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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2012年03月23日
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●夢と失望

 昨夜、高校生たちと、こんな議論をした。
東大の入試問題(英文)を訳させていたときのこと。
こんな英文があった。

『……夢も失望も、幻想。年を取ると、それがよくわかる。夢にうつつを抜かすこともなくなるが、一方で、失望したからといって、それで傷つくこともない……』と。

 すかさずNさんが、こう言った。
「夢をもつことは、幻想ということ?」と。
私も、すかさず、こう答えてやった。
「いいや、夢をもつことは重要。夢がその人を動かす原動力となる。が、人は、その夢と失望を何度も繰り返したあと、こう気がつく。それが幻想であった、とね。が、それは、それ。だから今は、迷わず、あなたはあなたの夢を追求したらいい。」と。

 まず、何ごともやってみる。
懸命にやってみる。
失敗を恐れてはいけない。
バカだ、アホだと言われても、まず、やってみる。
たとえそれが無駄とわかっても、失敗ということにはならない。
大切なのは、そのプロセス。
ドラマ。
そのドラマに、価値がある。
生きる価値がある。
あのトルストイも、そう言っている※。

 で、その結果として、夢や失望が、幻想であったことを知る。
が、誤解してはいけない。
だからといって、その人の人生が無駄だったということにはならない。
幻想とわかったとき、人は、はじめて、なぜ今、ここに生きているか、その意味を知る。

 最初から、何もしない人には、それがわからない。
懸命に生きたことがない人には、それがわからない。
わからないまま、ただの凡人として、この世から去っていく。

 その問題は、そのあたりまで読み込まないと、設問には答えられない。
「さすが、東大の入試問題」と、私は感心した。

(注※)(中日新聞に発表した原稿より)

『……生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。
そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。
もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。
『人生はチョコレートの箱のようなもの。
食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●高校の同窓会

 高校の同窓会の案内が届いた。
それはそれとして、こんなことを考えた。
「もし、あの美濃町に居を構えるとしたら、どこがいいか?」と。

 その前に、美濃町について。
(正式には、「美濃市」だが、私は「美濃町」と呼ぶほうが、好き。
牧歌的な温もりを覚える。)

 美濃町は、昔から美濃和紙の集散地として知られている。
ミニチュア京都と呼ばれるほど、古い町。
北側に、長良川が流れ、三方を山に囲まれている。
私の実家は、その美濃町の旧市街、その西のはずれにあった。

 で、私が好きなのは、南の山のふもと。
松森山という小さな山がある。
その手前。
現在の美濃第一中学校のあるあたり。
なだらかな丘陵地帯になっていて、そこからは美濃町の町が、一望できる。

 今度、同窓会に出たら、帰りにでも、あのあたりで、土地をさがしてみる。
終(つい)の棲家(すみか)というほど、大げさなものではない。
が、晩年のうち、何年かでも、そこに住めたら、うれしい。
今、ふと、そんなことを考えた。

 ……いつもは、美濃町へ行くたびに、長良川沿いにある、緑風荘という旅館に泊まる。
昔は高級旅館だった。
その面影は、今でもしっかりと残している。
が、今は、1泊、1万円前後で泊まれる。
その気軽さが、うれしい。

 ……と書くと、同窓会に出席、ということになるが、今のところ未定。
4月に入ると、毎年、講演の依頼が、入る。
その成り行きをみてから、決める。

そんなわけで、ハガキには、一応、(出席)に丸をつけたが、まだ投函していない。

●満光寺

 たった今、こんなメールが、入った。

山荘の近くに、満光寺(まんこうじ)という寺がある。
徳川家康の命を救ったこともあるという、由緒ある寺である。
その寺で撮った写真について、愛知県観光協会発行の「旬感観光あいち」編集部より、写真転載の申し込みがあった。
「5月号の表紙に使わせてもらえないか」と。
私のHPに載せている写真である。
「その写真を、使っていいか」と。
こんな依頼は、はじめての経験。

すかさず、「はやし浩司のクレジットを、どこかに入れてくれるならOK」という条件で、許可した。
私にとっても、たいへん光栄なことである。

……と同時に、その写真に見入る。
ワイフと2人で、その寺へ行ったとき、撮った写真である。
観光スポットとしては、ほとんど知られていない寺である。
もう何回か行ったことがあるが、いつもガランとしている。

庭園のすばらしさは、この写真の通り。
右横に座っているのは、私のワイフ。
その近くにある龍潭寺に勝るとも劣らない、庭園を、無料で、楽しむことができる。
 
img392 

●さて、仕事

 午後は、パン2切れに、ジャムをつけて食べた。
それだけ。
2週間で、やっと2キロの減量。
……と油断していたら、また1キロ、太っていた。

 たいしたものは食べていない。
しかし太る。
食べたら、食べた分だけ、太る。
それが私の体質。

プラス、このところ運動をサボっている。
1日、30分のウォーキングだけ。

 寒い日は、何をやるにも、おっくうになる。
それがいけない。

 では、今日も1日、がんばる。
春休みも近い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【付記】(中日新聞の記事より)

【高校野球】(トルストイの言葉)

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。
輝く。
その価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。
生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。
たとえば高校野球。

私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。
たかがボールのゲームと笑ってはいけない。
私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。
「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。
幻想的なミュージカルだった。
あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。
「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

それから三〇年あまり。
私もこの問題について、ずっと考えてきた。
そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。
そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。
愛すること。
信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。
もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。
『人生はチョコレートの箱のようなもの。
食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。
一球一球に全神経を集中させる。
投げるピッチャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。
応援団は狂ったように、声援を繰り返す。
みんな必死だ。
命がけだ。
ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。

その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。
一瞬時間が止まる。
が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。
そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあって、人間の社会をつくる。
つまりそこに人間の生きる意味がある。

いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。
生きる価値をもつ。
言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。
夢も希望もない。
情熱も闘志もない。
毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。

さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。
あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。
感動もない。見るほうも、つまらない。
そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。
人生もそれと同じ。

そういう人生からは、結局は何も生まれない。
高校野球は、それを私たちに教えてくれる。
(中日新聞・発表済み)


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司





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最終更新日  2012年03月24日 02時58分25秒



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