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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2009年08月15日
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カテゴリ:私が見た映画
●基本的人生論

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DVD『ディア・マイ・ファーザー』を
ほめてばかりいてはいけない。
DVDを観ながら、こんなことを考えた。

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●裏切られる夫

 映画のストーリーを簡単に説明する。

 夫と妻、それに主人公の息子(ライモンド)の、3人家族。
しかし妻は、つぎからつぎへと男を乗り替え、浮気し放題。
あげくの果てには、夫の友人の弟ともできてしまう。
そしてその弟との間に、子ども(主人公にとっては、
種ちがいの妹)まで作ってしまう。

 が、夫は、静かにそれに耐える。
離婚を考えることもない。
妻はときどき夫のところへ帰ってきて、体を求める。
夫は、どこか冷やかさを残しながらも、そういう妻の求めに応ずる。
そういう家庭環境の中で、主人公の子ども(ライモンド)は成長していく。

 で、最後は、妻は睡眠薬を飲んで自殺。
友人の弟も自殺。
夫は心を病み、精神病院へ……。

 何とも悲惨なストーリーだが、それがこの映画の(柱)に
なっている。

●疑問?

 この映画を観ていて、第一の疑問は、「それほどまでに、よくできた男というのは、
本当にいるのか?」ということ。
あるいは、「それほどまでに妻を深く愛せる男というのは、本当にいるのか?」でも
よい。

 つまり(できすぎ)。
この(できすぎ)のところが不自然。
しかしこの話は、実話である。
となると、俳優が悪いということになる。

 映画に出てくる夫は、ハンサムで、かっこいい。
頭もきれそうだし、生活力もありそう。
何かのラブストーリーの主人公になっても、おかしくない。

 私たちは映画を観るとき、俳優を通して、その俳優の心をさぐる。
で、そこで脳みその中で、電気的ショートが起こる。
「こんなすばらしい夫をもちながら、どうして?」と。

 ……ということで、私は、事実は、少し違うのではないかと思う。
ライモンドの実際の父親は、どこか頼りなく、どこか抜けたような、どこか覇気のない
男性ではなかったか、と。
映画に出てくるような、かっこいい男性ではなく、風采のあがらない、なよなよした
男性ではなかったか、と。
これには、理由がある。

●基礎的人間性

 仮にあなたの妻が、外出しては、浮気を重ねていたとしよう。
そしてその浮気相手と、子どもまで、作ってしまったとしよう。
そのとき、あなたなら、どのように反応するだろうか。
それをほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。

 こういうケースのばあい、大きく分けて、2つの選択肢がある。

(1) 妻と大喧嘩を繰り返し、離婚を覚悟する。
(2) 妻の浮気を認め、妻のしたいようにさせる。

 が、主人公ライモンドの父親(夫)は、(2)のほうを選択する。
となると、ライモンドの父親は、ものすごい人生観の持ち主ということになる。
あるいは妻に対して、神々しいほどまでの愛を感じているということになる。
すべてを許し、すべてを忘れる……。

 が、ここで大きな壁にぶつかる。
それほどまでの(愛)となると、並大抵の努力では、自分のものにすることはできない。
幾多の苦労に苦労を重ねて、人生の極致に達した人だけがもちうる愛と考えてよい。
それにそこに至るには、熟成期間というのが、必要。
もし私のワイフが、そんなことを繰り返していたら、私なら、即、離婚を考えるだろう。
40年近くもいっしょに暮らし、もうすぐ62歳になる私にしてもそうだ。

 つまり、それが「基礎的人間性」ということになる。

 どんな人にも、その人なりの人間性というものがある。
その人間性を支える、(基礎)というものがある。
その基礎なくして、突然、その人が、神々しい愛をもつなどということは、常識で
考えても、ありえない。
空腹でおなかをすかした幼児が、自分のもっているパンを、友人に分け与えるようなもの
である。

●偽善

 いくつかの例をあげてみよう。

(例1) Kさんは、周囲の人たちから、高い評価を受けていた。
ボランティアとして、近所の独居老人宅を回り、その世話をしていた。
が、自分の親の介護になったとたん、豹変した。
親を虐待した。
親を食卓へ連れてくるときも、首をつかんだまま、廊下を引きずっていた。

(例2) Xさんは、有名なタレントだった。A国の難民救済運動家として活躍していた。
週刊誌や月刊誌にも、写真がよく紹介された。
が、あるカメラマンが、思わぬ光景を目撃してしまう。
情宣用の写真撮影が終わると、Xさんは、赤子を抱いた手や体を消毒薬で
消毒していたという。
つまり写真撮影のためだけに、難民の赤子を抱いていた。

(例3) Yさんも、このところ孤児救済のチャリティバザーを繰り返している。
ラジオに出ては、ボランティア活動の重要さを説いている。
しかしそこに至る実績はゼロ。
若い時から、ホームレスの世話をしたとか、食事の炊き出しをしたとか、
そういう背景と言うか、積み重ねがあれば話は別。
Yさんをよく知る某テレビ局のディレクターは、こう教えてくれた。
「Yさんは、いつも2時間くらいかけて、化粧をしています」と。

 こういうのを、私たちの世界では、「偽善」と呼ぶ。
善人ぶりながら、自分への評価を高め、最終的にはそれを自分への利益へとつなげていく。
こうした偽善を見破るのは、簡単。
どこかに(ちぐはぐさ)を感じたら、それは偽善と判断してよい。

●ディア・マイ・ファーザー

 DVD『ディア・マイ・ファーザー』に話を戻す。
この映画が実話なら、私はやはり、俳優の選択ミスということになる。
ライモンドの父親は、家具職人である。
鉄の棒を熱で曲げながら、いろいろな家具を作る。

 そういう職歴の男性が、こうまで高邁(こうまい)な愛を、はたして
もちうるものだろうか。
(何も、職人という職業がどうのこうのと言っているのではない。
しかしあまりにも、高邁すぎる?)

 それに若い。
映画の中では、30歳前後の男性として登場している。
つまり基礎的人間性が、それなりにあるとしても、映画で表現されているほどはない。
……という点で、不自然。
私はその(不自然さ)を感じてしまった。

 あとの判断は、映画を観た人に任せる。
「林の言ったとおりだな」と思う人もいるかもしれない。
あるいは「林の言っていることは、まちがっている」と思う人もいるかもしれない。
一度、そういう視点で、あの映画を観てみたらどうだろうか。
家庭で観て、損はない映画である。
よい映画であることには、まちがいない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
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Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司





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最終更新日  2009年08月15日 22時33分24秒
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