全て
| カテゴリ未分類
| 育児問題
| 教育問題
| 子どもの問題
| 育児エッセー
| 人生論
| 時事問題
| 日々の随筆
| 家族のこと
| 自分(はやし浩司)史
| 友人より
| BW教室のこと
| 生きザマの問題
| 心の問題
| 育児のコツ
| 親子の問題
| 宗教問題(心の問題)
| 幼児・子どもの心理
| 老人問題
| 【保存原稿・SS】
| 旅行記
| ニュース
| 子どもの世界
| 私が見た映画
| ●宗教
| ●日本について
| 社会時評
| 夫婦の問題
| ●経済について(日本+国際)
| 英語のことわざ
| ★BW方式
| 小説
| BW教室
カテゴリ:カテゴリ未分類
☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
. mQQQm . Q ⌒ ⌒ Q ♪♪♪…… .QQ ∩ ∩ QQ . m\ ▽ /m 彡彡ミミ . /~~~\ ⌒ ⌒ . みなさん、 o o β .こんにちは! (″ ▽ ゛)○ . =∞= // □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 1月 4日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page004.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【映画・新少林寺を観る】2011/11/26 ++++++++++++++++++はやし浩司 昼寝をしたあと、ワイフと映画『新少林寺』を観てきた。 星は5つの、★★★★★。 文句なしの5つ星。 過去、いろいろな映画を観てきた。 が、最後の『The End』の文字まで観たのは、 この数年で、この映画が、はじめて。 熱い涙が止まらなかった。 同時に、こう思い知らされた。 「私は仏教徒だったんだなあ」と。 私の体の中には、仏教が染みこんでいた。 子どものころからの思い出が、つぎつぎと 現れては消えた。 歓びや悲しみ、楽しかった思い出や、つらかった思い出……。 それが内なる世界から、熱い涙を押し出した。 映画『新少林寺』は、最後の10分間で、 これから私が生きる道に、大きな示唆を与えてくれた。 すばらしい映画だった。 もし『新少林寺』を観る機会があったら、 最後の最後まで観てほしい。 「The End」の文字が、しっかりと止まるまで……。 ++++++++++++++++++はやし浩司 【欲望論】(本能とは) ●白い太もも(大腿部) 家を出たとき、若い男と女が道路を歩いていた。 どこか物欲しそうに、しかし怪しげな歩き方だった。 が、何よりも目についたのは、女の白い太もも。 大腿部。 短いパンツに、ロング・ブーツをはいていた。 太ももは、99%、露出していた。 99%。 最後の1%で、左右のパンツがつながっていた。 ●ミューチュアル・アタッチメント(相互愛着) 2000年に入ってから、ミューチュアル・アッタチメント(相互愛着)という言葉が 使われるようになった。 母親(父親)と乳幼児の関係についていったもの。 つまりそれまでは、母親と乳幼児の関係は、一方的なものと考えられていた。 母親側から乳幼児へ。 しかしそうではないことがわかってきた。 つまり乳幼児のほうからも、母親側に働きかけがあることがわかってきた。 あの乳幼児が、母親に、である。 わかりやすく言えば、乳幼児は、自ら、自分の(かわいさ)を演出することによって、親 の愛情を自分側にひきつけようとする。 エンゼル・スマイルもそのひとつと言われている。 このことは逆に考えてみれば、よくわかる。 もし生まれたての赤ん坊が、母親に向かって、こう言ったとする。 「おい、ババア、乳よこせ!」と。 とたん母親は乳をくれるのをやめてしまうだろう。 つまりその時点で、人類は絶滅の危機に立たされる。 ●赤ちゃん返り 幼児期によく知られた、愛情飢餓による現象に、「赤ちゃん返り」というのがある。 ほとんどは「下の子」が生まれたことにより、「上の子」が、赤ちゃんぽくなる現象をいう。 あの赤ちゃん返りは、本能的な部分に根ざしているため、叱ったり、説教しても意味はな い。 そういうことをすれば、症状は、ますますひどくなる。 ばあいによっては、慢性的な発熱など、身体的症状などを伴うこともある。 つまり乳幼児でも幼児でも、無意識のうちに、求める相手を自分に引きつけようとする。 ここにも書いたように、本能に近い部分から命令が発せられるため、本人がそれを意識す ることはない。 ●本題 さて本題。 太もも(大腿部)を99%見せて歩く、若い女。 明らかに男のS欲(禁止用語)を、刺激している。 しかしもちろん、本人には、その意識はない(……だろう)。 「どうしてそんな服装をしているの?」と聞けば、こう答えるにちがいない。 「ファッションよ」と。 つまり、オシャレ、と。 しかし私はそうは考えない。 その理由のひとつが、ミューチュアル・アタッチメント。 乳幼児でも、その程度の本能がある。 いわんや思春期の娘、をや。 ●無意識下の行動 私の行動には、無意識に支配されるものが多い。 その例として赤ちゃん返りをあげた。 今までに何百という例を見てきた。 その子どもは、外から見たところ、本人の意思で行動しているように見える。 その延長線上に、あの「太もも」がある。 そう考えたところで、論理的に無理はない。 つまり女性は無意識のうちにも、男性を誘惑するように行動する。 言い換えると、男性のほうが女性のそういった服装を見て、興奮するのではない。 女性のほうが、男性をして、そう思わせるように仕向ける。 先にも書いたように、本能に根ざしているだけに、本人がそれを意識することはない。 無意識のまま、そうする。 ●「形あるものは、すべて無」(「新少林寺」) 映画『新少林寺』で受けた感動が、まだ残っている。 その余韻もあって、過去に書いた原稿をいくつか探してみる。 ++++++++++++++++++はやし浩司 ●希望と期待 希望にせよ、期待にせよ、それが「欲望」から発したものであれば、それは未来を約束 した希望や期待にはならない。 よく「光」という言葉を使う人がいる。 「希望は光」と。 しかしそれは光ではない。 身を焦がす炎(ほのお)である。 たとえば子を育てる親の希望や期待には、際限がない。 受験にしても、やっとB高校へ入る力がついてくると、「何とかしてA高校へ」となる。 そのA高校が視野に入ってくると、今度は、「S高校へ」となる。 こうして希望や期待は、際限なくふくらんでいく。 その結果、いつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。 ひとつの希望や期待がかなえられるたびに、その先でまた新たなる苦悩がやってくる。 処し方をまちがえると、家庭騒動、親子断絶、さらには家族崩壊へとつづく。 ただの「光」ではすまない。 つまり「炎」。 なぜか? それが冒頭に書いたことである。 欲望から発しているからである。 ●老後の希望 若いうちは、まだよい。 それが意味のないものであっても、その希望や期待に、酔いしれることができる。 時間を無駄にしても、そこにはありあまるほどの余裕がある。 (本当は、余裕などないのだが……。) が、歳を取ると、そういうわけにはいかない。 刻一刻と、時間は短くなっていく。 無駄にできる時間など、一瞬一秒もない。 そこで何度も書くが、エリクソンという学者は、「統合性の確立」という言葉を使った。 老齢期の生き方を説いたものである。 3年前に書いた原稿だが、参考になると思う。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年01月04日 14時28分56秒
|