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楽天・日記 by はやし浩司

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子どもの世界

2009年05月09日
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カテゴリ:子どもの世界
【BW公開教室】(特集)

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子どもたちのそのままの様子を、紹介しています。
YOUTUBEのビデオと合わせて、お読みいただくと
よいかと思います。

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●頭のよい子(恵まれた子どもたち)

子どもの頭のよさは、(1)集中力と、(2)思考の柔軟さで決まりますが、
それ以上に重要なのが、(3)思考回路ということになります。

与えられた命題を分析し、頭の中でそれを論理化していく。
その思考回路がしっかりしている子どもは、頭のよい子どもということに
なります。
頭のよい子どもは、そのように考えるか。
それをビデオに収めてみました。
英語で言えば、「gifted children(恵まれた子ども)」ということになります。
このタイプの子どもは、生涯にわたって、日本の(世界の)リーダーとして
活躍していくことになるでしょう。

(1) 小3のN君が、勝手に小5の教科書を取り出して、分数の学習を始めました。
そこから始まって、「4時から5時までの間で、長い針と短い針がまっすぐ並ぶ
のは、何時何分か」という問題を出してみました。

BW教室では、学校の進度を無視して、そのつど分数の話をしたりしていますが、
N君の(力)には、驚きました。
チョンチョンとそのつど教えたことを、そのまま身につけてしまっていました。
頭のよい子どもというのは、そういう子どもをいいます。
子どもが、どのように考え、答えを出していくか、その過程を見てください。

http://www.youtube.com/watch?v=vmEASfW42Ko
http://www.youtube.com/watch?v=koccVzx1GU8
http://www.youtube.com/watch?v=sfOHC5cjVAc

(2)同じく、小3のM君に、立体図形の開いた図(展開図)を描いてもらいました。

http://www.youtube.com/watch?v=LfgnYdAu8Dc

M君も、そのつど雑談的に話したことを、そのまま身につけてしまっていました。
「学ぶことは楽しい」という無意識下の意識をもっている子どもは、自ら、こうして
伸びていきます。


●伸びやかな子ども(すばらしい子どもたち)

「すなおな子ども」というときには、2つの意味があります。
(1) 心の状態(=情意)と、表情が一致している。
(2) いじける、ひがむ、こだわる、すねるなどの(心のゆがみ)がないこと。

ここに紹介する子どもたちは、たいへん伸びやかな子どもということになります。
ビデオの中で、子どもたちが、(1)言いたいことを言い、(2)したいことをしている
ことに注目してください。

「理想的な子どもとは、どんな子どもか」と聞かれたら、私は迷わず、このタイプの
子どもをあげます。
なお誤解がないように言っておきますが、子どもというのは、抑えるのは簡単です。
しかし伸ばすのは難しい。
一見生意気に見える子どもたちですが、人格の「核」がしっかりしている分だけ、
聞きわけもよく、抑えるのは簡単です。
幼児期は、「伸ばす」ことだけを考え、抑えるのは、最小限にしたいですね。

このビデオの中で、子どもたちがさかんに自己主張している部分に注目してください。
こういう子どもを「すなおで、伸びやかな子ども」と言います。

http://www.youtube.com/watch?v=IXYpvCtCIu0


●子どもを伸ばすコツ

子どもを伸ばそうと考えたら、まず、あなた自身が、それを楽しむことです。
(教える側が楽しくなくて、どうして子どもが楽しむことができるでしょうか?)

私の教室では、レッスンに先立って、5~10分ほど、(遊び)を取り入れています。
1~2週間ごとに、遊びの内容を変えていきます。
こうすることによって、子どもの脳内に、カテコールアミン(脳内ホルモン)を
充満させることができます。
あとはその状態で、そのまま学習へと移行していきます。
脳内にカテコールアミンが充満していますから、学習も、前向きにしてくれます。
(脳内ホルモンは、すぐにはフィードバック※されませんので……。)

そんな遊びを紹介します。

http://www.youtube.com/watch?v=gAu3lim2n-Q
http://www.youtube.com/watch?v=DIgoYwsCwrI&feature=channel_page
http://www.youtube.com/watch?v=LTK9D8m3VlE&feature=channel_page

私自身は、無数の市販教材(全国販売用)の教材を制作、指導してきた経験が
あります。
しかし子どもの心をつかむには、手製の教材がいちばん、ですね。
そんなわけで、教室では、手製の教材で、指導しています。
その様子は、以下のHPでご覧いただけます。

http://bwhayashi.ninja-web.net/


●刺激教育

「毎回、いろいろな角度から、子どもの脳を刺激する」。
それが私のやり方です。

(できる・できない)ではなく、子どもが楽しんだかどうかを大切にします。
とくに(笑い)を、私は大切にしています。
『笑えば子どもは伸びる』というのが、私の40年来の教え方の基本になっています。

ゲラゲラと腹をかかえて笑わせる……こういう言い方は、教育の世界ではタブー視されて
いますが、たとえば何かの情緒障害がある子どもでも、笑わせることによって
なおって(=治って?、直って?)しまします。
(もちろん親たちに、そういう障害があることを指摘することはありません。
病名を出すこともありません。
それがわかるのは、この私だけということになります。)

ともかくも、いろいろな角度から、子どもの脳を刺激していきます。
こうすることで、子どもの脳を柔軟(=しなやか)にすることができます。

一例を示します。
粘土で、四角を作る指導をしてみました。
この中で、私はわざと失敗してみせますが、大切なことは、おとなの優位性を押しつけ
ないこと。
「ぼくのほうが先生より、うまくできる」と思わせるようにします。
子どもたちの声の様子から、子どもたちが楽しんでいる様子をわかっていただければ、
うれしいです。

http://www.youtube.com/watch?v=AHpNQnsMswc


以上、ほんの一部ですが、BWの指導風景を紹介してみました。
ご家庭でも、そのままお子さんの指導に利用していただけるようにしてあります。
どうか、ご利用ください。

(注※)フィードバック……ある種の脳内ホルモンが分泌されると、それを打ち消す
ために、その反対の作用のある脳内ホルモンが分泌されることをいう。
このためある程度の時間がたつと、先に分泌された脳内ホルモンが、無力化する。)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司






最終更新日  2009年05月09日 08時43分19秒

2008年07月14日
カテゴリ:子どもの世界

● ポケモン・カルト

~~~~~~~~~¬¬~~~~~H. Hayashi

今から10年ほど前、私は『ポケモン・カルト』(三一書房)という本を書いた。
異常な……ともいえるポケモン・ブームの中に、私は、カルト性を見た。
わかりやすく言えば、「凶人的な集団性」。

そのカルト性を追及したのが、『ポケモン・カルト』ということになる。

が、その直後から、ものすごい抗議の嵐。
電話による抗議はもちろんのこと、はがきや手紙によるものもあった。
出版元の三一書房にも、あった。

「子どもの夢をつぶすのか!」
「ゲームの楽しさを、お前は知らないのか!」と。

驚いたのは、抗議といっても、子どもたちからではない。20歳を過ぎたおとなたちからのものだったこと。
しかも私が書いたのは、ポケモンそのものではなく、ポケモン・ブームの中に見られるカルト性についてである。
当時、いくつかのカルト教団による、反社会的行動が問題になり始めていた。
大学の理学部を出たような人が、「地獄」とか「天国」とかいう言葉を、平気で口にしていた。

子どもたちの世界にも、明らかに異変が起きていた。
私が「ピカチューのどこがかわいいの?」と一言、口にしただけで、教室中がパニック状態になってしまったのを覚えている。

が、それから10年。

今の今も、ポケモン・カルトで、私を攻撃している人は、あとを絶たない。
ためしに、グーグルの検索機能を使って、「はやし浩司 ポケモン」で検索してみるとよい。

「トンデモ本」「こじつけ本」などなど。
本そのものを、頭から否定する文言が並ぶ。

最初のころは私も頭にカチンときたが、そういうふうに書いている人たちが、その程度の人たちであることを知って、そのうち相手にしなくなった。

で、さらにおかしなことだが、……というより私が書いたことを自ら証明するようなできごとが、それからもつづいた。
最近でも、『ゲーム脳』という言葉を使った研究者がいた。
その研究者のところにも、連日連夜、抗議の嵐が襲ったという。

どうしてこの日本では、ゲームを批判すると、嵐のような抗議を受けるのか?

一方、しばらくすると、今度は、「ゲーム脳というのはありません」と主張する研究者が現れた。
その研究者は、現在、ゲーマーの間では、神様的存在になっている。

ゲームのもつ危険性は、すでに世界では常識。
フランスなどでも、規制の動きが出てきた。
が、この日本では、野放し。
野放しであるばかりか、ゲームを批判しただけで、袋叩きにあう。
そこには一片の知性も理性もない。
感情論だけ。
これをカルトと呼ばずして、何という。

……ということで、私は改めて、ここでポケモン・カルトについて考えてみたい。
また本書は、近く、全文、私のHPに収録するつもりでいる。
つまりこの原稿は、ポケモンというよりは、カルト教団への挑戦状ということになる。

~~~~~~~~~~~~~~H. Hayashi

●進むカルト化

誤解があってはいけないので、明確にしておきたい。
「占星術」「スピリチャル」というのは、立派なカルトである。
その前駆的段階の「占い」「まじない」「迷信」も、立派なカルトである。

それらが集合化され、組織化されたのが、「カルト教団」ということになる。

それがどんな信仰であれ、信仰の範囲にとどまっているなら、問題はない。
信仰の自由は、日本国憲法によっても、保障されている。
「何人も、その自由を奪うことはできない」。

が、その宗教が宗教のワクを超えて、反社会性を帯びたとき、あるいは政治の世界に介入してきたとき、それが問題となる。
(アメリカでは、宗教団体による収益活動まで、きびしく制限されている。)

カルト教団の信者たちは、まさにノーブレイン(脳みそなし)の状態になる。
教団幹部のロボットとなって、思うがまま操られるようになる。
その危険性は、あのオウムS教に、例を見るまでもない。
というのも、この段階になると、カルト教団の信者たちは、「私たちはぜったい正しい」と思う、その返す刀で、「あなたがたはまちがっている」と切り込んでくる。
あるいは自分たちの属する宗教団体以外の人たちを、否定する。

で、それから10年。
その間に、日本人は、より賢くなったのだろうか。
一連のカルト教団が起こした事件を見ながら、何かを学んだのだろうか。

答は、ノー。
最近の占星術ブームも、そのひとつ。
あのS・ホーキング博士も、占星術の無意味性を指摘している(「ホーキング、未来を語る」・ソフトバンク)。

考えてみれば当然のことで、星座といっても、地球から見た星の位置にすぎない。
宇宙船か何かで、数万光年も先に行けば、星座も地球で見るのとまったく異なったものになる。
あるいは複雑な動きを見せる、水星や金星、火星や木星にしても、太陽の周辺を回る惑星であるから、そう見えるにすぎない。

そういう星座や惑星の動きを見ながら、個々の、あるいは全体でもよいが、運命がどうのこうのということ自体、ばかげている。
が、「ばかげている」だけでは、すまない。

天の運行と人の運命が連動しているというのは、まったく根拠のない迷信である。
原始の時代には、それなりの説得力もあったかもしれない。
事実、あのイスラム教は、占星術とは切っても切れない関係にある。

そういう占星術をぶらさげて、(ほんとうはどこまで勉強したかは、あやしいものだが……)、どこかのオバチャンが、こう言うから、たまらない。

「あなたの背中には、蛇がついている。毎朝、シャワーで、10回ずつ、タオルでこすりなさい」と。

つまりこういうカルト、もしくはカルトの宣伝まがいのことを、テレビという天下の公器を使って、堂々と全国に垂れ流す。
その異常さ。
私たちは、まず、それを知らなければならない。
ついで、こうした愚劣な番組が、子どもたちに、どのような影響を与えるか、それを考えなければならない。

そのひとつが、10年ほど前の、ポケモン・ブームであり、現在のスピリチュアル・ブームということになる。
さらにさらに驚いたことに、最近では、「スピリチュアル・育児法」(仮称)という本まで現れた。

スピリチュアル・育児法だと?

またそういう本のほうが、何10万部も売れたりする。(これは私のひがみか?)
科学性の否定というよりは、理性の否定といってもよい。

わかりやすく言えば、日本人全体が、ますます考えない国民になってきているということ。
先にも書いたように、「ノーブレイン」の状態になってきているということ。

「ノーブレイン」というのは、英語の言い方である。
「ばか」とか「あほ」という意味ではない。
「何も考えない、ノー天気な」という意味である。

が、それはそのまま恐ろしい未来を暗示する。
戦時中の日本が、そうだった。
現在の北朝鮮も、そうではないか。
……こう書くと、「私たちはちがう」と思うかもしれない。
しかし本当にそうか?
そう言いきれるのか?

たとえば最近の子どもたちは、情報量だけはやたらと多い。
もの知りで、反応も速い。
しかし論理性、分析性となると、10年単位で、低下している(?)。
とくに政治の話になると、話しかけただけで、「ダサイ!」と言って、それをはねのけてしまう。
地球温暖化(地球火星化)の問題にしても、(おとなたちもそうだが……)、いくら問いかけても、会話そのものが、かみあわない。
まるで他人ごとのような反応しか返ってこない。
あるいは政治は政治家がするもの、地球温暖化の問題は科学者が考えるものと、どこかで割り切ってしまっている。

話を戻す。

カルトがカルトとして危険性を帯びるのは、先にも書いたように、信者がノーブレインの状態になって、ロボット化すること。
政治の世界にも大きな影響力を及ぼすことにもなりかねない。
そうなると、民主主義など、そのままどこかへ吹き飛んでしまう。
言い換えると、民主主義を守ろうとするなら、同時に私たちがもつカルト性と、心のどこかで闘わねばならない。

これは健康論に似ている。

私たちが健康を保とうとするなら、病気の予防と治療に心がけることは当然のことだが、同時に、体の抵抗力も高める。
その両者がかみあってはじめて、私たちは、それなりの健康を維持することができる。

私は『ポケモン・カルト』の中で書きたかったことは、(ポケモン)の攻撃ではない。
(ポケモン)といっても、ただのゲーム。
そんなものを本気で相手にしても、しかたない。
そのゲームが、テレビ、雑誌、ゲームの3方向から、子どもたちを包んだ。
当時は、「マルチ・メディアによる成功例(?)」として、もてはやされた。

その結果、子どもたちは、町でも学校でも、そして家の中でも、ピカチューのあの黄色い色を見ただけで、興奮状態になってしまった。

お茶漬けにしても、菓子にしても、ピカチューの絵を載せただけで、売り上げが、倍増したという。
詳しくは、『ポケモン・カルト』に書いた。

子どもたちは、まさにポケモンによって、洗脳されたことになる。
つまりここに、私はポケモン・ブームの恐ろしさを見た。
そしてそれがその本の主題になった。

本を読みもしないで、表面的な批評に踊らされて、「とんでも本」とか、「こじつけ本」と批評するのは、その人たちの勝手。
しかし私はそういう趣旨で、あの本を書いたのではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ポケモン・カルト)






最終更新日  2008年07月14日 06時19分00秒
2008年07月10日
カテゴリ:子どもの世界
●幼稚園選び(How to select a kindergarten)

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京都府にお住まいのUYさんという
母親から、幼稚園選びの相談が届いて
います。

+++++++++++++++++

【UY様より、はやし浩司へ】

暑中お見舞い申し上げます。

以前、2年保育についてご相談させていただいたUYです。
カナダの幼稚園について、少しでもお役にたてようで良かったです。

さて、不躾ですが、またご意見を伺いたく以前のメールからご相談させていただくことをお許しください。

2年保育を考えて・・・とはいえ、来年の幼稚園入園に向けて動き出さなければいけない時期となりました。
現在、2つの幼稚園まで候補を絞ったのですが、だんだん判らなくなっています。

先日、「3年保育が主流ですので・・・」と言われた私立幼稚園に見学に伺いました。

園長先生とお話をしたところ、週数回、午前だけの通園から始めて、徐々に慣れていくような形でも受け入れてくださるとのことでした。 園内は明るい雰囲気で、感じが良かったです。
体育、英語などの先生が来て、カリキュラムに組まれているなどの教育型?のようです。

見学の時は、ちょうど体育のクラスでしたが、横でやってみたくてウズウズして見ていました。(参加はさせてもらえませんでしたので) 子供が楽しい遊びの中のひとつとしてできるならば、素晴らしいと思いました。

もうひとつは、国立大学の付属幼稚園です。 

先日、幼稚園についての講演会に行ってきました。(説明会ではありません。)副園長先生のお話は、子供に対して、幼児教育に対して、納得できる部分が多く、幼稚園の環境はとても自然の中で素晴らしいというのが感想です。木登りをしたり、草の中の昆虫みつけたり、木の実を取って食べたりなどと言った体験が園内でできる環境でした。

私は、四国育ちなのですが、嬉しくなるようなキレイな遊具より、自然の中で自分達で遊びを作ったり、発見する楽しさを我が子にも味わって欲しいと思っています。

現在、3年保育に通っているお友達から聞いていたのですが、父母が園の教室まで送り、子供が納得するまで、園内にいても構わないということでした。2年保育でも同じ状況なのか伺いたくて、実質、副園長先生に説明会の後、少しお話をさせていただきました。(園長先生よりも副園長先生が現場?、と言う感じでしたので)2年保育でも3年保育でもその子の状況に応じてで構わないということで、2年保育から入った場合でも、本人が納得するまで全く構いませんとのことでした。

「数ヶ月もたたずに離れる子もいれば、一年間お母様が見ていらした方もいます。お子さんの発達や心の状況はそれぞれ違いますから、個々に対応するべきです。うちの幼稚園以上に細やかな所は他にありません」ということでした。

園児の様子などは説明会の時しか見られないので、わかりませんが、説明会も大人のみとなっており、実際に入園前に子供自身が園内に入れることはないのが、疑問です。

いろいろと他にも幼稚園の開放日、または支援センターの催しなどに息子を連れて行って様子をみていますが、先生にも自分から行ってご挨拶して、いつもとても楽しそうに遊んでいます。

でも、いざ、またどこか幼稚園に行ってみようかという話をすると、「僕は幼稚園行かないよ。マミーとずっといる。一緒に行ける幼稚園なら行きたいけど・・・」と言います。 他のお友達もみんなお母さんと一緒じゃないけど、みんな同じようにお母さんと一緒がいいということ。みんな楽しい時間を過ごしているということ。離れていても、いつも愛しているしまた帰ってきたらすぐに会えるということ・・・など色々話しているのですが、息子から返ってくる言葉はいつも同じです。 甘えているだけなのか、どう話せばいいのかわかりません。

分離不安といっても、通っているお稽古のお友達とは私を置き去りにして遊びに走って行くし、近所の1、2年生の子供達とも一緒になって走り回り見えなくなって、私が逆に危なくないかとハラハラする程です。

どのように、息子に接したらいいでしょうか?

息子の様子から考えて、玄関前で引き裂かれるようなことがなく、納得できる状態で対応できるなら附属幼稚園がいいのかなぁと思っています。

でも、受験に受かるかどうかはわかりません。以前、あるお受験対策塾のようなところにお話を伺いに行きました。息子に数種類の問題をさせた結果、能力・学力的な問題はないと思いますが、当日親から離れられるかが問題ですと言われました。それはそうだと思ったのですが、そこの塾の先生からこんなお話をされました。

「附属幼稚園に通わせる方の多くは、その後の小学校を視野に入れています。単純に附属幼稚園、小学校、中学校、某有名進学高校へというコースを考えての方もいらっしゃいますが、現実はかなり違いますと。 

現在、附属幼稚園・小学校は、自由とか個人の尊重とうたってはいますが、放任そのものです。もちろん、他ではできない体験も待っていることとは思いますが、能力・学力が優れ活発な子供にとっては楽しいかもしれませんが、そうでない子は置き去りにされます。 学校は遊ぶ所、勉強はご家庭や塾がメインです。

小学校では、教科書を開き何ページという授業ではなく、チャイムがなっても生徒が座らずに廊下にいるのは普通ですし、それについて先生も何も咎めません。ゆえに、2年生でカタカナが書けないという子もたくさんいます。また、幼稚園においても、以前附属幼稚園の先生をなさっていたR幼稚園園長は、今の附属幼稚園の保育はどうかしているということで、この間OBを集め話し合いをなさったそうですよ。

いざ、入ってから、こんなはずではなかったと話してこられるお母様が多いので、いちおう現実をお話しているだけす。また幼稚園に関しては特に、極端な言い方ですが国立は来ても来なくても構いませんが、私立は経営ですので至れりつくせりのところが多いということもあります。

このようなことから、昨今は一貫した教育をきっちりしてくれる私立の方が人気を集めていますし、小学校に関しては、どうせ塾に行かせなければいけないなら、いっそのこと学区の小学校でいいという方も増えています」とのことでした。

ここの塾には、息子は通っていません。 教室の雰囲気が暗く、楽しく学ぶというよりは「お受験のための勉強」という感じで自分だったら通いたくないと思うだろうなぁという感覚でした。(そういうものなのかもしれませんが・・・)息子は、「問題は楽しかったけれど、あの場所は楽しくなかった」と言っていました。 

でも、聞いてきた話については、かなり考えさせられました。

進学について何も考えず、どこでもいいさぁ~!、と思っている訳ではありません。学力は無いよりある方がいいと思っています。 私はいちおう進学校を出ているのですが、もっと勉強しとけば良かったと思っています(笑)。

とはいえ、私は進学校にもかかわらず大学受験せず、高校卒業と同時にアメリカの大学に行ったので、日本で進学校が目指している大学社会とは無縁でした。得られた物は、大きかったと思っていますが。

息子には、本人が自分の方向を決めようとする中で、選択範囲が広い状態にしてあげたいというだけです。

いわゆる私立と国立附属の幼稚園・・・根本的な方針が違うのかもしれませんが、はやし先生はどのように思われますか?

いつも長くなってしまい、申し訳ありません。
お忙しい事と思いますが、お返事いただければ幸いです。

【はやし浩司よりUY様へ】

おはようございます。

そういうふうに迷われましたら、

(1)現場で直接、園児に接している先生の様子を見ることです!

若い先生が、やる気で生き生きと指導している幼稚園を選んでください。
何よりも大切なのは、その(活気)です。
その(活気)の中で、子どもは、伸びていきます。

とくに若い先生(新入りの先生でもよい)が、大きな声で、率先して
指導している幼稚園は、すばらしい幼稚園です。
先生どうしが、和気あいあいと、楽しそうに指導している幼稚園は、よい幼稚園です。
幼稚園は、看板、つまり園長の謳い文句ではなく、現場の先生を見て選びます。

これは大鉄則です。
園の隅から、遠巻きに観察してみると、それがわかります。

あとの問題は、はっきり言って、どうでもよい問題です。

(2)行ってはならない幼稚園は、先生たちが沈んでいる幼稚園です。
どこかタラタラした雰囲気になっていますから、それがわかります。
やる気なさそそうに、(ただ言われたことだけを、無難にやりこなしている)
というような幼稚園は、最悪です。

(3)またよい幼稚園には、(子どもの臭い)がします。
どこかしこに、その(臭い)がしみついています。
壁には落書きのあとがあり、それを先生が懸命に消したようなあとがあるとか……。
先生が子どもを楽しませようとか、そういう努力のあるなしもみてください。

(4) さらに言えば、園長でも、副園長でも、自ら率先して園児の中へ入って
指導している幼稚園を選びます。
園長が、スーツを着て、ふんぞり返っているような幼稚園には、疑問をもってください。
(スーツを着ていても、子どもたちの手で汚されたようなあとがあればいいのですが……。)

つまり看板にだまされないこと。
どこの幼稚園も、生徒募集のために、看板に四苦八苦しています。
ですから派手な指導方針を並べたり、見た目に派手な教育をしたがります。
もちろん園の方針も大切ですが、それ以上に、この時期、幼児に
とって大切なのは、直接子どもたちと接している、(現場の先生の活力)です。

園長の話など、あまりアテにしてはいけません(失礼!)。
美辞麗句が多いですから……。

これは私の経験からの意見です。

なおいただきましたメールですが、内容を大幅に改変したのち、
HPに収録しますが、お許しください。

最後に、「赤ちゃん返り」「母子分離不安」については、私のHPの中のQ&Aコーナー
を参考にしてください。

はやし浩司







最終更新日  2008年07月10日 10時53分44秒
2008年07月04日
カテゴリ:子どもの世界
●流行

マーク・ツウェィンという人を知っているかな?
「トム・ソーヤの冒険」という本を書いた人だよ。
彼がね、こんなことを言っているよ。
「皆と同じことをしていると感じたら、
そのときは自分が変わるべきとき」とね。
皆と同じことをするということは、
ぞれだけでも時間のムダだよ。

君は君の時間を、君のものとして生きる。
いいかな、皆と同じことをするというのは、
とても楽な生き方かもしれないけど、
本当はずるい生き方なんだよ。
自分に対して、ずるい生き方なんだよ。
だからね、流行には、できるだけ抵抗すること。
少したいへんかもしれないけど、
がんばってみてごらん。
「私は違う」「ぼくは違う」という生き方のほうが、
ずっとすてきだよ。


ごみは捨てない

毎日の積み重ねが、月になるよ。
月々の積み重ねが、年になるよ。
そしてね、その年が積み重なって
その人の人格になるよ。
むずかしいことではない。
簡単なことだよ。日々の積み重ねというのは、ね。
たとえばゴミを捨てない。
ツバをはかない。
人にウソをつかない。
お金やものを借りない、などね。
そういうことで人格が決まるよ。
ウソだと思ったらね、
車の窓から、タバコの吸いがらを
外へ捨てる人の顔をみてごらん。
ツバをはく人の顔を見てごらん。
その程度の顔しかしてないよ。
君たちも、ああいう人になりたくなかったら、
ゴミを捨てないこと。
たったそれだけのことだけど、
長い時間をかけて、「私」という君が
できるよ。



●目標

したいことは、いっぱいもっていたほうがいいよ。
君にもあるだろ。したいことが……。
そのしたいことを懸命にすればいい。
結果はあとからついてくる。

それから目標はもったほうがいいよ。
君にもあるだろ、目標が……。
その目標に向かって、努力する。
それはとても大切なことだ。

ぼくにも、子どものころ、一つの大きな目標があった。
それはね、外国へ行くことだった。
今から思うと、ちっぽけな目標だったかもしれないけどね。
でも、ぼくが子どものころは、飛行機に乗ることすら、
夢のような話だった。本当だよ。だから外国へ行くということは、
たいへんなことだった。
でもね、ぼくはその目標を達成したよ。
ぼくが最初に、外国へ行ったのは、韓国だった。
あのときは、うれしかったよ。
本当にうれしかったよ。
今でもそのときの感激を忘れないよ。
目標というのは、そういうものだよ。
君の人生に、大きな喜びを与えてくれるよ。
それはとっても、すばらしいことだよ。



●死後のこと

死んだあとも、
あの世があると
言う人がいるけど、
ぼくは、知らない。
見たことないもんね。
でもね、
あれば、楽しい、ね。
死んだあとも、またみんなに
会えるからね。
でも、本当に
あるのかな?
君は、どう思う?
それとも、
本当にだれか、
あの世を見たことが
あるのかな?



●めざせ、プロ!

君はプロになる。
プロだ。
いいか、どんな道のプロでもいい。
「これだけは絶対、人に負けない」というのが、
プロ、だ。
そのプロをめざせ。

ぼくもね、幼児教育については、
自信があるよ。
ぼくはね、この道では、
絶対に、人に負けないよ。
だから、ね。
この世界では、いつも優越感を覚えるよ。
何というか、ずっと先を、走っているような優越感さ。
これは実に、楽しいことだよ。
人に認められるとか、認められないとか、
そういうことは全然、気にならないよ。
ぼくはぼくだし、ね。
プロというのは、そういうものではないのかな。

プロになるんだよ。
どんな道でもいい。
それは本当に楽しいことだから。



●低俗な番組は見ないほうがいいよ

夜になると、低俗な人たちがテレビで騒いでいるね。
バラエティ番組という名前がついている、あれだよ。
意味もないことを、ギャーギャーと言ったり、騒いだりしている。
ああいう人たちはね、実際には頭の中はカラッポ。
自分の知っている情報を、右から左へと、適当に流しているだけ。
思いついたことを、ペラペラと話しているだけ。
ときどきもっともらしいことを言うけどね、たいていは、人の受け売り。
だからいくらああいう人の意見を聞いても、君たちのためにはならないよ。
時間をムダにするよ。人生をムダにするよ。

いやね、それだけではない。
ああいう番組を見れば見るほど、君たちも、愚かになるよ。
言い方や、しぐさまで、似てくるよ。

今度ね、ゆっくりと、ああいう番組に出てくる人を観察してみてごらん。
ぼくには、どう見ても、スーツを着たサルにしか見えない。
ぼくがおかしいのかな。それともテレビがおかしいのかな。
でも、少しだけ、冷静に考えて見てごらん。
君たちは、本当にああいうおとなになりたいかい。
本当にああいうおとなが、理想のおとなと思うかい。
できれば、一度、音を切って、見てみてごらん。
顔や口の動きだけを見てごらん。
ぼくの言っている意味がわかるはずだよ。



●幸せの目標

幸福なんてものはね、
そんなに遠くにあるんじゃ、
ないんだよ。
君たちのすぐそばにあって、
君たちに見つけてもらうのを、
息をひそめて
静かに待っているんだよ。
「早く見つけてくれ」ってね。

何だと思う?
幸福って。
それはね、
「家族」だよ。
家族が、一番大切なものだよ。

家族にはね、
三つの役目がある。

(1)家族は助けあう。
(2)家族は守りあう。
(3)家族は理解しあう。

今日からね、大声で
こう言おうよ。
「私にとって、一番、大切なものは
家族です!」って。
「家族を一番大切にします!」って。
家族を大切にするということは、
とってもすばらしいことなんだよ。
そしてね、
それが結局は、
幸福の原点なんだよ。



●賢明な人、愚(おろ)かな人

賢明な人はね、なくす前に、その価値に気づくんだよ。
しかしね、愚かな人は、なくしてから、その価値に気づくんだよ。
たとえば健康。たとえば時間。たとえば家族。

それからね、愚かな人とは、つきあってはダメだよ。
愚かな人とつきあっていると、君たちまで、愚かになるよ。
いいかな。
自分よりすぐれている人を見つけて、
その人をいつも目標にするといいよ。

賢明な人はね、いつも自分より、より賢明な人をみつけて、
自分の力のないことを、嘆くのさ。
愚かな人はね、いつも自分より、より愚かな人をみつけて、
それで自分をなぐさめるのさ。
 
それからね、賢明な人は、愚かな人を相手にしない。
でもね愚かな人は、賢明な人に、あれこれ文句を言ってくる。
自分が愚かだとわかっていないからね。

だからちょうど、図書館で本を選ぶように、
君たちも、友や仲間を選ぶんだよ。
これはとても大切なことだよ。



●バカな人
ついでにね、

「フォレスト・ガンプ」という映画の中で、
フォレストのお母さんが、こう言うよ。
「バカなことをする人を、バカと言うのよ。頭じゃ、ないのよ」と、ね。
いい映画だから、一度は見てごらん。

いいかな。バカなことをする人を、バカというんだよ。
勉強ができないとか、成績が悪いとか、そういうことではないよ。
バカなことをする人を、バカというんだよ。
タバコを吸ったり、バイクで夜中に騒いだり、
ゴミを平気で捨てたり、道路にツバをはいたり、
人をキズつけるようなことを平気で言う人を
バカって、いうんだよ。
人をいじめたり、いやがらせをしたり、仲間ハズレをしたりして
おもしろがっている人を、バカっていうんだよ。
君は、そのバカな人ではないんだよ。
だってね、
この文を読んでね、バカの本当の意味がわかったからね。



●懸命に生きようね

「今」を、懸命に生きようね。
あとのことは、考えなくてもいい。
「今」を懸命に生きて、あとのことはあとに任せようよ。
結果はいつも、あとから、勝手についてくる。
気にしなくていい。心配しなくていい。
ぼくもね、この文を、今、懸命に書いているよ。
だれかが読んでくれるかどうか、わからないけれど、
懸命に書いているよ。でもね、大切なことは、
だれかに読んでもらえるかどうかなどということではないよ。
気にしないことだ。ぼくはぼくだし、君は君だ。
でもね、君は、ここまで読んでくれた。
心から「ありがとう」と言うよ。
本当に、ありがとう。
君のことを、心から愛しているよ。
君はね、決して、ひとりぼっちじゃ、ないよ。
心から愛しているよ!
ではね。
またいつか、このページを読んでね!

バ~イ!



++++++++++++++++++++++

●子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何十万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。








最終更新日  2008年07月04日 08時11分59秒
カテゴリ:子どもの世界
●家庭

君は、どこで心を休めているのかな?
家の中。そう家の中だよね。
でも、その家の中のどこかな?
居間かな? 台所かな?
「トイレの中」と言った人もいたよ。
「お風呂の中」と言った人もいたよ。
あるいは「ふとんの中」と言った人もいたよ。

でもね、もし君が、家族のいる、
みんなの中が、一番安心できるとしたら、
それはすばらしいことだよ。
君は、すばらしい家族をもっているということ。
うらやましい、ね。
もしそうなら、君は、君の家族を、
大切にしたらいいよ。
自信をもって、ね。


●まじめな人

言われたことを、しっかりとする人のことを、
まじめな人と思っている人がいるよね。
しかしそれは誤解だよ。
まじめな人というのはね、自分で決めたことを、
しっかりと守れる人のことをいうよ。
他人に言われたことをするのではない。
自分で決めたことを、だよ。
人が見ていようが、見ていまいが、
そういうことは関係ないよ。
あくまでも自分の問題だよ。
まじめか、どうかということは、ね。
だから、まじめな人になるというのは、
実は、とってもきびしいことなんだ。

ぼくはどんな寒い日でも、風が強い日でも、
自転車で仕事に通っているよ。
健康のためだけど、ね。
そういう意味では、ぼくも、結構、まじめな人だよね。
多分……?


●約束

簡単に約束はしないこと。
そのかわり、
約束をしたら、必ず守ること。
どんなことでも、ね。
約束って、本当のところ、
とても重いものだよ。
苦しいものだよ。
だから、
簡単に約束はしないこと。
  

●心

心を解き放とうよ!
空に向かってね。
モヤモヤしたら……。
重苦しく感じたら……。
行きづまりを覚えたら……。
体はあとから、ついてくるって、
昔、ぼくの友人が、
いつも、そう言っていたよ。



●考えること

考えることは、もともと苦しいことだよ。
だからたいていの人は、考えることを
無意識のうちにも、避けようとする。
めんどうだし、ね。
しかし考えるから、人間の、人間としての
価値が、生まれるのだよ。
昔、パスカルという人も、
「考えるところに、人間の偉大さがある」
と、言ったよ。

そうそう、ペラペラと調子のよいことを、
しゃべる人がいるよね。
ああいう人は、本当は何も考えていないよ。
ただ頭の中の情報を、適当に加工して、
それを言葉にして、しゃべっているだけ。
考えているんじゃ、ないんだよ。

いいかな、考えるということと、
情報を加工して外に出すということは、
まったく別のことだよ。
わかった? 


●本物を、ね

本物を見ようね。
本物を聞こうね。
絵でも、音楽でも、何でも、だ。
ニセモノばかり見たり、聞いたりしているとね、
君自身まで、ニセモノになってしまうよ。
美術館へ行こうよ。
コンサートに行こうよ。
でもね、もっと大切なことは、
図書館へ行くことだよ。
図書館にはね、
本物が、山のように、あるよ。
だから、「本」というのかな?
これは、シャレかな?



●正直に生きようよ

いやだったら、いやだと言おうよ。
できなかったら、できないと言おうよ。
飾ることはないよ、ね。
ウソをつくことはないよ、ね。

自分を飾れば飾るほど、疲れるよ。
ウソをつけばつくほど、疲れるよ。
でも、それだけでは、すまないよ。

飾れば飾るほど、見苦しくなるよ。
ウソをつけばつくほど、見苦しくなるよ。

英語にも、「正直こそ、最善」ということわざが、あるよ。
何でもね、正直であることが、一番いいということさ。
だから、
……飾ろうかとか、ウソをつこうかと迷ったら、
この言葉を思い出してよ。
そうすれば、おのずと答えが出てくるよ。
そして、ね。
思い切って正直に、自分を表現してみてごらん。
思い切って正直に、話してみてごらん。
そうするとね、
心の中を、スーッと風が通るのを感ずるよ。
とっても気持ちのよい風が、ね。


●バカなおとなたち

電車の中で騒ぐおとな
車の外にゴミを捨てるおとな
ツバを道路にはくおとな
排気ガスを平気で出すおとな
赤信号をつっ走るおとな
大声でどなりあうおとな
バカなおとなは、いくらでもいるね。
今、そういうおとなたちを、
しっかりと見ておくといいよ。
そういうおとなが、バカだとわかればわかるほど、
君は、賢い人になるということさ。

……そう、おとなになればなるほど、
バカになっていく人はいくらでもいるよ。
君はどうかな?


●その人の価値

その人の価値は、友だちの数で決まるんだってさ。
友だちが多ければ多いほど、その人の価値があがるということだって。
アメリカ人の友人が、ぼくにいつもそう言っていた。

でもね、友だちを作るって、むずかしいね。
本当に、むずかしいね。
君はどうかな?



●前に進もう

学校というところはね、ただ勉強するだけじゃ、ないんだよ。
学校というところには、友だちがいっぱい いるだろ。
そういう友だちを見ながらね、「人」の勉強をするところだよ。
どんな「人」がいて、どんなことをしているか、見てごらん。
たとえば、ね。

前に進んでいる人は、輝いているよ。
何でもいいんだ。どんなことでもいいんだ。
前に向かって努力している人は、すてきだよ。

君はね、そういう人を目標にするといいよ。
つまり、ね、「人」を見るときは、
前の人ばかり見ていけば、いいんだよ。
うしろの人を見ないこと。うしろを気にしないこと。
そして、ね。その人と一緒に、前に進めばいいんだよ。
学校というところは、そういうことも勉強するところだよ。



●許して、忘れな

友だちとのことでね、
いやなことがあったら、
許しちゃいな。
忘れちゃいな。
あとは気にしない。

人間ってね。
同じレベルの人のことで、悩むものさ。
もしいやな人がいて、その人のことで悩んだら、
君自身も、その人と同じレベルということ。
わかるかな?

だったら、ね。その人を超えればいい。
そうすると、ね。その人との問題は、
解決するよ。

だって、ね。
君のほうが、その人の上になるんだもん。
動物園のサルが、君に向かって、
アッカンベーしても、君は気にしないだろ。
それと同じことだよ。

君が上になればなるほど、
相手のことが気にならなくなるよ。
そのためにも、ね。
許しちゃいな。
忘れちゃいな。
あとは気にしない。


●勉強で苦しんでいる君へ

勉強って、いやなものだよ。
だから勉強が嫌いな、君は、ちっともおかしくない。
あんな勉強、好きな人のほうが、どうかしている。

それにね、
勉強ができるから、頭のいい人ということにはならない。
勉強ができないから、頭の悪い人ということにはならない。
勉強ができるから、すぐれた人ということにはならない。
勉強ができないから、劣った人ということにはならない。
勉強と君の価値は、まったく関係ないよ。
君は君だ。君の価値は、君が一番よく知っている。

だからね、
自分を信じて、自分の道を進むんだよ。
君にも、したいことがあるだろ。
君にも、できることがあるだろ。
それが君の価値になる。

今はまだ石に包まれて、光っていないかもしれないが、
いつか光り出す。宝石のように光り出す。
そういうときが必ずくるから、その日を信じて、
今は、その準備のとき。今は、勉強を通して、
じっくりと自分をさがしたらいい。
自分の中の宝石をさがしたらいい。

勉強ができないからといって、あせってはだめだよ。
失望したりしたりしてはだめだよ。
もともと勉強というのは、そういうものだから、ね。
ぼくらは、気楽に行こうよ。気楽に、ね。

そうそう英語ではね、こう言うよ。
テイク・イッツ・イージィってね。
「Take it easy!」と書くよ。
「気楽にしなさいよ」という意味さ。
いい言葉だね。



●文を書こうよ

「考える」ということは、「文にまとめる」ということだよ。
だから、いつもどこかで、文を書いてみようよ。
文を書くことのいい点はね、同じことでは、悩まなくなることだ。
つまりね、一つの問題にぶつかったら、文を書く。
書いて、結論を出す。そうするとね、その問題では
もう悩まなくてすむようになる。つまり、ね。
時間をムダにしなくて、すむということさ。
これをしないとね、いつまでも同じ問題で
悩むことになるよ。

そうそう「考える」ということはね、
ちょうど、だれも歩いたことがない荒野を、一人で歩くようなものだよ。
いくら先へ進んでも、その前にまた別の道がある……。
でもね、それは、とってもスリリングなことだよ。
いつも新しい景色が、そこで待っていてくれる。
それはいわば、頭の中の冒険のようなものだよ。
ひょっとしたら、頭の中は、この宇宙よりも広いかもしれない。
君も、その冒険に乗り出してみてごらん。
おもしろいよ。



●好きな人ができたらね……

好きだったら、「好き」って
言えばいいよ。
絶対に後悔しないよ。
言わないほうが、後悔するよ。
だけどね、一つだけルールがある。
相手の人が、「ノー」と言ったときはね、
さっと、引きさがること。
相手の人が、一番いいようにしてあげるのが、
恋なのさ。それが「本当に好き」という意味なのさ。
相手の迷惑になるようなことはしてはいけないよ。
いくら、フラれてもね。
……そういう気持ちでいるとね、
次には、もっとすてきな人が現れるよ。
そしてね、そのときは、うまくいくよ。



●意地悪(いじわる)

ぼくも、いつも意地悪をされているよ。
何かを話しかけても、口をきいてくれない人もいるよ。
かわいそうな人だね。自分では、一人前のつもりでいるから。
そういう人に限って。ぼくはね、おもしろいから、その人に 
わざと あいさつをしてやるよ。そうするとね、ますます
ぼくを無視するよ。それがおもしろいのさ。
だって、そういうことをする人は、かわいそうな人だもんね。
心がせまいというか、住む世界がせまいというか。
ぼくは全然そういう人を相手にしてないのにね……。

もしいじめにあったら、そのときこそ、
自分が大きくなるときだと思えばいいよ。
大きくなって、大きくなって、その人を
乗り越えるのさ。それは簡単にできるよ。
だってね、意地悪する人というのはね、
もともとちっぽけな人間だから、ね。
ちっぽけな人間だから、人に意地悪をして喜んでいるのさ。



●友だち

君を、前にひっぱっていく友だちがいるよ。
しかしね、君を、うしろへ、ひっぱっていく友だちも、いるよ。
君に、夢や希望を話し、君と一緒に歩こうとうする友だちが、いるよ。
しかしね、君に悪いことを教え、君と一緒に逃げようとする友だちも、いるよ。
賢い君は、もうわかるね。どちらの友だちが、本当の友だちか?
あとは、君自身の判断に従えばいい。

それからね。ここが大切なところだけれど、
君は、君の友だちを、前にひっぱっていく人になるんだよ。
そうするとね、君のまわりには、すてきな人が集まってくる。
それはとっても、すばらしいことだよ。



●知恵

考えるから人間だよね。
しかしね、その考えることを、
悪いことに使う人がいるよ。
せっかく、すばらしい知恵をもちながら、ね。
そういう人は、知恵のゴミを、
社会にまき散らしているのさ。
かわいそうな人たちだけど、
自分では、それに気づいていない……
君にも知恵はあるだろ。
その知恵はね、
みんなのために使おうね。
せっかく、この宇宙に、
人間として生まれたんだから、ね。
たった一度の人生だから、ね。
大切に、その知恵を使おうね。









最終更新日  2008年07月04日 08時11分33秒
カテゴリ:子どもの世界
●願い事

ぼくもね、実のところ、子どものころ、
よく神様に願いごとをしたよ。
でもね、「原爆の少女、偵子(さだこ)」を
読んでから、考え方が変わったよ。
「ぼくより、ずっと真剣に祈った人がいる」
「ぼくよりずっと、神様の力を必要としている人がいる」って、
そんなふうに考えたら、
もう神様や仏様に向かって、
「~~してください」などとは、
祈れなくなってしまった。
そのかわり、
「ぼくよりずっとあなたの力を必要としている人がいる。
もしあなたに力があるなら、ぼくはいいから、
そういう人のために、あなたの力を使ってください」と
思うようになった。つまりね、
それからは、神様や仏様には、
願いごとをしなくなったというわけ。
これはぼくの個人的な意見だよ。
君は君で、考えればいいよ。



●地球

知っているかな。
太陽を直径15センチのボールにたとえるとね、
地球はそこから10メートル離れたところにある、
直径0・5ミリ(1ミリの半分)の大きさの玉なんだよ。
宇宙船で太陽系を飛んでいてもね、
地球に気がつく人はいないかもしれない。
地球はそれほど小さい……?
目の前には、砂丘の砂の数ほどの太陽があるからね。
ぼくは「人間」を考えるとき、
いつもこのことを頭におくよ。
でもね、だからといって、
「人間はつまらない」と言っているのではないよ。
誤解しないでね。
ときどき、そういうふうに、
ものごとは宇宙からみた視点でかんがえるといいということ。
そうするとね、人間のことがよくわかるよ。



●時の流れ

時の流れは風のようなものだよ。
どこからともなく吹いてきて、
またどこかへ去っていく。
つかもうとしても、つかめないよ。
そしてね、
風は時に強く、
また時に弱く、止まるときもあるよ。
そういうときはね、
また風が吹き始めるのを待つんだよ。
あせってもしかたないもん、ね。
時の流れは、そういうものだよ。



●友だち

無理して、みんなと仲よくしようなどと、
思わなくてもいいんだよ。
英語のことわざにもね、
「二人の人に、同時によい顔はできない」
というのがあるよ。
気楽にいこうよ。
気楽に考えようよ。
無理して、いい子ぶることはないよ。
そんなことをしていると、
疲れるもんね。
でもね、一つだけ、お願いがあるんだ。
それはね、君のまわりに、
友だちがいなくて、
さみしそうにしている人はいないかな?
もし、いたらね、その人とは
仲よくしてあげてね。
「こんにちは」とか、「遊ぼうよ」と
声をかけてみてあげてね。
それはとっても、大切なことだよ。
それは、とっても楽しいことだよ。
このお願いだけ聞いてくれるなら、
あとは、無理しなくてもいいよ。



●男と女

「男だから」とか、「女だから」とかいう言葉は、
まちがっているよ。
「男のくせに」とか、「女のくせに」とかいう言葉も、
まちがっているよ。
そんなふうに考えている人がいたら、
「それはおかしい」と、言ってあげよう。
これからは、もう、そういう時代ではないよ。



●チャレンジ精神

何にでも、チャレンジしていこうよ。
それでいい。結果はあとからついてくる。
ついてこないかもしれない。
気にすることはないよ。
まず、チャレンジ。
それでいい。



●相手のこと

イギリスのことわざに、ね、
「相手は、自分が相手を思うように、自分を思う」というのが、あるよ。
つまりね、
君が、AさんならAさんを、「いい人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いい人だ」と思っているということ。
君が、AさんならAさんを、「いやな人だ」と思っていると、
Aさんも、君のことを、「いやな人だ」と思っているということ。
そういう意味でね、人間の心は、カガミのようなものだね。

だからね、みんなと仲よくしたかったら、みんなのことを「いい人だ」と
思うようにするといいよ。そうするとね、みんなも、君のことを
「いい人だ」と思うようになるよ。やってみたら?


●家族

家族を大切に、ね。
家族は、一緒に住むんだよ。
家族は、みんな、助け合うよ。
家族は、守りあうんだよ。
あのね、幸せは、ね。
そんなに遠くにあるんじゃ、ないよ。
君のそばにあって、
君に、見つけてもらうのを、息をひそめて、
そっと待っているんだよ。
君の、すぐそば、でね。
ほら、知っているかな?
ボームという人が書いた、
「オズの魔法使い」さ。
あの中でね、ドロシーという女の子と、
トトという犬が、虹の向こうにあるという
幸せを求めて、旅をするだろ。
そしてエメラルド・タウンをめざすんだ。
しかし、ね。
本当の幸せは、カンザスのいなかの、
自分の家の中にあることを
知るんだよ。
幸せっていうのは、
そういうもの。
わかった?
わかったら、家族を
大切にしようね。



●偉い人

偉い人なんて、いないよ。
人間は、皆、平等だよ。
でもね、尊敬できる人はいるよ。
地位や、肩書きには関係なく、ね。
君のすぐそばにいるよ。
そういう人をさがしてみてごらん。
君だけが知っている、
君が尊敬できる人だよ。
必ず、君のすぐそばにいるよ。



●仕事

人間に上下はないよ。
仕事にも上下はないよ。
君がしたい仕事。
君がしなければならない仕事。
君ができる仕事。
それをさがせばいい。
そして、ね。
一度それを見つけたら、
それを一生かかってするんだよ。
人が何と言おうが、
気にすることはない。
気にしてはだめだ。
君は君の道を信じて、
まっすぐ前に
進めばいい。



●勉強部屋

勉強はね、一番したいところですればいい。
勉強部屋の机に向かってするなんて、
だれが決めたのかな?
そんなルールはないよ。
オーストラリアのぼくの友人は、
いつもベッドにねそべって、勉強していたよ。
そのほうが、よく考えられるからだって、さ。
つまりね、勉強には「形」はないの。
わかる?
だからしたいところで、したいようにすればいいんだよ。



●消しゴム

ぼくは、よく「消しゴムは使わないほうがいい」と言うだろ。
それはね、まず、君たちに、
考えてから書く習慣を、身につけてほしいからだよ。
消しゴムと仲よしになるとね、
書いてから考えるようになるよ。
そうするとね、考えがまとまらなくなる。
それだけではないんだよ。
消しゴムと仲よしになるとね、
時間がうんと、ムダになるよ。
消しゴムばかり使っていてね。
まちがえたら、一本、線を引いて、
それで消したことにすればいい。
それにね、
消せばなおるという人生観、
いやだね。
人生というのは、
一度過ごしたら、
消せないんだよ。
だから、「いつか消そう」などというふうに、
思って生きてはいけないよ。
「いつか消せる」と思っても、
いけないのだよ。
いつも真剣勝負だよ。
だから、消しゴムとは、
仲よしにならないほうが、いいよ。



●迷信

うらないや、まじないっていうのがあるね。
ああいうのは、みんなウソだよ。インチキだよ。
信じちゃ、だめだよ。ああいうのを信ずるとね、
自分が自分でなくなってしまうよ。
いつの間にか、ね、
自分で考えられなくなってしまうよ。

ぼくが神様ならね。
あるいは仏様でもいい。
いちいちみんなのことを、
そこまでこまかく、気にしないよ。
めんどうだもん。

自分の未来や運命は、自分で決めるものだよ。
だれでもない、自分自身が決めるんだよ。わかった?


大切なもの

生きるときに大切なものは、
自由と、平等と、正義さ。
この三つは、守ろうね。



●やさしさ

ほかの人を喜ばすことが、
自然な形で、できる人を、
やさしい人と、言うんだよ。
君はどうかな?
それができるかな?
方法は簡単だよ。
何かを買うときでもね、
「これがあったら、
パパが喜ぶだろう」
「これがあったら、
ママが喜ぶだろう」と、
考えて、買えばいいんだよ。
そうすれば、
君も、そのやさしい人に
なれるよ。

 

●邪悪なもの

心がゆがんでくるとね、
邪悪なものに、興味をもつようになるよ。
「殺す」「命」「悪魔」「戦争」とか、
そういう言葉にひかれるようになるよ。
それは病気のようなものさ。
心の、ね。
だから、もし君が、そういうものに、
ぐんぐんと心がひかれたら、ね、
それは君の心が、病気になり始めたということ。
風邪をひいて、熱を出すように、ね。
そういうときは、心を休めよう、よ。
無理をすることはないよ。
そして、ね。
少しは自分と戦って、
そういうものから、遠ざかるようにしようね。
でないと、心というのは、
もっと、もっとゆがんでくるよ。
病気は、どんどんと重くなるよ。


●悲しくなったら……

悲しくなったら、
空を見て、
星を見て、
大声で泣けばいい。
ぼくは、いつも
そうしてきた。
広い空はね、
きっと
君の
悲しみを、
なぐさめてくれるよ。








最終更新日  2008年07月04日 08時10分34秒
カテゴリ:子どもの世界
【こどもたちへ】(Songs for Children, written by Hiroshi Hayashi)

●たった一度の人生だから

たった一度しかない人生だから、思う存分、生きてみようよ。
海は広いんだ、空は広いんだ、宇宙は、もっと広いんだ。
だれにも遠慮することは、ない。何も恐れることはない。
心を解き放(はな)とうよ。
海に向かって、空に向かって、宇宙に向かって。
体はあとからついてくる。

でもね、自由に生きるということは、そんなに楽なことではないよ。
「自由」というのはね、もともと「自らに由(よ)る」という意味だよ。
自分で考えて、自分で行動して、そして自分で責任をとるということ。
だから自由でいるということは、とってもきびしいことだよ。

ちっぽけな肩書きや地位に満足してはいけないよ。
名誉や名声を先に求めてはいけないよ。
そんなことをすれば、君の人生は、見苦しくなるだけ。
つまらなくなるだけ。
今やるべきことを、懸命にやろう。
それでいいのさ。
人がどう思うと、そんなこと気にしてはいけない。
君の人生は、どこまでいっても、君のもの。
だれのものでもない。だから思う存分、生きてみようよ。

君を判断するのは、君自身だよ。ほかのだれでもない。君自身だよ。
そういう意味でもね、自由に生きるということは、孤独なことだよ。
勇気がいることだよ。
でもね、結局はそのほうが、自分の人生を生きることになるんだよ。


●成績

成績が悪かった、て?
そう……。いやなもんだね、成績って。
でもね、成績は、あくまでも勉強について、だよ。
君の価値とはまったく関係ないよ。
だから大切なことは、
成績が悪いからといって、
自分の価値まで否定してはいけないということ。
君は君だしね。
まあ、また、やってみようよ。
まだまだ次があるからね。
めげないでさ。
いちいち気にしていたら、
人生、つまらないよね。
……そう、ぼくなんか、
今、成績つけられたら、
ひどい成績だと思うよ。
老人度……82点
ボケ度……90点
嫌われ度……98点
……なんてね。笑った?
笑って、先へ進もうよ。
そうそう、君は、「宝島」という本を知っているかな。
「ジキル博士とハイド氏」でもいい。
あれを書いた、スティーブンソンという人は、
こう言っているよ。
『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進む事だ』とね。




●悩み

悩みにも、二種類あるよ。
どうしようもない悩みと、
何とかなる悩みだよ。
どうしようもない悩みは、
あきらめようよ。しかたないもん、ね。
でもね、何とかなる悩みは、
……むずかしいね。
ぼくにも、わからない。
だってね、ぼくはね、
そういう悩みを、山のように
もっているからね。
ありすぎて、
どうしたらいいか、
わからないでいる。



●810年後

君がいつか、おとなになり、結婚したとするだろ。
そして二人の子どもをもったとするだろ。
そしてその二人の子どもが、
またおとなになって、結婚したとするだろ。
そしてまた二人ずつの子どもをもったとするだろ。
そうすると、ね、27代目には、君の子孫は、
1億3000万人を超えるんだよ。
今の日本の人口とほぼ、同じになるというわけ。
わかるかな。そしてね、一世代を30年で
計算するとね、つまり30かける27で、
810年後には、そうなるんだよ。
たった810年後には、日本中が君の子孫になるというわけ。
すごいことだね。
……こう考えると、「自分だけは」とか、
「自分の子どもだけでも」と考えることが、
いかにつまらないことか、わかるよね。
ときどきは、そういうふうに考えてみてごらん。
世界が、ぐんと広くなるよ。



●正直に言ってみようよ

言いたくないことも、あるさ。
かくしたいことも、あるさ。
だまっていたいことも、あるさ。
ウソをつきたいことも、 あるさ。
知られたくないことも、あるさ。
でもね……。
正直に、言ってみようよ。
勇気がいることだけれど、
思い切って、言ってみようよ。
つらいし、苦しいし、いやかもしれないけれど、
正直に、言ってみようよ。
するすると、ね。
……
ずっと、ずっと、心が軽くなるよ。



いやだったら……

いやだったら、「いやだ」って、
言えばいいんだよ。
無理することないよ。
でもね、一つだけ、
こんなことに注意してよ。
君の「いや」は、わがままではないか、と。
もし、そうなら、君の「いや」には、
意味がないよ。
その「いや」は、よくないよ。



●なくすもの

おとなになるにつれてね、
なくすものも、あるんだよ。
何だと思う?
それはね、
感動と、純粋な心だよ。
たとえば虹を見たときね、
君は、ワーッて、歓声をあげるよね。
でもね、おとなになると、
そういうふうに感動しなくなるよ。
とってもさみしいことだけれどね。
それにね、
純粋な心もなくなるよ。
とってもさみしいことだけれどね。
でもね、
君たちは、大切にしようね。
いいか、よく「子どもっぽい」と
笑う人がいるだろ。
しかしね、
子どもっぽいということは、
とてもすてきなことなんだよ。
すばらしいことなんだよ。
だから恥ずかしく思うことはなんだよ。
いつまでも、いつまでも、
感動と、純粋な心を大切にしようね。
おとなにんるとき、
なくしちゃあ、だめだよ。
ワーズワースという人は、
こんな詩を書いているよ。

子どもは人の父

空に虹を見るとき、
心ははずむ。
私が子どものころもそうだった。
おとなとなった、今もそうだ。

願わくば私は、
歳をとって、死ぬときも、
そうでありたい。
子どもは人の父。
自然の恵みを受けて
それぞれの日々が、
そうであることを、
私は願う。



●君の価値

君の価値は君が一番よく知っている。
だから、ね。だれも認めてくれなくても、
気にしてはだめだよ。
大切なことは、だれも認めてくれなくても、
自分をそまつにしないこと。
ぼくたちは、いつでも、どこでも、
気高(けだか)く生きようよ。
ぼくは世界中で、ただ一人。
君は世界中で、ただ一人。
ぼくは世界中で、最高の人間。
君は世界中で、最高の人間。
これは事実だよ。



●希望

人は、悪いこともするけれど、
努力によって、
神様のような人にもなれる。
それが「希望」だってさ。
みんな天使のような人に
なってしまったら、
この世界、つまらないよね。
いろんな人が
いろんなドラマを展開するから、
この世界、おもしろいんだよ。
聖書の中の説話だけど、
ぼくの好きな説話だよ。



●バカな人

バカな人は、賢い人にかみつくよ。
しかしね、賢い人は、バカな人を
相手にしないよ。無視するよ
それがバカな人と、賢い人の違いだよ。



●荷物をもってあげようよ

お母さんが、買い物から帰ってきたよ、ね。
お母さんは、重い荷物をもって いるよね。
そういうとき、君はどうしてる?
だまって見ている?
知らないフリをする?
いけないよね。
そういうときはね、お母さんの荷物を
もってあげようよ。
きっとね、君はね、あとで、胸の中が
スーッとするのを感ずるよ。
ウソじゃないよ。本当だよ。
一度、ためしてみてごらん。
本当に、胸の中が、スーッとするよ。


●将来

10年後の君は、どうなっているかな?
20年後の君は、どうなっているかな?
そんなことを考えると、いろいろ不安になるかもしれないね。
でも、心配、いらないよ。
きのうがあって、今日があるように、
必ず明日があるよ。
そして明日があるように、
10年後の君はいるよ。
20年後の君はいるよ。
だからそんな先のことは心配しないこと。
今できること。今しなければならないこと。
それを一生けんめいに、しようよ。
それでいいんだよ。
明日になれば、明日のことはわかるから、ね。
今日一生けんめいしておけばね、
明日のことが楽しみになるよ。



●自分の力で生きようよ

神様や仏様に祈って、
それで自分の願いをかなえようという人がいるよね。
それぞれの人が、それぞれの思いをもって、
真剣にそう願っているのだから、
ぼくには、何とも言えないけど、
君たちは、自分の力で生きようね。
だれかに助けてもらうとね、
何かを成しとげたとき、
喜びが半分になってしまうよ。
「神様のおかげで、1等賞をとりました」と言うのは、
どこか、さみしいね。
失敗しても、1等賞がとれなくても、
君は君。いいじゃない。
それで……。








最終更新日  2008年07月04日 08時09分54秒
2008年03月15日
カテゴリ:子どもの世界
●好きな子、嫌いな子(Those whom we like, those whom we don’t like)
Here I introduce an easy way to know its each relationship between children, developed by Morea. Just advice children to write the names, with whom he or she wants to sit next or with whom he or she doesn’t want to sit next. Then we can know who is suitable as a leader of the class or who is supposed to be bullied in the future. Then we can apply this for preventing of bullying among children.)

+++++++++++++++++

以前、こんな原稿を書いた。
この原稿が、思わぬところで、
反響を呼んでいる。

「反響」といっても、
たいしたものではないが、
まず一読してほしい。

++++++++++++++++

【あなたは過関心ママ?】

●過関心は子どもをつぶす

 子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、しかしそれが度を超すと、過関心になる。こんなことがあった。

ある日一人の母親が私のところへやってきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子どうし、並んでいい』と言ったが、うちの子(小二男児)のように友だちがいない子どもはどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮に欠ける行為だ。これから学校へ抗議に行くので、あなたも一緒に来てほしい」と。さらに……。

 子どもが受験期になると、それまではそうでなくても、神経質になる親はいくらでもいる。「進学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼる」と言った母親もいたし、「子どものテスト週間になると、お粥しかのどを通らない」と言った母親もいた。しかし過関心は子どもの心をつぶす。が、それだけではすまない。母親の心をも狂わす。

●育児ノイローゼ

 子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑う。症状としては、ささいなことで極度の不安状態になったり、あるいは激怒しやすくなるのほか、つぎのようなものがある。(1)どこか気分がすぐれず、考えが堂々巡りする、(2)ものごとを悲観的に考え、日常生活がつまらなく見えてくる。さらに症状が進むと、(3)不眠を訴えたり、注意力が散漫になったりする、(4)無駄買いや目的のない外出を繰り返す、(5)他人との接触を避けたりするようになる、など。

 こうした症状が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●汝(なんじ)自身を知れ

 過関心にせよ、育児ノイローゼにせよ、本人自身がそれに気づくことは、まずない。気づけば気づいたで、問題のほとんどは解決したとみる。そういう意味でも、自分のことを知るのは本当にむずかしい。『汝自身を知れ』と言ったのはキロン(スパルタの七賢人の一人)だが、哲学の世界でも、「自分を知ること」が究極の目的になっている。

で、このタイプの親は明けても暮れても、考えるのは子どものことばかり。子育てそのものにすべての人生をかけてしまう。たまに子どものできがよかったりすると、さらにそれに拍車がかかる。いや、その親はそれでよいのかもしれないが、そのためまわりの人たちまでその緊張感に巻き込まれ、ピリピリしてしまう。学校の先生にしても、一番かかわりたくないのが、このタイプの親かもしれない。

●生きがいを別に

 子育ては人生の「大事」だが、しかし目標ではない。そこでこう考える。『子育ては子離れ』と。子育てを考えたら、一方で手を抜くことを考える。手を抜くことを恐れてはいけない。子どもというのは不思議なもので、手を抜けば抜くほど、たくましく自立する。

要するに「程度を超えない」ということだが、それがまた親子のきずなを深める。あのバートランド・ラッセル(イギリスの哲学者、ノーベル文学賞受賞者)もこう言っている。『子どもに尊敬されると同時に子どもを尊敬し、必要な訓練はほどこすけれども、決して程度を超えない親のみが、家族の真の喜びを与えられる』と。

●一人の人間として

 あなたが母親なら、母親ではなく、妻でもなく、女性でもなく、一人の人間として、生きがいを子育て以外に求める。ある母親は、娘が小学校へ入学すると同時に手芸の店を開いた。また別の母親は、医療事務の講師をするようになった。地域の会に積極的に参加するようになった人もいるし、何かのボランティア活動をするようになった人もいる。

そういう形で、つまり子育て以外のところで、自分を燃焼させる場をつくり、その結果として子育てから遠ざかる。

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●ソフト開発

この中で、私は、「好きな子どうし並ばせてみる」ということについて、書いた。
ここに書いた母親は、それを問題にした。

しかしこの方法、つまり「好きな子どうし並ばせてみる」というのは、
心理学的に、子どもどうしの人間関係を知るひとつの方法として、
たいへん有効である。子どもの深層心理を知り、さらには、(いじめの問題)
を解くカギになる。

もっと言えば、この方法は、モレノという学者が考えた、「ソシオメトリー」
として、心理学の世界では、確立された方法のひとつである。

具体的に方法を説明しよう。

私の教室に、7人の子どもがいる。全員、小4である。
その子どもたちに、一枚の紙を渡す。

「あなたはだれと並んで座りたいですか。名前を1人書きなさい」
「またあなたは、だれと並んで座りたくないですか。名前を1人書きなさい」と。

「秘密は守ります」「だれにも見せない」ということを、何度も念を押す。
この方法を応用するためには、何よりも、教師と生徒の間の信頼関係が大切。
その信頼関係がなければ、この方法を、応用することはできない。

で、7人の子どもがこう書いたとする。

A:いっしょに座りたい人……C
  いっしょに座りたくない人……F

B:いっしょに座りたい人……D
  いっしょに座りたくない人……C

C:いっしょに座りたい人……A
  いっしょに座りたくない人……F

D:いっしょに座りたい人……C
  いっしょに座りたくない人……G

E:いっしょに座りたい人……D
  いっしょに座りたくない人……G

F:いっしょに座りたい人……C
  いっしょに座りたくない人……E

G:いっしょに座りたい人……E
  いっしょに座りたくない人……F

そこでこれらの関係を図表化してみる。
A、B、C、D、E、F、Gの7人を、それぞれ線でつないでみる。

すると、Cに、人気が集まり、一方、Fが人気がないのがわかる。
Cとライバル関係にあるBは、Dに好意を寄せている。
Gも孤立しているが、Bの仲間に入れることは可能である……などなど。
そういうこともわかる。

つまりこの方法によって、そのクラスが、どういう人間関係で構成されているか、
おおまかに知ることができる。
同時に、人気のある子どもや、そうでない子どもを知ることによって、どの子どもを
リーダーにすると、クラスがまとまり、またどの子どもが、仲間はずれにされているかが、
わかる。

仲間はずれにされている子どもは、当然、将来、いじめの対象になることも考えられる。
またその相関図がわかれば、どうすれば、いじめを防ぐことができるかもわかる。

ここでは7人の子どもを例にあげたが、簡単なプログラミングで、
50人単位、100人単位の人間関係を知るソフトも可能である。

(二男に頼めば、すぐソフトを開発してくれると思うが……。
BASIC言語でもよければ、私にもできる。EXCELでは無理だと思う。
どなたかスポンサーになってくれる人は、いないか?)

プリグラミングの条件として……。

(1)「座りたい人」を(+1)にする。
(2)「座りたくない人」を(-1)にする。
(3)(+)の得点の多い人を、青い円で表示する。
   得点に応じて、円の大きさを変える。
   たとえば(+3)の人は、円の半径を30ドットにする。
   (+5)の人は、円の半径を50ドットにする。
   (-)の得点の多い人を、赤い円で表示する。
(4) それぞれの相関関係を、図表化する。
たとえば、いっしょに座りたい人に向かっては、青線表示。
座りたくない人に向かっては、赤線表示。
(5) その相関関係を、シャッフルしながら、まとめていく。
(方法としては、赤線、青線の長さが最短になるように表示する。)
(6) こうして人気のある人、人気のない人が一目でわかるようにする。
ライバル関係(派閥の長関係)にある人は、黄色の線でつなぐ。
その人を救済する立場にある人を、緑の線でつなぐ。

教育関係(学校)では、この方法で、教師は、いじめの対象となりやすい子どもを
事前に知ることができる。
またどうすれば、その子どもを、ワクの中に取り込めるかもわかる。

時間があれば、ソフトの開発をぜひやってみたい。

(私はこう見えても、20代の終わりごろから、30代のはじめ、自分で
ソフトを開発して遊んでいた。一度だけだが、私が開発した、「宇宙空間移動
ゲーム」は、地元のパソコンソフト会社が、買いあげてくれた。)
(これは自慢話!)

ともかくも、そういうこともあるから、学校の先生が、「好きな子どうし並んでみなさい」
と言っても、親は、過剰に反応しないこと。
子どもの人間関係を、それによって、簡単に知ることができる。
ひょっとしたら、その先生も、この方法を試してみたのかもしれない。

……ということで、以前書いた原稿を、ここで再度、とりあげてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist モレア ソシオメトリー 人間相関図 いじめの問題 いじめの予防策 いじめ予防法)






最終更新日  2008年03月15日 21時04分09秒
2007年11月08日
カテゴリ:子どもの世界
【W中学校の父母よりの、質問に答えて……】(1)

 W中学校の父母より、こんな質問が届きました。

 「仮想現実体験と、実体験のちがいにより、心の形成には、どのような影響が出るか」という質問です。

 それについて考える前に、以前書いた原稿を、そのまま、ここに転載します。(一部は、中日新聞に投稿済み。)少し質問の趣旨からは、脱線すると思いますが、お許しください。この中で、私は仮想現実体験(パソコンやテレビゲームの世界)のもつ、一つの問題点を、取りあげてみました。

+++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。

娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でした。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度には見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。

私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方については、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。

そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っています。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係があるのでしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なのでしょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていますが、私が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。

自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成ります。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎの原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと思います。

+++++++++++++++++
 
●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知ることは難しい。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だったかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。するとその子どもは、こう言った。

「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に行くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分でない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗を繰り返すことである。

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 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということになります。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさい」と言っても、子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようもないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜在意識というのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる意識のことです。いろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速にこの自意識が育ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時に、その自分を、自分でコントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ども自らの意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自意識を期待しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ども自身は、自分ではそれがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く子でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている態度には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないようです。
●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはずもありません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」「落ち着いて会話しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と言ったところで、ムダというものです。






最終更新日  2007年11月08日 08時44分44秒
カテゴリ:子どもの世界


たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだけでも、いろいろあります。されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえり、欲求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメールによると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、心配先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それこそ数かぎりなく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「なおそう」とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期によく見られる一過性の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。

むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視することによって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」「これがダメ」という指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまいます。生きザマそのものが、マイナス型になることもあります。

 私も幼児を三五年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とかなおしてやろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はないのですね。子どもというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然になおっていく。UYさんのお子さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学三、四年生を境に、症状は急速に収まってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコントロールするようになるからです。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「みんなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっこよくしたい」「みんなに認められたい」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしないことだけを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、UYさんができることを、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自信をもってください。私のHPを読んでくださったということだけでも、UYさんは、すばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中になっているようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私が最近書いた原稿(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてください。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過関心ではないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもありません。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほとんどの人は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、過関心や過干渉を繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育児ノイローゼ気味なのかもしれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを分担してもらったほうがよいかもしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」という部分についてですが、こう考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学一年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まっていきます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますから、見た目には、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよくわかりますが、一方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめます。コツは、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで愛情の糸を切らないというのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないことです。それを感じると、今度は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも暴れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしまいます。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくまでも愛情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは何をしてもよいのです。あまり神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学三、四年生になるころには、消えています。ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてください。そして、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、そのときわかってくださると確信しています。

もっとも、それまでの間に、いろいろあるでしょうが、そこは、クレヨンしんちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってください。コミックにVOL1~10くらいを一度、読まれるといいですよ。テレビのアニメは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2-25号に掲載しますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点があれば、至急、お知らせください。
(030217)

※ ……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考える考え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生物的意識」というのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生物的意識がなくなった状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われている。この自己意識は、四歳くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれている(静岡大学・郷式徹助教授「ファミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」と回答している。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。






最終更新日  2007年11月08日 08時44分07秒

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