楽天・日記 by はやし浩司

2009/04/24(金)13:36

●身分意識論(3)

生きザマの問題(214)

●悪玉プライド プライドにも2種類ある。 善玉プライドと悪玉プライドである。 「私は自分の過去を汚したくない」「経歴を汚したくない」と思うのは、善玉プライド。 「私は偉い」「だから周りの者たちは、みな、私より下」と思うのは、悪玉プライド。 問題は、この中の悪玉プライド。 どうしてそういうプライドを、日本人はもちやすいかということ。 つまり職種による上下意識。 それに中央集権意識が加わると、その人自身が社会に同化できなくなって しまう。 具体的には、退職後、だれにも相手にされなくなってしまう。 ●差別意識 ではなぜ、こうした職業による差別意識が、この日本で生まれたかということ。 一方、外国には、こうした差別意識は、ほとんどない。 (軍事国家のばあい、軍人の地位が高いということはある。) 反対に、日本では高くても、外国では低いということもある。 (もちろん、そのまた反対もあるが……。) 私が学生時代、オーストラリアへ行って驚いたのは、銀行員の地位が 恐ろしく低かったこと。 「銀行員は、高卒の仕事」ということになっていた(当時)。 また日本では外交官というと、あこがれの職業だった。 が、向こうではちがった。 (あの国は、もともと移民国家だから、「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとは、 180度、違っていた。) 一方、ユンボやブルドーザを動かすのは、大卒の仕事ということになっていた。 今でこそ、こうしたバカげた職業観は色あせてきたが、まったくなくなった とも言えない。 その亡霊のようなものが、退職者の中に、見え隠れする。 ●原因は、こだわり もっともそれぞれの人が、過去のある部分に、強いこだわりをもつのは、 悪いことではない。 たいていは、最終学歴だが、古い世代になると、生まれ故郷や、先祖の血筋など。 生きる誇りも、そこから生まれる。 私のばあいは、高校でも、大学でもない。 留学時代の(私)に、とくに強いこだわりを覚える。 が、そのこだわりが、相手を見くだす道具となったとき、ここでいう悪玉プライド となる。 この悪玉プライドは、長い時間をかけて、その人を孤独にする。 気がついてみたら、周りに人は、だれもいないという状態になる。 ただ見かけの様子に、だまされてはいけない。 見た感じ、腰の低い人でも、悪玉プライドのかたまりといった人も少なくない。 計算づくで、そう演技しているだけ。 あるいはそういう演技が身についてしまっているだけ。 S氏(70歳)もそうだった。 退職前は、国の出先機関の副長をしていた。 実際の肩書きは、「副局長」だったと記憶している。 そしてS氏にペコペコする人に対しては、必要以上に寛大な様子をしてみせ、 そうでない人には、必要以上に威張ってみせた。 その落差が、極端だった。 そのS氏について、こんなことがあった。 友人のX氏が話してくれた。 たまたまS氏の車と、X氏の車が、細い路地で、正面で向き合ってしまったという。 そのときのこと。 状況から考えて、S氏の車がバックして、道をあけなければならなかった。 が、S氏はそのままの状態で、まったく車を動かそうとしなかったという。 デンというか、ハンドルを握ったまま、車の中でふんぞり返っていた。 X氏はこう言った。 「過去は過去でも、人間って、ああまで威張れるものでしょうかねエ」と。 ●過去との決別 退職したら、過去とは決別する。 とくに悪玉プライドは、捨てる。 そんなものを引きずっていたら、それこそ社会のつまはじき。 その先で待っているのは、孤独という無間地獄。 で、ここで本題。 こうした悪玉プライドというのは、若い人たちの世界からは、消えつつある。 権威主義が崩壊し、つづいて職業観も変化した。 中央集権意識も消えつつある。 もちろん上下意識も消えつつある。 で、逆にこうした変化を、過去へさかのぼっていくと、その先に封建時代が 見えてくる。 宇宙のゴミの動きを逆回しにしていくと、太古の昔、ビッグバンがあったことが わかるように、だ。 恐らくあの時代は、息苦しい時代であったにちがいない。 身分により、着る着物の色まで指定された。 職業による差別感も、当然、あった。 それが今より、何十倍も、何百倍も、強かった。 もちろん武士階級が頂点にあったが、その武士階級の中でも、きびしい上下 関係があった。 制度としてではなく、「意識」として、それがあった。 それが家制度を支えた。 ●たった40年前 ここまで書いて思い出したが、こんなドラマが昔、あった。 舟木和夫(歌手)主演の映画にもなったが、京都大学へ入った学生と、 身分の低い(?)女性との恋愛映画だった。 女性の名前は、たしか「小雪」と言った。 恋愛というより、悲恋物語。 たしか最後は、その女性は身分を考え、まわりの人たちが反対する中、病気で死んで しまったと記憶している。 (調べてまで書くような話ではないので、いいかげんなままで、ごめん。) 40年前後前には、(たった40年前だぞ!)こうした悲恋映画は、 抵抗なく観客に受け入れられた。 今なら、若い人たちは、映画の背景そのものを理解できないだろう。 「身分」と言っただけで、拒絶反応を示すにちがいない。 が、私たちの世代は、そうでない。 身分意識が、いまだに残っている! ●上下意識 一度身にしみついた上下意識というのは、簡単には消えない。 ある男性(当時、50歳くらい)だが、そのときどこからか電話がかかってきた。 受話器を取りながら、まるで米つきバッタのようにペコペコしていた。 が、電話が終わるや否や、私のほうに向いてこう言った。 「ところでねえ、林君……」と。 私を見くだした言い方だったが、私は、その変わり身のほうに驚いた。 その男性は、瞬時に(上下)を判断し、その意識に応じて、話し方まで変えていた。 上下意識の強い人は、独特の雰囲気をもっている。 その上の人にはわかりにくいかもしれないが、下の人には、それがよくわかる。 「自分は重要な人物(VIP)だ」「大切にされて当然」というような態度をとる。 こんなことがあった。 ある日突然、その人から電話がかかってきた。 当時、年齢は60歳くらいだった。 いわく、「浜松へ来たから、ちょっと君の家に寄りたい」と。 場所を聞くと、JRの浜松駅にいるということだった。 それほど親しい人ではなかった。 私が戸惑っていると、こう言った。 「それでね、林君、ぼくには、足がないのだよ……」と。 つまり駅まで車で、迎えに来てほしい、と。 そのとき私は50歳。 その人は、年齢だけで、私を下に見ていた。 それが私にも、ありありと(?)、よくわかった。

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