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●2012年07月10日
……ということで、今朝の私はすこぶる快調! ひさびさに、曇り空の向こうに、黄金の太陽の輝きを見た。
(宗市へ)
Akiko & I are so much proud of you!
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Thank you for the big good news!【F先生への返信】 (F先生・・・H総合病院、小児科医)
おはようございます。 私は毎日、30分x4回、計 2時間の運動(ランニングマシンの 上で、早歩き)をしています。 そのときのことです。
昨日は、1回目で右膝に軽い痛み、 2回目で、やや痛くなり、 3回目で、かなり痛くなり、 4回目で、左足だけで走行している ような状態になり、「これはまずい」と、 午後8時半に就寝。
今、午前4時10分。 今のところ、膝上の筋肉痛みのみ。 やれやれ。
これから6時まで、電子マガジンの原稿書き、です。 寒いので、ベッドの中で、です。 3年前に入院したとき、電動ベッドを経験し、 「これはいい」と、以来、我が家でも、電動ベッドに しました。 以来、大半の原稿書きは、ベッドの中です。 深夜、もしくは早朝に書くようにしています。 ベッドを起こして書くようにしています。
以下、先にそのマガジン用の原稿を書くことにしました。 あとでそれをコピーし、マガジン用の原稿として、 貼り付けることにしました。
++++++++++++++++++++++2021年1月17日用原稿
●今朝、あれこれ
2021年1月15日
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●健康寿命
「健康寿命」という言葉がある。 簡単に言えば、人は、ぽっくりとは死なないということ。 (ぽっくりと死ぬ人も多いが・・・。) 徐々に、死ぬ。 ある時期を過ぎると、そういう状態になる。 つまりそこでその人の健康は、寿命を迎える。 そのある時期を、「健康寿命」という。 言うなれば、そのあとは「死の儀式」を繰り返しながら、やがて死ぬ。 死に向かう。 (少し暗いかな?)
一般的には、(健康寿命)=(平均余命)-(マイナス)10年と言われている。 つまり何かの大病がなければ、その人の寿命ー10年が、健康寿命ということになる。 たとえば80歳でなくなる人は、80-10=70。 70歳くらいで健康寿命は尽き、それ以後は、10年くらいは病気(持病)との闘い。 それを繰り返しながら、最後は死ぬ。 が、病気といっても、いろいろある。
●家庭医学書
若い頃、学研という会社で、東洋医学に関する本を何冊か出したことがある。 そのとき横のデスクで、当時50歳くらいの女性編集長が、家庭医学の本を 編集していた。 が、それを見て、驚いた。 1ページに平均して、2~3項目の病気について解説していた。 が、それがなんと数千項目! 全体で800ページほどの分厚い本だった。 「よくもまあ、これほどまで種類が多いものだ!」と。
で、私はこう思った。 「病気というのは、運と確率の問題」と。 宝くじは、数千本に1本くらい当たる。 病気は、その逆。 一人に数千本! 当たりが数千本。 はずれ=健康が、たった一本。 言い換えると、「病気とは無縁で、健康でいるほうが、難しい」とも。
が、これとて、「運がよければ」の話。 健康寿命~死亡までに10年、ある。 その間に、大病はもちろんのこと、事故、災難もある。 加えて持病の悪化。 そうした不運(?)が、累乗的かつ不可逆的に多くなる。 (少し、暗いかな?)
●老後は、闘い
若い人は、こう考えているにちがいない。 私も、そう考えていた。 「老人は、気楽だ。庭いじりと孫の世話。それが理想の老後」と。
が、実際、年を取ると、それがそうではないことを知る。 そんな甘いものではない。 ざっと言えば、老後は、まさに闘い。 闘いの連続。 一日、一日が闘い。 健康維持だけで、大半の時間が過ぎる。 油断は禁物。 油断したとたん、ドスンと落とされる。 何があるかわからない。 何しろ「数千種類」!
が、その「油断」には、もうひとつ、別の意味がある。
●膝痛
私は毎日、30分x4回のランニングをしている。 ランニングマシンの上で走っている。 時速は、5~6キロ前後。 4~5年前は、6~7キロだったが、今は、もう無理。 感じとしては、やや駆け足。 この5~6年、それを一日も欠かしたことがない。 が、昨日、異変が起きた。
たいてい朝起きると、1回目をする。 それを今、私は「貧者の暖房」と呼んでいる。 走り始めて、5~10分もすると、体がぽかぽかと暖かくなる。 それでそう呼んでいる。
が、そのときのこと。 右膝に、ツンツンとした痛みを感じた。 で、2回目、3回目は、正午前。 回を重ねるごとに、痛みがひどくなった。
で、午後からは、山の家に。 お決まりの水道工事をし、Netflixで、映画を見た。 山の家では、私が料理することになっている。 で、料理した。 夕食を食べた。 そのあと浜松市内の自宅に帰り、4回目。
膝の痛みは激痛に近かった。 が、走った。 左足だけで走った。 右足は、ただぶらさがっているだけ。 そんな走り方で、ともかくも走った。
その4回目が終わると、そのままベッドへ。 午後8時半ごろだった。
●ブッダ
話は変わるが、ブッダの生誕地に残る発句経に、こんな説話がある。
(1)あるときブッダのところへ一人の男がやってきた。 そしてブッダにこう言った。
「ブッダよ、ブッダ、私は明日死ぬことになるかもしれない。 こわい、さみしい、つらい、どうしたらいいか」と。
するとブッダは、こう答えたという。 「明日のないことを嘆いてはいけませんよ。 今日まで生きてきたことを、喜び、感謝しなさいよ」(法句経)と。
そしてこう言った。 (2)「死ぬことを心配してはいけませんよ。 今、本当の意味で生きてるかどうか、それを心配しなさいよ」(法句経)と。
(1)と(2)の説話は、別々の話ということになっている。 法句経にはこうした断片的な教えが並んでいる。 が、私は、この2つの話は(1)(2)と、連続していると思う。 で、私はここでは、こうして2つの話をつなげた。
●生きる
老後は闘い。 それはそれだが、問題は、なぜ闘うか。 何のために、どうして、そして何と闘うのか。 わかりやすく言えば、「ただ息(いき)る」だけでは、生きていることには ならない。 古くは、「息(いき)をしている」ことを、「生(いき)きている」と言ったらしい。
ところが、老後には、その目的がない。 目的がはっきりしない。 だから、そこはまさに死の待合室。 待合室に順に並んで、ただ死を待つ。 日々をなんとなく過ごして、死を待つ。
が、それではブッダの言葉を借りるなら、「本当の意味で生きている」のではなく、 ただ生きているだけ。 が、これでは生きている意味がない。 (少し、暗いかな?)
●命の使い方
命が、そこにある。 たしかにある。 だったら、その命をどう使うか。 たとえて言うなら、お金と同じ。 稼いだ、お金と同じ。 お金を稼いだら、それをどう使うか。 問題は、その使い方。 ただ(稼ぐ)だけで終わってはいけない。
・・・もっとも、こうした悩みは、ぜいたくな悩みかもしれない。 今、このコロナ惨事下。 多くの人たちが職を失い、収入の道を断たれている。 「食べていくだけで、精一杯」という人も多い。 そんな中、「どう使うか」と悩むのは、ぜいたくな悩みかもしれない。 が、あえて、悩む。 そして自問する。
「私は本当の意味で生きているのか」と。
●「本当の意味」
稼いだお金で、享楽的に生きている人は多い。 ほとんどがそうではないか。 同じように、せっかくそこにある命を、蹴散らして生きている人は多い。 老人とて、例外ではない。
知人にこんな人がいる。 昔からの代々の農家で、言うなれば財産家である。 農地を宅地化し、アパートや貸し事務所を建てた。 貸しビルももっている。 それなりに苦労はあったというが、豪勢な生活をしている。 コロナ災害の前は、高級外車を乗り回し、毎月のように旅行をしていた。 今も、基本的には、同じような生活をしている。 年齢は、今年、80歳になる。
が、そんな人にも、寿命はやってくる。・・・やってきた。 この10年間は、まさに病気との闘い。 「私は病気のデパートのような人間です」と言っては笑っている。 痛風に始まり、糖尿病、高血圧などなど。 加えて7~8年前には前立腺がんを患った。 さらに脳梗塞。 2度ほど、片目の視力を完全に失うという病気にもなっている。 (幸い、短時間の一時的なものだったというが、油断はできない。)
で、そういう老人というか、知人を見ていると、ふとこう思う。 「この人は、本当の意味で、生きているのか」と。 と、同時にそのまま私は、自分を見つめなおす。 「私は本当の意味で生きているのか」と。
が、誤解しないでほしい。 私はその知人を、けっして悪く言っているのではない。 その知人と私は、どこもちがわない。 同じ。 つまり私も、結局は、ただ息(いき)ているだけ? 本当の意味では生きていない?
●運動
1日4回の運動は、きびしい。 たしかにきびしい。 私のばあい、その時間をつくるのがたいへん。 毎日、7~9時間の仕事をしている。 その間に、計2時間の運動をする。 それがたいへん。
で、その運動について、私はこう位置づけている。 「最初の2回は、今日のため。 つぎの2回は、明日のため」と。 が、問題は、その目的。 何のため、どうして?、と。
ふと油断すると、その目的が消えてしまう。 何のために仕事をしているのか。 何のために生きているのか。 それがわからなくなってしまう。 が、それではいけない。 「本当の意味で生きている」ということにはならない。 だから昔の賢人は、こう言い切った。
以前書いた原稿を、ここにつなげておく。 日付は、2006年12月30日になっている。
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『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』
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同じ時間なのに、それを濃く生きる 人と、そうでない人がいる。
濃く生きている人は、 1日を1年のように長く生きることが できる。
そうでない人は、1年を1日のように 生きる。
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●密度の濃い人生
時間はみな、平等に与えられる。 しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。 使い方によっては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。
濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、 ほどよい緊張感のある人生をいう。 薄い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、 ただその日を生きているだけという人生をいう。 人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。
そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。 しかし生きる目的も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、 なくすことだけを恐れて悶々と生きている人は、 それだけで見苦しい。 こんな人がいる。
先日、30年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、 私は「?」と思ってしまった。 同じように30年間を生きてきたはずなのに、 私の心を打つものが何もない。 話を聞くと、仕事から帰ってくると、毎日見るのは、 テレビの野球中継だけ。 休みはたいてい魚釣りかランニング。
「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。 「静かに考えることはあるの?」と聞くと、「何、それ?」と。 そういう人生からは、何も生まれない。
一方、80歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている 女性がいる。 「あなたをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こう言った。 「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。 そういう女性は美しい。輝いている。
前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。 同じことを同じように繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、 そのときは自分を変えるとき。 あのマーク・トーウェン(「トム・ソーヤ」の著者、1835~1910)も、 こう書いている。
「人と同じことをしていると感じたら、自分が変わるとき」と。
ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。 そこでここではもう一歩、話を進める。
●どうすればよいのか
ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。 問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。 私は「無我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。 私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭したときがある。 しかしそういう時代というのは、今、思い返しても、 何も残っていない。 私はたしかに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜まで、仕事をした。 しかし何も残っていない。
それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。 あの人口300万人のメルボルン市ですら、 日本人の留学生は私1人だけという時代だった。
そんなある日、だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。 「ここでの1日は、金沢で学生だったときの1年のように長く感ずる」と。
決してオーバーなことを書いたのではない。 私は本当にそう感じたから、そう書いた。 そういう時期というのは、今、振り返っても、私にとっては、 たいへん密度の濃い時代だったということになる。
となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。 これについては、私はまだ結論出せないが、あくまでもひとつの仮説として、 こんなことを考えてみた。
(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。 (2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。 (3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。 自分の中に、広い世界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。
とくに(3)の部分が重要。 派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いということにはならない。 密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世界の問題。 他人が認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。 認められないからといって、落胆することもないし、 認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。 あくまでも「私は私」。そういう生き方を前向きに貫くことこそ、 自分の人生を濃くすることになる。
ここに書いたように、これはまだ仮説。 この問題はテーマとして心の中に残し、 これから先、ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。
(追記)
もしあなたが今の人生の密度を、2倍にすれば、 あなたはほかの人より、2倍の人生を生きることができる。 10倍にすれば、10倍の人生を生きることができる。 仮にあと1年の人生と宣告されても、その密度を100倍にすれば、 ほかのひとの100年分を生きることができる。
極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。 『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』と。
朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはないということ。 私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。
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密度の濃い人生(2)
私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、 かっこうの集会場になっている。 風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、 いつも7~8人の老人がいる。
が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。 その空き地の一角には、小さな畑があるが、その畑の世話や、 ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。 男性たちはいつも、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。
私はいつもその前を通って仕事に行くが、いまだかって、 男性たちが何かの仕事をしている姿をみかけたことがない。 悪しき文化的性差(ジェンダー)が、こんなところにも生きている!
その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、 「のどかだな」と思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、 複雑に交錯する。「のどかだな」と思う部分は、 「私もそうしていたい」と思う部分だ。 しかし「これでいいのかな」と思う部分は、「私は老人になっても、 ああはなりたくない」と思う部分だ。私はこう考える。
人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、 同じことを繰り返しているだけなら、 それは「薄い人生」ということになる。言葉は悪いが、 ただ死を待つだけの人生。 そういう人生だったら、10年生きても、20年生きても、 へたをすれば、たった1日を生きたくらいの価値にしかならない。
しかし「濃い人生」を送れば、1日を、ほかの人の何倍も 長く生きることができる。 仮に密度を10倍にすれば、たった1年を、 10年分にして生きることができる。人生の長さというのは、 「時間の長さ」では決まらない。
そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、 あの老人たちは、何と自分の時間をムダにしていることか、 ということになる。 私は今、59歳になったところだが、そんな私でも、 つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことがある。 いわんや、70歳や80歳の老人たちをや!
私にはまだ知りたいことが山のようにある。 いや、本当のところ、その「山」があるのかないのかということもわからない。 が、あるらしいということだけはわかる。 いつも一つの山を越えると、その向こうにまた別の山があった。 今もある。だからこれからもそれが繰り返されるだろう。
で、死ぬまでにゴールへたどりつけるという自信はないが、 できるだけ先へ進んでみたい。 そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。
そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。 頭がボケたら、自分で考えられなくなる。 無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは思わない。 ボケるということは、思想的には「死」を意味する。 そうなればなったで、私はもう真理に近づくことはできない。 つまり私の人生は、そこで終わる。
実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。 あくまでも今の私がこう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつづけたい。 だから空き地に集まって、1日を何かをするでもなし、 しないでもなしというふうにして過ごす人生だけは、 絶対に、送りたくない」と。
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●2006年
2006年の原稿というから、今から、15年前ということになる。 たった15年前の原稿だが、今から思うと、「若造の文章だな」と思う。 「何を、生意気に」「偉そうに」と。
が、それから15年。 私の周辺は劇的に変化した。 とんでもない世界に入り込んでしまった。 だからこう思う。
「今日こそ、本当の意味で生きてやる」と。 今の私はその健康寿命も終わり、死の待合室にいる。 そうであるからこそ、さらに力をこめて、自分にこう言って聞かせる。 「今日こそ、本当の意味で生きてやる」と。
幸い、膝痛みは、朝、目をさますと消えていた。 朝、ベッドの中で恐る恐る足を動かしてみると、それは消えていた。 よかった! (2021年1月15日、記)
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●こつ然と現れた、医療ファイル
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●2020年3月21日
2020年3月21日、私の医療ファイルが、こつ然と消えた。 「こつ然」である。 それについてはたびたび書いてきた。
が、2021年1月4日、今度は、その医療ファイルがこつ然と、現れた。 場所は、ファイルが消えた本箱の後ろ。 壁との隙間が、7~8センチ前後。 その隙間に、そのファイルが立っていた。 掃除のとき、ワイフがそれを見つけた。 が、そんなところにそのファイルがあるはずがない。
その場所は、2020年3月21日にも、何度も探したところ。 しかもその隙間は、別棟の母屋との境目のところにある。 母屋には、ドアを通る。 引き戸のドア。 ドアを通る位置から、隙間がよく見える。 仮に私がその隙間に、医療ファイルを置いたとしても、10か月。 10か月近くも、そこにあったことになる。 10か月近くも、それに気づかなかったことになる。
が、記憶というのは、あいまい。 自分で自分を疑う。 「何度も探したところ」と言いながら、その「探した」という記憶がない。 記憶の断片もない。 ただ覚えているのは、その本箱と並んでそこにあるテレビ台を動かしたこと。 テレビ台を動かして、テレビの後ろを探した。 そのテレビ台は、大きく、重かった。 その「重かった」という記憶だけが、断片的に残っている。 だからワイフには、こう言った。 「テレビ台を動かして、その後ろを見たくらいだから、本箱の後ろも探したはず」と。
●疲労感
こうした事件が起きるたびに、疲れる。 本当に疲れる。 脳みその中を、ひっくり返すような衝撃。 そのつど、「ああでみない」「こうでもない」と混乱する。 たとえて言うなら、英語のテスト。 英語のテストを受けながら、懸命に忘れた単語を思い出そうとするような気分。
中学1年生のときのことだった。 テスト中に、「tomorrow(明日)」という単語が思い出せなかった。 で、やっと思い出したのだが、「ツモロー」だけ。 それが「tommorow」だったのか、「tommorrow」だったのか、それとも「tomorow」だったのか、わからなくなってしまった。 あえて言うなら、そのとき感じた「混乱」に似ている。 こういう事件が起きるたびに、その混乱が、幾重にも重なって起きる。
私「たしかにこの後ろは見たよな」 ワ「・・・見たわ・・・」 私「ドアを開けるたびに、見たよな・・・」 ワ「見えるがずよね・・・」と。
こんな会話が繰り返し、繰り返しつづく。 で、その結果、つまりどうでもよくなってしまった。 今の今も、そうだ。 こうして文章に書くのも、めんどう。 できれば書かないでいたい。 考えたくもない。 思い出したくもない。 つまり、もうどうでもよい?
●ニヒリズム
このところ、とんでもない(?)動画ばかり、発表している。 私自身は論理の帰結というか、「当然、そうなってしまった」というのが正しい。 昨日(2020-01-12)も、こんな動画を発表した。 『キリスト教でいう聖母マリアは、この日本で生まれ育った』と。
で、当然のことながら、反応、反響は、ほとんどない。 世間の話題にもならない。
もっともこの世界、インチキとデタラメがあまりにも多すぎる。 つまり世間一般の人たちは、私を、そういう目で見ている。 私のしていることを、そういう目で見ている。 いくら証拠を見せ、動画を見せても、そうだ。
つまりいくらなんでも、これでは私でもやる気を失う。 やる気を失って、当然。 自分という人間を客観的に見ても、そう思う。 「よく、がんばっているなあ」と。
・・・数か月前も、ナスカで新しい地上絵が見つかった。 ネコの絵だという。 で、すかさずその近くに住む協力者(日系人)に問い合わせると、こう話してくれた。 「あのあたりには、以前から階段はあったが、絵はなかったはず・・・」と。
つまりだれかが悪戯(いたずら)で描いたものである、と。
が、この日本では各テレビ局がいっせいに、それを報道した。 大騒ぎになった。 「世紀の大発見」風に、みな、騒いだ。
が、少しでもナスカの地上絵に詳しい人なら、そんなことはすぐわかるはず。 つまりインチキとすぐわかるはず。
ああ、私が今、相手にしている「世間」というのは、そういう世界。 本物とニセモノの区別もできない。 そういう世界。
●無私
「無視」ではなく、「無私」。 こういう世界で生きていくためには、無私しか、ない。 私と世間を切り離す。 世間がどう思おうと、知ったことではない。 構ったことではない。
真実を話したところで、真実がそのまま評価されるわけではない。 善を実行したところで、善がそのまま評価されるわけではない。 美を追求したところで、美がそのまま評価されるわけではない。
つまり私は私。 どこまでも私は私。
その私が、私を消しながら、生きる。 矛盾した考え方のように見えるが、要するに「評価されたいという私」を捨てる。 それしかない。 またそうでも考えないと、やっていかれない。
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(はやし浩司より、Fさんへ)2021年1月13日記
おはようございます。
このところ、コロナ感染、感染者、亡くなった方の ことばかり考えています。 そのためだんだんと感情が希薄になっていくようで、 こわいです。 つまり、心のどこかで、無気力感が生まれ、 それが「どうでもいい」というニヒリズム感へと つながっています。
当初は、たった数人の感染者(浜松市)で 驚いていた私ですが、 今では、それが何十人になっているにもかかわらず、 心のどこかで、「ああ、そう?」 で終わってしまっています。
あのね、率直に言って、浜松の人は、岐阜の人に比較して 「情」が薄いですね。 岐阜の人は、濃厚、濃密、深淵です。 ときにうるさいほど、です。 それこそ道路で人が倒れている人を見かけたりすると、 みなで大騒ぎをして、その人を助けたりします。
2年前も、バスで郷里の近くを旅していたときのことです。 「~~へ行くには、どこで下車したらいいですか」と 運転手さんに声をかけたら、乗客のみなさん(4~5人)が、 「~~で降りんさい」「いや、~~より、~~のほうが 歩きやすい」「近い」「景色がいい」と、大騒ぎに なってしまいました。
内心では、「しまった」と思っていました。 私は地元出身の人間であることを、言いそびれて しまいました。 で、最後までよそ者のようなふりをしながら、バスを おりました。 「ありがとう」を連発しながら、最後まで 手を振りました。 そしてこう思いました。 「これが岐阜なんだ」と。
みながみなに、やさしい。
その温情が今、どんどんと消えていきます。 私自身からも、消えていきます。 人の命が、どんどんと軽くなっていくような そんな気分です。 日本的にも、世界的にも、です。 人がどんどんと亡くなっているにもかかわらず、 その実感が心に響いてこない?
同時に、その「死」が近い、自分がそこに いることを知ります。 生きることをあきらめつつある自分です。 つまり毎朝、自分を奮い立たせるだけで 精一杯。 今朝も朝のランニングで、一日が始まります。 がんばります。 がんばるしかない・・・。
おはようございます。
はやし浩司
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FROM fairest creatures we desire increase, That thereby beauty's rose might never die, But as the riper should by time decease, His tender heir might bear his memory: But thou, contracted to thine own bright eyes, Feed'st thy light'st flame with self-substantial fuel, Making a famine where abundance lies, Thyself thy foe, to thy sweet self too cruel. Thou that art now the world's fresh ornament And only herald to the gaudy spring, Within thine own bud buriest thy content And, tender churl, makest waste in niggarding. Pity the world, or else this glutton be, To eat the world's due, by the grave and thee.
美しい人々を、私たちはもっと、もっと、ふやしたいよね。 だからね、美しいバラは、枯れ果てることはないんだよ。 しかしね、誰しも年老いてこの世を去っていくものなんだよ。 だからあとに残る人は、その記憶をやさしく心にとどめてほしい。 つまりあなたの明るい目でそれをしっかりと見ることなんだよ。 今度は、自分のエネルギーで、それを燃やすことなんだよ。 だれかが豊かになればなるほど、だれかが貧しくなるんだよ。 あなた自身があなたの敵なんだよ。 あなたの敵、あなたの甘い自己に残酷すぎる。 その芸術は今や世界の新鮮な装飾品です そして、派手な春を告げるだけです、 あなた自身のつぼみの中であなたのコンテンツを最も明るくする そして、柔らかいチャールは、niggardingで無駄になります。 世界を憐れんでください、さもなければこの大食いは、 墓とあなたによって、世界の期限を食べること。
++++++++++++++++++++++++++2021-1-10号
●宗教と科学
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●科学の解放
ある科学者がこう書いていた(日本経済新聞、2020年12月)。 記憶の中身を要約する。
「ルネッサンスにより、人間は宗教から解放され、科学を自由に研究することができるようになった」と。
言い換えると、それまでの世界は、宗教的弾圧によって、科学を自由に研究することができなかった、ということか? が、その科学者がまちがっていると言っているわけではない。 それが現代の今でも、一般的な常識ということになっている。 とくにルネッサンスについては、日本人のほとんどは、こう考えている。 「文明が開化した自由な時代」と。 あるいは「地中海の明るい陽光が輝く、すばらしい時代であった」と。
もっともこうした常識に対して、私はあえて異議を唱えるものではない。 またそこまでヘソが曲がっているわけではない。 皆が、「すばらしい時代だった」と言うなら、それはそれでよい。 が、気になるのは、こうした考え方が、一方で「宗教」そのものを否定しているということ。 わかりやすく言えば、宗教そのものを悪ととらえているということ、である。 「悪」とまでは言い過ぎかもしれない。 しかしそれに近い。 この日本では、「宗教」と聞いただけで、アレルギー反応を示す人は少なくない。 「神」という言葉については、なおさら。
たとえば英語国では、ごく日常的に、「God」という言葉を使っている。 が、この日本では、そうはいかない。 別れ際、だれかに、「神のご加護がありますように」などと言おうものなら、即座に白い目で見られる。
それはともかくも、宗教と科学は、いつも対立関係にある。 少なくともこの日本では、そういう前提で、日本人はものを考える。 その傾向は強い? その科学者も、そういう流れの中で、つまりそういう常識の中で、ものを考えている?
●宗教と宗教組織
最初に結論。 「神」と「宗教」は、分けて考える。 神と宗教を混同するから、話がおかしくなる。 神と宗教は、別。
で、その宗教だが、それは人間が作ったものである。 宗教という概念にしても、そうだ。 神なる人がいて、宗教を定義したわけではない。 あくまでも人間側が、勝手にそういう(?)概念を作り上げた。 あるいはあなたなら、宗教をどう定義づけるだろうか。 「宗教って、何」と聞かれたら、あなたならどう答えるだろうか。
さらに宗教団体(組織)となると、人間が作ったものである。 人間が勝手に作ったものである。 神が作ったわけではない。
で、その宗教や宗教団体には、いかがわしいものが多い。 どこか変、どこかおかしい、どこか狂っている。 表向きは宗教団体であっても、裏で、金儲けや政治活動に奔走している宗教団体にしても、いくらでもある。 (あるいは金儲けや政治活動が目的? そのために宗教を利用している?) 多くの人たちは、そういう宗教団体そのものに疑惑の念をもっている。 ついでにその疑念の念の中で、「神」を見る。
●いわしの頭
いわしの頭でも、それが神だと思えば、神になる。 何でもよい。 その人がその価値を認めるものなら、何だって信仰の対象になる。 つまり宗教の基礎になる。 それこそ、お金でもよい。 権力でもよい。 金権教というのも、立派な宗教である。
価値があるものと判断すれば、何だって宗教になりえる。 その人が意識しているとか、意識していないとか、そういうことは関係ない。 学歴信仰、国粋主義、民族主義、さらにはマルクス主義なども、立派な「宗教」である。 その中では価値観は固定され、その価値観が意識化される。 そのためものの考え方が、単純化され、統一化される。 同時に融通性を失い、それ以外の価値観を認めなくなる。 つまり「宗教」。
●神論
一方、その先に「神」がいる。 が、その神の定義は、さらに難しい。 一般的には、不可思議なもの、人知を超えたものを、あるいは神秘的なものを、「神」という。 原理的には、そういうことになる。
が、それこそ科学の進歩とともに、今までは、不可思議だったもの、人知を超えたもの、神秘的だったものが、どんどんとそうではなくなってきている。 わかりやすく言えば、今までは「神」だったものが、そうではなくなってきている。 つまり「神」が、どんどんと人間に近づいてきた? その境界が、あいまいになってきた? つまりその隙間を埋めてくれたのが、ET(外惑星人)の存在ということになる。
ETは、一方で、「人」であり、一方で、私たち人間にとっては「神」である。 少なくとも私は、そして少なくとも今は、そう考えている。 人間を、あるときは支配し、またあるときは指導してきたET。 それを私たち人間は、(上の人)、つまり「神」と位置づけている。
が、ここでいう神は、しかし人間ではない。
●神のテクノロジー
UFOにかぎらず、ETたちがもっているテクノロジーは、まさに人知を超えている。 それを現実的に実感したのは、2020年4月と10月に、私の書斎に現れた超小型のUFO群である。 そのときそのUFOは、電子辞書を突き抜け、机を突き抜けて飛んでいた。 まさに異次元の飛行方法である。 で、私はそうした飛行方法を、動画の分析で知ったとき、こう思った。
「とても人間には、かなわない」と。 さらに言えば、まさに神業(かみわざ)。
それ以前にも、私は画像転送(ビジョン)事件、音楽会(コンサート)事件、テレパシー事件などを経験している。 が、それらは人間でも、やがて手にすることができるであろうという意味で、まだ人間の能力の範囲内にある。 SF小説的な範囲で、技術的には理解できなくはない。 あるいは反対に、私の妄想、夢だったかもしれない。 そういう可能性もあるという点で、穴、つまり論理的な欠陥がある。
が、書斎で起きた事件は、まったく異質のものである。 動画に撮影されていた。 ちゃんとした証拠がある。 しかも超小型。 どれも数ミリ~2、3センチ前後。 そんなUFOが、部屋の中を自由に飛び回り、なおかつ物体をすり抜けて飛んでいた。
●分析
話は少し脱線するが、本物と偽物。 その違いは、そのモノを分析してみれば、すぐわかる。 本物は、分析すればするほど、つぎつぎと新しい謎が生まれてくる。 偽物は、メッキがすぐはがれる。
その動画にしても、分析すればするほど、新しい事実が浮かんできた。 たとえばその物体は、(1)後方に細かい光のパウダーをまき散らしながら、飛んでいた。 (2)周辺の空間が、ムニャムニャとゆがんでいた、など。 さらに調べていくと、これは一例だが、1996年にスペースシャトル・コロンビア号が捉えたUFOと同じであることがわかった、などなど。
偽物だったら、こうはいかない。 たとえばある女性は、こんな話をしてくれた。 若いころ、エイリアンにアブダクトされ、足に何かの物体をインプラントされたという。 で、電話でそのときの様子を、私は聞いた。
私「どんなベッドでしたか」 女「細い、体がやっと乗るような細い金属製のベッドでした」 私「怖くありませんでしたか」 女「怖かったです。グレイが3人、周りに立っていました」 私「体は動きましたか」 女「動かすことができませんでした」 私「どうしてインプラントされたとわかりましたか」 女「細長い棒のようなものを足首のところに突き刺しました。その棒の先には、三角形の小さなものがついていました。大きさは、2~3ミリくらいでした。で、その棒を抜き出したときには、その三角形のものは、消えていました」と。
私は、そこまで聞いて、その女性の話はウソと判断した。 あるいは皆さんなら、その理由がわかるだろうか。 理由は簡単。 細いベッドの上に寝させられた状態で、自分の足首を見ることはできない。 それに金属製の棒であったにせよ、その先がどうなっていたかなどといったことは、その女性にはわかるはずもない。 私も今までに胃カメラや大腸カメラを飲んだことが、何度かある。 が、その先端がどうなっていたかについては、まったく記憶にない。 大きさが、2~3ミリの三角形のものであるなら、なおさら。
わかりやすく言えば、偽物は、メッキがすぐはがれる。 ウソはすぐばれる。 が、私の動画の中に映り込んだ超小型のUFOは、ちがった。 調べれば調べるほど、別の事実が浮かんできた。 光のパウダー・・・。 空間のゆがみ・・・。
●横浜UFO事件
2019年10月27日、JR横浜駅近くの会館で、勉強会を開いた。 そこでのこと。 会場の窓の外を、長さが2~4メートル戦後のUFOが横切った。 その動画についての分析は、何度もした。 が、どうしても解けない謎が残った。
(1) 窓の外には、工事用の足場が組んであった。 (2) が、その足場(骨組み)の影は、動画の中には映っていなかった。 (3) が、UFOの形は映っていた。 (4) UFOが、足場の向こうを移動したなら、足場のパイプも映っていたはず。
で、翌月の2019年の11月に、ほぼ同じメンバーの方たちに集まってもらい、検証会を開いた。 工事用の足場は、そのままだった。 で、その日は小雨が降っていた。 が、そのときでも、部屋の中からは、足場のパイプの影は見えなかった。 そればかりか、一人の男性が、雨傘をもって窓の外の足場に立ってくれた。 そのときのこと。
雨傘を窓際近くまで寄せたとき、会場にいた人は、みなこう言った。 「それです、それです」と。
つまりそのUFOは、窓ガラスと足場の骨組みの間を、すり抜けたということになる。 幅は今となっては推定でしかわからないが、あっても30~40センチ。 その間をすり抜けたということになる。 が、そんなことはあるのだろうか。
そこで私は、今一度、そのときのビデオを再検証してみることにした。 その結果が、この動画である。
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そのときの、そのUFOは、確かに、窓ガラスと足場の骨組みの間をすり抜けていた。 が、それとて2020年の4月と10月に起きた事件があったからこそ、わかったこと。 そのとき超小型のUFOは、電子辞書や机を突き抜けて飛んでいた。 つまり私は、そして世界中の人は、UFOなる物体が、ものを突き抜けて飛ぶテクノロジーをもっていることは、はじめて知った。
横浜のUFO事件で現れたUFOは、同じテクノロジーを使っていた! つまり本物は本物。 調べれば調べるほど、ほかの事実とつながり、別の事実が浮かんでくる。
●神の力
それはまさに神の力。 人間には未知の力。 テクノロジー。
「人知を超えている」と書いたが、しかしどの程度、超えているのか? で、こんなことを考えた。 たとえば人間と、猿ヶ島に住む猿。 その差を、1とする。 それを基準にすると、ETと人間の差は、どれくらいか。 1か、それ以上か?
ただしETといってもいろいろいる。 たとえば火星人イギギと人間の差は、それほど、ない? しかしニビルのアヌンナキと人間の差は、もう少し、ある? が、物体をすり抜けて飛ばすことができるETと人間の差は、1以上?
もっともより高次な人たちからみれば、より低次の人たちは、それがよくわかる。 が、より低次な人たちからは、より高次な人たちがわからない。 理解できない。 つまり利口な人たちからは、バカな人たちがよくわかる。 が、バカな人たちからは、利口な人たちがわからない。
だからより低次な立場にいる人間には、その差がわからない。 が、ここではこのように言うことができる。 彼らは、人間の能力をはるかに超えたテクノロジーをもっている、と。 つまり、それが私たちがここでいう「神」ということになる。
そのときの検証動画をどうか、ご覧になってください。
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https://youtu.be/k4OH-YN409Y
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最終更新日
2024年09月27日 20時57分05秒
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