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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2006年12月15日
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カテゴリ:日々の随筆

●ケチな人

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ケチと質素とは、ちがう。

ケチな人は、使うべきところでも、お金を
使わない。

質素な人は、無用、無駄な、お金は使わない。
それをよくわきまえている。

++++++++++++++++++

 世の中には、「ケチ」と呼ばれる人は、ゴマンといる。長男、長女に多いのは、それだけ生活が防衛的であることによる。わかりやすくいえば、下の子が生まれたことにより、乳幼児期の愛情飢餓が、嫉妬(しっと)へと変化し、その嫉妬が、防衛的な生活態度に結びついたと考えるとわかりやすい。

 長男、長女ほど、「ぼくのもの」「私のもの」という意識が、強い。つまりそれだけ、心の許容範囲が狭いということになる。

 私の兄なども、(今は、ボケてしまって、どうしようもないが)、若いころでも、私が買ってやったステレオセットにすら、私にさわらせなかった。私は、私が買ってやったのだから、「私のもの」と考えた。しかし兄には、そうではなかった。

 そのときは、そういう長男、長女のもつ心理を、理解することができなかった。(今は、できるが……。)

 こういうのを、「ケチ」という。

 で、以前、コンドームを、洗って、再使用している夫婦のことを書いた。ふつう(?)、コンドームというのは、再使用しない。「質素」というふうにも、考えられなくはないが、しかしその夫婦のばあいは、ほかの面でも、異常なほど、ケチだった。

 たとえば夫婦の兄弟たちと飲み食いしたときでも、「私は兄だ」という、家父長意識ばかりがやたらと強く、自分で、お金を出したことがない。出しても、10円単位までの割り勘。弟のほうが見るにみかねて、「まあ、いいから……」と言って、全額払うことが多かった。

 ほかに、衣服でも、破れて使い物にならなくても、きちんとタンスに入れてしまっていたとか、など。

 ケチと質素は、どこがどうちがうか。

ケチな人は、使うべきところでも、お金を使わない。質素な人は、無用、無駄なお金は使わない。それをよくわきまえている。が、もう少し踏みこんで考えてみると、こうなる。

 物欲に毒され、お金やモノに執着する人を、「ケチ」という。物欲とは関係なく、心の豊かさを優先して考える人を、「質素」という。

 このことは、金持ちでありながら、ケチな人と、金持ちでありながら、質素な人を見比べてみると、よくわかる。

 まず、金持ちでありながら、ケチな人……妻や子どもの必要経費にすら、お金を出し渋る。兄弟や姉妹、親類に対しはなおさらで、実際には、1円も払わない。毎日札束か預金通帳をながめて暮らしている。

 金持ちでありながら、質素な人……人生を、余裕をもって楽しんでいる。以前、この浜松市でも、1、2番の長者番付に入るような人の子ども(姉妹)を、2人、教えたことがある。で、私は、その子どもたちの持ち物を見て、驚いた。

 何と、子どもたちのもっている手提げバッグは、母親の手作りだった。しかも、バッグには、家からBW(私の教室)までの地図が縫いこんであった。そういうのを、「質素」という。

 しかし長い人生を通してみると、ケチは、一生、ケチ。その結果、失うものも、多い。(本人は、死ぬまで、それに気づかないだろうが……。)殺伐とした人間性は、それだけで人を遠ざける。物欲に固執する姿は、だれが見ても、見苦しい。心に余裕がないから、つまり、自分の利益になることしか考えていないから、話していても、つまらない。

 が、それ以上に、人生の(真理)そのものから、遠ざかる。言い換えると、人は損をすることで、大きくなれる。損をすることに寛大になることで、心を豊かにすることができる。よい例が、ボランティア活動である。

 あのボランティア活動を、進んでする人たちを見ればよい。みな、生き生きと、明るい。あの明るさこそが、ここでいう心の豊かさということになる。

 ケチは、心の大敵と考えてよい。





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最終更新日  2006年12月15日 08時55分03秒
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