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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2007年07月29日
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カテゴリ:BW教室のこと

●古い写真

+++++++++++++

BW教室の子どもたちの、古い
写真が出てきた。

昭和51年8月8日という日付が
あるので、1976年、私が満
28歳のときの写真である。

そこには、70~80人近い生徒
たちが写っている。
みんな、なつかしい子どもたちで
ある。

そのほとんどが、そのあと、5~
10年近く、私の教室に通って
くれた。

そういうこともあって、私は、その
生徒たちの名前を、1、2人を
のぞいて、すべて知っている。

そののち、どうなったかという
消息も、知っている。

私には、貴重な写真の一枚である。

「なつかしい」というより、そこに
私自身の「命」の一部を見る。

あのころの私は無鉄砲で、自信家。
日本の教育を、私ひとりで変えて
やろうと、そんなことまで考えて
いた。

+++++++++++++++++

 若いころは、生徒たちをつれて、よくあちこちに出かけた。当時、「サマーイン」と呼んでいた宿泊学習も、そのひとつ。親たちも、よく協力してくれた。そんな写真が、1枚、出てきた。

 日付を見ると、昭和51年とある。1976年。私が満28歳のときのものである。その写真で、いちばん左端に、メガフォンをもって立っているのが、私。「私」というより、別人の私を見ているよう。顔などは、今とは、まったくちがう。

 で、その写真を見ながら、こう思った。「よくもまあ、今まで、無事に、こうして仕事ができたものだ」と。

 写真には、「BW教室・第1回サマーイン」とある。BW教室という名前にしてから、1回目の宿泊学習ということになる。それまでは、「林才能教室」と呼んでいた。つまりその年に、当時、主婦と生活社で編集長をしていた井上清氏のアドバイスを受けて、「BW教室」とした。井上氏は、こう言った。「林教室ではつまんないねエ。もっと、らしい名前にしないと」と。それで知恵をしぼって、「BW教室」とした。

 「Brain Work」の頭文字をとって、「BW教室」とした。

 その前後も含めると、37年もの間、今の仕事をしてきたことになる。病気らしい病気は、ほとんどしなかった。この10年は別として、それまでは、休んだことがない。台風の日だって、休んだことがない。まじめと言えば、まじめ。まじめというより、クソまじめ。

 で、その私も、今年、満60歳になる。まあ、いろいろあった。あったが、無事、今まで今の仕事をつづけることができたというだけで、ありがたい。これから先のことはわからない。このままあと10年? それとも5年? それまで元気で、今の仕事がつづけられれば、うれしい。

 そう思いながら、今も、しみじみと、その写真をみつめている。

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最終更新日  2007年07月29日 11時55分18秒
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