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カテゴリ:生きザマの問題
●回顧性と展望性
++++++++++++++++++ 回顧性(過去を懐かしむ)と、展望性(未来に向かって生きる)は、 満55歳前後を境として、入れ替わるのだそうだ。 この年齢を超えると、回顧性が展望性より強くなる。 さらに60歳、70歳となると、展望性はますます弱くなり、 回顧性が強くなる。 人によっては、ルーツさがしと称して、自分の先祖をさがし求める人も いる。 これについては、すでに何度も書いてきたので、ここではその先に ついて書いてみたい。 私がこの「回顧性と展望性」という言葉を知ったのは、50歳くらいの ときである。 そういう意味で、私はラッキーだった。 50歳くらいのとき、心の未来を知ることができた。 その準備をした。 やがて55歳くらいになったとき、まわりの同年齢の人たちが、急速に 回顧性が強くなっていくのが、よくわかった。 たとえば同窓会の回数が、急にふえたのもそのひとつ。 (だからといって、同窓会に意味がないというのではない。誤解のないように!) が、私はそのつど、展望性を失わないように気をつけた。 同時に、回顧性を強くしないように、心がけた。 現在、満60歳だが、そんなわけで、平均的な人たちよりは、展望性をもっている と思う。 とくにジジ臭い人たちとくらべてみると、それがよくわかる。 中には「60歳になったから、四国八十八か所巡りをする」と言っている人もいる。 「家系図を作って、それを子どもたちに残す」とがんばっている人もいる。 さらに先にも書いたように、「自分のルーツさがし」と称して、先祖の足跡をたどってみたり、早々と、墓地を購入したりする人もいる。 だからといってそういう人たちが、どうこうというのではない。 それぞれの人たちは、それぞれの思いの中で、そうする。 しかし心理学的には、(ごく平均的なこと)をしているにほかならない。 形はそれぞれでも、(みな、そうするだろう)というようなことをしているにほかならない。 アメリカ人もヨーロッパ人も、みな、そうである。 (死)という(天井)が見えてくると、とたん、目が過去へと向き始める。 それはわかるが、大切なのは、回顧性ではなく、展望性。 回顧性に陥ったとたん、そこで時計は止まる。 つまりその先の人生が、無駄になってしまう。 私にしても、残りの時間は、まだ10年はあると思う。 運がよければ、20年はあると思う。 過去を回顧するにしても、最後の最後でよい。 私は今まで生きてきたし、 生きているし、 これからも生きていく。 もちろん「生きる」ということは、「前向きに生きる」ことをいう。 (自信はないが……。) 10年もあれば、かなりのことができる。 20年もあれば、さらにいろいろなことができる。 年齢的には、満20歳から40歳までの期間と同じ。 あのビル・ゲーツは、20歳くらいのときに起業し、40歳のときには、 自分の会社を、世界一のコンピュータのソフト会社にまでした。 つまり毎日、仏壇の金具を磨いて過ごすようになったら、その人もおしまい。 そういうのを「生きている」とは、言わない。 だからもし、この文章を読んでいるあなたが、40代とか、50代のはじめの 人だったら、この言葉を覚えておくとよい。 「回顧性と展望性」という言葉である。 この言葉を知っているだけでも、老後の過ごし方が大きく変わると思う。 (補記) 一度回顧性に陥ってしまうと、それから抜け出るのは容易なことではない。 その人の人生観として、定着してしまうからである。 さらに回顧性に陥ると、考え方そのものが、どんどんと後ろ向きになっていく。 最終的には、自分の葬儀の心配ばかりをするようになる。 このことは、あなた自身の父親や母親、あるいは親類の人たちを観察してみると よくわかる。 あなたの周囲にも、そういう人が、1人や2人は、たいてい、いる。 おおいにそういう人たちを参考にしたらよい。 (この言い方は、ちょっと、残酷かな?) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月31日 19時06分39秒
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