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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡 | ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m (″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄) 凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` / \ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄偶 ===○=======○==================== 子育て最前線の育児論byはやし浩司 11年12月 1日号臨時 ================================ 2011年月8日1日現在……1552号 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬―――――――――――――― ★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★ マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック! http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html ★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! ★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。 ********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください***** 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ●老人心理(前向きに生きるvs後ろ向きに生きる) +++++++++++++++++ 老人は、老人独特のものの考え方をする。 先の見えない死生観が、ものの考え方に 大きな影響を与える。 が、その考え方を大きく、2つに分けると、 つぎのようになる。 (1)開放型(前向き型) (2)閉塞型(後ろ向き型) +++++++++++++++++ ●年金で家? 少し前、ある老人(男性)が死んだ。 2年近い、苦しい闘病生活のあとに、死んだ。 何かの難病だったと記憶している。 その様子を、あるテレビ局が取材した。 レポーターが話しかけると、老人の妻が、こう言った。 「2年もがんばってくれたおかげで、娘の家が建ちました」(某テレビ局)と。 つまり2年間生き延びてくれた。 その分の年金で、娘のために家を建てることができた、と。 この話は以前にも書いた。 私のBLOGに、その話を書いた(2009年9月)。 その記事をそのまま紹介する。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【損得論】 ●損と得 ++++++++++++++++++ 60歳をすぎて、「損と得」についての考え方が、大きく変わってきた。 「損とは何か」「得とは何か」と。 それをしみじみと(?)、心の中で思いやりながら、 「老人になるというのは、こういうことなのか」と思う。 「老人」といっても、使い古された、老いぼれた人のことではない。 少し照れくさいが、「円熟した人」をいう。 ++++++++++++++++++ ●何が損か この世の中で、「損かどうか」を考えること自体、バカげている。 どんなにあがいても、「死」というもので、私たちは、すべてを失う。 この宇宙もろとも、すべてを失う。 「死」を考えたら、それほどまでの「大きな損」はない。 たとえばあなたが地球上の、ありとあらゆる土地を自分のものにしたとする。 北極から南極まで。 一坪残らず、だ。 が、死んだとたん、すべてを失う。 つまり「死」にまさる(?)、損はない。 これには、自分の死も、相手の死もない。 そのため「死」をそこに感ずるようになると、日常的に 経験する損など、何でもない。 損とは感じなくなる。 ●「金で命は買えん」 たとえば私の友人の中には、数か月で、数億円も稼いだ人がいた。 その友人は、数年前、死んだ。 莫大な財産を残したが、死んだとたん、「彼の人生は何だったのか?」 となってしまった。 私の母ですら、死ぬ直前、こう言っていた。 「金(=マネー)で命は、買えん」と。 あれほどまで、お金に執着していた母ですら、そう言った。 ●得 一方、「得」と思うことも多くなった。 昨日も、秋の空を見たときも、そう思った。 澄んだ水色の空で、白い筋雲が、幾重にも重なって流れていた。 それを見て、「ああ、生きていてよかった」と思った。 ただ「損」とちがって、「得」という感覚は、実感しにくい。 大きな青い空を見たからといって、大きく得をしたとは思わない。 反対に、小さな花を見たからといって、大きな青い空を見たときに感ずるそれに、 劣るということはない。 もちろん私も、金権教にかなり毒されている面もあるから、お金は嫌いではない。 たいていのばあい、金銭的な価値に置き換えて、ものの損得を考える。 たとえば予定外の収入があったりすると、「得した」と思う。 しかし同時に、そこにある種の虚しさを覚えるようになったのも事実。 「だから、それがどうしたの?」と。 ●長生き では、長生きはどうか? 長生きをすればするほど、得なのか、と。 が、これについても、最近は、こう考える。 「それが無駄な生き方なら、長生きしても、意味はない」と。 「生きることが無駄」と言っているのではない。 「どうせ生きるなら、最後の最後まで、意味のある生き方をしたい」と いう意味で、そう言う。 もちろん、できれば、長生きしたい。 たった一度しかない人生だから、それは当然のこと。 問題は、どうしたら、意味のある人生にすることができるか、ということ。 ●今のままで、よいのか 未来は現在の延長線上にある。 とするなら、今の生き方が、未来の生き方になる。 となると、「今のままでいいのか」となる。 今、意味のある人生を送っていない私が、この先、意味のある人生を 送れるようになるということは、ありえない。 言い換えると、今の生き方そのものが、大切ということになる。 「今日」という「今」ではなく、「この瞬間」における「今」ということになる。 「私は、この瞬間において、意味のある生き方をしているのか」と。 ●命の換算 この話は前にも書いたので恐縮だが、テレビでこんな人を紹介していた。 ある男性だが、何かの病気で、2年近い闘病生活のあと亡くなった。 その男性について、妻である女性が、こう言った。 「がんばって生きてくれたおかげで、娘の家が建ちました」と。 つまり夫であるその男性が、死の病床にありながらも、がんばって生きて くれたので、その年金で、娘のための家を建てることができた、と。 私はその話を聞いたとき、「夫の命まで、金銭的な価値に置き換えて 考える人もいるのだなあ」と、驚いた。 まあ、本音を言えば、だれだってそう考えるときがある。 私もあるとき、ふと、こう思ったことがある。 「1年、長生きをして、1年、仕事がつづけられたら、○○○万円、 得をすることになる」と。 しかしこの考え方は、まちがっている。 もしこんな考え方が正しいというなら、私は自分の命すら、金銭的な 価値に置き換えてしまっていることになる。 仕事ができること自体が、喜びなのだ。 収入があるとすれば、それはあとからついてくるもの。 生きる目的として、収入があるわけではない。 ●奇跡 さらに言えば、アインシュタインも言っているように、「この世に生まれた ことだけでも、奇跡」ということになる。 (あなた)という人間が生まれるについても、そのとき1億個以上の精子が1個の 卵子にたどりつけず、死んでいる。 もしそのとき、隣の1個の精子が、あなたにかわって卵子にたどりついていたら、 あなたという人間は、この世には存在しない。 そのことは、二卵性双生児(一卵性双生児でもよいが)を見れば、わかる。 外の世界から見れば、(あなた)かもしれないが、それはけっして、(あなた) ではない。 他人が見れば、(あなた)そっくりの(あなた)かもしれないが、けっして、 (あなた)ではない。 つまり私たちは、この世にいるということだけ、この大宇宙を手にしたのと 同じくらい、大きな得をしたことになる。 ●統合性の確立 若いときは、生きること自体に、ある種の義務感を覚えた。 子育ての最中は、とくにそうだった。 働くことによって収入を得る。 その収入で、家族を支える。 しかし今は、それがない。 どこか気が抜けたビールのようになってしまった。 生きる目的というか、心の緊張感が、なくなってしまった。 「がんばって生きる」とは言っても、何のためにがんばればよいのか。 そこで登場するのが、「統合性」ということになる。 (自分がすべきこと)と、(現実のしていること)を一致させていく。 それを「統合性の確立」というが、この確立に失敗すると、老後も、みじめで あわれなものになる。 くだらない世間話にうつつを抜かし、自分を見失ってしまう。 そんなオジチャン、オバチャンなら、いくらでもいる。 あるいは明日も今日と同じという人生を繰り返しながら、時間そのものを無駄に してしまう。 が、その統合性の確立には、ひとつの条件がある。 無私、無欲でなければならない。 功利、打算が入ったとたん、統合性は霧散する。 こんな話を、ある小学校の校長から聞いた。 ●植物観察会 ある男性(80歳くらい)は、長い間、高校で理科の教師をしていた。 その男性が、今は、毎月、植物観察会を開いている。 もちろん無料。 で、雨の日でも集合場所にやってきて、だれかが来るのを待っているという。 そしてだれも来ないとわかると、そのまま、また家に帰っていくという。 その男性にとっては、植物観察会が生きがいになっている。 参加者が多くても、またゼロでも構わない。 大切なことは、その(生きがい)を絶やさないこと。 が、もしその男性が、有料で植物観察会をしていたら、どうだろうか。 月謝を計算し、収入をあてにしていたら、どうだろうか。 生徒数がふえることばかり考えていたら、どうだろうか。 同じ植物観察会も、内容のちがったものになっているにちがいない。 つまり、無私、無欲でしているから、その男性の行動には意味がある。 「統合性の確立」というのは、それをいう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年12月01日 08時22分22秒
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