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カテゴリ:親子の問題
●働いた経験のある女性(母親)、ない女性(母親)
+++++++++++++++++++++ 「無私の愛」とは言うが、しかし男性(父親)と、 女性(母親)とでは、愛のとらえ方が、微妙にちがう(?)。 いくら「無私」とはいっても、たとえば、子どもを育てるには、 それなりのお金がかかる。 そのお金についてだが、働いたことがある人と、そうでない 人とでは、お金に対する感覚が、微妙にちがう。 働いている男性(父親)は、それがよいことか、 悪いことかという話は別にして、 そこに金銭的価値を混入する。 働いた経験のない女性(母親)は、金銭的価値をあまり 考えない。 +++++++++++++++++++++ ●日本の常識 ときどき男たちの間で、こんなことが話題になる。 「働いたことのある女性(母親)と、働いたことのない女性(母親)は、 微妙にちがう」と。 働いたことのある女性は、(時間)と(金銭)を結びつけることができる。 しかし働いたことのない女性は、それができない。 たとえばその女性(母親)のために何かをしてやったとする。 そのとき、働いたことがある女性は、(してもらったこと)を、 時間や金銭に換算して評価する。 「2時間、働いてもらったから、2000円くらいのお礼はしなければ ならない」と。 しかし働いたことのない女性(母親)は、それができない。 たとえば「相手は、私が魅力的だから(?)、してくれた」と思う(?)。 まあ、そこまでは思わないにしても、たいていにっこりと笑って、 「ありがとう」だけですんでしまう。 私も以前は、いろいろな場面で育児相談を受けていた。 そういうとき相手が職をもった父親だと、そのつど、ポンポンと、 反応が返ってくる。 金銭的な反応だけではない。 何かの協力を申し出られることもある。 「先生、今度、いっしょに釣りに行きませんか」 「いい店がありますから、食事でもどうですか」とか、など。 が、女性(母親)には、それがない。 ないばかりか、金銭感覚そのものが、うとい。 こんなことがあった。 ●みやげなし(?) 久しぶりにその人の息子夫婦が、赴任先の仙台から帰ってきた。 3歳になる孫もいっしょだった。 そのときのこと。 息子夫婦は、手ぶらで帰ってきた。 しかしこれは日本の常識ではない。 世界の常識でもない。 そこでその人が、「いくら親子でも、手ぶらで帰ってくるやつがいるか」と、 息子を叱った。 これに息子が猛反発。 「パパは、みやげがほしかったのか!」「そのために、ぼくを呼んだのか!」と。 で、そこへ母親が割り込んできた。 割り込んできて、息子の味方をした。 「見返りを求めるなんて、おかしいわよ!」と。 言い忘れたが、息子夫婦が仙台から帰ってくるについて、旅費は、 すべて父親が負担した。 そういうこともあって、父親もキレた。 「みやげ程度のことを、見返りとは言わない。常識だア!」と。 あなたなら、この話を聞いて、どう思うだろうか? 私は(男性)だから、父親の言い分のほうが正しいと思う。 いくら何でも、手ぶらは失礼。 親子の間でも、失礼。 しかし私のワイフなどは、母親の言い分のほうが正しいと言う。 ワイフも、私と結婚して以来、一度も働いた経験がない。 言うなれば、「お金は天から降ってくるもの」と思い込んでいる。 ●当たり前 最近の若い人たちは、独特の考え方をする。 たとえば高校や大学へ行くことについて、それを感謝している若い人は、 まず、いない。 口では「ありがとう」と言うが、それはあくまでも儀礼。 「行くのが当たり前。そのために、親が学費を出すのは、当たり前」と、 そういうふうに考える。 当たり前ということは、当たり前。 一方、父親のほうはどうかというと、いくら「無私の愛」といっても、 そこまで割り切ることはできない。 今、都会へ1人の子どもを大学生として送ると、生活費だけで、1000万円 程度(4年間)はかかる。加えて学費。4年間で、計2000~3000万円の 出費ということになる。 (これでも実際には、安いほう。) 働いている男性なら、それがどういう額か、わかる。 わかるから、「当たり前」という考え方には、少なからず、抵抗を覚える。 が、女性(母親)には、それがわからない。 とくに働いたことのない女性(母親)には、それがわからない。 子どもといっしょになって、「当たり前よねえ」などと言ったりする。 ●親、貧乏盛り 『子ども大学生、親、貧乏盛り』というのは、私が考えた格言である。 子どもが大学生になると、親は、爪に灯をともすようにして、学費を工面する。 懸命に笑顔をつくりながら、「金はあるか? 足りなかったら言えよ」とは、 言うものの、懐(ふところ)のさみしさが、ふと言葉を詰まらせる。 しかしその結果……というより、今の若い人が、どうしてそこまで ドライに割り切ることができるのか、私には不思議でならない。 中には、親に向かって、「金だけを出せば、それで親の義務が果たせたとでも 言うのか」とか、 さらに「日本も、アメリカのような奨学金制度を作ればいいじゃないか」とか、 言う若い人もいる。 だからある父親は、私にこう言った。 「あのね、親はね、苦労してまで、息子や娘を大学などに出すものじゃ ないですよ」と。 つまり「出してやっても、むなしいだけ」と。 「損」という言い方には語弊があるが、「損」と。 ●学歴は個人的利益(?) 要するに、日本の教育制度が、おかしいということ。 学歴を、個人的な利益と結びつけて考える傾向もある。 だからその負担は、個人、つまり各家庭の親がすべき、と。 本来なら、学歴は、万人のためのものでなければならない。 もっと言えば、頭のよい人は、その頭を、万人のために使ってこそ、 頭のよい人ということになる。 が、この日本では、学歴というのは、あくまでも個人の利益を 追求するための道具でしかない。 だから隣人が、息子の学費で四苦八苦していても、だれも同情しない。 だれも助けない。 また制度そのものも、おかしい。 日本も奨学金制度を拡充すべきだが、いまだにその制度は、貧弱で、 奨学金といっても、「小遣い程度」でしかない。 結局、そのシワ寄せは、大学生をもつ親のところにのしかかってくる。 ●私の息子たち 私も3人の息子たちを育てたが、こと学費に関しては、損得の計算を したことはない。 惜しみなく、出してきた。 出してきたが、今になって、ときどき、「あそこまでやる必要はあったのか」 と思うことはある。 たとえば息子たちに買ってやったパソコンにしても、いつも、私が もっているのより、高性能のものだった。 家を建てたときも、自分たちの書斎よりも、子ども部屋のほうを優先させた。 しかしそういった親心というのは、少なくとも私の息子たちを見るかぎり、 まったくといってよいほど、伝わっていない。 私の息子たちにしても、どちらかというと、みやげなどもたず、 手ぶらでくるタイプである。 ●結論 話は大きく脱線したが、結局は(苦労)を、どのように理解するかということ。 そこに行き着く。 私のワイフも、ときどきこう言う。 「家庭に入った主婦だって、たいへんなのよ」と。 しかし本当に、そうだろうか? そう言いきってよいのだろうか? たとえば朝、夫婦喧嘩をしたばあいを考えてみたらよい。 何かのことで、怒鳴りあったとする。 そういうとき女性(母親)は、そのまま部屋に入って、中からカギをかえば、 それですむ。 ふとんをかぶって寝ていれば、それですむ。 しかし仕事をしている男性は、そうはいかない。 どんなに気分が悪くても、身支度を整えて、会社に向かわねばならない。 会社で人に会えば、笑顔を作らねばならない。 それから受けるストレスには、相当なものがある。 だから男性(父親)と女性(母親)とでは、微妙なちがいが出てくる。 いくら「無私の愛」といっても、男性と女性とでは、とらえ方がちがう。 (働いたことのある女性)と、(働いたことのない女性)とでは、 とらえかたがちがう。 「見返りを求めない」といっても、(みやげ)など、見返りにもならない。 私は結婚する前から、またワイフに納得してもらった上で結婚したが、 収入の約半分を、実家に仕送りしていた。 27歳くらいのときから、生活費や法事の費用、さらには商品の仕入れの費用など、 すべて私が負担した。 そういうのを、私の世界では、「見返り」という。 繰り返すが、「みやげ」程度で、「見返り」などと、おおきな顔をしてほしくない。 今の若い人たちには、それを理解するのは、むずかしいことだろうが……。 Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月09日 08時08分10秒
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