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楽天・日記 by はやし浩司

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2009年08月16日
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カテゴリ:育児エッセー
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(157)



●友を責めるな、行為を責めよ



あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうするだ
ろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの鉄
則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こういう
ことだ。



 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子どもに、
「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよ
し。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになる。



友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろというのは、子
どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子ども
は窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい。ではどうする
か。



こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふかし
すれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。



コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむけ
る。そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。
そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友
をほめろ』と。



 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子ども
の性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモア
があっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっ
ていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わ
る。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自
分を演ずるようになる。



つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけだが、これは子育
ての中でも高等技術に属する。ただし一言。



 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭
で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調
べてみると、その子どもが主犯格だった。



……というようなケースは、よくある。自分の子どもを疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思
ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよけいに、友を責めても意味がない。何でも
ない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言である。











●子どもの抵抗力



 怪しげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがとれ
る、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。



 西洋医学では、「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という
治療原則を打ち立てる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れ
たからだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ち立てる。人体に足りないも
のを補ったり、体質改善を試みたりする。



これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考えることができる。私がたまたまその男
の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけの抵抗力があったからにほかならな
い。



 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力
を養うという方法もある。たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚
えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親はしかったり
する。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑を
はねのける子どももいる。



東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問題」とい
うことになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医学の本質はここにあ
る。東洋医学はもともとは「病気になってから頼る医学」というよりは、「病気になる前に頼る医
学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えてもよい。ではどうするか。



 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、
自分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ
早いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切に
し、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親
だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。



「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」と。いつも問いかけながら、要は子どものリズムに
合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のある子どもに
する。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(159)



●船頭は一人



 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。そ
の中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。
「お父さんの給料が少ないでしょう。だからお母さんは、苦労しているのよ」と。あるいは「お父さ
んは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」と。母親としては
娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離れるだけならま
だしも、母親の指示に従わなくなる。



 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢
い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は
母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。たとえば何か重要な決断を迫られた
ようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよ
う」)と言うなど。



仮に意見の対立があっても、子どもの前ではしない。父、子どもに向かって、「テレビを見なが
ら、ご飯を食べてはダメだ」母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。こういう会話はまずい。こう
いうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。「お父さんがそう言っている
から、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子どものいないところで調整する。



子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」と、まず
子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、子どものいない
ところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教育の大原則。



 ある著名な教授がいる。数10万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こ
う書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。し
かし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見せ
てはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。



 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ
ういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、
いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。古いことを言うようだが、
そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築
き、よい家庭をもつことができる。



欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。その第一
歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(160)



●子どもの一芸論



 Sさん(中1)もT君(小3)も、勉強はまったくダメだったが、Sさんは、手芸で、T君は、スケー
トで、それぞれ、自分を光らせていた。中に「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプ
の子どもは、一度勉強でつまずくと、あとは坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういうと
きのため、……というだけではないが、子どもには一芸をもたせる。この一芸が、子どもを側面
から支える。あるいはその一芸が、その子どもの身を立てることもある。



 M君は高校へ入るころから、不登校を繰り返し、やがて学校へはほとんど行かなくなってしま
った。そしてその間、時間をつぶすため、近くの公園でゴルフばかりしていた。が、一〇年後。
ひょっこり私の家にやってきて、こう言って私を驚かせた。「先生、ぼくのほうが先生より、お金
を稼いでいるよね」と。彼はゴルフのプロコーチになっていた。



 この一芸は作るものではなく、見つけるもの。親が無理に作ろうとしても、たいてい失敗する。
Eさん(2歳児)は、風呂に入っても、平気でお湯の中にもぐって遊んでいた。そこで母親が、
「水泳の才能があるのでは」と思い、水泳教室へ入れてみた。案の定、Eさんは水泳ですぐれ
た才能を見せ、中学2年のときには、全国大会に出場するまでに成長した。S君(年長児)もそ
うだ。



父親が新車を買ったときのこと。S君は車のスイッチに興味をもち、「これは何だ、これは何だ」
と。そこで母親から私に相談があったので、私はS君にパソコンを買ってあげることを勧めた。
パソコンはスイッチのかたまりのようなものだ。その後S君は、小学3年生のころには、ベーシ
ック言語を、中学一年生のころには、C言語をマスターするまでになった。



 この一芸。親は聖域と考えること。よく「成績がさがったから、(好きな)サッカーをやめさせ
る」と言う親がいる。しかし実際には、サッカーをやめさせればやめさせたで、成績は、もっとさ
がる。一芸というのは、そういうもの。



ただし、テレビゲームがうまいとか、カードをたくさん集めているというのは、一芸ではない。ここ
でいう一芸というのは、集団の中で光り、かつ未来に向かって創造的なものをいう。「創造的な
もの」というのは、努力によって、技や内容が磨かれるものという意味である。



そしてここが大切だが、子どもの中に一芸を見つけたら、時間とお金をたっぷりとかける。そう
いう思いっきりのよさが、子どもの一芸を伸ばす。「誰が見ても、この分野に関しては、あいつし
かいない」という状態にする。子どもの立場で言うなら、「これだけは絶対に人に負けない」とい
う状態にする。



 一芸、つまり才能と言いかえてもいいが、その一芸を見つけるのは、乳幼児期から四、五歳
ごろまでが勝負。この時期、子どもがどんなことに興味をもち、どんなことをするかを静かに観
察する。それを判断するのも、家庭教育の大切な役目の一つである。 





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最終更新日  2009年08月17日 01時16分12秒
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