楽天・日記 by はやし浩司

2009/04/24(金)13:37

●身分意識論(2)

生きザマの問題(214)

●客観的に見る 自己中心性の肥大化をいかにして、防ぐか。 それが人格の完成度に深く関係しているとするなら、常に自分を客観的に見る。 その努力を怠ってはいけない。 その訓練法のひとつとして、私が考えたのに、こんなのがある。 以前にも書いたが、相手の脳みその中に、自分を置いてみる。 電車などで、対峙して座った人でもよい。 そういう人を選んで、その人の脳みその中に一度、自分を置いてみる。 そこから自分を見つめてみる。 「あの人から見ると、私はどんな人間に見えるか」と。 私のばあい、職業がら、子どもの脳みその中に自分を置くことが多い。 が、それだけではない。 ときどき、「この子たちがおとなになったら、私という人間は、どのように 彼らの心の中に残っているか」と考えるときがある。 それには、私の過去が役に立つ。 私にも子ども時代があった。 いろいろな先生に、めぐり合った。 よい印象をもった先生もいるが、悪い印象をもった先生もいる。 そういう自分を思い出しながら、「悪い印象だけは、子どもたちに与えたくない」 と。 それはそれとして、いつもそれを繰りかえす。 そうすると、自分の姿が、客観的に見えてくるようになる。 ちょうどビデオカメラか何かで、自分を撮影するように。 ●私は(私)を知らない さらにつづきがある。 この方法で自分を訓練していくと、逆に相手の心の中をのぞくことができるようになる。 「この人は、自己中心的だな」とか、「この人は、こちらの心の中を理解しているな」とか。 その結果、ときとして、ぞっとするほど自己中心的な人に出会うときがある。 そういうときは、そういう人とは、すぐ別れる。 それっきり。 ……ということで、改めて自分を知ることの大切さというか、むずかしさを 思い知らされている。 だれしも、(私もそうだったが)、「私のことは私がいちばんよく知っている」と 思っている。 しかしその実、何もわかっていない。 「わかっている」と思い込んでいるだけ。 最後にこんなこともあった。 ●AD・HD児だった、G君 G君は、小学校の低学年時まで、どうしようもないような(失礼!)、AD・HD児だった。 (当時はまだAD・HD児という言葉もなかった。) 学校でも、私の教室でも、騒ぎまくった。 そのためG君のために、クラスそのものが崩壊してしまったことが、何度かある。 「崩壊」というのは、つぎつぎとほかの生徒がやめていくことをいう。 経営が成り立たなくなってしまったことをいう。 学校社会でいう、「学級崩壊」とは、少し意味がちがう。 もちろん指導など、不可能。 しかしAD・HD児でも、小学3~4年生を境に、急速に落ち着いてくる。 自己管理能力が育ってくるためである。 で、そのG君は、もちまえのバイタリティがよいほうに作用して、県下でも トップクラスの高校に入学した。 そのときのこと。 私はG君に、こう質問してみた。 「君は、幼稚園児や小学1、2年生のとき、クラスでみんなに迷惑をかけたが、 覚えているか」と。 が、それに答えて、G君はこう言った。 「ぼくは何も悪いことをしていないのに、先生も友だちも、みな、ぼくを目の敵 (かたき)にして、いじめた」と。 私はその話を聞いて、何度も念を押した。 「君は、みなに迷惑をかけたという意識が、本当にないのか?」と。 G君は、それに対して、同じ答をそのつど繰り返した。 そのとき私はこう思った。 「自分を知ることは、むずかしい」と。 恐らくG君は、おとなになっても、それに気づくことはないだろう。 教育の世界に入っても、それに気づくことはないだろう。 自分を知ることのむずかしさの一例として、G君をあげた。 Hiroshi Hayashi++++++++APRIL・09++++++++++++はやし浩司 ●逆進的歴史観 ++++++++++++++++++++++++++++ 宇宙に広がったゴミを観測すると、その様子から、太古の昔の 様子が、わかるそうだ。 たとえば現在の今も、この宇宙は拡大しつづけている。 それを逆回しに過去へ過去へと戻っていくと、太古の昔、この 宇宙は、「ビッグバン」と呼ばれる、爆発で生まれたことが わかる。 (用語の使い方が、適切でないかもしれないが、そこは許して ほしい。) で、同じように、この「社会」も逆回転させることができる。 たとえば現在の今をていねいに観察、分析すると、江戸時代という、 あの封建時代が、どんな時代だったかがわかる。 そのひとつ。 身分による差別意識。 +++++++++++++++++++++++++++ ●退職者のあがき 私の年代の人たちは、今、つぎつぎと退職している。 民間企業に勤めていた人たちの中には、2度目、3度目の退職を繰り返し、 「今度こそ、本当の退職」という人もいる。 私もその中の1人だが、こうして退職していく人たちには、一定のタイプが あるのがわかる。 (1) 悠々自適タイプ (2) 趣味三昧タイプ (3)勤労タイプ (4)ボランティア活動タイプ (5)引きこもりタイプ (6)真・善・美の追求タイプなど。 それについては前にも書いたので、ここでは省略する。 で、ここではその先について書いてみたい。 ●内面世界で分類すると 先のタイプは、いわば外面を分類したタイプだが、内面で分類すると、 つぎのようになる。 (1) 過去、決別タイプ (2) 過去、引きずりタイプ 「過去、決別タイプ」というのは、退職と同時に、まったくの別人となって、 新しい人生を歩む人をいう。 「過去、引きずりタイプ」というのは、過去の学歴や職歴、肩書きや名誉に しがみついて生きる人をいう。 もちろん程度の問題もある。 それほど過去にこだわらない人もいれば、かなり過去にこだわる人もいる。 その一方で、学歴や、職場での肩書きに、異常なまでにこだわる人もいる。 「私は○○会社の、元部長だった」とか、など。

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