楽天・日記 by はやし浩司

2009/01/13(火)09:48

●金権教

●宗教(14)

●金権教 +++++++++++++++++ お金がすべて……。 お金しか、信じない。 そういう人は、多い。 称して、「金権教」という。 +++++++++++++++++ ●戦争の後遺症 あの戦争が残した最大の後遺症と言えば、 金権教と考えてよい。 それまでは天皇が神だった。 その天皇が人間宣言をして、神の座をおりた。 とたん、多くの日本人は、行き場を失ってしまった。 心のより所を失ってしまった。 戦後しばらくの間、放心状態になってしまった人も多い。 戦後、雨後の竹の子のように新興宗教が生まれたのも そのためと考えてよい。 が、中でも最大の新興宗教といえば、金権教ということになる。 「マネー教」と言ってもよい。 「マネーがすべて」「マネーがあれば幸せ」「マネーがあれば、どんな 夢もかなう」と。 基本的には、現在の日本は、いまだにその(流れ)の中にある。 かなり大ざっぱな書き方をしたが、大筋ではまちがっていない。 ●仕事第一主義 ひとつの価値観を妄信すると、他の別の価値観が犠牲になる。 これは私の価値観というよりは、私たちの世代に共通した価値観と言ってもよい。 今でこそ、「仕事より家族のほうが大切」と考える人は多い。 しかし私たちが、20代、30代のころは、そうではなかった。 「仕事か家族か」と問われれば、みな、まちがいなく「仕事」を選んだ。 「仕事あっての家族」と考える人もいた。 だから「仕事」という言葉は、それ自体が、トランプでいえば、ジョーカー の働きをした。 A「明日、会合に出てくれますか?」 B「私は、仕事がありますから」 A「ああ、それなら結構です」と。 戦前の「お国のため」が、「会社のため」になった。 戦前の「兵士」が、「企業戦士」となった。 仕事第一主義は、そこから生まれた。 「会社人間」という言葉も、そこから生まれた。 しかしそれを裏から支えたのが、金権教ということになる。 ●ぜいたくが当たり前 お金がなければ、不幸になる。 それは事実。 しかしお金では、幸福は買えない。 それもまた事実。 お金で私たちは欲望を満足させることはできる。 しかしその欲望には、際限がない。 戦後生まれの私たちと、今の人たちを比較するのもどうかと思うが、 いろいろな場面で、私は、その(ちがい)を強く感ずる。 とくに今の若い人たちの(ぜいたく)を見たりすると、ときに、それに ついていけないときがある。 もう15年近くも前のことだが、こんなことがあった。 息子たちが、スキーに出かけた。 スキーをするということ自体、私たちの世代には、考えられないことだった。 どこかの金持ちの、最高のぜいたくということになっていた。 が、その息子が、手ぶらでスキーにでかけ、手ぶらで、スキーから帰ってきた。 「荷物はどうした?」と聞くと、息子たちは、平然とこう答えた。 「宅急便で送った」と。 私には、その(ぜいたくさ)が理解できなかった。 そこで息子たちを叱ったのだが、少しあとになって、そのことを友人に話すと、 「今は、みな、そうだ」という返事をもらった。 あとは、この繰り返し。 それが無数に積み重なって、現代という時代になった。 ●あるのが当たり前 しかし今はよい。 何とか日本の経済は、持ちこたえている。 しかし日本の経済が、後退期に入ったら、どうなるか。 たとえば今では、子ども部屋といっても、完全冷暖房が常識。 夏は、一晩中、冷房をかけっぱなしにしている。 冬は、一晩中、暖房をかけっぱなしにしている。 今の子どもたちに、ボットン便所で用を足せと言っても、できないだろう。 何でも、「あるのが当たり前」という生活をしている。 これではいくらお金があっても、足りない。 足りないから、その負担は、結局は、親に回ってくる。 ざっと見聞きした範囲でも、現在、親から仕送りしてもらっている若い夫婦は、 約50%はいるとみてよい。 結婚式の費用、新居の費用、出産の費用などなど。 さらには子ども(=孫)のおけいこ代まで。 しかしこうした(ゆがんだ生活観)を支えているのも、金権教ということになる。 「お金を出してやれば、親子の絆(きずな)は深まるはず」 「お金を出してやれば、子どもは、それに感謝するはず」と。 子どもについて言えば、クリスマスのプレゼントにせよ、誕生日のプレゼントにせよ、 より高価なものであればあるほど、よいということになっている。 ●金権教と闘う 金権教といっても、まさにカルト。 一度自分の体にしみついたカルトを抜くのは、容易なことではない。 長い時間をかけて、その人の人生観、さらには人生哲学になっている。 「あなたはまちがっていますよ」と言っても、意味はない。 その人は、かえって混乱状態に陥ってしまう。 言うなら言うで、それに代わる別の価値観を容易してやらなければならない。 ……と書いたが、それは私たち自身の問題でもある。 金権教と闘うといっても、金権教自体と闘っても、意味はない。 自分の中に新しい価値観を構築し、その結果として、金権教と闘う。 金権教を自分の中で、無意味化する。 が、だからといって、マネーを否定せよとか、マネーには意味がないとか、 そんなことを言っているのではない。 現代社会では、マネーに背を向けては、生きていけない。 しかし毒されすぎるのも、危険と、私は言っている。 へたをすれば、人生そのものを、棒に振ってしまう。 事実、そういう人は多い。 そこでもしあなたに子どもがいるなら、育児の場で、金権教と闘ってみよう。 (1) 子どもには、ぜいたくをさせない。 (2) 子どもには、高価なものを買い与えない。 (3) 子どもには、必要なものだけを買い与える。 少しテーマがちがうが、あのバートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)は、 こう書いている。 「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。 要するに、「程度を超えない」ということ。

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