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カテゴリ:私が見た映画
● 映画『アフター・デイズ(After Days)』 +++++++++++++++++++++ 人類すべてが、ある日突然、消えていなくなったら……、 という映画が、これ。 主演者ゼロ、脇役ゼロという、どこかSF的、しかし どこかドキュメンタリー風の映画。 おもしろくはないが、それでいておもしろい映画。 星はつけようがないが、あえてつければ2つの、★★。 要するに人間などいなくても、かまわないという映画。 「地球は人間必要としない。 しかし人間は地球を必要とする」と。 「そういうものだろうな」というのが、見終わったあとの 感想。 +++++++++++++++++++++ ●私の偏見? DVD「アフター・デイズ」は、要するに「人間などいなくても、地球は困らない」 という映画である。 だから「地球を大切にしろ」ともとれるが、しかしその一方で、その底流に、 強烈なニヒリズムが流れているのがわかる。 「人間どもよ、自らの愚かさを知れ」と。 しかしこれは私の偏見かもしれない。 現在、地球温暖化の問題は、深刻さをましている。 心のどこかで、私たち人間は、罪の意識というか、うしろめたさを感じている。 そうした心情に、この映画が重なった。 この映画の本当のねらいは、(監督はそういう意図で、この映画を制作したのだろうが)、 「もっと地球を大切に」というところにあるのかもしれない。 しかしその力は、あまり強くない。 それで私は、「強烈なニヒリズム」を感じてしまった。 ●ニヒリズム ニヒリズムといえば、ニーチェ。 1844~1900年の人物である。 名前を、フリ-ドリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェという。 彼の思想の特徴といえば、恨み(ルサンチマン)ということになる。 つまり恨みが積もりに積もって、それがやがて虚無主義へとつながっていく。 が、よく誤解されるように、だからといってニーチェは、「生きることが空しい」と 説いたわけではない。 むしろ逆。 こうした虚無主義と闘うためには、人間は「超人」であるべきと、ニーチェは説いた。 超人というのは、強靭な精神力をもった、スーパーマンのような人物をいう。 もちろんその背景には、キリスト教的な理想郷の否定がある。 「天国などはない」「そういうものに救いを求めてはいけない」と。 だから繰り返すが、ニヒリズム、イコール、現実の否定ではない。 むしろ現実を徹底的に肯定するところに、(当然、自分の存在を解放するところに)、 ニヒリズムの原点がある。 ●恨み(ルサンチマン)の増大 地球温暖化が進めば進むほど、人々の心の奥に、恨みが増大する。 やりようのない恨みである。 怒りの矛先を向けたくても、その向け先すらわからない。 ニーチェの時代には、それはキリスト教的な呪縛感を言った。 が、今は、地球温暖化。 ニヒリズムが生まれる土壌は、じゅうぶんある。 そしてそれが今、熟成されつつある。 そこで重要なのは、まず私たち人間は、自分の弱さと不完全さを再認識すること。 いくらがんばったところで、神の世界はやってこないし、またそういうものに 期待を寄せたところで、何一つ、問題は解決しない。 そこで私たちは今、どんな現実に直面しているかを知る。 しかしそれは言うまでもなく、このままでも、またこのままでなくても、 人類はやがてすぐ滅亡するという現実である。 ●地球温暖化(地球火星化) 地球温暖化は、いわゆる温室効果によってもたらされる。 映画『アフター・デイズ』の中では、人間が消えれば、地球は元にもどるという ような筋書きになっている。 が、実際には、そうではない。 温室の原因となっている、温室そのものは、仮に今、世界中の人間が化石燃料の 使用をやめたところで、消えるわけではない。 このまましばらく、(「しばらく」といっても、地球的規模の時間をさすが)、地球を 覆いつづける。 その結果、地球の気温は、2100年以後も、2200年以後も、上昇しつづける。 2100年までに、地球気温は平均して4~5度上昇すると言われている。 が、それで止まるわけではない。 一説によれば、それはいつのことかはわからないが、最終的には、地球の気温は、 400度近くにまで上昇すると言われている。 400度と言えば、「何とかなるような温度」ではない。 ●では、どうするか? …………? この宇宙空間に放り出された人間には、もともと始まりはない。 そのため終わりもない。 ニーチェの思想によれば、われわれは神によって創造された特別な存在ではない。 無数の生き物の、ワンオブゼム(生き物の一部)でしかない。 まず、それを認める。 もっとわかりやすく言えば、滅亡することを恐れる必要はない。 仮に人類が滅亡し、やがて地球の気温が400度になったところで、それは地球の 歴史からみれば、「ほんのまばたきの瞬間」(「アフター・デイズ」)でしかない。 やがて地球に氷河期が訪れ、そのあと地球は、再生される。 そのとき人間でない人間が、再びこの地球に、誕生する可能性は、じゅうぶんある。 今は微生物かもしれないが、100万年後には、小さな哺乳動物のようになる。 さらに100万年後には、姿形は、まったくちがうかもしれないが、「人間」を 名乗るようになる。 これはあくまでもニーチェ思想に従えばという話になるが、個人という人間が、 いつかかならず(死)を受け入れるように、人類もまた、(全体としての死)を 受け入れる。 それがニーチェが説く、二ヒリズム、またそれができる人が、 「超人」ということになる。 ●ニヒリズムの否定 私が感じた、強烈な二ヒリズムについて、ニーチェの思想に準じて、 私なりに解釈を加えてみた。 しかしニーチェ思想が、正しいわけではない。 また哲学にしても、ニーチェで完成されたわけではない。 少し辛辣(しんらつ)な言い方になるが、ニーチェは、「哲学の破壊者」にすぎない。 ニーチェのあと、ハイデッガー、サルトル……とつづいたように、私たちは 別の、(生きるための哲学)を模索している。 それについてはまた別の機会に書くとして、映画『アフター・デイズ』を見るときは、 そのニヒリズムに陥らないように注意する。 ニヒリズムはニヒリズムとして、一歩退いたところからながめる。 で、やはりここは、「自然を大切に」というテーマで、この映画に対する感想をしめくくり たい。 けっして「生きるのは無駄」と思ってはいけない。 また最後の最後まで、夢と希望をあきらめてはいけない。 それができる間、私たちは人間として生き残ることができる。 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ニヒリズム ニーチェ 超人 哲学の破壊者 恨み ルサンチマン) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年02月07日 20時50分51秒
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