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カテゴリ:日々の随筆
【熟年離婚】(17% of old couples have been divorced now in Japan)
●ふえる熟年離婚 厚生省大臣官房統計情報・人口動態統計課の「人口動態調査」によると、昭和25年から平成7年までの間に、離婚率は、4・6倍になったという。 その中でも、結婚生活20年以上の熟年夫婦の離婚率は、3・5%から、16・9%にまで上昇しているという。17%といえば、ほぼ5組に1組ということになる! 実は、私の知人の中にも、今、離婚の危機に立たされている人が、何人かいる。しかしそういう人たちと会って話をしてみると、どこまでが冗談で、どこから先が、真剣なのか、わからなくなってしまう。そのわからなさこそが、この熟年離婚の特徴の一つかもしれない。 知人「もう、5年も、セックスレスだよ」 私「本当かあ!」 知人「寝室も別々だよ」 私「本当かあ!」 知人「だからさ、オレにも、愛人がいてさ」 私「本当かあ!」 知人「家内も、今ごろは、どこかの大学生と、飲み歩いているよ」 私「本当かあ!」と。 そんな調子で、会話がかみあわなくなってしまう。が、それでいて、その奥さんからは、こまめに礼状が届いたり、電話がかかってきたりする。離婚の雰囲気など、どこにも感じさせない(?)。 で、それを話題にする私のほうも、疲れた。私の実感では、「離婚する」「離婚する」と、騒ぐ人ほど、離婚しない。本当に離婚する人は、静かに、だれにも悟られずに、離婚する……ということか。 その熟年離婚には、大きな特徴がある。今までの経験をまとめてみると、こうなる。 (1)夫の知らないところで、妻側が、先に離婚の決意をかためてしまう。 (2)それまでは表面的には、従順で、家庭的な妻であることが多い。 (3)夫の職業は、ほとんどが会社勤めのサラリーマン。会社人間であることが多い。 (4)夫は、まじめタイプ。むしろ、家庭思い。家族思い。家庭サービスもしている。 (5)共通の趣味や、目的がない。休日などは、バラバラの行動をすることが多い。 (6)妻側から離婚を申し出られると、夫は、「どうして?」と、ろうばいしてしまう。 (7)子どもの結婚など、子育てが終わったときなどに、離婚しやすい。 ほかにもいろいろあるが、実は、私たち夫婦も、あぶない。しかし私のように、「あぶない」「あぶない」と思っている夫婦は、離婚しない。それを知っているから、「多分、だいじょうぶだろう」と、自分では、そう思っている。 そこでこうした熟年離婚を防ぐには、どうしたらよいかということになる。が、それとて、つまり、「防ぐ」という発想とて、一方的に、夫側の勝手にすぎない。夫としては、離婚されたら困るかもしれない。しかし一方の当事者である、妻側は困らない。離婚を望んでいる。 だから「防ぐ」という発想そのものが、夫側のものでしかない。妻側にすれば、「どうすれば、離婚できるか」。さらには、「どうすれば、夫の束縛から解放されて、自分らしい人生を、もう一度、生きることができるか」ということが、問題なのだ。 事実、熟年離婚する妻たちは、こう言っている。「残りの人生だけでも、私らしい生き方を、してみたい」と。だから、「防ぐ」という発想そのものが、そぐわない。そういう妻たちにとっては、かえって迷惑になる。 そこで、これはあくまでも夫側の立場の意見だが、熟年離婚を防ぐためには、とにかく『協同意識』をもつしかないのではないかということ。共通の目的が無理なら、趣味でもよい。たがいに、たがいの心の補完をしあうような活動をしなければいけない。土日になると、夫は、ひとりで魚釣り。妻は、テニス仲間と旅行……というのでは、あぶないということ。 で、私たち夫婦も、その熟年離婚の予備軍のようなものだから、偉そうなことは言えない。しかし最近、私は、こう思う。 夫は、夫で、妻の生きがいを、いっしょにさがし、育ててやる。それが熟年離婚を防ぐ、最大の方法ではないか、と。「私は夫だ。お前らを食わせてやっている」という発想では、熟年離婚されても、文句は言えない。 そう言えば、離婚の危機にある(?)と思われている、冒頭にあげた知人たちは、どの人も、どこか権威主義的。夫意識が強すぎるのでは? 「男は仕事だけしていれば、一人前」「それでじゅうぶん」「妻は家庭に入って、家事をすればよい」と、日常的に、そんなふうに考えているような感じがする。つまり、そういう発想をする夫ほど、あぶないのでは? 今夜もワイフに、「おい、今じゃあ、5組に1組が熟年離婚する時代だそうだよ。20年間も結婚生活をしていてね……」と話すと、ワイフは、どこか感慨深げ。「じゃあ、私たちも……」と言いそうな雰囲気だった。うちも、あぶないなア~。 【補記】 どうせ17%も、熟年離婚するなら、そういう熟年離婚を、積極的に考えなおしてみたら、どうだろうか。夫婦も、いつまでも「結婚」というワクにとらわれないで、自由に、自分たちの時間を楽しむとか……。そういう発想で、たがいの関係を、もう一度、つくりなおす。 もっと言えば、「結婚」という概念を、一度解体した上で、つくりなおす。こういう時代になったのだから、いつまでも、旧態依然の結婚観にしがみついているほうが、おかしいのかも? Hiroshi Hayashi++++はやし浩司 ●疑似・熟年離婚 ++++++++++++++++++ 9月x日、私は故郷のM町と、絶縁する。 言うなれば、「熟年・離縁」。 故郷と言いながら、私にとっては、腐れ縁。 思いも枯れた。 未練も枯れた。 言い残すことは、何もない。 いろいろ言いたいことはある。 あるが、今さら言いたくもない。 言ったところで、何も変わらない。 説明しても、どうせわからないだろう。 どうにもならない。 いや、それ以上に、私の人生も、秒読み段階に入った。 だからきれいさっぱり、自分の心の中から消す。 だから「熟年・離縁」。 ++++++++++++++++++ ●熟年離婚 人は時として、ひとつの人生を生きながら、別の人生を経験する。 ひとつの例が、「熟年離婚」と「熟年・離縁」。 まったくちがうようで、中身は同じ。 心の動きは同じ。 今、私は熟年・離縁を経験しながら、他方で、熟年離婚を経験しつつある。 が、どうか心配しないでほしい。 私とワイフが離婚するわけではない。 そのつもりもない。 あくまでも「熟年・離縁」。 つまり人の心は複雑なようで、ときに、定型化することができる。 似たような例を経験しながら、それをもとに別の経験を定型化することができる。 わかりやすく言えば、私は今、熟年・離縁を経験しながら、「熟年離婚もこんな ものだろうな」と、想像することができる。 ●なぜ離縁? いつかゆっくりと、それについて書くときがやってくるだろう。 今はまだ、そのときではない。 話せば長くなる。 要するに、失望の連続。 裏切られることはあっても、何もよいことはなかった。 が、「それでも……」と思って、故郷にしがみついてきた。 私なりに(縁)を大切にしてきた。 つまりそれも限界に来たということ。 だから離縁! もっとも私は故郷を離れて、40年以上になる。 正確には44年! いまだに故郷にしばられるほうがおかしい。 おかしいが、しばられた。 ずっとしばられた。 その呪縛感には、相当なものがあった。 だから今の気持ちは、「もう、たくさん!」 ●香典抜き もちろんきっかけは、ある。 私はずっと絶壁のフチに立っていた。 その私を背中から、どんと押すような事件があった。 「事件」というのも、大げさに聞こえるかもしれないが、事件は、事件。 ワイフは、「あの男のやりそうなことね」と言った。 わかってはいるが、私の背中を押すには、じゅうぶんなパワーがあった。 何と、私の肉親の葬儀のとき、間に立って、香典抜きをしていた親類がいた。 ほかの親類から預かった香典を、自分の懐(ふところ)に入れていた。 それは「浩司君、ところで……」という話から、始まった。 「こんなこと聞きにくいのだけど、ぼくが出した香典、君に届いているだろうか?」と。 私が「届いていない」と答えると、声にもならないような声を出して、その人は 「ハア~」と言って、驚いた。 そのまま黙ってしまった。 こうした香典抜きが、いかに親戚関係を破壊するものか、葬儀を経験したことのある人 なら、わかるはず。 私はその親戚づき合いが、つくづくいやになった。 愛想(あいそ)も尽きた。 「あのNS氏というのは、そういう男ですよ。私も、さんざんだまされた。 しかしそこまでやるとはねエ……!」と私。 ●熟年離婚 つまらない話を書いたが、そういう意味では、(貧乏)というのは、恐ろしい。 金銭的な貧乏が、時として、その人の心まで貧しくする。 私「まあ、私は無視します。あんな男、相手にしたくありません。定職ももたず、かわ いそうな男です」 相「しかし、ぞっとするような話です……」 私「だから葬儀のあと、あなたのところに電話を入れていたのですね」 相「そうだったのか。そうだったんだ。浩司君とぼくが、連絡を取り合っていないか、 それを確かめるために、ね」 私「ハハハ、そこまでやるとはねエ……」と。 で、そのとき私は、理解できた。 熟年離婚を申し出る、妻の気持ちが、である。 グググッと怒りが増幅し、それが頂点に達したとき、突然、急に、心の中がすっきりする。 許したのではない。 受け入れたのでもない。 「もうどうでもいいや」というニヒリズムが、心を満たす。 そのとたん、ス~ッと、心がすっきりする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月30日 18時12分24秒
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