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●夢と失望 昨夜、高校生たちと、こんな議論をした。 東大の入試問題(英文)を訳させていたときのこと。 こんな英文があった。 『……夢も失望も、幻想。年を取ると、それがよくわかる。夢にうつつを抜かすこともなくなるが、一方で、失望したからといって、それで傷つくこともない……』と。 すかさずNさんが、こう言った。 「夢をもつことは、幻想ということ?」と。 私も、すかさず、こう答えてやった。 「いいや、夢をもつことは重要。夢がその人を動かす原動力となる。が、人は、その夢と失望を何度も繰り返したあと、こう気がつく。それが幻想であった、とね。が、それは、それ。だから今は、迷わず、あなたはあなたの夢を追求したらいい。」と。 まず、何ごともやってみる。 懸命にやってみる。 失敗を恐れてはいけない。 バカだ、アホだと言われても、まず、やってみる。 たとえそれが無駄とわかっても、失敗ということにはならない。 大切なのは、そのプロセス。 ドラマ。 そのドラマに、価値がある。 生きる価値がある。 あのトルストイも、そう言っている※。 で、その結果として、夢や失望が、幻想であったことを知る。 が、誤解してはいけない。 だからといって、その人の人生が無駄だったということにはならない。 幻想とわかったとき、人は、はじめて、なぜ今、ここに生きているか、その意味を知る。 最初から、何もしない人には、それがわからない。 懸命に生きたことがない人には、それがわからない。 わからないまま、ただの凡人として、この世から去っていく。 その問題は、そのあたりまで読み込まないと、設問には答えられない。 「さすが、東大の入試問題」と、私は感心した。 (注※)(中日新聞に発表した原稿より) 『……生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。 一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。 そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。 つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。 もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。 映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。 『人生はチョコレートの箱のようなもの。 食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。 ●高校の同窓会 高校の同窓会の案内が届いた。 それはそれとして、こんなことを考えた。 「もし、あの美濃町に居を構えるとしたら、どこがいいか?」と。 その前に、美濃町について。 (正式には、「美濃市」だが、私は「美濃町」と呼ぶほうが、好き。 牧歌的な温もりを覚える。) 美濃町は、昔から美濃和紙の集散地として知られている。 ミニチュア京都と呼ばれるほど、古い町。 北側に、長良川が流れ、三方を山に囲まれている。 私の実家は、その美濃町の旧市街、その西のはずれにあった。 で、私が好きなのは、南の山のふもと。 松森山という小さな山がある。 その手前。 現在の美濃第一中学校のあるあたり。 なだらかな丘陵地帯になっていて、そこからは美濃町の町が、一望できる。 今度、同窓会に出たら、帰りにでも、あのあたりで、土地をさがしてみる。 終(つい)の棲家(すみか)というほど、大げさなものではない。 が、晩年のうち、何年かでも、そこに住めたら、うれしい。 今、ふと、そんなことを考えた。 ……いつもは、美濃町へ行くたびに、長良川沿いにある、緑風荘という旅館に泊まる。 昔は高級旅館だった。 その面影は、今でもしっかりと残している。 が、今は、1泊、1万円前後で泊まれる。 その気軽さが、うれしい。 ……と書くと、同窓会に出席、ということになるが、今のところ未定。 4月に入ると、毎年、講演の依頼が、入る。 その成り行きをみてから、決める。 そんなわけで、ハガキには、一応、(出席)に丸をつけたが、まだ投函していない。 ●満光寺 たった今、こんなメールが、入った。 山荘の近くに、満光寺(まんこうじ)という寺がある。 徳川家康の命を救ったこともあるという、由緒ある寺である。 その寺で撮った写真について、愛知県観光協会発行の「旬感観光あいち」編集部より、写真転載の申し込みがあった。 「5月号の表紙に使わせてもらえないか」と。 私のHPに載せている写真である。 「その写真を、使っていいか」と。 こんな依頼は、はじめての経験。 すかさず、「はやし浩司のクレジットを、どこかに入れてくれるならOK」という条件で、許可した。 私にとっても、たいへん光栄なことである。 ……と同時に、その写真に見入る。 ワイフと2人で、その寺へ行ったとき、撮った写真である。 観光スポットとしては、ほとんど知られていない寺である。 もう何回か行ったことがあるが、いつもガランとしている。 庭園のすばらしさは、この写真の通り。 右横に座っているのは、私のワイフ。 その近くにある龍潭寺に勝るとも劣らない、庭園を、無料で、楽しむことができる。 ![]() ●さて、仕事 午後は、パン2切れに、ジャムをつけて食べた。 それだけ。 2週間で、やっと2キロの減量。 ……と油断していたら、また1キロ、太っていた。 たいしたものは食べていない。 しかし太る。 食べたら、食べた分だけ、太る。 それが私の体質。 プラス、このところ運動をサボっている。 1日、30分のウォーキングだけ。 寒い日は、何をやるにも、おっくうになる。 それがいけない。 では、今日も1日、がんばる。 春休みも近い。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【付記】(中日新聞の記事より) 【高校野球】(トルストイの言葉) ●高校野球に学ぶこと 懸命に生きるから、人は美しい。 輝く。 その価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。 生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。 たとえば高校野球。 私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。 たかがボールのゲームと笑ってはいけない。 私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。 「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。 ●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。 幻想的なミュージカルだった。 あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。 「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。 それから三〇年あまり。 私もこの問題について、ずっと考えてきた。 そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。 一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。 そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。 愛すること。 信ずること』(第五編四節)と。 つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。 もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。 映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。 『人生はチョコレートの箱のようなもの。 食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。 ●懸命に生きることに価値がある そこでもう一度、高校野球にもどる。 一球一球に全神経を集中させる。 投げるピッチャーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。 応援団は狂ったように、声援を繰り返す。 みんな必死だ。 命がけだ。 ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが宙を飛ぶ。 その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。 一瞬時間が止まる。 が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。 私はそれが人生だと思う。 そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあって、人間の社会をつくる。 つまりそこに人間の生きる意味がある。 いや、あえて言うなら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。 生きる価値をもつ。 言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。 夢も希望もない。 情熱も闘志もない。 毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。 さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。 あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はない。 感動もない。見るほうも、つまらない。 そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。 人生もそれと同じ。 そういう人生からは、結局は何も生まれない。 高校野球は、それを私たちに教えてくれる。 (中日新聞・発表済み) Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月24日 02時58分25秒
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