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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年03月09日
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カテゴリ:親子の問題
●働いた経験のある女性(母親)、ない女性(母親)

+++++++++++++++++++++

「無私の愛」とは言うが、しかし男性(父親)と、
女性(母親)とでは、愛のとらえ方が、微妙にちがう(?)。

いくら「無私」とはいっても、たとえば、子どもを育てるには、
それなりのお金がかかる。
そのお金についてだが、働いたことがある人と、そうでない
人とでは、お金に対する感覚が、微妙にちがう。
働いている男性(父親)は、それがよいことか、
悪いことかという話は別にして、
そこに金銭的価値を混入する。
働いた経験のない女性(母親)は、金銭的価値をあまり
考えない。

+++++++++++++++++++++

●日本の常識

ときどき男たちの間で、こんなことが話題になる。
「働いたことのある女性(母親)と、働いたことのない女性(母親)は、
微妙にちがう」と。

働いたことのある女性は、(時間)と(金銭)を結びつけることができる。
しかし働いたことのない女性は、それができない。

たとえばその女性(母親)のために何かをしてやったとする。
そのとき、働いたことがある女性は、(してもらったこと)を、
時間や金銭に換算して評価する。
「2時間、働いてもらったから、2000円くらいのお礼はしなければ
ならない」と。
しかし働いたことのない女性(母親)は、それができない。
たとえば「相手は、私が魅力的だから(?)、してくれた」と思う(?)。
まあ、そこまでは思わないにしても、たいていにっこりと笑って、
「ありがとう」だけですんでしまう。

私も以前は、いろいろな場面で育児相談を受けていた。
そういうとき相手が職をもった父親だと、そのつど、ポンポンと、
反応が返ってくる。
金銭的な反応だけではない。
何かの協力を申し出られることもある。
「先生、今度、いっしょに釣りに行きませんか」
「いい店がありますから、食事でもどうですか」とか、など。

が、女性(母親)には、それがない。
ないばかりか、金銭感覚そのものが、うとい。
こんなことがあった。

●みやげなし(?)

久しぶりにその人の息子夫婦が、赴任先の仙台から帰ってきた。
3歳になる孫もいっしょだった。
そのときのこと。
息子夫婦は、手ぶらで帰ってきた。
しかしこれは日本の常識ではない。
世界の常識でもない。
そこでその人が、「いくら親子でも、手ぶらで帰ってくるやつがいるか」と、
息子を叱った。

これに息子が猛反発。
「パパは、みやげがほしかったのか!」「そのために、ぼくを呼んだのか!」と。

で、そこへ母親が割り込んできた。
割り込んできて、息子の味方をした。
「見返りを求めるなんて、おかしいわよ!」と。

言い忘れたが、息子夫婦が仙台から帰ってくるについて、旅費は、
すべて父親が負担した。
そういうこともあって、父親もキレた。
「みやげ程度のことを、見返りとは言わない。常識だア!」と。

あなたなら、この話を聞いて、どう思うだろうか?
私は(男性)だから、父親の言い分のほうが正しいと思う。
いくら何でも、手ぶらは失礼。
親子の間でも、失礼。
しかし私のワイフなどは、母親の言い分のほうが正しいと言う。
ワイフも、私と結婚して以来、一度も働いた経験がない。
言うなれば、「お金は天から降ってくるもの」と思い込んでいる。

●当たり前

最近の若い人たちは、独特の考え方をする。
たとえば高校や大学へ行くことについて、それを感謝している若い人は、
まず、いない。
口では「ありがとう」と言うが、それはあくまでも儀礼。
「行くのが当たり前。そのために、親が学費を出すのは、当たり前」と、
そういうふうに考える。

当たり前ということは、当たり前。

一方、父親のほうはどうかというと、いくら「無私の愛」といっても、
そこまで割り切ることはできない。
今、都会へ1人の子どもを大学生として送ると、生活費だけで、1000万円
程度(4年間)はかかる。加えて学費。4年間で、計2000~3000万円の
出費ということになる。
(これでも実際には、安いほう。)

働いている男性なら、それがどういう額か、わかる。
わかるから、「当たり前」という考え方には、少なからず、抵抗を覚える。
が、女性(母親)には、それがわからない。
とくに働いたことのない女性(母親)には、それがわからない。
子どもといっしょになって、「当たり前よねえ」などと言ったりする。

●親、貧乏盛り

『子ども大学生、親、貧乏盛り』というのは、私が考えた格言である。
子どもが大学生になると、親は、爪に灯をともすようにして、学費を工面する。
懸命に笑顔をつくりながら、「金はあるか? 足りなかったら言えよ」とは、
言うものの、懐(ふところ)のさみしさが、ふと言葉を詰まらせる。

しかしその結果……というより、今の若い人が、どうしてそこまで
ドライに割り切ることができるのか、私には不思議でならない。
中には、親に向かって、「金だけを出せば、それで親の義務が果たせたとでも
言うのか」とか、
さらに「日本も、アメリカのような奨学金制度を作ればいいじゃないか」とか、
言う若い人もいる。
だからある父親は、私にこう言った。

「あのね、親はね、苦労してまで、息子や娘を大学などに出すものじゃ
ないですよ」と。
つまり「出してやっても、むなしいだけ」と。
「損」という言い方には語弊があるが、「損」と。

●学歴は個人的利益(?)

要するに、日本の教育制度が、おかしいということ。
学歴を、個人的な利益と結びつけて考える傾向もある。
だからその負担は、個人、つまり各家庭の親がすべき、と。
本来なら、学歴は、万人のためのものでなければならない。
もっと言えば、頭のよい人は、その頭を、万人のために使ってこそ、
頭のよい人ということになる。

が、この日本では、学歴というのは、あくまでも個人の利益を
追求するための道具でしかない。
だから隣人が、息子の学費で四苦八苦していても、だれも同情しない。
だれも助けない。
また制度そのものも、おかしい。
日本も奨学金制度を拡充すべきだが、いまだにその制度は、貧弱で、
奨学金といっても、「小遣い程度」でしかない。
結局、そのシワ寄せは、大学生をもつ親のところにのしかかってくる。

●私の息子たち

私も3人の息子たちを育てたが、こと学費に関しては、損得の計算を
したことはない。
惜しみなく、出してきた。
出してきたが、今になって、ときどき、「あそこまでやる必要はあったのか」
と思うことはある。

たとえば息子たちに買ってやったパソコンにしても、いつも、私が
もっているのより、高性能のものだった。
家を建てたときも、自分たちの書斎よりも、子ども部屋のほうを優先させた。
しかしそういった親心というのは、少なくとも私の息子たちを見るかぎり、
まったくといってよいほど、伝わっていない。
私の息子たちにしても、どちらかというと、みやげなどもたず、
手ぶらでくるタイプである。

●結論

話は大きく脱線したが、結局は(苦労)を、どのように理解するかということ。
そこに行き着く。
私のワイフも、ときどきこう言う。
「家庭に入った主婦だって、たいへんなのよ」と。
しかし本当に、そうだろうか?
そう言いきってよいのだろうか?

たとえば朝、夫婦喧嘩をしたばあいを考えてみたらよい。
何かのことで、怒鳴りあったとする。
そういうとき女性(母親)は、そのまま部屋に入って、中からカギをかえば、
それですむ。
ふとんをかぶって寝ていれば、それですむ。
しかし仕事をしている男性は、そうはいかない。
どんなに気分が悪くても、身支度を整えて、会社に向かわねばならない。
会社で人に会えば、笑顔を作らねばならない。
それから受けるストレスには、相当なものがある。

だから男性(父親)と女性(母親)とでは、微妙なちがいが出てくる。
いくら「無私の愛」といっても、男性と女性とでは、とらえ方がちがう。
(働いたことのある女性)と、(働いたことのない女性)とでは、
とらえかたがちがう。

「見返りを求めない」といっても、(みやげ)など、見返りにもならない。
私は結婚する前から、またワイフに納得してもらった上で結婚したが、
収入の約半分を、実家に仕送りしていた。
27歳くらいのときから、生活費や法事の費用、さらには商品の仕入れの費用など、
すべて私が負担した。
そういうのを、私の世界では、「見返り」という。
繰り返すが、「みやげ」程度で、「見返り」などと、おおきな顔をしてほしくない。
今の若い人たちには、それを理解するのは、むずかしいことだろうが……。


Hiroshi Hayashi++++++++MARCH・09++++++++++++はやし浩司






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最終更新日  2009年03月09日 08時08分10秒
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