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楽天・日記 by はやし浩司

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友人より

2008年12月06日
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カテゴリ:友人より
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最終更新日  2008年12月06日 12時45分57秒
2008年02月14日
カテゴリ:友人より
●友、逝(ゆ)く

昨夜遅く、30年来の友が、急逝(きゅうせい)した。
その連絡が、友の妻から、今朝、入った。
「突然でした・・・」と、妻は言った。
「ぼくも覚悟していましたが・・・」と言ったきり、言葉がつづかなかった。

10年ほど前、脳梗塞で倒れ、それ以来は、ずっとリハビリをつづけていた。
つい先週、施設から病院へ移ったという。
そんな連絡を受けたばかりだった。

その友との思い出が、走馬灯のように、頭の中を横切る。

手紙を出すたびに、かならず返事をくれた。
脳梗塞をしてからというもの、文字は乱れ、傾いたままだった。
読みづらい文字だった。

で、たまたま遊びに行ったときのこと。
偶然、道端で、その友に会った。
「どこへ行くの?」と声をかけると、「ちょうど、あなたのところに手紙を出すところです」と。

私は、友の体を支えて、ポストまでいっしょに歩いた。
「ここで手紙を渡してもいいのですが、切手を張ってしまいましたから」「ポストへ入れます」と。
私と友は、大声で笑った。

今夜は、通夜。
葬儀は明日。

ポーランドのボランスキー博士という人物に傾注し、その学者の本を何冊も翻訳している。
ポーランドで、厚生大臣を務めたこともあると聞いている。
私はそのボランスキー博士に2度ほど、会ったことがある。
その友が紹介してくれた。

・・・などなど。こうして私のまわりから、また大切な人が、1人、消えた。

今は、さみしいというより、まだその事実を受け入れられないでいる。

おかしなことに、ほんとうに、おかしなことに、目の前の時計だけは、相変わらず、カチカチと音をたてて回っている。空は青く、空気は澄んでいる。

こういう現実を、どう理解したらよいのか。

2008年2月11日


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●逝った人

逝(い)った人は、静かだ。
ほんとうに静かだ。
まるで何ごともなかったかのように、この世を去っていく。
そして時だけは、何ごともなかったかのように、過ぎていく。

だれのことでもない。
それは私のこと。
あなたのこと。

いつか私やあなたも、この世界を去る。
しかしこの世界は、何も変わらない。
そしてそのときから、時だけは、何ごともなかったかのように、過ぎていく。

その不思議さ。
その深淵さ。

逝った人は、ほんとうに静かだ。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●グレグ・ケッツ

実は、もう一人、昔の友が逝った。

オーストラリアの別の友人から、連絡が入った。
名前を、グレグ・ケッツという。
マッド・レンガ(泥レンガ)の研究者で、
その世界では、よく知られた人物である。
何冊か、本も書きのこしている。

「ケッツ」というのは、聞きなれない名前だが、
お父さんが、中国人だったからだそうだ。

「2年前に死んだ」と、その友人は言った。

「若すぎるのに(So young?)」と言うと、
「そうだ(Yes)」と。

グレグの思い出というより、グレグのガールフレンドのほうが
印象に強く、残っている。

かなりはげしい気性の女性で、何か気に食わないことがあると、
ギャーギャーと騒いだ。怒ったり、泣きわめいたりした。

そんなガールフレンドをグレグはもてあましていたが、
別れることもしなかった。

そのあとその女性と結婚したかどうかは、知らない。

グレグの話をしながら、頭の中ではあのガールフレンドの
ことを思い浮かべていた。


はやし浩司++++++++++++++++++++++Hiroshi Hayashi

●生きている人

いくつか悲しみが重なった。
そんな思いで、子どもたちに会うと、
子どもたちは、いつもの子どもたち。

明るく、屈託がない。
ワイワイと、いつものように騒いでいる。
そこはまったくの別世界。
生きる力が、満ちあふれている。

その落差。
信じられないほどの落差。
その落差は、どうすれば、心の中で
埋めることができるのか。

「この子たちも、いつかは死ぬのか?」と
思ったところで、思考が止まってしまった。

こちらはこちらの世界。
あちらはあちらの世界。

そう割り切ることの、残酷さ。
ニヒリズム。

死んでいく人は、ほんとうに静かだ。








最終更新日  2008年02月14日 21時20分01秒
2008年02月13日
カテゴリ:友人より
●友の死を悼む

My friend over 30 years has passed away and I had an honor to say good-bye to him in his funeral party. I could hardly say words with too much tears but I did.

++++++++++++

30年来の友が逝った。
弔辞を読ませてもらった。
あふれ出る涙を、必死で
こらえながら、そして
声をふりしぼりながら、
私は、弔辞を読んだ。

涙を出すつもりはなかった。
しかし友の遺影と対峙したとき、
万感の思いが、のどを詰まらせた。
私は原稿を下にたらした。
そして私の心の中にあるもの
を、遺影だけを見つめながら、
友に語った。

私はあふれ出る涙を、どうする
こともできなかった。

2008年2月12日

++++++++++++

弔辞

○○大先生へ

時の流れは、風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、そしてまたどこかへと去っていく。
「時よ、止まれ」と何度、その風をつかんでも、
その風は、指の間をすりぬけて、またどこかへ行ってしまう。

○○先生、あなたは、今、その風に乗って、天上界へ行かれたのですね。
古来より、善き人は、金の橋を渡って、天上界へ行くと言われています。
先生は、今ごろは、その金の橋の上から、私たちを、見おろしておられるのですね。
心から、ご冥福を、お祈り申し上げます。

○○先生からいただいた思い出は、数多くあります。
岐阜県M市の平田先生を、共通の師とあおぎ、ときに激論を戦わせたこともありますね。
私の山荘でいっしょに過ごした日々、ポーランドのボランスキー博士を紹介してもらったことなどなど。

しかしこんなことがありましたね。

ある日私が先生のところへおうかがいしようと、路地を回ったときのこと、
そこで先生を見かけました。
「どこへ?」と声をかけると、「角のポストにハガキを出しにいくところです」と。

見ると、私あてのハガキでした。そこで私が、「ここでいただきましょうか」と言うと、先生は、軽やかに笑いながら、「切手が張ってありますから」「運動になりますから」と。

私たちはたがいの体を支え合いながら、ハハハ、ハハハと笑いながら、そのまま歩きましたね。
春の、のどかな一日でした。

この小さなできごとの中に、先生のお人柄、温もり、やさしさ、まじめさ、すべてが集約されているように思います。

身分も立場も、まるでちがうにもかかわらず、先生は私のことを、最後の最後まで、「先生」「先生」と呼んでくださいました。

ありがとうございました。

こうして先生の弔辞を読ませていただくことを、光栄に思います。
最後になりますが、重ねて先生の、ご冥福をお祈り申し上げます。
先生、長い間、ごくろうさまでした。

どうか、心安らかに、お眠りください。


浜松市
はやし浩司

February 13, 2008







最終更新日  2008年02月13日 10時04分40秒
2007年09月11日
カテゴリ:友人より
●老いとは生きること


昨日、T先生について書いたら、
T先生から返事がきた。私はいつも、
T先生について書いたら、その原稿を
T先生に送ることにしている。

++++++++++++++++++++

2007年9月10日


林様:

「老いる」ということは「生きている」ことです。 「老いて初めて老いを経験
するのです。 若いうちは分からなかったことを。 それだけ「学ぶ」ことになるの
です。 めきめき老いながら、毎日感謝です。 有り難うフォざいました。

田丸謙二


++++++++++++++++++++

●老後が不安?

++++++++++++++

数日前の新聞(中日新聞)に、
「70%近い人たちが、老後に不安を
覚えている」というような記事が
載っていた。

あまりにも当然と思われる内容だったので、
むしろそちらのほうに驚いた。

「不安か、不安でないか」と聞かれれば、
だれだって「不安」と答える。不安で
ない人などいない。

もし「不安でない」と答える人がいたとする
なら、よほど恵まれた人か、それとも
何も考えないノー天気な人と、思って
よい。

あるいは、バリバリと仕事をこなしている
若い人?
 
++++++++++++++

 介護施設の職員は、はっきりとは言わない。言わないが、介護度によって、介護施設では、フロアが分けられている。たとえば要介護度4前後の人は、1階の西、要介護度4~5の人は、1階の東、要介護度5の人は、2階の西、さらに重度の人は、2階の東、と。

 母は、一番重度の人たちが集まる、2階の東にいる。同じ部屋の隅には、鼻から管(くだ)を通して、一日中眠っている人もいる。

 介護施設で見る老人たちの姿は、そのまま私たち自身の近未来図である。私たちは段階的に老化し、そして最終的に、死を迎える。

私「君たちは、幼稚園(ヨーチエン)か? ぼくは、もうすぐ要支援(ヨーシエン)だ」
子「先生、ヨーシエンではなくて、ヨーチエンだよ」
私「フーン。でね、幼稚園が終わったら、どこへ行くの?」
子「小学校だよ」
私「ぼくは、要介護(ヨーカイゴ)学校だよ」

子「ヨーカイ(妖怪)? そこはヨーカイが住んでいるの?」
私「住んでいるよ。とてもこわい学校だよ。みんなね、自分のウンチで、粘土細工をして遊んでいるよ」と。

 私が教室でよく使うギャグである。

 が、後ろ向きに考えてばかりいては、いけない。老後はだれにでもやってくる。が、それまでは、老後ではない。老後などというものは、心の戸棚の、その一番奥に押し込めておけばよい。

 大切なのは、それまでどう生きるかということ。老後について言えば、すべきことを、どう、しながら、生きるかということ。したいことではない。すべきことを、だ。これを心理学の世界では、「統合性」と呼ぶ。

 したいことをしているだけでは、やがて自ら、限界にぶつかる。これを「自由の限界」(サルトル)と呼ぶ。そこで人は、やがて自分は何をすべきかを模索し始める。そのターニングポイントは、心理学の本によれば、「人生の正午」と呼ばれる、満40歳前後だという。

 この時期から人は、その基盤と方向性を模索し始める。そしてそれから後、10年とか20年とかいう長い時間をかけて、それを熟成させる。「自己の統合性」は、青年期の「自己の同一性」とちがい、一朝一夕にできあがるものではない。熟成期間が必要である。

 が、ここから先は、人によって、みな、ちがう。

 老後を迎えて、(すべきこと)と、(現実にしていること)を一致させる人もいれば、そうでない人もいる。そのレベルも内容も、これまた人によって、みな、ちがう。しかしひとつのヒントとして、つまり老後を心豊かに生きるためのヒントとして、この統合性の問題がある。

 自己の統合性をその時期までに確立した人は、心豊かな老後を、老後と意識することなく、過ごすことができる。そうでない人は、そうでない。

 たとえば恩師のT先生は、80歳前後で、ある国際学会の長となっている。フランスで開かれた大会には、世界中から2000人もの、最先端をいく学者が集まったという。つい先日は、アメリカの化学の本を翻訳出版している。そして80数歳という年齢にありながらも、天下国家を論じ、日本の教育についてあちこちで意見を発表している。講演活動もしている。

 私たちが見習うべき老人というのは、T先生のような人をいう。生き様そのものが前向きというよりは、自己の統合性をしっかりと確立している。で、そのことを先日会ったときに、直接先生に話すと、先生は、「統合性ねえ?」と言った。

 T先生のような人にしてみれば、統合性など、ごく当たり前のことということになる。もう40年近いつきあいになるが、その40年前から、先生は、自分のすべきことを、しっかりと自覚していた。

 私がある日、「先生、食糧危機がきたら、人類はどうなるのですか?」と聞いたときのこと。当時は、地球温暖化の問題よりも、人口爆発による食糧危機のほうが深刻な問題となっていた。

 が、それに答えてT先生は、こうはっきりと断言した。「そのために私たち科学者がいるのです」と。「いざとなったら、合成タンパク質だって、できるのです」とも。

 私は20歳そこそこの学生だったが、その言葉に、感動した。視野そのものが、私の想像できないほど、広く、大きかった。たしかに食糧危機の問題は、遺伝子工学の驚異的な進歩によって、今のところ、何とかなっている。さらにT先生がめざしていた、水を水素と酸素に分解する触媒の研究にしても、かなりのところまできているという。

 もし水を触媒によって、つまり電力を使わないで分解できるようになったら、それこそ人類は、無公害のエネルギーを無尽蔵に手にすることになる。

 といっても、何度も書くが、「すべきこと」には、常に、苦労と困難がつきまとう。その苦労と困難を乗り越えることなしに、統合性の確立は、ありえない。簡単に言えば、したいことだけをして、楽な生活をしている人には、統合性など夢のまた夢。その老後もまた、あわれでみじめなものとなる。

 そこで……実は私自身も含めてだが、「老後が不安」などと言っている人は、それだけで甘い人間ということになる(失礼!)。本来なら、そんなことを考えるヒマなど、ないはず。楽天的な言い方をすれば、そのときがきたら、また、そのとき考えればよい。

 ……ということで、私は、今日もがんばる。これから熱海まで行き、夕方は、伊東市の小学校で講演をしてくる。明日も袋井市での講演会が待っている。体の調子はあまりよくないが、電車の中で眠っていけば、だいじょうぶだろう。

 2007年9月10日、みなさん、おはようございます!







最終更新日  2007年09月11日 07時55分09秒
2007年08月08日
カテゴリ:友人より
SG様へ

こんにちは!

ご無沙汰しています。
お元気ですか?あれからもう5、6年に
なるのでは?

マガジンの読者はやっと計2300人ほどに
なりました。

長い道のりでした。杉本さんのマガジンも、
やめられる前には、たしか読者の数は、2300人
くらいでしたね。いつも頭の中に
目標として、2300という数字が
ありました。

まったくの無料奉仕です。
(有料マガジンも出していますが、
月額300円で、読者は今のところ27
人くらいです。2年間、27人のまま
です。)

で、よく迷います。
どうしてこんな馬鹿なことをしているのだろうとです。

明らかに私の(子育て観)をパクリながら
本を出している人もいます。新聞などで
広告も出ます。

子育て観などというものは、フィーリングの
問題なので、そのフィーリングが一致する
ということはまずないのですが……。

いやですね。

そういうことが重なると、書く気力も
うせます。つまりそういうのとも心の
中で戦わねばなりません。

まあ、今のところ元気でやっています。
1000号までがんばります。とっくの昔に
電子マガジンの世界は終わっているのですが……。

乗り遅れた上に、降り遅れたという感じです。

SGさんのアドバイスはたいへんありがたがったです。
2300人と簡単に言いますが、私には天文学的
な数字に思えました。

当時、読者数は、100~200人前後では
なかったかと思います。

ショッパーの中で書いてもらったように、
今は、(少なくとも今は)、私の生きがいに
なっています。

朝起きたとき、まっさきにやりたいことがある
というのは、すばらしいことです。

体が動かなくなって、ケア・センターに入ってから
でも、この生きがいが持続できればと
願っています。

もちろん認知症か何かになったら、おしまいですが……。

久しぶりにメール、ありがとうございました。

またいつかどこかでお会いできればと思っています。

はやし浩司








最終更新日  2007年08月08日 13時24分05秒
2007年01月01日
カテゴリ:友人より
●My friend's wife has passed away.

 I have made this video with tears and 
tears in my eyes 
all the time untii I finish it.

 Good-bye, Lucy.

 Please click here if you listen to me
in the heaven.

 I surely come to your daughter’s wedding
 party this March.

  Hiroshi

はやし浩司のタグ(←Click here.)

友だちの奥さんがなくなりました。






最終更新日  2007年01月01日 20時01分25秒
2006年12月31日
カテゴリ:友人より
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Bob's daughter has graduated from Medical School of Adelaide Univ..
Congratulations!
友人の長女が、アデレード大学(医学部)を卒業しました。

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友人と初孫です!







最終更新日  2006年12月31日 16時46分03秒
2006年12月13日
カテゴリ:友人より
●N先生へ

++++++++++++++++

N先生から手紙が来た。
アスペルガー児を指導していた支援員の
人が、サジを投げてしまったという、
そんな内容の手紙だった。

++++++++++++++++

N先生へ

拝復

 お手紙、ありがとうございました。お元気で、ご活躍の様子、喜んでいます。私にとっても、はげみになります。

 アスペルガー児の件ですが、あまりお役にたてず、すみませんでした。おっしゃるとおり、この問題は、子ども自身がかかえる問題もさることながら、親の問題です。私も、同じような経験をしています。

 やっと不登校から抜け出し、学校へ通うようになると、親は、それを基準にして、さらに私たちに、過大な相談をしてきます。「何とか給食時間まで」が、今度は、「何とか終わりの時間まで」となるわけです。それがさらに高じると、「遅れた分を取り戻すためには、どうしたらいいか」となるわけです。

 少し前も実際、こんな相談もありました。子どもがやっとのことで、2、3時間、学校へ行くようになったときのことです。行くといっても、理科室登校で、理科室にこもったままです。が、その母親は、「何とか、午後まで、学校でがんばらせたい。どうしたらいいか」と。

 そこで私は、こう言ってやりました。「そうではなく、子どもに言うべきことは、よくがんばったね、です」と。つまり「2、3時間で、じゅうぶん。まず子どもをほめ、子どもといっしょにそれを喜ぶことです」と。

 が、無理をする。この無理が、それまでの努力を水の泡にします。で、結局は、元の木阿弥。あとはこの悪循環。症状はますますこじれ、やがて、にっちもさっちも行かなくなってしまう……。

 親の気持ちも理解できないわけではないのですが、この問題は、半年とか1年単位とか、もっと長い時間的経緯をみながら、考えなくてはいけません。数週間とか、数か月の問題ではないのですね。

 アスペルガーの症状があるなら、なおさらです。

 で、支援員の方が、サジを投げてしまった、とか。私も、最近、キレる子どもを経験しました。もう何十例も見てきたとはいえ、キレる子どもには、対処法はありません。ふつうの激怒とは、様子がまるでちがいます。

 衝動的に錯乱状態になり、見境なく、暴力を振るいます。脳の抑制命令が、途絶えてしまったような状態になります。相手が小学1、2年生なら、抱き込んで抑えるということもできますが、小学4、5年生も過ぎると、そうはいきません。

 一度は、あまりの激痛に、その場で、息もできず、うずくまってしまったこともあります。相手は、小学5年生の女児でした。その女児に、足蹴りをされたのですが、あとで話を聞いたら、その子どもは、空手道場に通っていたそうです。

 このタイプの子どもは、顔が能面のように無表情になり、目が別人のように鋭くなるのが特徴です。顔が青ざめるのも、ふつうの激怒とちがう点です。

 大切なことは、子どもの心をそこまで追いつめてはいけないということですが、それが親にはわからない。慢性的なストレスが、ジワジワと子どもの心をゆがめます。もちろん子ども自身の耐性の問題もあります。同じようなストレスを受けても、みながみな、キレる子どもになるというわけではありません。

 サジを投げてしまった支援員の方の気持ちもよく理解できます。そういうときというのは、指導する側も、敗北感というか、挫折感を覚えるものです。「何とかしなければ」という気持ちが、そのまま「何とかできたはず」という自責の念に変わります。

 それから抜け出すのも容易なことではありません。親は親で、そういう私を責めたりします。「指導が悪いから」とか、「なぜ、もっと早く指摘してくれなかったのか」とかなど。しかしこれは、先にも書いたように、子どもの問題ではなく、親自身の問題なのですね。親に言えば、親は、その場で子どもを一方的に叱ったり、説教したりする。それがかえって症状をこじらせてしまいます。

 一度は、「もう、勉強はあきらめなさい」とアドバイスしたことがあります。しかしその親は、こう言って、激怒しました。「他人の子どものことだと思って、よくも言いたいことを言うものだ」「あきらめろとは何だ!」と。

 しかし本音を言えば、そのとおりです。あきらめたほうがよいというより、その程度ですめばまだよいほうだということです。が、親には、それがわからない。やがて行き着くところまで行くしかないのです。

 これは、子育てがもつ、宿命のようなものです。だから言うべきことは言い、すべきことはする。しかしそこから先は、親に任すしかありません。こういうのを、ニヒリズムといいます。つまりは、「限界」ということです。それ以上は、どうしようもありません。

 話は変わりますが、つまりこの「限界」という言葉で思い出したのですが、最近、私は、自分の限界を強く感ずるようになりました。いろいろやってはみたものの、結局はこの程度でしかなかったのかという限界です。

 で、また同じことをするのですが、それがつらくてなりません。仕事は仕事として、つまりは収入のためにつづけるしかありません。しかしそれ以外の部分で、虚しさを強く感ずることが多くなりました。

 「こんなことをしていて、何になるのだろうか」とか、「また同じことの繰り返しではないか」とです。よい例が、講演活動です。そのときはそのときで、それなりにみなさんは喜んでくれますが、それはあくまでも一時的なもの。それがあとにつづいていくということはありません。もちろん何かの利益につながるということもありません。1、2か月もすれば、私のことなど、すっかり忘れてしまいます。

 ところで私も50歳をはさんで、数年間、毎日、電話相談を受けていたことがあります。毎週、市内で、子育て相談を受けていたこともあります。しかしそのときも、同じように感じました。「こんなことをつづけていて、何になるのだろう」とです。親の欲望というか、希望には、際限がありません。少しよくなれば、「さらに……」「もっと……」と言って、相談してきます。

 で、あるとき、こう思いました。「この親は、最終的には、自分の子どもが東大の医学部にでも入らなければ、満足しないだろうな」とです。

 それが自分でも、よくわかるようになりました。つまり、「限界」が、です。

 さらに最近では、「どうやって、この先、自分の生きがいをみつけたらいいのか」とか、「生きがいに自分を、どうやってつなげたらいいのか」とも、考えるようになりました。そのため、落ち込むことが多くなりました。

 教育といいながら、その底流では、親たちのドス黒い人間の欲望がウズを巻いています。教育イコール受験、なのですね。いくら高尚な教育論を説いても、それは丘の上で、空に向かってものをしゃべるようなもの。そのまま声が、どこかへ消えてしまいます。

 だから正直なところ、私はもう、教育論を親たちに説くのに、疲れました。どうでもよいといった感じです。「なるようになれ」と言うのは、言い過ぎかもしれませんが、ときどき、そんな気持ちになるのも事実です。

 自分自身が、自分に、「なるようになれ」と思っているのに、どうして他人に向かって、「そうであってはいけない」と話すことができるでしょうか。

 私のほうは、先生とちがって、これからしばらくは、仕事のほうは休止状態に入ります。活動的な先生に、負けないようにがんばります。たとえばこのところ、毎週のように、ヒマがあれば、ワイフと旅行しています。来週は、福井県のN町まで、ズワイガニを食べに行ってきます。「何でもできることは先取りしてしよう」が、2人の合言葉になっています。

 時間が貴重です。くだらないことで時間を無駄にしたりすると、「しまった!」と思うことがしばしばあります。だから文章だけは、毎日書いています。私にとっては、生きることとは、考えること。考えることとは、書くことです。

 ……とまあ、かっこうのいいことを書いていますが、本当のところ、自分を支えるだけで精一杯です。

 教育のことを書いているつもりなのに、いつの間にか自分のことになってしまいました。話が混乱してきましたので、今日はここまでにしておきます。また近く、お会いできることを楽しみにしています。

 奥様に、くれぐれも、よろしくお伝えください。ワイフが、また奥さんに会いたいと言っています。いっしょに食事でも、しましょう。今度は、ぜひ、我が家のほうへおいでください。


敬具

はやし浩司






最終更新日  2006年12月13日 15時09分19秒
2006年12月12日
カテゴリ:友人より
●フランス在住のSRさんより

+++++++++++++++++

フランス在住のSRさんより、近況が
届いています。

フランスの子育て事情が、よくわかって
たいへん興味深いです。

+++++++++++++++++

はやし先生

おはようございます。
本当にご無沙汰してします。
パソコンを入れ、先生のマガジンがきていると
一番最初に読み、子育てはもちろん、浜松の今、世界の今を
日本語で知ることができ、本当に感謝しています。

まずは近況です。
長男、Kは5歳半になり、大好きな自転車から、マウンテンバイクのサークルに
入り、もう2年になります。地方のレースにもでるようになり、
毎週、土曜日に、1時間ほど、練習をしています。

その間、弟のMは自転車であそび、夫が毎週付き添ってくれ、
親子共々楽しくやっています。

Kのクラブの主催の大会では、親がケーキを家で作ってきて、
それを売ったり、その場所でフライドポテト、バーバキューでソーセージを
焼いたりして、クラブの資金にあてています。

先日はクリスマス会があって、レースの表彰式をしたり、
ボランティアを沢山してくれた人に、プレゼントを渡したり
本当に楽しく過ごすことができました。

ちなみに1年のクラブの登録料金は、25ユーロ(約3750円)です。
ライセンスが、20ユーロ(3000円)です。

今年から友人が開いている道場で、柔道も始めました。
日本人の女性が柔道を教えていて、今年60歳です。
そこでは日本語を使うこともでき、楽しく通っています。

Mは3歳になりました。

幼稚園2年目です。歌を覚えたり、毎日葉っぱをひろってきたりして、
どこへいっても遊びを見つけてきます。

人前にでると少し恥ずかしがり屋なのですが
外で走ったり、プールが大好きで、プールへ行くと、すぐ飛び込みをします。
料理の手伝いも喜んでやってくれます。

幼稚園の(味覚週間)では果物のケーキをつくって、みんなで味見をしたそうです。
私も一口もらいました。おいしかったです。

Kのクラスでは、パンを作ったそうです。
誕生日には、誕生日月の子がお菓子をクラスで作ることになっています。

私の方は昨年から、こちらに住んでいる外国人協会に登録して、
改めてフランス語の発音とか朗読を勉強しています。

そこで知り合った子は生き生きとしている人ばかりで、本当に刺激になります。
フランスでは住み込みのベビーシッターを一年間お願いしている人も多く、
(それを「オーペア」 というのですが)、
旅費は自分もちですが、子供の世話をするかわりに、
滞在費、おこずかい、食事を与えられ、フランス語を、
週に10時間学ぶことができる権利が
あたえられます。世界中から、人がきています。

大学を一年間休学してくる人もいて、みんな必死です。
コスタリカ、カナダ、ロシア、スペイン、ブラジル、ポルトガルなどの人たちがいます。

去年知り合った、カナダとロシアの子は、我が国にいると奨学金で援助してもらえない
からと、フランスの旅行関係の高校に入学し奨学金を得て、今2人で生活をしています。

他の国にいって奨学金をもらって勉強!、とは日本では考えられませんね。
その2人というのは、19歳と2 1歳の女の子です。

若い子が多い中、みんなお茶を飲んでいたりすると、
フランスや世界の情勢の話になったり、将来は国際関係で働きたいとか、
いろんな言葉を習得したいとか、みんなあつく語りだします。みんなすごい!

今、コスタリカの子が日本語を学びたいというので、スペイン語との交換授業を
9月から始めています。

コスタリカは永世中立国なので軍も知らないし、なんと日本人が沢山住んでいるそう
です。

彼女もオーペアで4人の子供の世話をしています。幼稚園、学校の送り迎え
宿題・・・。まだまだいろんな国で勉強したいと言っています。

私もすごく刺激を受けます。
友人のフランス人女性も日本語を習いたいというとことで、
週に一回我が家にきている のですが、
彼女は57歳。あと3年で定年になるから、それからは日本を旅行したいと
言っています。

とっても人間的に素敵な彼女です。

実はその間、一人の日本人(女性)が、近く知人(日系人)の家に遊びにきたのですが、
その人は、毎朝、1時間ぐらいかけて化粧、身だしなみをしていたそうです。
それに、上げ膳、据え膳でうれしい!、と言っていたそうです。
それに「会話も幼稚だった」とか。それを聞いて、ちょっとショックでした。

日本人の知り合いが私の家にきたときも、
老後は誰にみてもらうかという話ばかりをしていました。

こちらでは、そういう話はしませんよと、私が言ったら、その人は、
私はフランス人より子供にはお金をかけてきているから、当たり前とのことだと、
言っていました。
ちなみに、その女性は59歳でした。

本当、世の中にはいろんな人がいますね。

長い文になってしまい、スイマセンでした。
奥さまにもくれぐれも、よろしくお伝えください。
寒くなってきました。お体にお気をつけください。

フランスのSRより


【はやし浩司よりSRさんへ】

拝復

 こちらでは、子育てが終わるころになると、みな、老後の心配をし始めます。その話ばかりです。イヤですね。だれに老後のめんどうをみてもらうか、それも、よく話題になります。

 (老後はひとりで暮らすと考えている人もふえてきましたが、都会から離れ、田舎のほうへいくと、今でも、そういう会話をする人は、たいへん多いです。)

 もっとも、親たちは、「私たち親のめんどうをみろ」とは、言いません。もっと、巧みな言い方をします。

 たとえば、「Aさんとこの息子は立派だ。今度、親をハワイへ連れていったそうだ」「Bさんとこの娘はすばらしい。今度、親のために離れを新築してやったそうだ」と。そういう、何というか、回りくどい言い方をしながら、ジワジワと子どもの首をしめます。

 あるいは「私は、お前がいるから心配していない」などと言う親もいます。あとはお決まりの、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」という、あの言葉です。親の恩の押し売りです。

 私も、耳にタコができるほど、この種の話を聞かされて育ちました。イヤですね。本当にイヤですね。子離れできない親の、あわれな(おねだりブルース)のようなものと考えてよいのでしょうか。

 オーペアの話は聞いていましたが、今回、改めて、納得しました。

 日本という国は、独創的なことを、独自にはできない国かもしれませんね。他国のまねばかりしている。つまり独創性を許さないというか、認めないというか……。お役人たちは、失敗するのを、何よりも恐れるのですね。だから安全な道ばかりを選ぼうとする。

私も生活ということを考えなくてもいいなら、フランスに行きたいです。年齢に関係なく学べるというところが、いいですね。

 ……私たちが求めてきた「豊かさ」とは、何なのでしょうか。SRさんのメールを読んでいると、それも考えさせられました。「豊かさ」の感覚そのものが、ちがいますね。

ほら、日本では、足の踏み場もないほど、電気製品がころがっているのが、豊かな生活ということになっているでしょ。あるいは電線がクモの巣のように張りめぐらされている狭い路地を、ベンツやBMWで走りまわるのが、豊かな生活ということになっているでしょ。(……これは、少し言いすぎかな? このところ、何を考えても、否定的になります。ごめんなさい。)

 どこか、おかしいですね。

 ……とまあ、いろいろ考えました。メール、ありがとうございました。






最終更新日  2006年12月12日 07時50分38秒
2006年12月11日
カテゴリ:友人より
●フランス在住のSRさんより

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フランス在住のSRさんより、近況が
届いています。

フランスの子育て事情が、よくわかって
たいへん興味深いです。

+++++++++++++++++

はやし先生

おはようございます。
本当にご無沙汰してします。
パソコンを入れ、先生のマガジンがきていると
一番最初に読み、子育てはもちろん、浜松の今、世界の今を
日本語で知ることができ、本当に感謝しています。

まずは近況です。
長男、Kは5歳半になり、大好きな自転車から、マウンテンバイクのサークルに
入り、もう2年になります。地方のレースにもでるようになり、
毎週、土曜日に、1時間ほど、練習をしています。

その間、弟のMは自転車であそび、夫が毎週付き添ってくれ、
親子共々楽しくやっています。

Kのクラブの主催の大会では、親がケーキを家で作ってきて、
それを売ったり、その場所でフライドポテト、バーバキューでソーセージを
焼いたりして、クラブの資金にあてています。

先日はクリスマス会があって、レースの表彰式をしたり、
ボランティアを沢山してくれた人に、プレゼントを渡したり
本当に楽しく過ごすことができました。

ちなみに1年のクラブの登録料金は、25ユーロ(約3750円)です。
ライセンスが、20ユーロ(3000円)です。

今年から友人が開いている道場で、柔道も始めました。
日本人の女性が柔道を教えていて、今年60歳です。
そこでは日本語を使うこともでき、楽しく通っています。

Mは3歳になりました。

幼稚園2年目です。歌を覚えたり、毎日葉っぱをひろってきたりして、
どこへいっても遊びを見つけてきます。

人前にでると少し恥ずかしがり屋なのですが
外で走ったり、プールが大好きで、プールへ行くと、すぐ飛び込みをします。
料理の手伝いも喜んでやってくれます。

幼稚園の(味覚週間)では果物のケーキをつくって、みんなで味見をしたそうです。
私も一口もらいました。おいしかったです。

Kのクラスでは、パンを作ったそうです。
誕生日には、誕生日月の子がお菓子をクラスで作ることになっています。

私の方は昨年から、こちらに住んでいる外国人協会に登録して、
改めてフランス語の発音とか朗読を勉強しています。

そこで知り合った子は生き生きとしている人ばかりで、本当に刺激になります。
フランスでは住み込みのベビーシッターを一年間お願いしている人も多く、
(それを「オーペア」 というのですが)、
旅費は自分もちですが、子供の世話をするかわりに、
滞在費、おこずかい、食事を与えられ、フランス語を、
週に10時間学ぶことができる権利が
あたえられます。世界中から、人がきています。

大学を一年間休学してくる人もいて、みんな必死です。
コスタリカ、カナダ、ロシア、スペイン、ブラジル、ポルトガルなどの人たちがいます。

去年知り合った、カナダとロシアの子は、我が国にいると奨学金で援助してもらえない
からと、フランスの旅行関係の高校に入学し奨学金を得て、今2人で生活をしています。

他の国にいって奨学金をもらって勉強!、とは日本では考えられませんね。
その2人というのは、19歳と2 1歳の女の子です。

若い子が多い中、みんなお茶を飲んでいたりすると、
フランスや世界の情勢の話になったり、将来は国際関係で働きたいとか、
いろんな言葉を習得したいとか、みんなあつく語りだします。みんなすごい!

今、コスタリカの子が日本語を学びたいというので、スペイン語との交換授業を
9月から始めています。

コスタリカは永世中立国なので軍も知らないし、なんと日本人が沢山住んでいるそう
です。

彼女もオーペアで4人の子供の世話をしています。幼稚園、学校の送り迎え
宿題・・・。まだまだいろんな国で勉強したいと言っています。

私もすごく刺激を受けます。
友人のフランス人女性も日本語を習いたいというとことで、
週に一回我が家にきている のですが、
彼女は57歳。あと3年で定年になるから、それからは日本を旅行したいと
言っています。

とっても人間的に素敵な彼女です。

実はその間、一人の日本人(女性)が、近く知人(日系人)の家に遊びにきたのですが、
その人は、毎朝、1時間ぐらいかけて化粧、身だしなみをしていたそうです。
それに、上げ膳、据え膳でうれしい!、と言っていたそうです。
それに「会話も幼稚だった」とか。それを聞いて、ちょっとショックでした。

日本人の知り合いが私の家にきたときも、
老後は誰にみてもらうかという話ばかりをしていました。

こちらでは、そういう話はしませんよと、私が言ったら、その人は、
私はフランス人より子供にはお金をかけてきているから、当たり前とのことだと、
言っていました。
ちなみに、その女性は59歳でした。

本当、世の中にはいろんな人がいますね。

長い文になってしまい、スイマセンでした。
奥さまにもくれぐれも、よろしくお伝えください。
寒くなってきました。お体にお気をつけください。

フランスのSRより


【はやし浩司よりSRさんへ】

拝復

 こちらでは、子育てが終わるころになると、みな、老後の心配をし始めます。その話ばかりです。イヤですね。だれに老後のめんどうをみてもらうか、それも、よく話題になります。

 (老後はひとりで暮らすと考えている人もふえてきましたが、都会から離れ、田舎のほうへいくと、今でも、そういう会話をする人は、たいへん多いです。)

 もっとも、親たちは、「私たち親のめんどうをみろ」とは、言いません。もっと、巧みな言い方をします。

 たとえば、「Aさんとこの息子は立派だ。今度、親をハワイへ連れていったそうだ」「Bさんとこの娘はすばらしい。今度、親のために離れを新築してやったそうだ」と。そういう、何というか、回りくどい言い方をしながら、ジワジワと子どもの首をしめます。

 あるいは「私は、お前がいるから心配していない」などと言う親もいます。あとはお決まりの、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」という、あの言葉です。親の恩の押し売りです。

 私も、耳にタコができるほど、この種の話を聞かされて育ちました。イヤですね。本当にイヤですね。子離れできない親の、あわれな(おねだりブルース)のようなものと考えてよいのでしょうか。

 オーペアの話は聞いていましたが、今回、改めて、納得しました。

 日本という国は、独創的なことを、独自にはできない国かもしれませんね。他国のまねばかりしている。つまり独創性を許さないというか、認めないというか……。お役人たちは、失敗するのを、何よりも恐れるのですね。だから安全な道ばかりを選ぼうとする。

私も生活ということを考えなくてもいいなら、フランスに行きたいです。年齢に関係なく学べるというところが、いいですね。

 ……私たちが求めてきた「豊かさ」とは、何なのでしょうか。SRさんのメールを読んでいると、それも考えさせられました。「豊かさ」の感覚そのものが、ちがいますね。

ほら、日本では、足の踏み場もないほど、電気製品がころがっているのが、豊かな生活ということになっているでしょ。あるいは電線がクモの巣のように張りめぐらされている狭い路地を、ベンツやBMWで走りまわるのが、豊かな生活ということになっているでしょ。(……これは、少し言いすぎかな? このところ、何を考えても、否定的になります。ごめんなさい。)

 どこか、おかしいですね。

 ……とまあ、いろいろ考えました。メール、ありがとうございました。






最終更新日  2006年12月12日 07時52分02秒
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