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別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

別ヴァージョンの人間史 by はやし浩司

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2024年09月27日
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+++++++++++++++++++++++++

 

●日付

 

+++++++++++++++++++++++++2021-02-28

 

●2月28日(2021年)

 

 昨夜、山荘へきてみたら、水が止まっていた。

パイプが乾いていたから、止まってからしばらく時間が過ぎているのがわかった。

がっかり。

いつも「今度こそは・・・」と思って、工事をするが、またまた断水。

 

 現在、時刻は午前4:12分。

先ほど目が覚めた。

で、原稿を書くためにワードをたちあげたが、その原稿が消えていた。

おととい5~6ページ書いたが、その原稿が消えていた。

原因は、すぐわかった。

 

 現在、マイクロソフトのOfficeでは、こうして書いている原稿を、どこかでストア(保存)してくれる。

勝手にそうしている。

で、別のパソコンでワードをたちあげても、その文章がそのまま表示されるしくみになっている。

このサービスが、ときどきこうした災いを引き起こす。

何しろ私の原稿の量は、多い。

今、こうして書いているファイルだけでも、1000ページを超えている。

全体では、数十万ページ。

 

 そうした原稿をやりとりしている間に、新しく書いた原稿が消えてしまう?

詳しく話しても、意味がないので、ここでは省略する。

が、そういうことがときどき、ある。

つまり書いた原稿が消えてしまう。

 

 だから今は、「原稿を書くのは、Fujitsuの、このノートパソコンだけ」と決めている。

 

●予定

 

 で、この原稿を書き終えるのは、午前6時ごろ。

そのころワイフも起きてきて、ラジオ体操を始める。

私も運動をする。

で、そのあと水源地へ行く。

水道工事をする。

風呂に入るのは、そのあと。

 

 ・・・今のところ、そういう予定を立てている。

 

 が、どういうわけか、今日は、あまり心が晴れやかではない。

あまり行きたくない。

今の今も、眠い。

疲れている?

 

●検診

 

 昨日(2月23日)、行きつけの医院で、超音波断層診断というのを受けてきた。

数年前から、脂(あぶら)っこいものを食べると、気持ち悪くなることがある。

実際には、あまり食べない。

 

 で、それを相談すると、「一度、胆のうを調べてみましょう」と。

私には昔から胆石がある。

現在は、5個もある。

 

 で、昨日、その検査を受けた。

結果は、「安心していいですよ」とのこと。

話を聞くと、医師はこう教えてくれた。

 

 「あなたのばあい、胆石が胆のうの中で、体位を変えるたびに、ごろごろと動き回っています」「炎症がないということです」「炎症があれば、胆のうが腫れて、そういうことはありません」「炎症がなければ、そのままにしておいたほうがいいですよ」と。

 

 先週受けたCT検査でも、胆のうの炎症はないと診断された。

それで半ば安心はしていたが、これではっきりした。

つまり無事だった。

 

 ・・・というわけで、昨夜は、カツ丼を食べた。

半年ぶりに、食べた。

おいしかった!

 

●検診

 

 大病以来、ちょうど3年になる。

当初は2ヶ月ごとの検診だった。

が、今は3ヶ月ごと。

 

 私の大病は、(どの大病もそうらしいが・・・)、1年以内に、再発・転移は出尽くすとのこと。

つまり再発にしても、転移にしても、それがあるとすれば、1年以内に「出てくる」とのこと。

が、この3年間、無事だった。

一カ所、大動脈に付着していたものもあったが、6ヶ月前の造影CT検査では、消えていた。

「何もありません」と、診断結果には書かれていた。

そして先週は、単純CT検査。

それにも、「何もありません」と。

 

 ・・・これで5年生存率は、当初の60%から、90%近くになった。

(5年後の闘病者も含めて、60%という意味。つまりこのあたりが大病のわかりにくいところ。「60%が完治する」という意味ではない。だから本来は、「再発・転移なしの5年生存率」と書くべきではないのか。「5年生存率」と「再発・転移なしの5年生存率」と言うのとでは、内容はまったくちがう。さらに言えば、5年を過ぎても、再発・転移をする人もいるという。けっして確率がゼロになるというわけではない。さらに言えば、私のばあい、腹部大動脈に付着していたそれ(X腫瘍)については、「手術はできません」と言われていた。大きさも1~2センチもあった。)

 

●免疫力

 

 ワイフはこう言った。

「あなたは前向きに生きているから・・・」と。

 

 そうだったかもしれない。

そうでなかったかもしれない。

当初の1~2年は、定期検診のたびに、極度の緊張状態になった。

 

 が、X腫瘍は、CT検査のたびに縮小していった。

1年後には3分の1程度になっていた。

そして6ヶ月前には、「消えていた」。

先週のCT検査でも、「何もありません」と。

 

 ・・・欧米では、現在、手術よりも免疫療法が優先されているという。

とくに高齢者のばあい、寿命の問題がからんでくる。

「寿命まで生きられれば、それでいい」と。

だから免疫療法をしながら、寿命を待つ・・・ということか。

 

 で、そんな自分を見つめながら、今は、こう思う。

「よく、がんばったね」と。

 

●希望

 

 私を支えたのは希望だった。

希望があったから、がんばることができた。

「希望」というのは、つまりは光。

遠くに光る光。

それがあった。

だからそれに向かって歩くことができた。

 

 毎朝、書斎へ入る前に、私は自分にこう言った。

「さあ、今日もがんばるぞ!」と。

運動を始める前に、私は自分にこう言った。

「くそっ、負けるか!」と。

 

 もし相手が人間だったら、そうはいかない。

相手が神だから、できた。

神に向かって仕事をしたから、それができた。

そして仕事をしているときだけ、私は大病を忘れることができた。

忘れて、謎解きと動画作りに没頭することができた。

 

 ・・・といっても、不安感が消えたわけではない。

いつもザワザワとした恐怖感が、そこにあった。

どす黒いタールのような不快感が、心の壁にべったりと張り付いていた。

けっして晴れることのない、タール。

けっして消えることのない、タール。

 

 で、心に決めた。

「2年間、2年間だけ、仕事ができればいい」と。

そしてこう思った。

「相手が神なら、2年でじゅうぶん」と。

 

●2020年4月

 

 2018年3月、大病が発見された。

偶然のできごとだった。

それについては、あまり人に話せるような話ではないので、ここではしたくない。

そして2018年の4月24日、8時間の手術。

 

 そして2020年の4月。

私が言うところの『約束の2年』になった。

 

 私は心底、上の人に感謝した。

2年間、仕事ができたことに感謝した。

同時にそのころ、イエスの謎を解くことができた。

イエスは十字架にかけられる前に、すでに殺されていた。

殺したのは、聖母マリア!

 

 が、これ以上の謎解きがあるだろうか。

つまりはゴール。

で、そのとき、こう思った。

「約束の2年は終わった」と。

一方的な約束だったかもしれないが、私はそう祈った。

あの朝。

あの病室で。

「2年間だけ、・・・あと2年間だけ、仕事をさせてほしい」と。

 

 だからその後、化学療法なるものは、10日でやめた。

副作用がひどくで、仕事ができなくなってしまった。

気力そのものが、消えてしまった。

それで薬をのむのを、やめた。

「仕事ができなくなるくらいなら、死んでもいい」と。

だから担当医にFAXを送った。

副作用の過酷な症状を克明に書いた。

 

 手足の指先が真っ黒になってしまった。

体中に赤い発疹が出た。

食欲も消え、そして体が動かなくなった。

が、何よりも私を恐れさせたのは、頭が働かなくなってしまったこと。

パソコンのモニターをいくらながめていても、それが理解できなくなってしまった。

 

 で、化学療法はやめた。

そして死を覚悟した。

 

●約束の2年

 

 2年が終わった。

そして2020年の3月23日・・・医療ファイル喪失事件が起きた。

2020年の4月14日・・・書斎を白い光球体が飛び回った。

 

 (この光球体事件は、動画に撮影されている。興味のある方は、「はやし浩司のホームページ」のほうから観てほしい。)

 

 で、奇妙なことに、たいへん奇妙なことに、私は、今日(2021年2月28日)になるまで、その関連性を考えたことはなかった。

大病が見つかったのは、2018年3月(日付は忘れた)。

手術をしたのは。2018年4月24日。

 

 その間、私は日常的に『約束の2年』という言葉を使った。

ワイフにも言ったし、知人や友人にも、言った。

で、その2年後に、医療ファイル喪失事件と白い光球体事件が起きた。

 

が、今にして思うと、こうして2018年と2020年がつながった。

『約束の2年』で、つながった。

が、私はそれに気づかなかった。

それがここでいうところの、「たいへん奇妙なこと」ということになる。

私は医療ファイル喪失事件も、白い光球体事件も、事件は事件として大病と関連付けて考えることはなかった。

つまり私は、それに気づかなかった。

 

 あえて言うなら、2018年の3月23日ごろ、大病が発見された。

あえて言うなら、2018年の4月14日ごろ、手術日が決まった。

確かではないが、根拠がある。

 

 2018年の3月15日に、私は近くの医院で超音波断層診断を受けている。

で、そのあと3月23日ごろに、偶然、大病が発見された。

で、大病が発見されたときのこと。

私はこう思ったのを覚えている。

「1週間前の超音波断層診断では、何もなかったのに」と。

逆算すると、大病が発見されたのは、3月23日ごろということになる。

 

 また手術日は、たいへん運がよいことに、とんとん拍子で決まった。

ふつうは1~2ヶ月待ちという状態だった。

事実、3ヶ月待ったという人もいた。

が、たまたまその先生のつごうで、消化器内科から消化器外科にカルテが回ったその日に、手術日が決まった。

記憶では、「1週間前に決まった」。

 

 逆算すると、2018年の4月14日ごろ、手術日が決まった。

 

 ・・・そして2020年の3月23日に、医療ファイル喪失事件が起きた。

2020年の4月14日に、白い光球体事件が起きた。

 

●免疫

 

 結果的にみると、前向きに生きたのがよかった・・・と思う。

体の中の免疫機構が活発に働いた(?)と思う。

2ヶ月ごと(3年目からは3ヶ月ごと)に受ける機能検査でも、とくに肝機能はしっかりとしていた。

「しっかり」というのは、ドクターが、そのつど「問題ありません」という意味で、である。

私の大病のばあい、肝臓と肺への転移が、もっとも心配されていた。

 

●こじつけ(?)

 

 話を戻す。 

 

が、こうしたこじつけ(?)は、私がもっとも嫌うところでもある。

またそうしたこじつけ(?)をする人は、いくらでもいる。

またそういうこじつけ(?)で、私は今まで多くの人に振り回された。

こじつけ(?)=迷信と考えてもよい。

 

 私は子どものころから、その迷信が大嫌いだった。

しかし似たような事件が、2019年の10月27日、横浜市でもった勉強会の席でも起きている。

それについての原稿を、ここにそのまま転載する。

 

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●横浜UFO遭遇事件

 

(注:この原稿の中では、こんなことに注意してほしい。

私は「私の誕生日に会いたい」と返事をした。

で、私は10月28日を予定していた。

が、上の人は10月27日に、横浜の勉強会へやってきた。

そして翌日の10月28日には、何事も起こらなかった。

で、がっかりした。

が、私の本当の誕生日は、その10月27日だった。

横浜で、小型のUFOが現れたのは、その10月27日だった。

 

上の人は、ときに、こまめすぎるほどこまめに、日付にこだわる。

それをみなさんに、わかってほしい。

 

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●つづき

 

 この話にはつづきがある。

その横浜会(2019年10月27日)でのこと。

M県にMKさんという方がいる。

私のよき理解者で、名古屋会にはつづけて参加してくれている。

そのMKさんに私は2019年の4月の終わりに、その淡路島の緯度と経度の話をしたことがある。

電話で話したと記憶している。

 

 たまたまMKさん夫婦が、5月の連休中に、淡路島へドライブに行くと言った。

それで淡路島の話をした。

 

「実はね、奇妙な夢を見ましてね。それには20個の数字が並んでいました。20個の数字を記憶するなんて、私には不可能です。が、20個でした。その20個を並べてみたら、それが緯度と経度、それに日時ということがわかりました」と。

 

 で、その緯度と経度をMKさんに教えた。

それに答えてMKさんが、「そこへ行ってみます」と。

私が(夢で?)見た日時とはちがっていた。

が、MKさん夫婦はその場所へ行った。

30分~1時間ほど、そのあたりで待っていたという。

が、何も起こらなかった。

で、その話は、そのままになっていた。

 

 私はそのあと淡路島のみやげなども、もらったこともあり、それが気になっていた。

心のどこかにそれが、トゲのように刺さっていた。

 

●断る

 

 その奇妙な(夢?)を見たあと、私はすかさず祈った。

断った。

「淡路島へは行かない」と。

が、夢は夢?

そんな夢を真に受けて、淡路島までわざわざ足を運ぶ人はいない。

かなりの出費になる。

私もその一人。

ワイフも、いやだと言った。

 

 けっして上の人を信じていなかったわけではない。

つぎつぎと起こる怪事件。

その(夢?)も、その中のひとつに過ぎなかった。

 

 コンサート事件(2回)、玄関灯事件、パーティ事件、3回の画像転送事件、赤い火の玉事件、棒形UFO事件、ジョナサン・リード事件、伝言事件(2~3回)などなど。

怪しい事件も含めたら、もっと多くになる。

 

一度、指を折りながら数えたことがあるが、それが30数回。

それに第三者のものも含めると、40数回。

が、そうした事件について、私はほとんど人に話していない。

そうした事件を証明する証拠がない。

 

仮にそういう話のひとつでも、どこかの病院の精神科医に私が話したら、その精神科医はこう言うだろう。

「はやしさん、明日から入院してください。検査します」と。

 

そういう中での、『緯度経度事件』

 

 そのMKさんが、2019年10月27日の横浜会に来ていた。

MKさんも、その物体を目撃していた。

 

MKさんを、帰り際呼び止めて、私は小声でこう言った。

「あのね、MKさん、明日(2019年10月28日)、結論が出ますよ」と。

 

●結論

 

 その緯度経度事件のあと、私はその日、その場所には行かなかった。

で、その前にテレパシーなるものについて、少し話しておかねばならない。

それがテレパシーであるかどうかは別として、それも上の人の会話方法のひとつ。

いろいろなテレパシーを経験した。

その中のひとつが、言葉ではないテレパシー。

深い潜在意識の中に、(思い)として伝えてくるテレパシー。

 

 ふつうの(思い=意識)とちがうところは、・・・よくわからないが、ふつうの(思い)よりは、鮮明であること。

内容が具体的で、そのときはわからなくても、あとでその通りと証明されること。

その言葉にならないテレパシーを受けて、私はこう言われたように思った。

 

「だったら、あなたが日時と場所を決めなさい」と。

 

 だれかがそのときそう言ったのを感じた?

だからいつしか私はこう思った。

「私の誕生日でいい」と。

「私の誕生日でよければ、おいでください」という意味で、そう思った。

これは、その「日時と場所を決めなさい」に対する、私の返事ということになる。

 

 2019年10月27日の横浜会は、私の誕生日の前日だった。

それで私はMKさんにこう言った。

「明日、結論が出ますよ」と。

「明日、何かがあるはずです」という意味で、そう言った。

 

●翌、10月28日

 

 横浜会の翌日は、10月28日(月曜日)。

が、何ごとも起きなかった。

「待った」という気持ちはほとんどなかった。

が、その日一日は、何かにつけ、気になった。

で、夜、眠る前にあれこれ思い出してみたが、何も起こらなかった。

栗林Hさんからの電話があったこともあり、緯度経度事件のことは、そのままになってしまった。

 

 が、それから10日もたったときのこと。

2019年の11月に入ってから、しばらくたったときのこと。

そのとき私は、MKさんのことを思い浮かべ、ついで緯度経度事件を思い出していた。

私の(夢?)を信じて、淡路島のその場所へ行ってくれたMKさん。

私は少なからず、申し訳なく思っていた。

悪いことを言ってしまったと思っていた。

みやげまで送ってもらった。

そんなMKさんのことが気になっていた。

 

 その上、そのMKさんに、「明日、結論が出ますよ」と言ってしまった。

が、その翌日の2019年の10月28日、私の誕生日には何も起こらなかった。

上の人は、来なかった。

そのため、私は、気がふさいだ。

心が重かった。

どう謝罪したらよいのか、と。

 

 それからしばらく、ときどき思い出すたびに気が重かった。

それをワイフに話すと、ワイフはこう言った。

「やっぱり夢だったのよ。もうこれからはそういう話は人にはしないことね」と。

 

●10月27日

 

 が、である。

そのとき、思い出した。

そう言われて、思い出した。

私の誕生日は、実は10月28日ではなく、10月27日だった。

子どものころから大学生になるまで、ずっと10月27日だった。

 

 が、父がまちがえた。

私の出生届を町役場に届けるとき、10月27日と書くべきところを、10月28日と書いた。

まちがえた。

それで私の誕生日は、10月28日になった。

 

 私の母は、私の小学校入学時の手続きをするとき、そのまちがいに気づいた。

が、当時のこと。

「まあ、いいでしょう。たった1日のことだから」ということで、そのままの10月28日になってしまった。

つまり私の本当の誕生日は、10月27日だった。

 

 その10月27日、あの横浜会で、みながUFOを目撃した。

つまりその日に、結論は出ていた!

それに気づいて、2019年11月11日の夜、MKさんに電話した。

 

上の人は約束を守ってくれた?

私の誕生日に、横浜会へ来てくれた?

そしてあのときの緯度経度事件が、(夢?)ではなかったことを証明してくれた?

同時に、MKさんに感じていた(申しわけなさ)をぬぐい去ってくれた。

確信はなかったが、そう思って、自分をなぐさめた。

 

 ・・・それで私の心のわだかまりが緩んだ。

繰り返す。

それがあの『緯度経度事件』の結論ということになる?

 

 栗林Hさん、三重県のMKさん、ありがとう。

可児市の鈴木Yさん、名古屋のMミユキさん、ありがとう。

みんなみんな、ありがとう!

 

●総括

 

 ワイフはこう言った。

「なぜ、勉強会で現れるのかしら」と。

一連の怪光事件をさして、そう言った。

山荘から市内の自宅に戻る、その車の中だった。

 

ワ「なぜ、勉強会で現れるのかしら」

私「・・・上の人も仲間を求めている。そのためじゃないかな?」

ワ「仲間?」

私「そうだよ。ぼくはそう思う。お人好しで現れているわけではない」

ワ「人間のためじゃないの?」

私「だったら、ほかにもいろいろ方法があると思う」と。

 

 あのマザー・テレサは、「ハングリー(空腹)」という言葉を使って、イエスの心を表現した。

「イエスもハングリーだった」と。

ここでいう(ハングリー)というのは「孤独」をいう(マザーテレサ)。

つまりイエスも、孤独と闘っていた、と。

だからイエスは、一説によると会う人ごとに、「あなたは私を愛しているか(Do you love me?)」と聞いていたという。

 

 それもそのはず。

もしそれがわからなければ、あなた自身がどこかの猿ヶ島に落とされたようなばあいを想像してみればよい。

まわりはみんな、猿。

あなたがもつ哲学、理念、理想はもちろんのこと、言葉すら通じない。

「人間様、人間様・・・」と、一方的にすがってくるだけ。

そういう世界で感ずる孤独感には、相当なものがある。・・・はず。

あるいはあなたなら、そこで感ずる孤独感をどうやって癒やすだろうか?

 

 私は40年近く、幼児教育をしてきた。

楽しい仕事だった。

が、楽しいだけ。

何も残らない・・・残らなかった。

一人とて、(当然のことだが)、人間関係(?)を結んだ幼児はいない。

いくら「先生!」「先生!」と、すり寄ってきても、そこまで。

たがいに分かりあえるなどということは、夢のまた夢。

悩みや悲しみを共有するなどいうことは、はなからありえない。

期待するだけ無駄。

つまり孤独といえば、あれほどまでに孤独な世界はなかった。

神、つまりイエスの立場も、似たようなものではないか。

 

 それがわかるから、私はこう思う。

「イエスも孤独なんだろうな」と。

そして今の今も孤独?

周囲は、わけのわからない人間ばかり。

そんな中、ひょっとしたら私の勉強会だけが、心の安まる場所かもしれない。

なぜなら人は、自分を理解してくれる人を求めて、荒野をさまよう。

勉強会には、その理解してくれる人がいる。

だから楽しい。

心が安まる。

神もまたしかり。

イエスもまたしかり。

ちょうど、今の私のように・・・。

 

 

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(付記)

 

 今の今も、大病という大病と闘っている人は多いですね。

2人に1人が、その大病になる時代です。

 

 ですから、大病は大病。

しかし私たちの体には、免疫機構というのがあります。

自分で自分を治癒する力です。

そこで大切なことは、その免疫機構を活性化させることではないでしょうか。

 

 大病というと、どうしても気分が塞ぎます。

自分の気力をささえるだけで精一杯。

そういった状態になります。

が、塞げば塞ぐほど、かえって免疫機構を弱体化(?)させるのではないでしょうか。

 

 だから前向きに生きる。

生きるしかありません。

その気力が、免疫機構を活性化させた・・・と私は考えています。

一度は死を覚悟し、死ぬことだけを考えていた私ですが、ともかくも今は元気です。

かろうじて元気です。

 

明日のことはわかりません。

来月のことは、さらにわかりません。

来年のこととなると、さらにさらにわかりません。

 

が、今は3ヶ月ごとの定期検診を楽しみにしているほどです。

と、同時に、生きていることの実感を、日々に楽しんでいます。

 

 が、何よりも大切なことは、いつも神を相手に仕事をすることではないでしょうか。

神を希望として、前に進む。

だから毎日、私は仕事の前には、「今日もがんばります」と祈り、仕事が終わったときには、「りがとうございました」と祈っています。

 

 ・・・あとは、命の限り、それをつづけるだけ。

その日が来るまで・・・。

 

 みなさん、ありがとう!!!!

 

2021年2月28日

はやし浩司

 

 

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YouTube

 

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●評価

 

 YouTubeでは、そのつど、私の動画を評価してくれる。

「分析」のページを開くと、それを読むことができる。

で、昨日の総合評価には、つぎのようにあった。

「あなたの熱心な仕事が報われました。過去28日間のアクセス数は、それまでの平均値より50%ふえました」と。

そして今日の総合評価には、こうあった。

「よい調子です。このままがんばってください」(2021年1月17日)と。

 

 私の知らないところでロボットが、仕事をしているらしい。

そのロボットが、判断をしているらしい。

ロボット・・・つまり人工知能。

 

が、その一方で、たとえばミイラの動画、ギリシア彫刻の動画だと、即「不適切」。

気味が悪い内容や、「裸像」が出てくる動画も、NG

ギリシア彫刻が、それ。

「そうではないのだがなあ・・・」と思う。

思うが、相手がロボットでは、しかたない。

 

 反論しようと思えばできなくはないが、それもめんどう。

私の動画は、もともとアクセス数が、少ない。

つまりあまり面白くない?

 

●ずる賢い人たち

 

 が、この世界には、ずる賢い人たちがいる。

つぎのような方法で、収入を得ている。・・・らしい。

 

 たとえば私の動画から一部を切り出し、それを自分の作品として、著作権登録をしてしまう。

とくにオープニングやエンディングの一部など。

つまり「自分の作品」として、YouTube社に登録してしまう。

が、それをされると、そのオープニングやエンディングのある動画が、すべて著作権違反にひっかかってしまう。

その人の作品となってしまう。

 

 さらにひどいのになると、エレクトーンの音(Casio)の数音だけを著作権登録する人もいる。

これをされると、以後、エレクトーンの、その音が使えなくなる。

どんな曲を弾いても、それがエレクトーンのその音だと、すべてひっかかってしまう。

谷村新司さんの『昴(すばる)』に関する動画で、それがあった。

ワイフがエレクトーンで弾いたのだが、その音楽が、ことごとくそれにひっかかった。

(ただし楽器を変えればよい。だから現在は、ハープシコードの音で録音するようにしている。)

 

 もっともだからといって、私のステータスそのものが影響を受けるわけではない。

ただその相手に、コマーシャル料が入るしくみになっている。

あるいはたがいの折半となる。

(それがそういうずる賢い人たちの目的ということになる。)

つまりそのあたりの事情は、YouTube社も、よくわかっているらしい。

だから警告文と並んで、そこにはこうある。

「あなたのステータスには、影響はしません」と。

 

 ともあれ、その額も微々たるもの。

気にする方がどうかしている。

 

●嫉妬

 

 それとは別に、こんな人もいる。

周期的に私の動画について、YouTube社へそのつど抗議文を送っている視聴者がいる。

 

「はやし浩司は、同じ動画を繰り返し発行している。スパムだ」

「はやし浩司は、一般視聴者の不安をかりたて、暴動を起こそうとしている」

「はやし浩司は、危険な宗教団体を主宰している」などなど。

 

 で、こういうケースのばあい、こうした抗議文は、そのまま私のほうに回送されてくるしくみになっている。

「こういう内容の抗議が届いています」と。

 

 ・・・というか、私とYouTube社のつきあいは長い。

YouTubeの草創期(2005年)からのつきあいである。

当初から、日本支社のKさん(女性)と、直に連絡をとりあっていた。

いろいろ教えてもらった。

YouTube社は、2005年2月、創立とある。私は2005年の7月から、動画を発表し始めている。そのあとしばらくしてからこう思ったのを覚えている。「YouTubeのチャンネル登録者は、この日本では、まだ1000人もいないだあ」と。)

 

 それもあってか(?)、こういう抗議文がYouTubeに届くと、それはそのまま私のところに回送されてくる。

(ほかの方のケースは知らない。念のため。)

メモが添えられることもある。

「(ロボットにより)、一時的に制限がかかりましたが、x月x日に、解除します」とか、など。

 

 一般には、YouTubeでは、1チャンネル、1万本まで、1日、20本まで、というような取り決めがあるそうだ。

(これはあくまでも風聞。)

が、私の動画のばあい、すでに1万6000本を超えている。

1日に20本以上発行するときもある。

が、いっさい、おとがめなし。

つまりそこは民間。

民間企業。

 

 YouTube社としても、結局はコマーシャル料で運営している。

それが良質な動画であり、スポンサーが望むなら、YouTube社としては、何も言わない(?)。

つまり私の動画は、その良質な動画(?)。

 

(1)  内容がよい。

(2)  時間をかけて制作している。

(3)  思想も穏便。

(以上、自己評価。)

 

 だから昨日はこう書いてきた。

 

“Congratulatuons ! Your hard work paid off…”(おめでとう! あなたの熱心な仕事が報われましたね)と。

 

 そういえば、2、3年前、YouTube社のKさんと電話で話したとき、私はこう言った。

「もう少しコマーシャル料が多いとうれしいのですが・・・」と。

で、Kさんはこう教えてくれた。

「私どもでは何ともなりません。スポンサーのオークションで決まりますから」と。

 

 コマーシャルを載せるかどうかは、スポンサーの意向によって決まるということ。

その点、私の動画は、スポンサー好みではないらしい。

どこか宗教ぽい?

自分でもそれがよくわかっている。

 

 ・・・ともあれ、つまり私の動画作りは、こういう人たちによって支えられている。

いろいろなところで、いろいろな人に助けられている。

内々で協力してもらっている。

(こういう協力があるのも、結局は「民間」であるがゆえのこと。公的な機関では、そうはいかない。)

 

 が、これが今日のテーマではない。

こうした一連の流れ、つまり一連のやりとりの中に、何かしらのむなしさを覚える。

つまりはどうでもよい話。

著作権侵害とか、コマーシャルとか、スポンサーとか・・・。

さらにはアクセス数がどうのこうのとか、チャンネル登録者数がどうのこうのとか・・・。

こうしたやりとりを繰り返していると、そのどうでもよい話の中に巻き込まれていく。

そのために、そのつどむなしさを覚える。

 

 無意味さ?

それを覚える。

 

 なぜか?

どうしてか?

 

 今日は、それについて考えてみたい。

 

●神との出会い

 

 神との出会いを公言する人が、多くなった?

UFOに乗せてもらった、エイリアンを見た、怪奇現象を経験している・・・。

そういう話を見聞きするたびに、こう思う。

「時代が変わりつつあるなあ」と。

 

 というのも、私のばあい、そういった話はできなかった。

たった5年前にはできなかった。

 

2016年9月と10月の大豪雨事件のときも、そうだ。

恐ろしいほどの重圧感。

その重圧感との闘いだった。

人に話せば、即、「頭のおかしい人」と、そう思われるのが、自分でのよくわかっていた。

またワイフも、いつも私にこう言った。

「そういう話は、人に話してはだめよ」と。

 

 が、あったことはあった。

聞いたものは、聞いた。

同時に、あの恐怖感。

「頭が狂ったのかもしれない」という恐怖感。

私はそのとき、即座に、脳の器質的な病気を疑った。

 

 脳の病気にもいろいろある。

機能的に変調をきたすような病気もあれば、脳の器質そのものが狂うような病気もある。

つまりはDNAレベルの病気ということになる。

たとえて言うなら、悪性腫瘍のようなもの。

自分の病気であって、自分の病気ではないような病気をいう。

 

 ・・・で、そういう話を見聞きするたびに、こう思う。

「みなは、平気なのだろうか」と。

「どうしてそういう話を、平気でできるのだろうか」と。

 

●信頼関係

 

 人と人の関係は、信頼関係で決まる。

同じように、(上の人)と人との関係は、信頼関係で決まる。

その信頼関係なくして、(関係)はない。

 

 たとえば2018年4月、私はパーティ事件を経験した。

それについて書くが、この話は、今まで他人には話せなかった。

ともかくも、こういう事件だった。

 

++++++++++++++

 

8時間の大手術の翌朝のことだった。

時刻は、9~10時だった?

8~9時ではない。

10~11時でもない。

だから9~10時?

 

 ・・・その早朝、私は絶望感の中で、死ぬことだけを考えていた。

「どうすればこの窓のガラスを破ることができるだろうか」と。

 

 個室は病棟の7階だった。

それでそう思った。

が、その朝、そのとき、あのパーティ事件が起きた。

うたた寝から目を覚ますと、天井から華やかなパーティ会場を思わせる音が聞こえてきた。

若い男と、それにつづく10人~前後の人の声。

若い女性の声。

笑い声と、わいわい騒ぐ声。

キャッキャッ、ワイワイ・・・。

個室が、そんな音で包まれた。

 

 音は小さくはなかった。

壁をはさんで、隣の部屋から聞こえてくるといったふうだった。

かなり大きな音だった。

 

 瞬間私は、若い医師の送別会でもしているのだと思った。

同時に、「病院の先生たちも、裏では結構楽しそうに過ごしているのだな」と。

時折、若い男性が、何やらあいさつをしているような声も、混ざった。

が、声は明確ではなかった。

ボンボンと部屋の壁にこだまするような声だった。

何かを話してはいるようだったが、何を話しているかまではわからなかった。

 

 私は体中に巻かれたチューブなどを気にしながら、動くこともできなかった。

ただぼんやりと、その様子を聞いていた。

そしてそれが1時間近くもつづいた。

 

●奇妙なパーティ?

 

 その前に、私はまたあの豪雨の音を聞いている。

それに先立つ、午前6時だった。

正確に午前6時だった。

時間は、20~30秒前後。

小さな音だった。

聞き覚えのある音だった。

大豪雨事件のときに聞いた、あの雨の音だった。

で、そのときはこう思った。

「手術のあとには、耳鳴りの音も、変わることもあるのだな」と。

 

 それから3時間後。

そのパーティは、若い男性の声で始まった。

何を言っているかまではわからなかったが、何かのあいさつのようだった。

「私は・・・もごもご・・・あのう、それで・・・もごもご・・・」というような感じだった。

 

 が、そのあとのこと。

私はそれを聞きながら、こう思った。

「こういうときは、ふつう拍手があるものだがなあ」と。

結婚式の披露宴では、そのつど皆は拍手する。

が、その拍手は、まったくなかった。

あいさつ(?)につづく拍手は、まったくなかった。

かわって、若い女性たちの華やかな、はしゃぐ声・・・。

キャッ、キャッ、ワイワイ、ガヤガヤ・・・と。

ふと気がつくと、15分~20分周期で、それが繰り返されているのではないかと思った。

つまりしばらくすると、また若い男が、あいさつらしきものを始めた。

そしてそれにかわって、また若い女性たちの華やかな、はしゃぐ声・・・。

それが繰り返された。

 

 一、二度、途中で、「うるさいなあ」と思った。

思って、私は頭を動かし、右耳を枕で塞いだ。

(私の左耳は、聞こえない。つまりそうすれば、いつもだったら、静かになる。)

が、音はそのまま聞こえてきた。

「おかしいな・・・」とは思ったが、それほど気にしなかった。

 

●消えた音

 

 そういう音が、1時間もつづいた。

が、私は、今から思うと、どこか投げやりになっていたと思う。

放心状態?

それどころではなかった。

生きている自分を支えるだけで、精一杯?

ただひたすら、ぼんやりとその音を聞いていた。

 

 が、1時間もすると、ふとこんな気持ちになった。

「いったい、この人たちは何を話しているのだろう」と。

そこで何度目かに若い男が何かを話し始めたときのこと。

私は思いきって右手を耳にかざし、その音の方向に向け、頭を動かした。

 

 ・・・とたん、つまりその瞬間、その会場の音は、かき消すかのように消えた。

まったく消えた。

ツンともスンとも聞こえなくなった。

まったく消えた。

 

 プツンと消えたのではなく、急激にデクレッシェンドして消えた。

そのあとは、静寂。

まったくの静寂。

椅子を片付けたりする音も聞こえなくなった。

とたん、寒気が走った?

 

 そのあと、2人の看護師さんが、間をおいて部屋の中に入ってきた。

それぞれの看護師さんに、私は同じ質問をした。

 

私「この上の階の部屋は、会議室か何かですか」

看護師「ここと同じ病室です」

私「隣の部屋は会議室ですか」

看「病室です」

私「こちらの部屋は会議室ですか」

看「そちらは階段になっています」

私「下の階は・・・」

看「同じ病室です」と。

 

 ・・・私はすかさず、ワイフに電話をした。

たぶんその朝は、ワイフは昼過ぎに来ることになっていた。

が、私はすぐ来てほしいと願った。

ワイフは「すぐ支度して行くから」と言った。

 

●翌日

 

 またまたあの会話。

繰り返し繰り返しつづく、あの会話。

こうした事件がおきるたびに、そうだった。

そのときもそうだった。

 

私「確かに聞いた」

ワ「信ずるわ」

私「確かにパーティの音だった」

ワ「信ずるわ」と。

 

 その日もそんな会話が繰り返された。

そしてその翌日も、顔を合わせると、すぐその話になった。

が、そのときワイフがこう言った。

私の顔をのぞきながら、ポツリと言った。

 

「きっと(上の人が)励ましに来てくれたのよ」と。

とたんそれまでふんばっていた足が、土俵からはずれた。

はずれて私はオイオイと泣き始めた・・・。

 

●信頼関係

 

 実は、ここではパーティ事件の話をするつもりはなかった。

またこの話はしたくなかった。

私が大病を患い、8時間もの手術を受けた話がからんでくる。

その話はしたくなかった。

・・・したくない。

 

 それに今は完治状態とはいえ、満5年までに、まだ2年もある。

「再発、転移なしの5年生存率は、70%」(当時)と。

少し前の診断結果には、そうあった。

現在(2021年2月)は、それが80~90%。

2年後の再発の可能性は、ゼロではない。

また、よくなったとはいえ、明日のことはわからない。

だから人には話したくない。・・・話せない。

 

 が、ここで私が話したいことは、信頼関係。

私と(上の人)との間は、その信頼関係で成り立っている。

その信頼関係だけは、傷つけたくない。

つまりウソは書きたくない。

またウソを書いて、何になる?

何の利益がある?

仮に何かの利益があるとしても、信頼関係を崩すことによる損失と比べたら、利益といっても、その利益は腸から出るガスのようなもの。

 

 その前に、ワイフと私の信頼関係も崩れる。

それほどまでの犠牲を払いながら、ウソをつく人はいない。

さらに言えば、こうした事件の数々をおもしろおかしく他人に話して、何の利益がある?

さらにさらに言えば、そういう私の姿を見て、上の人は、私にあきれるかもしれない。

「はやし浩司は、俗物だった」と。

 

 私には、それがこわい。

こわくてたまらない。

上の人との信頼関係を、こわしたくない。

 

●話を戻す

 

 私は最初のところで、こう書いた。

 

『・・・神との出会いを公言する人が、多くなった?

UFOに乗せてもらった、エイリアンを見た、怪奇現象を経験している・・・。

そういう話を見聞きするたびに、こう思う。

「時代が変わりつつある」と。』

 

 で、そのたびに、私はあの朝のパーティ事件(2018年4月)を思い起こす。

そういった人たちの話が事実であるにせよ、あるいはそうでないにせよ、「そういうものではないのだがなあ・・・」と。

 

 逆に、本当にそういう経験をしたのなら、他人には話せないはず、と。

「頭のおかしな人に思われるから」とか、そういうことではない。

「他人には話せないはず」と。

 

 言い換えると、上の人と私たちの関係は、信頼関係で成り立っている。

そういうことを軽々に、他人に話すこと自体、その信頼関係を傷つけることになる。

少なくとも私のばあいは、できなかった。

言うなればその信頼関係は、薄いガラスでできたガラス箱のようなもの。

さらにその上にウソを混ぜれば、壊れる。

その信頼関係は崩壊する。

 

 その重圧感。

息もできないほどの重圧感。

 

●番外

 

 「UFOに乗せてもらった」「エイリアンを見た」「怪奇現象を経験した」と。

 

 もしそれが本当なら、その瞬間、意識は宇宙の彼方へと飛ぶ。

わかりやすく言えば、人間世界を超越する。

もっとわかりやすく言えば、人間世界など、どうでもよくなる。

 

 猿ヶ島の猿の世界から、一匹の猿が外へ飛び出た。

そういう状態になる。

で、その猿はそれまで自分がいた猿ヶ島を見る。

そしてこう思う。

「私はあんな世界にいたのか!」と。

同時に、その世界には戻れなくなる。

 

 ・・・そこまでの意識変革をするのは、人間のばあい容易なことではない。

つまり人間世界と決別するのは、容易なことではない。

混乱と葛藤がつづく。

不安と恐怖もつづく。

簡単ではない。

それに時間もかかる。

また私は私。

私の経験が、みなに共通するとは、私も思っていない。

 

 しかしUFOに乗せてもらった・・・?

 

 もしそうなら、想像を絶するほどの衝撃と恐怖を覚えたはず。

同時に、もしそうならそれほどまでの奇跡に、感動し、上の人に感謝したはず。

同時にひょっとしたら、人間世界には戻れなくなるかもしれない。

そうした心の変遷をすべて飛び越えて、再び、また人間世界へ?

 

 中にはかなりの知名人で、テレビのバラエティ番組などでそれを話している人もいる。

体験談と称して話している人もいる。

が、そういうことができること自体、矛盾している。

その前に、上の人との信頼関係は、どうなる?

それをどう考えているのか?

 

 これは私の場合だが、2016年の翌年。

2017年の間に、5~6社のテレビ局から出演依頼があった。

が、すべて断った。

どれもどこか変?

司会者なる人物が、どれもお笑いタレント。

そんな番組に出て、(上の人)の話?

神の話?

 

 F局については、私の動画のあちこちから内容を切りぬいて、それをほかの出演者と討論(?)する形式になっていた。

しかも5~7回分のスケジュールが組まれていた。

討論?

お笑いタレントと討論?

日ごろからデタラメなことばかりをしゃべっているデタラメ人間。

そんなデタラメ人間と討論?

で、電話口で喧嘩になってしまった。

 

 つまりそのときですら、私は(上の人)の存在をそこに感じていた。

2016年11月の「今、行くよ」事件を経験した。

で、そうした事件は、私にとっては、厳粛な、どこまでも厳粛なもの。

神聖なもの。

もっと言えば、真剣勝負。

命がけ。

 

 それを思ったら、猿の世界には戻れない。

戻りたくない。

戻れば戻ったで、私は(上の人)との信頼関係を失うことになる。

だからこう思う。

 

「上の人をダシにして金儲けをたくらむ人もいるだろう。名声や地位をもくろむ人もいるだろう。しかしそういう人は、上の人との信頼関係をどう考えているのだろう」と。

あるいはもともと信頼関係などないのではないか。

それがあれば、とてもそんなことはできない。

(そんなこと)の中には、宗教も含まれる。

新興宗教も含まれる。

テレビのバラエティ番組など、番外中の番外!

論外中の論外!

 

●結論

 

 動画作り、そしてそれを発表する。

それはまさに私にとっては、命がけ。

真剣勝負。

 

 相手は(上の人)。

だからこそ、命がけ。

真剣勝負。

 

 それがわかってほしかったら、この原稿を書いた。

 

『・・・が、こうした一連の流れの中に、何かしらのむなしさを覚える。

つまりはどうでもよい話。

そのどうでもよい話の中に巻き込まれていく。

そのために、そのつど違和感を覚える』と。

 

 つまりはその違和感は、結局は、自分との闘いということになる。

ふと油断すると、その違和感の渦の中に巻き込まれる。

で、気がついてみると、そこに現実世界でもがいている自分がいるのを知る。

 

 アクセス数?

パクリ?

いやがらせ?

 

 そういうものに否応なしに巻き込まれていく。

そんな自分が、そこにいる。

 

 ・・・今の私はそんな自分とも闘っている?

闘わねばならない。

(2021年2月21日記)

 

 

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●一連の怪光事件は何だったのか?

 

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UFOに乗った?

 

 ときどき「私はUFOに乗せてもらった」という人の報告が届く。

数日前にもあった。

ある視聴者からの連絡だった。

 

 で、その人のサイトを調べてみると、そのときの様子が詳しく書いてあった。

写真らしきものも、紹介してあった。

 

さらに昨日のこと。

ワイフがこんな話をしてくれた。

何でもその男性(アメリカ人)は、UFOにアブダクトされたのではないか、と。

状況的に考えると、1~2時間の空白時間があるという。

詳しい内容はともかくも、そうした話を見聞きするたびに、私はこう思う。

 

「本当かな?」と。

 

つまりそういった話は、まず疑う。・・・疑うというより、すなおに私の頭の中に入ってこない。

というのも、同時に、この世界にはインチキ、ウソが多い。

あまりにも多い。

中には、妄想を信じている人もいる。

このタイプの人は、ウソをウソと自覚しないまま、ウソを言う。

あるいはウソを、本当だと、自分で自分をだましてしまう。

ただ単なる思い込みとはちがう。

本気で妄想の世界に入ってしまう。

 

そういった話に、私はさんざん騙(だま)された。・・・騙されてきた。

そういった経験が、私をして、懐疑的にさせる。

 

●私の問題

 

 が、これは同時に、私の問題でもある。

端的に言えば、今度は、世間の人は私をそういう目で見ている。

私の話をそういうふうに聞いている。

何かのことでそんな話をすると、相手の人は、すかさず(その種の反応)を見せる。

 

 「本当かな?」と。

 

 それが自分でもよくわかる。

同時に、その瞬間、その相手の人は私を一歩、外に置く。

遠ざける。

それもよくわかる。

 

そういったことを私も、さんざん経験してきた。

だから私も、そしてワイフも、そういった話を、人にはしない。

話さない。

わかりやすく言えば、その瞬間、その相手の人は、私の脳みそを疑う。

「こいつは頭がおかしい」と。

それがよくわかる。

自分でもそれがよくわかる。

 

●頭のおかしな人

 

 脳みその中には、盲点がある。

私はそれを、「脳のエアーポケット」と呼んでいる。

よい例が、宗教。

いろいろな例がある。・・・ありすぎる。

 

が、それについて書くのは今日のこの原稿の目的ではない。

ないが、そのエアーポケットに入ってしまうと、言動そのものがおかしくなる。

それこそその宗教団体のロボットのようになってしまう。

ロボットになって、その宗教団体のよいように操られてしまう。

経済活動はもとより、政治活動までするようになる。

さらに言えば、イワシの頭も信心から?

 

ある宗教団体では、教祖が亡くなったあと、3か月近くもその死体をそのままにしていたという。

「まだ死んでいない。教祖様は、必ず復活する」と。

そして警察が入り、その死体を運び出そうとしたとき、信者たちは猛烈にそれに抵抗したという(2000年ごろ、記憶)。

 

 つまりそういう人たちを、世間一般では、頭のおかしい人という。

 

●心

 

 要するに、何を考えているかわからない。

そういった状態になる。

表面的にはどうであっても、心は別世界にいる。

うわべのつきあいはできても、心は閉ざしたまま。

つかみどころがない。

そういった状態になる。

 

 だから遠ざける。

距離を置く。

よい例が、この私自身である。

 

 たとえば私は、100%、疑う余地もないほど、UFOの存在を信じている。

みじんも疑ったことはない。

が、そんな私でも「私はUFOに乗せてもらったことがある」という話を聞くと、その話を疑う。

その人を疑う。

その人の脳みそを疑う。

「この人はだいじょうぶかな?」と。

 

 なぜか?

 

●現実主義

 

 ところで私は、今も、昔も、現実主義者である。

現実こそが、私の基盤。

現実を離れての「私」はいない。

現実を離れて、私はものを考えない。

つまりいくらUFOや宇宙人の話をしても、現実的。

わかりやすく言えば、証拠。

証拠主義。

現実的な証拠がなければ、私はそれを信じない。

信じないというより、思考回路の中に入ってこない。

 

 神にしてもしかり。

 

 いくら神の存在を信じても、それはそれ。

生活費は自分で稼ぐ。

病気になれば自分で治す。

近隣や親類で、何かトラブルがあれば、自分で解決する。

もちろん仕事もする。

 

・・・というか、今まで、いわゆる『神頼み』なるものをしたことがない。

またそれをしたところで、それがどうなるのか。

 

 話がそれたが、神にしても、私にとって重要なことは、証拠。

いくら相手が神でも、証拠がなければ、私はそれを信じない。

私自身を納得させるような証拠がなければ、私はそれを信じない。

 

 で、今日のエッセーの表題は、こうした。

「一連の怪光事件は何だったのか」と。

 

●怪光事件

 

 怪光事件については、たびたび書いてきた。

 

(1)  赤い怪光事件(2018年7月)

(2)  白い怪光事件(2018年8月)

(3)  黄金色の怪光事件(2019年4月)

(4)  緑色の怪光事件(2019年9月)

(5)  横浜UFO事件(2019年10月)

(6)  黄金色の六芒星事件(2019年12月)

 

 そのほかにも、私や私のワイフの周辺では、さまざまな事件が起きた。

が、こうした怪光事件が起きるたびに、そうした周辺で起きた事件は、影を潜めた。

つまりどうでもよくなってしまった。

私とワイフの間の会話で、話題になることも少なくなった。

 

 が、こうした怪光事件には、もうひとつ別の謎があった。

そのつど、その謎は大きく膨らんできた。

つまりこれらの事件は、すべて、私の背中側で起きた、ということ。

例外なく、背中側。

つまり、私自身は何も見ていない。

なぜ、いつも背中側なのか。

 

 私の左肩の上、あるいは私の左わき腹で起きた事件もあるにはあったが、私には見えなかった。

また緑の怪光事件のときも、私の目の周辺で起きた事件だったが、私には見えなかった。

その瞬間「やけにまぶしいな」とは思った。

が、それだけ。

 

 なぜか?

 

 なぜ、私の背中側ばかりで起きたのか?

なぜ私だけ、それを見ることができなかったのか?

 

●疎外感

 

 そうした事件がつづくたびに、私は、ある種の疎外感を覚えた。

仲間外れにあったというような疎外感である。

で、そのつどワイフに、こう言った。

「またぼくだけ、のけ者かな?」と。

 

 事実、その間にも、私のワイフは何度かUFOを身近で目撃している。

青白のツートンカラーのUFO。

寝室を飛び回る赤いUFO(2回)。

白い怪光、など。

 

 が、私は見ていない。

私はまったく見ていない。

で、それについて私が愚痴をこぼすたびに、ワイフはこう言う。

 

「あなたは本体を見せてもらったのだから、それでいいじゃない?」と。

 

 本体というのは、2016年11月28日の朝の、『今行くよ』事件で見せてもらったV字型のUFOを指す。

あの朝、私はそれを見せてもらった。

間近で見せてもらった。

「だからあなたには、もう必要はないのよ」と。

 

が、それだけ。

それ以後、直接見せてもらったものは何もない。

2019年に入ってからは、ビデオにも撮影されるようになったが、「直接」ではない。

 

●神の意図

 

 こうした流れの中で、私はそこに神の意図を感ずるようになった。

それが冒頭で書いた話へとつながっていく。

 

 私はこう書いた。

 

『・・・「本当かな?」と。

 

つまりそういった話は、まず疑う。・・・疑うというより、すなおに頭の中に入ってこない。

というのも、同時に、この世界にはインチキ、ウソが多い。

あまりにも多い。

中には、妄想を信じている人もいる。

ウソをウソと自覚しないまま、ウソを言う。

ただ単なる思い込みとはちがう。

本気で妄想の世界に入ってしまう。

 

そういった話に、私はさんざん騙(だま)された。・・・騙されてきた。

そういった経験が、私をして、懐疑的にさせる』と。

 

 つまり上の人は、あえて、そしてわざと私には、そうした怪光を見せなかった、と。

このことは逆に考えてみればわかる。

 






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最終更新日  2024年09月27日 20時47分10秒



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