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楽天・日記 by はやし浩司

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育児問題

2009年07月01日
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カテゴリ:育児問題
●育児疲れ

+++++++++++++++++

子育ては重労働。
一瞬たりとも、気が抜けない。
そんな重圧感に苦しんでいる。
KNさん(母親・磐田市在住)も、
その1人。

+++++++++++++++++

【はやし浩司より、KNさんへ】

多分に、育児ノイローゼかと思います。
この時期、家事、育児、生活と、多忙が原因で、多くの人が、KNさんのようになります。
マタニィティブルーのようなものです。
症状も典型的なもので、とくにKNさんだけ……というものではありません。

KNさんは、メールを読んだ私の印象では、いわゆる気負い型ママということになります。
「はやし浩司 気負い型ママ」で検索してくださると、多分、いくつか記事を
ヒットすると思います。
一度試してみてください。

原因は、KNさん自身にるのではなく、あなたの実の両親にあると考えられます。
あなた自身と実の母との関係です。
あなた自身が、あなたの実の母との間の人間関係をうまく作ることができなかった。
遠い昔の、あなたの乳幼児期に、です。
心理学で言えば、「基本的信頼関係」の構築が、うまくできなかった(?)。

どこか権威主義的で、心を閉ざした母親……、そんなKNさんの実の母親の姿が、
想像されます。
しかしそれはあなたの責任ではなく、あなたの実の母の責任です。
不幸にして、あなた自身が、あなたの実の母の温かい、豊かな愛情に
恵まれなかった。

だから気負ってしまうのです。
自然な形で子育てができない。
どこかぎこちなく、ぎくしゃくしてしまう。

しかしこの問題は、そういう不幸な過去があるということではなく、それに気づかず、
それに振り回されてしまうということです。
一度、自分の心の中を冷静に観察してみてください。
そしてこう思うのです。

「私の責任ではない。私の生まれ育った環境の責任なのだ」とです。
1~5年と時間はかかりますが、あとは時間が解決してくれます。
(こうした心に深く根ざす問題は、簡単には解決しません。
しかしそれに気がつけば、向うのほうから、去っていきます。)

で、それが世代を超えて、今度は、KNさんが、KNさんのお子さんに対して、
同じことを繰り返しています。
子どもの心がうまくつかめず、今度はKNさんが、悩んでいるのです。
これを世代連鎖と言います。

つまり、あなたは自分の不幸な過去を、今、お子さんに対して、再現しているというわけです。

では、どうするか?

(1)まず、自分が過去に作られた人間であることに気がつくこと。
(2)あなたに親像、家庭像が入っていず、ぞれが気負い型ママになっていることに気がつくこと。
(3)この時期、多くの人がなりがちな、育児ノイローゼになっていることに気がつくこと。

が、ここが重要ですが、(4)どれもしかしほとんどの人が、そうなるというくらい多い問題ですから、自分を責めないこと、です。

私も不幸な家庭で生まれ育ち、若いころは苦労しました。
親像も家庭像も、満足にインプットされていませんでした。
だから私の子育ても、ぎこちないものでした。
毎日、「これでいいのか」「こんなふうにしていいのか」と、子育てをしながら、悩みました。
が、そのうち、こうしてみなさんからの相談を受けるうち、「なんだ、私も、みなと同じだア」と思うようになりました。

そう、外から見ると、みなうまくいっているように見えますが、それはそうではありません。
みな、もっと深刻な問題をかかえて、苦労しています。
そういう意味で、KNさんの悩みなどというのは、たいしたこと、ありません!

で、あまりイライラするようでしたら、私のばあいは、カルシウム剤をのんんだり、
市販のハーブ系の精神安定剤を服用したりして、対処しています。
あとはワイフの女性用のセパゾンというやはり安定剤を、ときどきのんでいます。
(これは医師に申し出れば、処方してくれます。穏やかな薬ですから、副作用は
ありません。私は1錠のむところを、いつも半分に割って、口の中で溶かしてのんでいます。
女性用のものですが、どういうわけか、私にも効きます。
あとは漢方薬で、ハンゲコウボク湯をのんでいます。
これも女性の精神安定剤(胃腸薬)としてよく使われているものです。)

で、ポイントは、あなたとご主人との関係です。
まず育児は重労働ということを理解してもらいます。
そういう方法は、ないものでしょうか。

そのためには、心を開いて、もっと甘えたらよいと思います。
そう、もっと心を開くのです。
気負い型ママというのは、問題をすべて自分で背負いこんでしまいます。
だから努めて、心を開きます。
ありのままの自分を、もっとさらけ出すのです。
言いたいことを言い、したいことをする。
これを心理学の世界では、自己開示といいます。

今は、閉そく感の中で、苦しいかもしれませんが、そこにある「運命」をそのまま受け入れてしまいます。
運命というのは、逆らえば逆らうほど、キバをむいてKNさんに襲いかかってきます。
が、受け入れてしまえば、向うから退散していきます。
「まあ、私の人生は、こんなもの」と割り切ればよいのです。

なお、子どもには当たらないこと。
子どもというのは、これから先の長い友だちです。
友としてとらえてください。
「友」としてとらえれば、あとはうまくいきます。
(今のKNさんは、親意識が強すぎると思います。
昔風の悪玉親意識です。
そんなものは、くだらないから、今すぐ、捨てなさい!)

で、今は、KNさんにはわからないかもしれませんが、KNさんは、(ふつうの女性)から、
1ランク上の(母親)に脱皮しようとしているのです。
この時期は苦しいかもしれませんが、うまく乗り越えて、よりすばらしい女性になってください。
またなれます。
苦しみ、悩みが、人間を成長させるのです。

そうそう今は苦しいかもしれませんが、そろそろ自分のしたいことを見つけ、その準備もしておくといいですよ。
やがてすぐ子どもは親離れしていきますから……。
あなたはあなたでしたいことを発見し、それに向かって前向きに進んでいくのです。
子育てに埋没してしまうと、自分の姿が見えなくなってしまいます。
そうなると、その先で待っているのは、「うつ病」ということになります。
子どもにも、悪い影響を与えます。

たくさん原稿を書いていますので、また読んでみてください。
参考になると思います。

いただいたメールは、どこにも出しませんので、ご安心ください。
テーマとして、今朝、少し考えてみます。
それはお許しください。
また返事を書きます。

では、今朝も始まりました。

おはようございます!!!

はやし浩司






最終更新日  2009年07月01日 07時24分14秒

カテゴリ:育児問題



Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●精神医学

++++++++++++++++++++

発達心理学と精神医学。
似ているようで、似ていない。
まったく異質。
先ほど、統合失調症(精神分裂病)の
診断基準を読んでみた。
内容はともかくも、用語の使い方が、
私が知る世界のものとは、大きくちがう。
そこに興味をもった。

たとえば、「陰性障害」という言葉。
「眼球運動の非円滑性」という言葉もある。

「精神医学の世界では、こんな言葉を
使うのか」と、改めて、その世界の広さに
驚いた。

++++++++++++++++++++

●某、精神医学者のHPより抜粋(診断基準)

 「精神分裂病」で検索していたら、つぎのような診断基準が、目にとまった。
トップページをさがしたが、そこには何もなかった。
しかたないので、そのまま、一部を、参考までに、転載させてもらう。

+++++++++++以下、診断基準+++++++++

(認知行動障害)

【1】 基礎障害(分裂性鈍化) ・・・・ 認知障害、陰性症状

(1)中核障害
A、「 連合障害 」 (思考途絶、自生思考など) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  認知障害(思考力障害)
(関連障害:短期作業記憶障害、注意持続障害、眼球運動の非円滑性)

(2)周辺障害
B、「 交流能力・同調能力の著しい低下 」:自閉状態(発話と自発動作の減少)・・・  陰性症状
C、「 感情表出の減少 」(硬い表情)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  陰性症状
D、「 アンビバレンス 」(感情的な判断の困難、意思決定の困難)・・・・・・・・・・・・・・  認知障害

(精神病症状)
【2】副次的症状 ・・・・ 急性症状 陽性症状
(1)妄想状態
  1、「 妄想気分 」  (理由のない自生的な恐怖感の持続)
  2、「 被注察妄想 」 (不気味な不安感を伴う被注察感)
  3、「 妄想知覚 」  (全てが自分に関係しているように感じられる)
  4、「 確信的妄想 」 (訂正不能な思い込み)

(2)幻覚
  1、「 思考化声 」  (考えた事が声として頭の中で響く)
  2、「 体感幻覚 」  (体中を虫がはっている感触)
  3、「 会話性幻聴 」 (存在しない声が聞こえる)
  4、「 幻視 」     (存在しないものが見える)

 (3)自我障害 (させられ体験:自分の思考や動作が自分の意志から乖離する)
 (4)思考伝播 (自我障害の一種:自分の思考が他人に伝わってしまう)
 (5)緊張病性運動障害 (意味なく暴れたり、石のように固まってしまう)
 (6)著しく混乱した(disorganized)会話 (会話が脱線して意味が通じない)  

(その他の認知・行動障害)
   1、「 易疲労性 」 (思考力・動作能力)
   2、「 社交恐怖 」 (対人恐怖)
   3、「 トゥレット症候群 」 (表情筋チック(状況と無関係の"しかめ面")、言語性チック(攻撃的な独り言))

(生理的症状)
   1、不定愁訴 (頭痛、頭重、身体硬直(肩こり等)、全身倦怠、心拍亢進など)
   2、不眠、昼夜逆転 (生命時計の失調)
   3、社交恐怖 (金縛り)

+++++++++++以上、診断基準+++++++++++++

●独特の用語

 統合失調症について書くのが、目的ではない。
ここでは、その用語の使い方について考えてみたい。
私の知らない用語が、ズラリと並んでいる。
たとえば……。

思考途絶、自生思考、交流能力、同調能力、アンビバレンス、思考化声、感情表出の減少、自我障害、会話性幻聴、易疲労性、社交恐怖、言語性チックなどなど。

 その中でもとくに私の注意を引いた言葉が、「アンビバレンス」という英語。
アンビバレンスとは、どう綴るのだろう。

「unbibakence」?
「umbivalence」?

 手元にある電子辞書(EX-word)を縦横に調べてみたが、それらしい単語は見つからなかった。
逆に、「認知障害」を和英辞典で調べてみたが、それでも見つからなかった。
精神医学の世界では、常識的な言葉にちがいない。
それにしても、興味深い。
たとえば「感情表出の減少」とは!

 顔による感情の表現が乏しくなることをいったものだが、それにしても「うまい」いうか、「的確」というか……。
とくに私の世界では、使わない用語である。
こんな用語を使ったら、それこそ親たちは、チンプンカンプンになってしまう。

「お宅のお子さんは、感情表出に乏しく、交流能力に問題があります。ほかに自我障害、易疲労性なども見られます。言語性チックにも注意してください」と。

 ほかに気になったのは、「眼球運動の非円滑性」という用語。
たしかにこのタイプの人は、目つきが定まらず、ギョロ、ギョロとあたりを見回したりする。
それを「眼球運動の非円滑性」と言うらしい。
だったら、「目つきがギョロギョロする」でもよいのではないか?

 そう言えば法律の世界にも、法律用語というのがある。
たとえば「無限軌道車」と言えば、「キャタピラーのついた車」をいう。
タンクやブルドーザーがそれに当たる。
私はその言葉をはじめて知ったとき、ハタと考え込んでしまった。
「無限軌道車とは何か?」と。

 精神医学者たちは、こういう用語を縦横に操りながら、自分の専門性を維持しているのだろう。
たいへんよい勉強になった。







最終更新日  2009年07月01日 07時23分53秒
2009年06月29日
カテゴリ:育児問題
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●介護が終わって、腹黒い人間になってしまった姉(ヤフー知恵袋より)

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ヤフー「知恵袋」にこんな話が載っていた。
一部を抜粋して、紹介させてもらう。
その女性の母親は、1年ほど、義父の介護をした。
で、事件が起きて、義父は、センターへ。
その女性の母親は、介護からは解放されたのだが……。

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『……ある日、お爺ちゃんが兵隊だと言って、暴力をフルおうとしたのがきっかけで、
おじいちゃんは入院することになり、母も介護からやっと解放されました。


本当に母の方がストレスで壊れてしまうところだったので、
こうなって良かったと思いました。

(中略)

しかし、解放されてはや一年。。。
母の性格が、口うるさいおばちゃんというか、
自分の親とは思いたくないぐらいの、腹黒い母になってしまいました。

昔の母は、凄く優しく、悪口を嫌い、正義感あふれる、
お茶目で、かわいい、私の大好きな母でした。


弟夫婦にどなるし、うるさいやんちゃさんがいたら、注意しに行くし、、、
弟夫婦や義父の悪口をその名前が出るたびに、同じ昔の話を何回も愚痴り、
介護をもうこの先しなくてもいいのに、
そして、介護や認知症についてが新聞のテレビ欄にあるたびにそのテレビを見て、
テレビで介護する人たちに共感して、毎回、愚痴愚痴言います……』と。

参考:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324226598

●抑圧からシャドウへ

こうした心理的変化は、心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明される。
義父を介護しながら、その女性(=嫁)は、日頃の不平、不満を、心の中に別室を
作り、そこへ抑圧してしまった。

義父への憎しみ、怒り、不快感など。
が、その一方で、そうした感情を表に出すことを許されなかった。
表面的には、よい嫁を演じ、かいがいしく義父を介護してみせた。
いわば仮面をかぶったことになるが、その仮面を脱ぐことも許されなかった。

本来なら、そうした仮面はどこかで脱ぐべきだった。
思う存分、言いたいことを言い、したいことをすべきだった。
その母親のばあいは、娘(=この原稿の投稿者)に対してグチをこぼすという
方法で、自分の心を調整しようとした。
が、それだけでは足りなかった。

●腹黒い母

心の別室といっても、それにはキャパシティ(容量)というものがある。
それが広い人もいれば、狭い人もいる。
多くは、その人のもつ文化性で、決まる。
文化性の高い人は、そのキャパシティが大きい。
そうでなければ、そうでない。

そのためにも私たちは、日ごろから高い文化に触れ、キャパシティを大きくして
おかねばならない。
音楽、絵画、芸術を楽しむなど。
映画鑑賞もよいだろう。
いろいろな本を読んで、見分を広くしておくこともよい。
もちろん道徳の完成度も、関係してくる。
より公正性があるか、より普遍性があるか(コールバーグ)。
つねに自分を磨いておく。

その容量を超えたとき、今度はその別室に閉じ込められた邪悪な自分が、本来の
自分を侵襲し始める。
人間性をゆがめる。
さらにはシャドウとなって、その人を裏から操るようになる。
その女性は、こう書いている。

「母の性格が口うるさいおばちゃんというか、
自分の親とは思いたくないぐらいの腹黒い母になってしまいました」と。

よくあるケースである。

●子どもの世界でも

こうした現象は、子どもの世界でも、よく観察される。
たびたび取りあげてきたので、ここでは簡単に触れる。

よく「おとなしい子どもほど、心をゆがめやすい」という。
親は、「忍耐力のある、がまん強い子」と喜んでいるが、これはとんでもない誤解。
このタイプの子どもほど、何を考えているか、外からつかみにくい。
先生が何かを指示しても、だまって、それに従ったりする。

このタイプの子どもは、心の中に別室をつくり、そこへ邪悪なものを閉じ込めることに
よって、表面的には、いい子ぶる。
そしてそれがたとえば思春期前夜ごろから、爆発する。
「こんなオレにしたのは、テメエだろオ!」と、母親に向って殴りかかったりする。

●ではどうするか。

だれにでも、心の別室はある。
私にもあるし、あなたにもある。
ない人は、ない。

いやなことがあると、それをその心の別室の中に抑圧する。
こうして私たちは、自分の心を守る。

で、そこで大切なことは、(1)まずその心の別室を認めること。
そして(2)その別室には、自分の中でも、邪悪なものが住んでいることを認めること。
仮面をかぶることが多いようであれば、その仮面を、どこかで脱ぐことも忘れては
いけない。

とくに日頃から善人ぶっている人ほど、要注意。

こわいのは、心の別室に邪悪な部分をすべて抑圧し、表の自分だけを見せて、
それが「私のすべて」と錯覚すること。
あるいは仮面を脱ぎ忘れてしまうこと。
ほうっておけば、確実に、あなたの心はむしばまれる。
ばあいによっては、それがシャドウ(ユング)となって、つぎの世代へと
伝播していく。

で、その女性の母親のばあい、それが期待できるかどうかという問題がある。
年齢は書いてないのでわからないが、おそらく65歳前後ではないか。

が、この年齢になると、自分を静かに見つめるということ自体、できなくなる。
グチがグチをよぶグチ地獄の中に陥ってしまうことが、多い。
というのも、グチそのものが、(こだわり)の一種とみる。
ささいなことにこだわり、それをグチ化する。
そのため、グチがいつまでもつづく。
言いかえると、母親自身が、何らかの心の病をわずらっている可能性がある。

●介護問題の陰で……

介護問題の陰には、こうした問題もある。
「介護」というと、介護だけを考える人は多い。
しかしそれ以上に深刻な問題は、介護疲れもさることながら、それが与える、
精神的、心理的負担。
それが周囲の人たちの心をゆがめる。
ばあいによっては、家族関係を破壊する。

その一例として、ヤフー知恵袋に載っていた相談を、ここで考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
林浩司 介護 介護疲れ 介護問題 抑圧 心の別室 シャドウ論)






最終更新日  2009年06月29日 06時21分04秒
カテゴリ:育児問題



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●【結果主義】(希望と落胆)

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『我らが目的は成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(スティーブンソン)。

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●A氏のケース

A氏は、競馬でその日、もっていたお金のほとんどを
すってしまった。

残ったのは、1000円。
食事は、コンビニのパンですまし、おつりで、宝くじを買った。

が、この宝くじがあたった。
X賞で、賞金200万円!

A氏はそのお金で、念願だった、新車を購入した。
が、買ってまもなくのこと、追突事故を起こしてしまった。
幸い、双方ともに軽い損傷程度ですんだ。

が、それが縁で、つまり追突した車を運転していた女性と知りあい、
そのままその女性と結婚してしまった。
電撃結婚だった。

その女性は財産家の1人娘だった。
甘いハネムーンから覚めてみると、その女性は、まったく家事が
できないことがわかった。
食事は、ほとんど外食、あるいは弁当。
洗濯の仕方も知らなかった。

A氏の給料だけでは、生活できなくなってしまった。
その女性は、実家からA氏の給料以上の支援を受けるようになった。
が、そのためA氏と女性の間では、夫婦喧嘩が絶えなかった。

女性が妊娠したところで、女性は「生活ができない」と言って、
実家に帰ってしまった。
そのまま離婚。
A氏は、女性の実家から、かなりの額の慰謝料を受け取った。
女性の実家の両親は、もともと、2人の結婚には、反対していた。

A氏はその慰謝料を元手に、町の中に人材派遣業を開いた。
最初はそれまでの仕事の関係で、けっこう収入があったが、やがてすぐ左前。
半年くらいで、事務所を閉じてしまった。

●大切なのは「今」

A氏の話は、私の作り話である。
(運)と(不運)を交互にまぜてみた。
つまりそのつど(結果)があり、その(結果)が、つぎの(結果)の
始まりであることを、この話を通して理解してもらえれば、うれしい。

このことは、子どもの受験勉強についても言える。

中学受験で合格する。
その喜びも、数か月も過ぎると、消える。
今度は高校受験が始まる。
で、何とか、目的の高校に合格できた。
同じように、その喜びも、数か月も過ぎると、消える。
今度は大学受験が始まる。

このばあいも、(結果)はつぎの、過程への一里塚でしかないことがわかる。
もっと言えば、(結果)は常に、(次の始まり)でしかない。
さらに言えば、(結果)と(始まり)を分けるほうが、おかしい。
またA氏のケースを読んでもわかるように、(もちろん作り話だが)、
結果がよくても、また悪くても、そこで流れが止まるということでもない。

では、どう考えたらよいのか。

結果というのは、「今」のあとに必ず、やってくる。
「結果」という言葉にこだわる必要はない。
「今」のあとには、必ず、「次の今」がやってくる。
私たちがなすべきことがあるとすれば、それは「今」を懸命に生きること。
そのあとのことは、そのあとのこと。
そのときは、また、そのとき懸命に生きればよい。

子どもの受験勉強にしても、そうだ。
子どもがそのとき、生き生きと楽しそうに生活していれば、それでよい。
もちろん懸命に勉強していれば、さらによい。
入学試験という関門はそのつどやってくるが、それはあくまでも関門。
結果がよくても悪くても、一喜一憂しない。
またその価値もない。

この世界でもっとも愚劣な生き方といえば、取り越し苦労に、ヌカ喜び。
結果主義の生き方をしている人は、えてして、そのときどきの結果に、
振り回されてしまう。

……日本の仏教は、結果を重んじ、ともすれば結果主義に走るきらいがある。
『終わりよければ、すべてよし』と。
『死んだ人は、みな仏』というのも、同じように考えてよい。
「死に際の様子を見れば、その人の人生のすべてがわかる」と教える仏教教団も
ある。

こうした仏教的なものの見方は、私たち日本人の骨のズイにまでしみこんでいる。
だからそれを自分の体から抜き出すのは、容易なことではない。
ないが、その努力だけは怠ってはいけない。
怠ったとたん、再び、その流れの中に、体ごと飲みこまれてしまう。

あなたが今、どういう状態であれ、あなたはあなた。
私は私。
そして今は今。
大切なことは、今というこのときを、懸命に生きること。
過去を悔やんでも始まらない。
未来を嘆いても始まらない。
とにかく今を、懸命に生きること。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 結果主義)

●希望と落胆

++++++++++++++++

希望と落胆は、ある一定の周期をおいて、
交互にやってくる。

希望をもてば、そのあとには、必ず
落胆がやってくる。しかしそこで終わる
わけではない。

朝のこない夜はないように、落胆の
あとには、これまた必ず希望がやってくる。

++++++++++++++++

 最近、何かと落ちこむことが多くなった。失敗(?)も重なった。調子も悪い。何をし
ても、空回りばかりしている。

 で、そういうときというのは、おかしなもので、自分の書いた原稿に慰められる。つま
り自分で書いた原稿を読みながら、自分を慰める。今朝もそうだ。ふと自分に、『私たちの
目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである』と言い聞かせたとき、それ
について書いた原稿を読みたくなった。

検索してみたら、3年前に書いた原稿が見つかった。

++++++++++++++++++

【私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである】

 ロバート・L・スティーブンソン(Robert Louise Stevenson、1850-1894)と
いうイギリスの作家がいた。『ジキル博士とハイド氏』(1886)や、『宝島』(1883)
を書いた作家である。もともと体の弱い人だったらしい。44歳のとき、南太平洋のサモ
ア島でなくなっている。

そのスティーブンソンが、こんなことを書いている。『私たちの目的は、成功ではない。失
敗にめげず、前に進むことである』(語録)と。

 何の気なしに目についた一文だが、やがてドキッとするほど、私に大きな衝撃を与えた。
「そうだ!」と。

 なぜ私たちが、日々の生活の中であくせくするかと言えば、「成功」を追い求めるからで
はないのか。しかし目的は、成功ではない。スティーブンソンは、「失敗にめげず、前に進
むことである」と。そういう視点に立ってものごとを考えれば、ひょっとしたら、あらゆ
る問題が解決する? 落胆したり、絶望したりすることもない? それはそれとして、こ
の言葉は、子育ての場でも、すぐ応用できる。

 『子育ての目的は、子どもをよい子にすることではない。日々に失敗しながら、それで
もめげず、前向きに、子どもを育てていくことである』と。

 受験勉強で苦しんでいる子どもには、こう言ってあげることもできる。

 『勉強の目的は、いい大学に入ることではない。日々に失敗しながらも、それにめげず、
前に進むことだ』と。

 この考え方は、まさに、「今を生きる」考え方に共通する。「今を懸命に生きよう。結果
はあとからついてくる」と。それがわかったとき、また一つ、私の心の穴が、ふさがれた
ような気がした。

 ところで余談だが、このスティーブンソンは、生涯において、実に自由奔放な生き方を
したのがわかる。17歳のときエディンバラ工科大学に入学するが、「合わない」という理
由で、法科に転じ、25歳のときに弁護士の資格を取得している。そのあと放浪の旅に出
て、カルフォニアで知りあった、11歳年上の女性(人妻)と、結婚する。スティーブン
ソンが、30歳のときである。小説『宝島』は、その女性がつれてきた子ども、ロイドの
ために書いた小説である。そしてそのあと、ハワイへ行き、晩年は、南太平洋のサモア島
ですごす。

 こうした生き方を、100年以上も前の人がしたところが、すばらしい。スティーブン
ソンがすばらしいというより、そういうことができた、イギリスという環境がすばらしい。
ここにあげたスティーブンソンの名言は、こうした背景があったからこそ、生まれたのだ
ろう。並みの環境では、生まれない。

 ほかに、スティーブンソンの語録を、いくつかあげてみる。

●結婚をしりごみする男は、戦場から逃亡する兵士と同じ。(「若い人たちのために」)
●最上の男は独身者の中にいるが、最上の女は、既婚者の中にいる。(同)
●船人は帰ってきた。海から帰ってきた。そして狩人は帰ってきた。山から帰ってきた。(辞
世の言葉)
(03―1―1)

++++++++++++++++++

 希望を高くもてばもつほど、必ずそのあとに、落胆がやってくる。希望通りにものごと
が進む例など、100に1つもない。1000に1つもない。

 しかし希望のない人生は、そのものが闇。だからつぶされても、つぶされても、人は何
かの希望をもとうとする。そして再び、前に進もうとする。朝のこない夜はないように、
落胆のあとには、これまた必ず希望がやってくる。

 こうして人は、希望と落胆を、周期的に繰りかえす。そして歯をくいしばりながら、前
に進む。

 子育ても、また同じ。

 そこで大切なことは、仮に子育てをしていて、落胆したり、ときには絶望感を覚えたと
しても、決して、それがドン底であるとか、終わりであると思ってはいけないということ。

 私たちにとって大切なことは、『私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進
むことである』。

 今朝は、この言葉に、私は慰められた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
結果主義 林浩司 スティーブンソン はやし浩司 我らが目的 希望論 落胆 希望と
落胆)






最終更新日  2009年06月29日 06時20分38秒
カテゴリ:育児問題
●何かの脳の病気?

+++++++++++++++++

私の年代になると、まず気になるのが、
脳みその状態。
友人と会っても、まず最初に、「お前はだいじょうぶか?」
「あいつはだいじょうぶか?」「ぼくもあぶない……」
というような会話から始まる。

が、この方法は万能ではない。
私自身の脳みそもおかしいばあい、
相手のことを正しく判断することができない。
「お前はだいじょうぶだよ」と言っても、また言われても、
安心はできない。

こうして私たちは、どんどんと、ボケていく。
不可逆的にボケていく。
肉体と同じように、知力、気力ともに衰えていく。

で、こんな話を聞いた。
そのまま紹介するわけにはいかないので、
少し私のほうでアレンジする。

+++++++++++++++++++

●ボイスレコーダー

その知人(男性、50歳)には、10歳ほど年上の姉がいる。
今年、満60歳になるという。
その姉の会話が、このところ、どうもおかしい、と。

その知人によれば、こうらしい。

ある特定のことについては、ことこまかに覚えている。
まるでビデオカメラか何かで撮影でもしたかのように覚えている。
そしてそれについて話し出すと、口が止まらなくなる。
その間、相手の話を聞かない、つまり一方的にしゃべるだけで、会話にならない。

が、何を話したいか、それもつかめない。
話の内容が、とりとめもなくつづき、どんどんと変わっていく。
「だからどうしたらいいの?」という部分がない。
ときにそれがグチになることもある。
ネチネチといつまでもつづく。

が、その一方で、数日前に話したことを、ポンと忘れてしまうことがあるという。
そこでその知人は、自分の姉と話すときは、必ずメモ用紙か、
ボイスレコーダーを用意するという。
そしてその姉がおかしなことを言ったりしたら、すかさず、メモを見せ、
「おまえは、昨日、こう言ったぞ」と言うことにしている、と。

が、この方法も、最近では通用しなくなってきたという。
メモそのものを疑うようになった。
メモを見せたとたん、「そういうウソをつくな!」と、逆に怒鳴られたこともあるという。
で、ボイスレコーダーということになった。

が、これにも猛反発。
声を聞かせようとすると、「あんたは、そんな卑怯なことをするのかア!」と。
で、ボイスレコーダーのほうは、あくまでも内々の記録用にとどめている、とか。

「父親の介護問題、近所のつきあい、実家の税務問題など、このところ金銭問題
がからむ問題が多くなってきたので、そういうやり方でもしないと、話にならない
のです」
「何しろ、つい数日前に約束した話でも、ポンと忘れてしまうのですから」と。

その知人は、私に「何の病気かね?」と聞いた。
私は「わからないです」と答え、「一度、病院で診てもらったほうがいいよ」と
アドバイスした。

●原因

うつ病によるものなのか、それとも認知症によるものなのか?
ある特定のことだけ、ことこまかに覚えているというのは、どういう病気による
ものなのか?

私たちでも何かのことに強いこだわりを覚えると、それについて、こまかいことを
覚えているということは、よくある。
が、それにも程度というものがある。
うつ病患者の主症状のひとつが、「異常なこだわり」となっている。
こまかいことに固執し、いつまでも悶々とそれについて悩む。

一方、「ポンと何かのことを忘れてしまう」(知人の言葉)というのは、アルツハイマー
病などの主症状のひとつにもなっている。
「エピソード記憶の喪失」というのが、それである。
で、その知人の姉のばあい、その2つの病気が、同時進行の形で、起きていることも
考えられなくはない。
私たちの年代になると、ボケがうつ病を併発しているのか、うつ病がボケを併発
しているのか、専門のドクターでもその判断がむずかしいという。

で、その知人には、もうひとつ、心配ごとがある。
その知人の父親も、頭がおかしくなってしまい、今は施設に入っているという。
で、姉もおかしいとなると、「今度は自分」ということになってしまう。

脳の病気には、遺伝性はあるのか。
それとも、ないのか。
だから別れ際、私にこう言った。

「ぼくは、あなた(=私)からみて、おかしくありませんか?」
「おかしいと思ったら、教えてくださいよ」と。
で、私はこう答えた。
「ぼく(=私)もおかしくなったら、どうします」と。

本当にさみしい年代になった。
こんな会話で話が始まり、こんな会話で話が終わる。
そんなことが多くなった。


Hiroshi Hayashi+++++++

●2つの記事

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今日(09-05-26)、韓国がPSIに
正式に参加すると表明した。

K国はかねてより、「韓国のPSI参加は、
宣戦布告である」と表明している。
それはそれとして、中国国内での報道と、
韓国国内での報道が、評価のしかたにおいて、
180度違うというのは、たいへん興味深い。

+++++++++++++++++

●まず北京発(NIKKEI NEWS)

北京発のニュースでは、『北東アジアの平和と安定に資する行為を多くなすべきだ」と、
防衛強化の動きに懸念をにじませた』と、「懸念」という表現を用いている。

一方韓国の中央N報は、『K国の攻撃に対抗した防御だ、と評価した』(同日)と報道
している。

「懸念」と「評価」、どちらが正しいのか?
その両者を読み比べてみてほしい。

 【北京=SK】

『……韓国政府が米国が主導する大量破壊兵器の拡散防止構想(PSI)に全面参加する
と発表したことを巡っては「北東アジアの平和と安定に資する行為を多くなすべきだ」と、
防衛強化の動きに懸念をにじませた』(NIKKEI NEWS)と。

【韓国の中央N報】

『中国国際問題研究所の沈世順主任が、韓国政府の大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)
全面参加宣言はK国の攻撃に対抗した防御だ、と評価した。

沈主任は26日、聯合ニュースとのインタビューで、「北朝鮮の核戦力の強化は攻撃的な
ものであり、韓国が核拡散防止のためにPSIに参加するというのは国民の安全を保護す
るためのものだ」と述べた。

沈主任は「K国は以前から韓国のPSI参加に反対してきたが、最近のK国の行動を
見れば、韓国がPSIに参加する口実を提供したとしか考えられない」とし、K国の核
実験に強い不満を表示した』(中央N報)と。

++++++++++++++++++

2つの記事を読み比べたら、だれしも、「どちらが正しい?」と思うにちがいない。
ほかの部分も、かなりちがう。
K国の核実験についても、NIKKEIのほうは、「制裁については、中国側は慎重態度」
と報道しているのに対して、中央N報のほうは、「強い不満を示した」とある。

しかしどちらがどうであるにせよ、こうして世界中の記事を、同時に読み比べることが
できるというのは、すばらしいことではないか。
これもインターネットのおかげということになる。

では、日本での報道は、どうか?
まだ読んでないが、たぶん、今夜の夕刊に、それについての記事があるはず。
あとでそれを読んでみたい。


Hiroshi Hayashi+++++++
●Bツアー

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地元に、E鉄道株式会社という運送会社がある。
そのE鉄道が、一方で、Bツアーという、観光バス会社を
運営している。
値段も安く、良心的。
何よりもうれしいのは、目的地まで、そのまま私たちを
運んでくれること。
バスの中では、好き勝手なことができる。
もちろん居眠りもできる。
昨年は、そのBツアーを、月に2、3度、利用させてもらった。
今年に入ってからも、やはり月に2、3度、利用させてもらった。

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が、この2か月ほど、Bツアーに参加していない。
「もうコリゴリ」「うんざり」というのが、その理由。
このあたりの言葉では、「往生こいた」という。
Bツアーに問題があるのではない。
(半分は、あるが……。)
うるさいの、なんのといって、オバチャンたちのおしゃべりほど、
うるさいものはない。
そのつど閉口している。

最後に東京の近くにあるI島へ行ってきたが、1組や2組なら
まだ何とかがまんできる。
しかしそんなかしましいオバチャンたちが、何組も乗り合わせたら……!
もう「旅」どころではなくなってしまう。
「我、負けず」とみなが、しゃべり始める。
競いあって、しゃべり始める。

ガチャガチャ、ギャーギャー、ゲラゲラ、ワハハハ……と。
まるで中学校か高校の同窓会のよう。

さらに運の悪いことに、そのときは、これまたレベルの低いバスガイド(失礼!)。
話す内容といえば、テレビのバラエティ番組のことばかり。

「あの店、ほら、あの店……。この前テレビを見ていたら、タレントの
あの○○さんが、行った店ですよ。○○さんは、おいしかったって、
言ってましたよ」とか何とか。
(○○なんて、タレント、知るか!)

で、うしろの席に座ったオバチャンたちは、往復、計4~5時間、
しゃべりっぱなし。
2度目に注意したら、逆に言い返されてしまった。

「私ら、おしゃべりが楽しみで、旅行に来ているもんねエ~」と。

ガイドもガイドだ。
一方で、「携帯電話はオフに……」と言っておきながら、自分はマイクを
使って、前列の人たちと個人的な話をする。
しかもマイクのボリュームは最大!

その旅行を最後に、ワイフとこう誓った。
「もう、こんな旅行はやめよう」と。
……ということで、それ以後は、Bツアーを利用するのはやめた。
もっぱら車や電車を利用している。

●昔はカラオケとタバコの煙

息子たちが子どものころも、ときどきBツアーを利用させてもらった。
そのころは、カラオケが定番。
喫煙は自由。
さらに当時は、バスに乗ると、自己紹介を強いられた。
「私は○○町から参加させてもらいました、▲▲です。
今日は、家族5人で参加させてもらいました」などなど。

私はカラオケもいやだったし、タバコの煙もいやだった。
自己紹介については、それほど抵抗はなかったが、今から振り返ると、バカげたことを
させられたものだと思う。

で、最近は、ガイドのバカ話とビデオ。
それにオバチャンたちのおしゃべり。
そのビデオだが、客の中には、自分でビデオをもってくる人もいる。
ガイドはそういう客を見ると、ホイホイと喜ぶようだが、ちょっと待て!
そのときも、YM興業(お笑いタレント養成学校)制作のビデオだった。
ああいうのを見て笑って喜ぶ人というのは、そのレベルのオバチャンだけ。
「何もこんなところまで持ってきて見ることはないだろ!」と思ったが、
多数決の結果、見るハメに……。

私は耳にイヤホンを詰めなおして、音楽を聴いていたが、あのときも最悪だった。
旅行というよりは、修行のようなもの。
世俗に慣れる修行のようなもの。
そう思って、体を固めて、じっと我慢した。
つまりこういうことが重なって、もうコリゴリ、となった。

……と悪口(=愚痴)を書いてもしかたない。
実のところ、何度か、E鉄道会社には、メールを出した。
「滋賀県を通り過ぎるたびに、養老の滝の話。
今年だけで、もう10回以上、聞きました」と。

そのつどていねいな返事はもらっているが、改善された様子はなし。
だからもう出さない。
返事もいらない。

が、これはE鉄道会社だけの問題ではない。
私たち日本人がもつ文化性の問題である。
その文化性が高くならないかぎり、こうした問題は解決しない。
が、それには、10年単位の年月が必要である。

カラオケがなくなるのに、10年。
禁煙になるのに、10年。
みながやがて静かな旅行ができるようになるのに、さらに10年。
(あるいは20年、かかるかも?)

日本のレベルがどの程度かを知りたかったら、観光バスに乗ってみるとよい。
きっとよい修行になると思う。






最終更新日  2009年06月29日 06時20分00秒
カテゴリ:育児問題


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司


●5月28日(木曜日)(May 28th)

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昨日、「BW公開教室」へのアクセス数が、
460件近くもあった。
その前日の、2倍以上のアクセス数である。
(1人で何度アクセスを繰り返しても、
1回とカウントされるので、実際には、
その数倍のアクセス数ということになる。)

昨日、アクセスしてくれたみなさん、
ありがとう!
がぜん、やる気が出てきた!

理由のひとつに、地元の中日ショッパー紙が、
無料で広告を出してくれたことがある。
誠司(孫)の顔を大きく載せてもらった。
ハガキの約2倍サイズで、かなりのインパクトが
あったらしい。
何人かの知人から、メールをもらった。
「かわいいお孫さんですね」と。
お世辞とわかっていても、うれしかった。

中日ショッパーのTさん、いつもありがとう
ございます!!

++++++++++++++++++

●5月も、もうすぐ終わり

あわただしく過ぎた5月。
その5月も、あと数日で終わり。
同時に、この原稿が、電子マガジンの6月29日号用。
いつもこうして私の頭の中では、2か月が同時に過ぎていく。

しかし楽しい。
いっぱしの編集長になったような気分。
好き勝手なことを書ける。
好き勝手に編集できる。
しかもこのところ、BLOGやHPへのアクセス数を含めると、1日、1万件を
超えることが、たびたびある。
(1日、1万件だぞ!)
雑誌の発行部数としても、悪くない。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●友の夢(I had a dream of my friend.)

古い友に、K君というのがいた。
若いころは、毎日のように会って遊んでいた。
しかし、ある日突然、姿を消した。
仙台のほうへ行ったという話は聞いた。
そのあとまもなく、音信が途絶えた。

それからもう30年以上になる。
正確には34年か?

そのK君が、今朝、夢に出てきた。
K君の夢を見ることですら、何十年ぶりではないか。
ぼくとK君は、電車の最前列に座っていた。
どこかをいっしょに旅行をしていた。
なつかしかった。
楽しかった。
こんな会話をした。

私「お前がくれた、サイフな、あの中に商品券が入っていたぞ」
K「お前へのプレゼントだ」
私「いいのか、もらって?」
K「いいんだよ、使ってくれよ」と。

私はそのサイフを自分のバッグの中に入れた。
電車は古い、木のようなレールの上を、かなりの速度で走っていた。

で、車内アナウンスが流れた。
どこかの駅の名前を言った。
空港へ行くには、その駅で降りなければならない。
別れを告げようとK君のほうを見ると、K君はソファに座っていた。
笑っていたが、どこかさみしそうだった。

「お前、死んだのか?」と私が声をかけると、再び、口元に笑みを浮かべた。
とたん、意識がぼやけた。
そのまま私は目を覚ました。

いつもの夢である。

●死

本当にK君が死んだのか、どうかは、私にはわからない。
ただの夢である。
しかしK君がすでに死んでいると聞いても、私は、驚かない。
12、3年ほど前のことだが、一度、本気でK君の消息をさぐったことがある。
実家のあるN町まで、足を運んだことがある。

しかしもうそこには、K君の実家はなかった。
腹違いの妹がいたということだが、その名前を知っている人もいなかった。
N町といっても、それほど大きな町ではない。
電話帳に載っている、同姓の人に、片っぱしから電話をかけてみた。
が、みな、縁のない人たちばかりだった。

人の死というのは、そういうものか。
仮に10年前に死んだとしても、また10年後に死んだとしても、
そこに大きなちがいはない。
昨日死んだから、大騒ぎするとか、明日死ぬことがわかっているから大騒ぎする
とか、そういうことでもない。
K君が仮に今、生きていたとしても、あるいは私の方が先に死んだとしても、
(時間)には、それほどの意味はない。

で、あえて今朝の夢に意味をもたせるとすると、K君は死んだし、そのことを告げる
ために、私にあいさつに来た。
仮にどこかで生きているとしても、二度と会うことはないだろう。
10年前も、昨日も同じ。
10年後も、明日も同じ。

今は今だが、過ぎ去ってみれば、10年など、まさに光陰。
この先10年にしても、まさに光陰。
こうして1人、また1人と、友は去っていく。
そして順番がきたとき、今度は私が去っていく。

いや、順番など、ない。
そのときが来れば、みな、同時。
同時に去っていく。

朝起きて、ワイフに、「あいつも死んだみたい」と、K君の話をすると、ワイフは、
「あら、そう?」と。
ヌカにクギのような返事をした。

……つぎの何十年ぶりかにK君の夢を見るということは、もうないだろう。
そのころには、私のほうも、確実に死んでいる。
さようなら、K君!
たがいに冥福を祈ろう!






最終更新日  2009年06月29日 06時17分47秒
カテゴリ:育児問題


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●おバカ、C・ヒル国務次官補(A Brain-less Diplomat, C.Hill, or Kim Jong-Hill)

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1人のハネ上がり国務次官補のおかげで、この
極東アジア情勢は、めちゃめちゃになってしまった。

まず、昨年(08年)の12月に私が書いたBLOGを
読んでみてほしい。

『●Can we trust C. Hill in the 6-nation conference about North Korean nuclear
weapons development?  The answer should be “No”!

Let’s start talking about C. Hill from the basical point of view. Only what he has done in
the past is that he has just given North Korea, money, oil, music, food and time, while
he has betrayed Japan each time and at last he rather threatened Japan, saying that
Japan should join the partnership, or he dissolve the name of North Korea from the list
of terrorists’nations. And he has done nothing for us. As long as C. Hill who is with
optimistic lies, hostile to Japan, is a member of the conference, the relation between
Japan and USA is getting worse and wrose. Therefore we don’t hesitate to call him,
“Kim Jong-Hill”.

●私たちは、C・ヒルを信頼できるか? 答は、No」!

C・ヒルは、K国に、マネーと原油と音楽と食糧、それに(時間)を与えただけ。
日本をそのつど裏切りながら、あげくの果てには、日本がK国援助に加わらなければ、K
国をテロリスト支援国家のリストからはずすと、日本を脅した。
彼が日本のためになしたことは、何もない。
希望的憶測だけでものを言い、日本に対する敵対意識をもつC・ヒルが、6か国協議のメ
ンバーである限り、日米関係は、ますます悪化していく。
それ故に私たちは、C・ヒルを、「金・ジョン・ヒル」と呼ぶ』と。

+++++++++++++++++++++++

このころ、(今もそうだが)、「アメリカ軍」が、さかんに私のBLOGを訪れていた。
そのつど、足跡が残るようになっているので、それがわかる。
日本語で、「アメリカ軍」とあるから、在日アメリカ軍か?

で、こうした記事は、そのつど英語で書くようにしている。
直に、(アメリカ軍)を通して、(アメリカ政府)に、私の意見を伝えることができる。

●核実験が、その結果

C・ヒルのおバカ外交を並べたら、キリがない。
先に書いた「マネーと原油と音楽と食糧、それに(時間)を与えた」だけではない。

(1)6か国協議を形骸化してしまった。
(2)拉致問題について、正式に協議した形跡なし。
(3)「K国を援助しろ。さもなくば、テロ支援国家指定から解除する」と日本を脅した。
(4)その結果、K国を、テロ支援国家指定から、電撃的に解除してしまった。
(「電撃的に」というのは、日本の反対を予想して、たった1日で、という意味。)
(1)いつの間にか、C・ヒル自身が、K国の代弁者になってしまった。
(2)すでにジャンク(ガラクタ)と化した、Yの核関連開発施設の一部を爆破して見せ、
自分の成果として、世界中を欺いた。
(3)本人は、スター気取りで、K国の代表と毎晩、北京の街で飲み歩いていた。

K国には最初から、核兵器開発を断念する意思などなかった。
ないばかりか、この5年間、ずっと秘密裏にそれを推し進めてきた。
その結果が、今回の2回目の核実験である。

個人的に日本が嫌いなのはわかる。
が、だからといって、同盟国である日本を裏切ってまで、K国の肩をもつことはない。
現在の今、日米関係は、最悪の状態になっている。
その責任を、いったい、だれが、どう取るのか。

さらに悪夢はつづく。
今度K国特命大使になった、ボズワースにしても、そうだ。
すでに水面下で、K国との直接交渉を画策している。
ミサイルの発射実験があってから後、すでに7、8回、K国と接触したという情報もある。
拉致被害者の方たちへの、冷たい言葉も忘れてはいけない。
C・ライス→C・ヒルへとつづいたアメリカ国務省の流れは、そのまま
ボズワースに引き継がれている。

が、ここにきて、核実験!

いちばん驚いているのが、ボズワース自身ではないのか。
あわよくば自分も名士にと考えているのかもしれない。
退任後、どこかの国の大使になれれば、万々歳!
しかし出鼻をくじかれた(?)。

しかし日本にはこういう諺がある。
『柳の木の下に、二匹のドジョウはいない』。
わかるかな?

(付記)
韓国のネチズンたちは、日本の報道機関が、「盧(の)氏、自殺」と書いていること
について、猛反発している。
「前大統領なのだから、ちゃんと『盧前大統領、ご逝去』と敬え!」と。

しかしこれには一言、私も書きたい。
あれほどまでに反日にこりかたまった大統領を敬えと言われても、それはできない。
日本人の私たちには、できない。
それに、「盧(の)氏、自殺」と書いたところで、けっしてノ前大統領を、粗末に
扱っているわけではない。
事実を、そのまま書いているだけである。

その思考回路は、「将軍様、将軍様」とあの金xxを称えている、K国の国民と同じ。
どこがどうちがうというのか?


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●静岡県県知事選

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I現知事の辞職にともなって、静岡県で
県知事選が始まった。

静岡県元副知事である、SK氏と、元民主党参議院
議員のUN氏の、事実上の一騎打ち。

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●官僚主義

知事選もさることながら、興味深いのは、元副知事である、SK氏の略歴。
C新聞にはこうある。

「……東大法学部から労働省(現厚生労働省)に入省。
1996年7月に県副知事を務め、厚労省職業能力開発局長などを歴任して、
2004年7月の参院選で初当選した」と。

SK氏は、つまり(労働省)と(議員)と(副知事)の間を、行ったり来たり
しているのが、これでわかる。
ご存知の方も多いと思うが、天下りでやってきた官僚知事、副知事、大都市の
市長たちは、任期が切れたり、再選挙で落選したりすると、そのまままた、元の
ポストに戻ることができる。

少し前まで浜松市長をしていたX氏にしても、そうだ。
再選選挙で敗れたあと、現在は、外務省に復帰している。

しかし、だ、こんなバカげた制度がどこにある!
たとえばあなた自身のこととして考えてみればよい。
私のことでもよい。

仮に私が選挙に出たら、その日から仕事はストップ。
会社員であれば、ポストを失う。
で、しばらく副知事なら副知事を務めたとしよう。
その間に、元の職場の人脈は途絶える。

で、そのあと再選選挙で敗れたら、どうなるか?
たいていの議員は、そのまま野に放り出される。
が、官僚たちだけは、別。
別格扱い。
どこまでも手厚く、身分が保障されている。
選挙に敗れても、職(=収入)を失うことはない。
元の役所に戻ればよい。
むしろ以前にもまして、箔がつく。
ほとんどのばあい、そのまま昇格。

こんなところにも、日本の官僚制度がはびこっている!
官僚たちだけは、「はい、行ってきます!」というような気分で、(多分?)、
地方へ天下りすることができる。
選挙といっても、背水の陣で臨む必要はまったく、ない。
その分だけ、官僚に有利!

たまたま昨日、J党とM党の党首討論会がもたれた。
その討論会でも、日本の官僚主義が問題になった。
そう、日本が民主主義国家と思っているのは、日本人だけ。
世界中の、だれも、そんなふうには思っていない。

日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
奈良時代の昔から官僚主義国家。
見方によっては、あのK国とどこもちがわない。
制度的には、まったく同じ。

いいのか、日本!
このままで!


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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最終更新日  2009年06月29日 06時16分44秒
2009年06月18日
カテゴリ:育児問題
●マザコン型人間



+++++++++++++++++



マザコンタイプの男性(夫)は多い。

女性にもいる。



そのマザコン、つまりマザーコンプレックス

が高じたものが、「親絶対教」ということに

なる。



21世紀になった今でも、この日本には、

親絶対教の信者は、多い。



+++++++++++++++++



 親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。こ
のうち本能的な愛と代償的愛に溺れた状態を、溺愛という。そしてその溺愛がつづくと、いわゆ
る溺愛児と呼ばれる子どもが生まれる。



 その溺愛児は、たいていつぎのような経過をたどる。ひとつはそのまま溺愛児のままおとな
になるタイプ。もうひとつは、その途中で、急変するタイプ。ふつうの急変ではない。たいていは
げしい家庭内暴力をともなう。



 で、そのまま進むと、いわゆるマザーコンプレックス(マザコン)タイプのおとなになる。おとな
になっても、何かにつけて、「ママ、ママ」とか、「お母さん、お母さん」と言うようになる。



このマザコンタイプの人の特徴は、(1)マザコン的であることを、理想の息子と思い込むこと。
(圧倒的に母と息子の関係が多いので、ここでは母と息子の関係で考える。)



それはちょうど溺愛ママが、溺愛を、「親の深い愛」と誤解するのに似ている。そして献身的か
つ犠牲的に、母親に尽くすことを美徳とし、それを他人に誇る。これも溺愛ママが、自分の溺愛
ぶりを他人に誇示するのに似ている。



 つぎに(2)自分のマザコンぶりを正当化するため、このタイプの男性は、親を徹底的に美化
しようとする。「そういうすばらしい親だから、自分が親に尽くすのは、正しいことだ」と。そういう
前提を自分の中につくる。



そのために、親のささいな言動をとらえて、それをおおげさに評価することが多い。これを「誇
大視化」という。「巨大視化」という言葉を使う人もいる。「私の母は、○○のとき、こう言って、
私を導いてくれました」とかなど。カルト教団の信者たちが、よく自分たちの指導者を誇大視す
ることがあるが、それに似ている。「親孝行こそ最大の美徳」と説く人は、たいていこのタイプの
男性とみてよい。



G氏(54歳男性)もそうだ。何かにつけて、10年ほど前に死んだ自分の母親を自慢する。だれ
かが批判めいたことを言おうものなら、猛烈にそれに反発する。あるいは自分を悪者にしたて
ても、死んだ母親をかばおうとする。



 マザコンタイプの人は、自分では結構ハッピーなのだろうが、問題は、そのため、たいていは
夫婦関係がおかしくなる。妻が、夫のマザコンぶりに耐えられないというケースが多い。しかし
悲劇はそれで終わらない。マザコンタイプの夫は、自分でそれに気づくことは、まずない。「親
をとるか、妻をとるか」と迫られたりすると、「親をとる」とか、「当然、親」と答えたりする。



反対に妻に、「親のめんどうをしっかりみてくれなければ、離婚する」などと言うこともある。そも
そも結婚するとき、婚約者に「(私と結婚するなら)親のめんどうをみること」というような条件を
出すことが多い。親は親で、そういう息子を、できのよい息子と喜ぶ。あとはこの繰りかえし。






最終更新日  2009年06月18日 09時37分06秒
2009年06月13日
カテゴリ:育児問題
●上下意識



++++++++++++++++++++



オーストラリアには、日本でいう「上下意識」

というのが、まったく、ない。



ないものはないのであって、どうしようもない。



「兄が上で、弟が下」とか、「夫が上で、妻が下」

とか、そういう意識は、まったくない。



それだけではない。



親子の間でも、それがない。親も子どもも、対等。

まったくの対等。



それを知るにつけ、では日本人がもつ、この

「上下意識」は何かと、しばしば考えさせられる。



+++++++++++++++++++++



 この数週間だけで、中部国際空港(セントレア)と浜松の間を、何往復したかわからない。オ
ーストラリアの友人や家族を迎えに行ったり、送っていったり。それぞれが別々の行動をしてい
る。彼らの言葉を借りるなら、「Follow the nose(足の向くままに)」となる。



 そういうオーストラリア人たちを見ながら、ワイフが、こう言った。「私、すばらしい勉強をした
わ」と。



私「何を?」

ワ「老後の生き方よ」

私「そうだな」と。



 オーストラリアには、日本でいう「上下意識」というのが、まったく、ない。ないものはないので
あって、どうしようもない。「兄が上で、弟が下」とか、「夫が上で、妻が下」とか、そういう意識
が、まったくない。



それだけではない。



親子の間でも、それがない。親も子どもも、対等。まったくの対等。それを知るにつけ、では日
本人がもつ、この「上下意識」は何かということになる。



 たとえばこんなことがあった。



 1人の女性(80歳)には、5人の子どもがいる。私の友人の母親である。母と息子という関係
になる。が、その2人、たがいにまったく、干渉しようとしない。母は母、息子は息子という雰囲
気である。そこで私のほうが、質問をした。



 「オーストラリア人の親というのは、息子が何をしても、何も言わないのか?」と。



 するとその母親は、「しない」「それは彼の人生だから」と。そこでさらに具体的に、「たとえば
離婚問題が起きたときはどうか?」と聞くと、それについても、「息子たちが判断すること」と。



 どうであっても、親は、その結果だけを知り、それに納得し、それを受け入れるということらし
い。子どもたちの生活には干渉しない。同時に、子どもたちには、干渉させない。それがどうや
らオーストラリア流の親子関係ということになる。



 が、この日本では、離婚問題ひとつとっても、かならずと言ってよいほど、そこに親が割って
入ってくる。親のほうが、大騒ぎするケースも少なくない。少し前だが、息子夫婦の離婚問題
で、毎晩のように電話をかけてきた知人(70歳くらい)がいた。



 相談内容は、要するに、「出て行く嫁には、財産を分けたくない。そのためには、どうすれば
いいか」ということだった。が、私の答は、簡単。「財産を分けてやるべきだ」「息子さんの問題
だから、息子さんに任せばいい」だった。が、そんなことは言えない。



その知人には、その知人の意識がある。日本的といえば、実に日本的。その意識の世界にま
で踏みこんで、ものを言うのは、たいへん危険なことである。へたをすれば、人間関係そのも
のまで破壊してしまう。だからどうしても、あいまいな返事になってしまう。



 事実、そのあとその知人は、ことあるごとに、私のことを、「冷たい男だ」と言いふらしていた。
「相談したのに、親身になって、相談にのってくれなかった」と。



 が、それがもしオーストラリアだったら、どうだろう。息子夫婦の離婚問題に、親がクビをつっ
こむということ自体、考えられない。息子夫婦の相談にはのるだろうが、「こうしろ」とか、「ああ
しろ」とかいう、干渉はしない。言うなれば、「友」としての親子関係が、確立している。意見を言
うとしても、「友」としての立場で、ものを言う。



 これについては、ほかのオーストラリア人たちも、みな同意見で、逆に私のほうが質問されて
しまった。「日本では、どうして親が、子どもの離婚問題に、クビをつっこむのか(=干渉するの
か)?」と。



私「日本では、子どもは、家の財産、親の財産という考え方をする」

オ「それは、おかしい(リディキュラス)」

私「わかっているが、大きな流れの中では、それに抵抗するのは、むずかしい」

オ「離婚するとか、しないとかは、あくまでも、子どもの問題」

私「そうはいかない。日本では、いまだに、家と家の結婚と考える人が多い。親のプライドがキ
ズつけられたと考える人も多い」

オ「オー、ノー」と。



 こうした(ちがい)を支えるのが、いわゆる(上下意識)ということになる。「親が上で、子が下」
という上下意識。親自身が、その意識をもつこともあるが、子どももそれをもつ。親に隷属する
ことが、子としての美徳と考えている人も多い。そしてそれがなお性質(たち)の悪いことに、こ
の日本では、半ば、カルト化している。



 が、オーストラリア人たちは、どの年代の人も、「私は私」「あなたはあなた」という生き方をし
ている。年齢に関係ない。私のワイフは、それを発見した。



ワ「老人だからといって、老人臭く生きなければならないというのは、おかしいわ」

私「そうだ。本当に、そうだ」

ワ「あのJさんだけど、あと20年生きて、100歳まで生きるってよ」

私「100歳?」

ワ「体をきたえるため、週3回、往復10キロも、散歩しているんだってエ」

私「老人扱いしてはいけないということだね。ぼくたちより、はるかに気が若い」

ワ「そうね」と。



 人間に上下など、ない。こんなわかりきったことでも、わからない人は、多い。意識というの
は、そういうもので、一度、心の中で形成されると、それを改めるのは、容易なことではない。
その意識を基礎に、あらゆる方向に、自分の思想や哲学を載せてしまう。そしてそれが回りま
わって、日本独特の上下意識、さらには親子関係、夫婦関係をつくりあげてしまう。



 ただ一言、このエッセーに注釈を加えるとしたら、こういうことになる。



 今回、私たちが世話をした、オーストラリア人一行は、南オーストラリア州に住む、ドイツ系の
家族が中心だったということ。約半数が、ドクターやその家族たちである。同じオーストラリア人
でも、どの国からの移民かによって、考え方がちがう。もちろん中国や、東南アジアからの移民
も多い。



 そういう人たちも含めて、「オーストラリア人は……」と、ひとまとめにして論ずることは、危険
なことである。また日本でも、このところ、上下意識、つまり権威主義は、音をたてて崩壊し始
めている。



 ともあれ、日本が進むべき道は、まだまだ遠い。私は、それを感じた。









最終更新日  2009年06月13日 08時21分04秒
2009年04月10日
カテゴリ:育児問題

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【前回からのつづきです】

++++++++++++++++++++

自我の同一性(アイデンティティ)の構築に失敗すると、
いろいろな場面で、不適応症状を示すようになります。

「こんはずではない」「これは私のしたいことではない」と。
それが進むと、自我の不一致が起こり、さらに進むと、
自我の崩壊が始まります。

最悪のばあいは、無気力症候群に襲われ、ニタニタと
意味のない笑いだけを浮かべながら生活する、など。

では、どうすればよいのでしょうか。
自我の同一性を確立するためには、どうすればよいのでしょうか。

それが「私らしく生きる」ということになります。

つぎの原稿がそれですが、一部、内容がダブりますが、
許してください。

++++++++++++++++++++

●私らしく生きるために……

●不適応障害

 「私は私」と、自分に自信をもって、生活している人は、いったい、どれだけいるだろ
うか。実際には、少ないのでは……。

+++++++++++++++++

 「私は、こうでなければならない」「こうであるべきだ」という輪郭(りんかく)を、「自
己概念」という。

 しかし、現実には、そうはいかない。いかないことが多い。現実の自分は、自分が描く
理想像とは、ほど遠い。そういうことはよくある。

 その現実の自分を、「現実自己」という。

 この(自己概念)と(現実自己)が、一致していれば、その人は、「私は私」と、自分を
確信することができる。自分の道を、進むべき道として、自信をもって、進むことができ
る。そうでなければ、そうでない。

不安定な自分をかかえ、そのつど、道に迷ったり、悩んだりする。が、それだけではす
まない。心の状態も、きわめて不安定になる。

++++++++++++++++++

 Aさん(女性)は、財産家の両親をもつ、夫のB氏と結婚したつもりだった。B氏の両
親は、その地域でも、昔からの土地持ちという話を聞いていた。

 が、実際には、B家は、借金だらけ。しかも大半の土地は、すでに他人のものになって
いた。ここでAさんの夢は、大きく崩れた。

 Aさんは、B氏の夫として、そして良家の奥様として、優雅な生活を設計していた。と
たん、つまり、そういう現実を目の前につきつけられたとき、Aさんの情緒は、きわめて
不安定になった。

 良家の奥様にもなりきれず、さりとて、商家のおかみさんにも、なりきれず……。

 毎晩のように、夫と、はげしい夫婦げんかを繰りかえした。

 ……というような例は、多い。似たようなケースは、子どもの世界でも、よく起こる。

 (こうでなければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)。その両者がう
まくかみあえば、それなりに、子どもというのは、落ちついた様子を見せる。

 しかし(こうでなければならない自分)と(現実の自分)が、大きく食い違ったとき、
そこで不適応症状が現れる。

 不適応症状として代表的なものが、心の緊張感である。心はいつも緊張した状態になり、
ささいなことで、カッとなって暴れたり、反対に、極度に落ちこんだりするようになる。

 私も、高校2年から3年にかけて、進学指導の担任教師に、強引に、文科系の学部へと、
進学先を強引に変えられてしまったことがある。それまでは、工学部の建築学科を志望し
ていたのだが、それが、文学部へ。大転身である!

 その時点で、私は、それまで描いていた人生設計を、すべて、ご破算にしなければなら
ななかった。私は、あのときの苦しみを、今でも、忘れない。

……ということで、典型的な例で、考えてみよう。

 Cさん(中2.女子)は、子どものころから、蝶よ、花よと、目一杯、甘やかされて育
てられた。夏休みや冬休みになると、毎年のように家族とともに、海外旅行を繰りかえし
た。

 が、容姿はあまりよくなかった。学校でも、ほとんどといってよいほど、目だたない存
在だった。その上、学業の成績も、かんばしくなかった。で、そんなとき、その学校でも、
進学指導の三者面談が、始まった。

 最初に指導の担任が示した学校は、Cさんの希望とは、ほど遠い、Dランクの学校だっ
た。「今の成績では、ここしか入るところがない」と、言われた。Cさんは、Cさんなりに、
がんばっているつもりだった。が、同席した母親は、そのあとCさんを、はげしく叱った。

 それまでにも、親子の間に、大きなモヤモヤ(確執)があったのかもしれない。その数
日後、Cさんは塾の帰りにコンビニに寄り、門限を破った。そしてあとは、お決まりの非
行コース。

 (夜遊び)→(外泊)→(家出)と。

 中学3年生になるころには、Cさんは、何人かの男とセックスまでするようになってい
た。こうなると、もう勉強どころではなくなる。かろうじて学校には通っていたが、授業
中でも、先生に叱られたりすると、プイと、外に出ていってしまうこともある。

 このCさんのケースでも、(Cさんが子どものころから夢見ていた自分の将来)と、(現
実の自分)との間が、大きく食い違っているのがわかる。この際、その理由や原因など、
どうでもよい。ともかくも、食い違ってしまった。

 ここで、心理学でいう、(不適応障害)が始まる。

 「私はすばらしい人間のはずだ」と、思いこむCさん。しかし現実には、だれも、すば
らしいとは思ってくれない。

 「本当の私は、そんな家出を繰りかえすような、できそこないではないはず」と、自分
を否定するCさん。しかし現実には、ズルズルと、自分の望む方向とは別の方向に入って
いてしまう。

 こうなると、Cさんの生活そのものが、何がなんだかわからなくなってしまう。それは
たとえて言うなら、毎日、サラ金の借金取りに追い立てられる、多重債務者のようなもの
ではないか。

 一日とて、安心して、落ちついた日を過ごすことができなくなる。

 当然のことながら、Cさんも、ささいなことで、カッとキレやすくなった。今ではもう、
父親ですら、Cさんには何も言えない状態だという。

日本語には、『地に足のついた生活』という言葉がある。これを子どもの世界について言
いかえると、子どもは、その地についた子どもにしなければならない。(こうでなければ
ならない自分)と(現実の自分)が一致した子どもにしなければならない。

 得てして、親の高望み、過剰期待は、この両者を遊離させる。そして結局は、子どもの
心をバラバラにしてしまう。大切なことは、あるがままの子どもを認め、そのあるがまま
に育てていくということ。子どもの側の立場でいうなら、子どもがいつも自分らしさを保
っている状態をいう。

 具体的には、「もっとがんばれ!」ではなく、「あなたは、よくがんばっている。無理を
しなくていい」という育て方をいう。

子どもの不適応障害を、決して軽く考えてはいけない。






最終更新日  2009年04月10日 07時47分06秒

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