん、お肉を食べると、どうなるの?」
母親「やっぱり、お肉になるんじゃ、ないかしら」
C女「野菜は、どう?」
母親「血になるのよ」
C女「でも、野菜は赤くないわ」
母親「でも、トマトは赤いでしょ」
C女「ふうん、わかった。サツマイモを食べると、そのままうんちになるのね」と。

 こんなことを話してくれた子ども(年長児)もいた。「どうしてうんちは茶色になるか、わかった」というのだ。「どうして?」と私が聞くと、「絵の具をいろいろ混ぜると、茶色になる。うんちも、それと同じだ」と。

 さらにこんなことも。ある男の子(小学3年生)が、トイレから戻ってきて、こう言った。「先生、青と黄色を混ぜると、緑になるね」と。何のことかと思って、「どうして?」と聞くとこう言った。「トイレの水(消臭剤の入った青の水)と、黄色いおしっこがまざったら、緑になった!」と。

 子どもの考えることは、おもしろい。あなたも子どもたちの会話に、一度耳を傾けてみてはどうだろうか。







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最終更新日  2006年12月14日 06時54分57秒
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