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楽天・日記 by はやし浩司

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私が見た映画

2009年08月24日
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カテゴリ:私が見た映画
●8月25日

++++++++++++++++++

今朝は、8時間、たっぷりと眠った。
眠る前、SPという女性専用の精神安定剤を
半分、舌の先で溶かしてのむ。
(通常は1錠、もしくは2錠が適量だそうだ。)

それをのむと、朝までぐっすりと眠られる。

で、起きてパソコンに電源を入れる。
TK先生(恩師)からのメールが届いていた。
今日は、そのメールを読むところから
始まった。

昨日、山荘の栗の木を切った。
そのとき撮ったビデオを、先生に送った。
その返事。

++++++++++++++++++

【TK先生からのメール】

林様:

今度はよく見られました。 大変な重労働でしたね。 梯子や脚立から落ちたりしないよう十分に気をつけて下さい。 それにしても切った木はどのように片つけるのでしょうか。 昔のようにたき火もできないし、細かく切って袋に入れる作業もそれこそ大変ではないかと想像しています。 御苦労様でした。

私はビニルのひもが早く回って雑草や芝刈りが精いっぱいです。 それにしても最初に除草機を動かすには私の力では動かないので、介護の人が来たときに引っ張って動かしてもらいます。 もっと簡単なものがないかと気にしています。 一人住まいで庭の手入れが精一杯です。

来月は理科大の卒業生が20人あまり「先生の庭の除草に来ますが、まさか偉くなった弟子に除草でもないし、一仕事です。 芝生よりも雑草の方が元気良く増えますから。 何時まで管理ができるか、先が思いやられます。 未だ老化など全然考えない貴方には分からない心境ですけれど。 その一週間後には例の「サロン・ド・タマル」があり、結構忙しいです。 皆よく来てくれると有難く思っています。 こんなこと全く例外的なことだとよく言われます。

私の化学会の「インタビュー」(写真入りもお送りしましたっけ)が思いの外、評判になって「現在の日本の教育は危機状態である」と日本化学会の会長さんをはじめ、幾人もの連中が相談を始めています。 もう私のような老人が出る幕ではないし、出来るだけ控えたく思っていますが、来月に開かれる化学会の「顧問会」(会長経験者敬の集まり)には主題の一つになりそうで迷っています。

くれぐれもお元気で。

TKより

++++++++++++以上、TK先生からのメール+++++++++++++++

 「老化?」。
私よりTK先生の方が、若い!
毎月のように、多くの弟子や研究者が、先生のもとを訪れている。
東大でも、教授になった弟子の数がいちばん多いのが、TK先生である。
以前、「総理大臣が(自宅まで)あいさつに来ました」と、話してくれたこともある。
少し前までは、天皇陛下のテニス仲間でもあった。
(この3月に人工関節にしてからは、テニスの話は聞いていない。)

 80歳を過ぎても、外国の文献を翻訳し、出版している。
そういう人物を、「若い」という。

 私の親類などは、まだ60代なのに、一周忌だの、三周忌だのと、墓参りや法事
ばかりを一生懸命している。
そればかりにこだわっている。
その(ちがい)というか(落差)を覚えるたびに、「老後って何?」と考えさせられる。

 TK先生には、とてもかなわないが、目標はTK先生。
生きざまをまねしたい!
私は死ぬまで、ヤンング・オールド・マンを貫くぞ!

(追記)
栗の木を切った様子は、YOUTUBEにアプロード済み。
「hiroshihayashi」で検索してくださると、お楽しみいただけます。)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 老後 ヤングオールドマン Young Old Man ヤング・オールド・マン)

【はやし浩司よりTK先生へ】

お元気そうですね!!!

よかった!!!!

切り取った木は、そのまま裏山の空き地に投げ捨てていきます。
1~2年もすると、木は枯れ、やがて土に返っていきます。
その土を取りだし、一度、日干しにしたあと、今度は肥料にします。
リサイクルです。
日干しにするのは、虫の卵がいっぱい入っているからです。

私も何度か、草刈りに行ってあげようかと思いましたが、
もともと草刈りはへたです。
最近は、山荘周辺の200~400メートル前後の道の両側まで
草刈りをしています。
このあたりも高齢化が進み、草を刈る人が、年々少なくなってきました。

しかしよい運動になります。
汗をかくのは、よいことです。
それに楽しいです。

たしかに化学は嫌い……という高校生がふえています。
ほとんどがそうではないかな?
どうして?、と聞くと、必ず返ってくる言葉が、「暗記がめんどう」と。
みな、暗記科目と誤解しています。
この誤解を解くのがむずかしいですね。
古い切り傷のかさぶたのように、固まっていますから……。

コンピュータゲームで、そういう楽しいゲームはできないものでしょうか?

たとえば、新型放射線シールド物質の作り方……とか何とか?
分子を合成して、合成たんぱくをつくろうというのでもよいかもしれません。
ゲーム化してしまうのです。

私も現役時代だったら、(つまり教材屋時代の私だったら)、どこかへ
話をもちかけて、ゲーム化したかもしれません。

今日は8時間たっぷり眠りました。
朝の風も気持ち良く、すがすがしい気分です。

今朝も始まりました。
がんばります!
メール、ありがとうございました。

はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●映画『ハリーポッター』(A Half Blood Prince)

++++++++++++++++++

昨夜、日曜日の夜ということで、深夜劇場へと足を運んだ。
観たのは、『ハリーポッター』(A Half Blood Prince)。

くだらないというか、まったく、意味のない映画。
星など、つけようもない。
しかしあえてつければ、1つ。★。

よくもまあ、あのようなアホな映画をつくるものだ。
むしろ、そちらのほうに感心した。

ひとつの魔法が生まれると、今度はそれを打ち消す魔法が生まれる。
別のところでは有効だった魔法が、今度は無効。
あるいは魔法を使えば簡単に解決できるような場面でも、あえて
使わなかったり……。

マッチ・ポンプ映画というか、矛盾だらけ映画。
哲学もゼロ。
感動もゼロ。

結局、ダラダラと話がつづいて、何一つ問題を
解決しないまま、そこで終わり。
「次回へつづく」と。

私は字幕版のほうを見たが、英語は、シェークスピア的な
格調高いもの。
字幕の方では、それがうまく表現されていなかった。
残念と言えば残念ということになるが、言い換えると、
とってつけたような表現、もしくは美辞麗句のかたまり。
そんな英語だった。

まねをして書いてみよう。

「脳を腐らせる愚作。
革命的なほどまでに空漠とした作品。
しばし、睡魔をともなった不可抗力的なあくびに、
心を奪われる」。

どうしてあんな映画が、(作品が)、世界的な作品(?)
なのか。
観終わったあと、改めて、それを確認した。

劇場を出るとき、ワイフと、「Hachi」にすればよかったと、
何度も言いあった。

++++++++++++++++++++







最終更新日  2009年08月24日 08時48分56秒

2009年08月15日
カテゴリ:私が見た映画
●映画『ナイト・ミュージアム2』

+++++++++++++++++

字幕版、『ナイト・ミュージアム2』を見てきた。
字幕版のほか、「日本語・吹き替え版」というのもある。
吹き替え版のほうは、ちょうど夏休みということで、
子ども向けということか。

星は3つの、★★★。
前作は、4つの、★★★★。
今回の「2」は、あまりにもドタバタ。
あれも、これもと、何もかも詰めすぎた。
結果、何がなんだか、訳が分からない映画に
なってしまった。
おもしろい映画だったが、それだけ。
ドタバタ、ドタバタ・・・。
それだけで終わってしまった。
だから星は、やはり3つ。

やはりこの映画は、子ども向け。

+++++++++++++++++++

●映画と文学

 映画のもつアカデミック性は、文学のそれよりは
一般的に低く評価される。
(コミックと文学の関係も、それに似ている。)
映画はあくまでも娯楽、という考え方が、今でも根強い。
私自身も、心のどこかで、そう感じている。
しかしそれは偏見。

映画はそれ自体、すばらしい芸術。
絵画や音楽そのものが、そこへ凝縮されている。
文学と比較しても、なんら遜色がないばかりか、実はその逆。

絵画、音楽、文学の3つが一体化したのが、映画ということになる。
ときに、それ以上のものを表現する。
絵画、音楽、文学では表現できないものを、映画は表現する。
が、問題がないわけではない。
そのひとつが、(時の流れ)。
つまり映画は、製作者の意図したまま、私たち自身を操る。
ときに考えるスキを与えない。

たとえばもし映画を、政府のプロパガンダ(情宣活動)や、
どこかの宗教団体の洗脳教育用に使われたら、たいへんなことになる。

一方、本なら、ときどき読むのをやめたりして、時間を調整することができる。
批判をはさむこともできる。
映画では、それができない。

また文学のもつ(想像性)というのが、映画では、抹殺される。
つまり映画を見ながら、自分の想像力を働かせるということができない。
それ以上のものを、映画は、(現実)として、それを観る人に
押しつけてしまう。

たとえば本で、「水もしたたるような美人」という表現があったとする。
そういうとき私たちは、頭の中で、それぞれの美人を想像する。
が、映画では、その美人そのものまで、画像として出してしまう。

むずかしい話はさておき、映画と文学の最大のちがいは何かといえば、
(考える力)ということになる。
文学では、常に考える力を試される。
一方、映画では、考える力を必要としない。
「観れば、それでわかる」と。

が、もちろん映画には、文学にはない、すばらしい面がある。
それは過去や未来、あるいは遠い見知らぬ国を、先にも
書いたように、それを(現実)のものとして、見せてくれる。
いくら想像力を働かせても、想像できないような世界を見せてくれる。

ただもちろん映画にも限界がある。
たとえば私は今、ここまで40行前後の文章を書いた。
テーマは、「映画と文学」。
こうした文章にみられる、(論理性)というのは、映画にはない。
あるにはあるのだろうが、観る人にその力がないときには、
「ああ、おもしろかった」で終わってしまう。

だからあえて言うなら、映画を観たら、どこかでそれを(思想)として
消化しなければならない。
具体的には、その映画について考え、評論し、思想として抜き出させるものは、
抜き出す。

それをしないで、ただ観っぱなしにすれば、それこそただの娯楽で終わってしまう。 
つまり読む側、観る側の姿勢のちがいによって、文学は文学になり、映画は映画に
なる。

で、最近、DVDで好んで借りてくるのが、実話もの。
昨夜も、オーストラリア映画の、『ディア・マイ・ファーザ(Dear My Father)』というの
借りてきた。
原作は、Raimond Gaita著※の、『Romulus, My Father』となっている。

舞台は、メルボルン市の郊外にあるバララートという、昔からある町。
(最後のエンディングのところで、ビクトリア州のMaldonで撮影、とある。)
今でも、開拓時代の面影を強く残す町として、多くの観光客が訪れている。
内容はともかくも、私はその主人公に興味をもった。

年齢は、私と同じ。
「1960年に、満13歳」とあった。
私も1947年生まれ、1960年には、満13歳!
最後のところには、こうあった。

「主人公のRaimondは、のちに、著名な作家、哲学者となった」と。
ビクトリア州で、哲学科のある大学といえば、メルボルン大学しかない。
大きな大学だから、私と接点があったとは思わないが、その主人公に
たいへん興味をひかれた。
確率論的には、どこかで顔を合わせているはず。

実際、ハウス(カレッジ)の同窓生には、そののち映画監督になったのもいる。
オーストラリア医師会の副会長になったのもいる。
それぞれがそれぞれの分野で、大成している。
哲学者になったのがいたとしても、なにもおかしくない。

最後にこうある。

Raimond Gaita grew up to become an acclaimed author and philosopher.
Romulus Gaita returned to live at Frogmore and eventually remarried.
He died in May 1996.
He is buried in the local cemetery close to Christina.
 
ライモンド・ガイタは、著名な作家、哲学者となった。
父のロムラス・ガイタは、フログモアに戻り、再婚した。
彼は1996年の5月の死去。
クリスチーナ(元妻)の近くの墓地に埋葬されている。

実話であるだけに、また実名で映画化されているだけに、元妻の2人の娘たちと
その家族の了解も取り付けたらしい。
「Special Thanks(感謝の意を捧げる)」として、実名と家族名が、それぞれ
公表されている。

内容は、静かな、あのオーストラリアの広大な牧場を舞台とした、どこまでも
静かな映画。
星はつけたくない。
オーストラリアが好きな人には、たまらない映画と思う。
「こういう人生があり、こういう環境で育った子どももいるのだなあ」と思いたい人には、
お勧め。
当時のオーストラリアといえば、世界でも2番目にリッチで、生活が楽な国として
ランクされていた。
メルボルン市にしても、世界でもっとも気候が温暖な都市として、知られていた。
その裏で、こういう世界もあったのか・・・、と。

物語は、1960年から始まる。
私がオーストラリアへ渡る、ちょうど10年前ということになる。
・・・いろいろ考える。

話を戻す。

いくら想像力が豊かでも、本を読んだだけでは、オーストラリアのあの広大な
牧場の景色は思い浮かんでこない。
登場人物の、ちょっとした動作やしぐさにしても、文章を通して読んだら、
日本人のそれをそれに重ねてしまうかもしれない。

映画がよくて、文学がつまらないと書いているのではない。
それぞれに一長一短があるということ。
ときにこうした映画を通して、たがいに補完しあうということもある。

が、残念ながら、映画のアカデミック性は、まだまだ弱い。
大学に、「映画学部」とか、「映画学科」というのが生まれるまでには、
まだ相当の時間がかかる。
(演劇学部というのは、あるが・・・。)
が、だからといって可能性がないわけではない。
映画を観て、人生を学び、真理を探究するという時代も、すぐそこまで来ているように
私は感ずる。

(補記)
 このところ劇場へ足を運ぶと、『20世紀少年』とかなんとかいう、
どこかあやしげな映画の予告編が流される。
どこかの宗教団体と結託してできた映画、という説もある。
あるいはどこかの宗教団体を批判した映画、という説もある。
どこか不自然、かつ不気味?

 もし、どこかの宗教団体が、あの映画制作を裏で操っているとしたら、
これは社会問題ということになる。
そうでないことを願うが、私はああいう映画は、お金を出してまでは観に
行かない。
予告編だけを観た印象では、イヤ~ナ感じ。
だいたいあんな映画が、第3作までつづくということがおかしい。
劇場映画として、劇場まであがってくるのがおかしい。
かなりの資金力が裏で働かなければ、とうていできない芸当である。

 あやしいぞ!
おかしいぞ!
一度、本気で調べてみたい!

(注※)Raimond Gaita(ライモンド・ガイタ)

Gaita attended St. Patrick's College, Ballarat (Victoria) Melbourne High School(Victoria), University of Melbourne (BA Hons, MA) and University of Leeds (PhD). He is married to Yael Gaita, who is a teacher at The King David School, where she teaches Hebrew. He has two children, Katerina and Eva and two step children, Dahlia and Michelle.

ガイタは、聖パトリックのカレッジ、Ballarat(ビクトリア)、メルボルン高校(ビクトリア)、メルボルン(オナーBA、MA)大学とリーズ(博士)大学に通う。彼はヤエルGaita(その人はデイビッド学校王の教師)と結婚。彼女はヘブライ語の教授。彼には、2人の子供たち、カテリーナとエヴァと2人の継子(Dahliaとミシェル)がいる。

(注)正しくは「レイモンド」だが、オーストラリアでは、「ライモンド」と発音する。
また(オナーBA)というのは、成績優秀者に与えられる学位をいう。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司






最終更新日  2009年08月15日 21時31分45秒
カテゴリ:私が見た映画
●基本的人生論

++++++++++++++++++

DVD『ディア・マイ・ファーザー』を
ほめてばかりいてはいけない。
DVDを観ながら、こんなことを考えた。

++++++++++++++++++

●裏切られる夫

 映画のストーリーを簡単に説明する。

 夫と妻、それに主人公の息子(ライモンド)の、3人家族。
しかし妻は、つぎからつぎへと男を乗り替え、浮気し放題。
あげくの果てには、夫の友人の弟ともできてしまう。
そしてその弟との間に、子ども(主人公にとっては、
種ちがいの妹)まで作ってしまう。

 が、夫は、静かにそれに耐える。
離婚を考えることもない。
妻はときどき夫のところへ帰ってきて、体を求める。
夫は、どこか冷やかさを残しながらも、そういう妻の求めに応ずる。
そういう家庭環境の中で、主人公の子ども(ライモンド)は成長していく。

 で、最後は、妻は睡眠薬を飲んで自殺。
友人の弟も自殺。
夫は心を病み、精神病院へ……。

 何とも悲惨なストーリーだが、それがこの映画の(柱)に
なっている。

●疑問?

 この映画を観ていて、第一の疑問は、「それほどまでに、よくできた男というのは、
本当にいるのか?」ということ。
あるいは、「それほどまでに妻を深く愛せる男というのは、本当にいるのか?」でも
よい。

 つまり(できすぎ)。
この(できすぎ)のところが不自然。
しかしこの話は、実話である。
となると、俳優が悪いということになる。

 映画に出てくる夫は、ハンサムで、かっこいい。
頭もきれそうだし、生活力もありそう。
何かのラブストーリーの主人公になっても、おかしくない。

 私たちは映画を観るとき、俳優を通して、その俳優の心をさぐる。
で、そこで脳みその中で、電気的ショートが起こる。
「こんなすばらしい夫をもちながら、どうして?」と。

 ……ということで、私は、事実は、少し違うのではないかと思う。
ライモンドの実際の父親は、どこか頼りなく、どこか抜けたような、どこか覇気のない
男性ではなかったか、と。
映画に出てくるような、かっこいい男性ではなく、風采のあがらない、なよなよした
男性ではなかったか、と。
これには、理由がある。

●基礎的人間性

 仮にあなたの妻が、外出しては、浮気を重ねていたとしよう。
そしてその浮気相手と、子どもまで、作ってしまったとしよう。
そのとき、あなたなら、どのように反応するだろうか。
それをほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。

 こういうケースのばあい、大きく分けて、2つの選択肢がある。

(1) 妻と大喧嘩を繰り返し、離婚を覚悟する。
(2) 妻の浮気を認め、妻のしたいようにさせる。

 が、主人公ライモンドの父親(夫)は、(2)のほうを選択する。
となると、ライモンドの父親は、ものすごい人生観の持ち主ということになる。
あるいは妻に対して、神々しいほどまでの愛を感じているということになる。
すべてを許し、すべてを忘れる……。

 が、ここで大きな壁にぶつかる。
それほどまでの(愛)となると、並大抵の努力では、自分のものにすることはできない。
幾多の苦労に苦労を重ねて、人生の極致に達した人だけがもちうる愛と考えてよい。
それにそこに至るには、熟成期間というのが、必要。
もし私のワイフが、そんなことを繰り返していたら、私なら、即、離婚を考えるだろう。
40年近くもいっしょに暮らし、もうすぐ62歳になる私にしてもそうだ。

 つまり、それが「基礎的人間性」ということになる。

 どんな人にも、その人なりの人間性というものがある。
その人間性を支える、(基礎)というものがある。
その基礎なくして、突然、その人が、神々しい愛をもつなどということは、常識で
考えても、ありえない。
空腹でおなかをすかした幼児が、自分のもっているパンを、友人に分け与えるようなもの
である。

●偽善

 いくつかの例をあげてみよう。

(例1) Kさんは、周囲の人たちから、高い評価を受けていた。
ボランティアとして、近所の独居老人宅を回り、その世話をしていた。
が、自分の親の介護になったとたん、豹変した。
親を虐待した。
親を食卓へ連れてくるときも、首をつかんだまま、廊下を引きずっていた。

(例2) Xさんは、有名なタレントだった。A国の難民救済運動家として活躍していた。
週刊誌や月刊誌にも、写真がよく紹介された。
が、あるカメラマンが、思わぬ光景を目撃してしまう。
情宣用の写真撮影が終わると、Xさんは、赤子を抱いた手や体を消毒薬で
消毒していたという。
つまり写真撮影のためだけに、難民の赤子を抱いていた。

(例3) Yさんも、このところ孤児救済のチャリティバザーを繰り返している。
ラジオに出ては、ボランティア活動の重要さを説いている。
しかしそこに至る実績はゼロ。
若い時から、ホームレスの世話をしたとか、食事の炊き出しをしたとか、
そういう背景と言うか、積み重ねがあれば話は別。
Yさんをよく知る某テレビ局のディレクターは、こう教えてくれた。
「Yさんは、いつも2時間くらいかけて、化粧をしています」と。

 こういうのを、私たちの世界では、「偽善」と呼ぶ。
善人ぶりながら、自分への評価を高め、最終的にはそれを自分への利益へとつなげていく。
こうした偽善を見破るのは、簡単。
どこかに(ちぐはぐさ)を感じたら、それは偽善と判断してよい。

●ディア・マイ・ファーザー

 DVD『ディア・マイ・ファーザー』に話を戻す。
この映画が実話なら、私はやはり、俳優の選択ミスということになる。
ライモンドの父親は、家具職人である。
鉄の棒を熱で曲げながら、いろいろな家具を作る。

 そういう職歴の男性が、こうまで高邁(こうまい)な愛を、はたして
もちうるものだろうか。
(何も、職人という職業がどうのこうのと言っているのではない。
しかしあまりにも、高邁すぎる?)

 それに若い。
映画の中では、30歳前後の男性として登場している。
つまり基礎的人間性が、それなりにあるとしても、映画で表現されているほどはない。
……という点で、不自然。
私はその(不自然さ)を感じてしまった。

 あとの判断は、映画を観た人に任せる。
「林の言ったとおりだな」と思う人もいるかもしれない。
あるいは「林の言っていることは、まちがっている」と思う人もいるかもしれない。
一度、そういう視点で、あの映画を観てみたらどうだろうか。
家庭で観て、損はない映画である。
よい映画であることには、まちがいない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ライモンド レイモンド ディア・マイ・ファーザー オーストラリア映画 基礎的人間性 基礎人間性 周囲人間性)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司






最終更新日  2009年08月15日 22時33分24秒
2009年03月26日
カテゴリ:私が見た映画
●映画『オーストラリア』(Ausutralia)

++++++++++++++++++

昨夜、わざわざ隣町まで行って、
映画『オーストラリア』を見てきた。
浜松の映画館でも上映していたが、先週で打ち切り。
それで隣町まで。

で、星はもちろん5つの、★★★★★。
職業がら、子どもが救出されるシーンに、私は弱い。
涙、ポロポロ。
みなが再会して、さらに涙、ポロポロ。
このところ、何かにつけて、涙もろくなった。
(「肝」機能が衰退しているためかもしれない。東洋医学。)

オーストラリア英語といっても、州によってちがう。
『オーストラリア』の中で使われていた英語は、
北部オージィ?
NSW英語ともちがったし、メルボルン郊外の
カントリー英語ともちがった。
しかし久々に、生の(?)、オーストラリア英語を
耳にして、うれしかった。

ところでオーストラリアでは、
「牛や羊を、(追う)」ことを、droveという。
「drive」の過去形ということになるが、「drove」は、
現在形として使う。
そこで「牛や羊を追う人」を、「drover」という。
主人公の男の名前が、その「ドローバー」だった。

その英語を聞きながら、昔、その単語の意味を
一生懸命教えてくれた、友人のことを思い出していた。
……というより、友人の顔が浮かんできた。

ところどころに、オーストラリアのブッシュ・ソング
が流れ、気分は、最高!
それで星は、5つ。
オーストラリアに何かの思い出のある人には、
たまらない映画だと思う。

家に帰ってきたのが、夜中の11時半過ぎ。
そのまま床に入って、眠った。

+++++++++++++++++++

●Acid Milk

映画館から帰ってくるとき、大きく「Acid Milk, YY」と書いた車と
すれちがった。
それを見て、ワイフと2人で笑った。

英語で、「Acid Milk」というと、「覚せい剤」を意味する。
それについては、こんな思い出がある。

学生時代、メルボルン港に、サクラ丸という、日本商品の見本市船が入港した。
三井物産の支店長から、アルバイトの学生を、30人ほど集めてほしい
という依頼を受けた。
もちろん私も、アルバイトをさせてもらった。
そこでのこと。

あの「カルピス」の試飲コーナーもあった。
しかしみな、遠巻きにしてながめているだけで、だれも飲まない。
それもそのはず。
「ピス」は、そのまま「小便」を意味する。
だから「カルピス」は、「牛の小便」となる。
さらに「これは何だ?」と聞かれたとき、「乳酸飲料」を直訳すると、
やはり、「Acid Milk」となる。
オーストラリア人が、飲むわけがない!

これは余談。







最終更新日  2009年03月26日 07時30分57秒
2009年03月08日
カテゴリ:私が見た映画

●『おくりびと』(A Japanese Movie “Okuri-bito”, a film given an Oscar.)

++++++++++++++

少し無理をして、映画『おくりびと』を、劇場で見てきた。
「無理をして」というのは、時間がなく、
あれこれ仕事をやりくりして、という意味。

星は、3つの★★★。
笑った。
何度か、ゲラゲラと、口を押さえて笑った。
しかし涙の部分は、ついていけなかった。
映画の最初の部分で、結末が予想できてしまった。
「この映画は、父親の葬儀をしなければ、しめくくれないぞ」と。
そんなわけで、涙がポロポロ……というわけにはいかなかった。

++++++++++++++

「オスカー受賞作品だぞ。どうしてそれが星が3つなのだ!」と、
叱られそうだが、だからこそ、あえて星は3つにした。
(5つもつけたら、私が賞に迎合したことになる!)

全体に、劇団ぽさが残る映画。
演技がおおげさで、りきみ過ぎ。
納棺師という職業をけなす風呂屋の男にしても、
また葬儀屋の女事務員にしても、顔と表情だけで演技している。
最後に、父親の遺体を棺桶におさめる男たちの演技も、わざとらしい。
脇をかためる俳優たちが、もう少し、自然に演技していれば、
星は4つ。

あとは画像が暗く、予算もかけていない。
「どこか発展途上国の映画」という印象ももった。

もう一言。
死んだ父親が、息子(納棺師)がくれた石を握ったまま
死んでいたという話は、デキスギ。
どこか『一杯のかけそば』風。
「お涙、頂戴」という重要なシーンだが、このシーンは、
映画の途中で、予想できてしまった。

似たような映画に、『マジソン群の橋』がある。
最後のシーンで、フランチェスカが、ロバートの遺品から、
メモを見つけて涙をこぼすシーンがある。
あのときは予想していなかっただけに、涙を誘った。

……とまあ、けなしてばかりいてはいけない。
日本映画の中では、群を抜いてよい映画であることは事実。
劇場まで足を運んで見る価値は、じゅうぶんある。

実のところ、その2日前に、ウィル・スミスの『7つの贈り物』を見た。
その疲れが残っていたのかもしれない。
頭の中で、2つの映画が、ダブってしまった。
『7つの贈り物』も、似たような「お涙、頂戴映画」だが、
これも、星は3つの、★★★。
あえて比較するなら、『7つの贈り物』は、おとなの映画。
『おくりびと』は、おとなになる前の、未成熟なおとなの映画。
セックスシーンだけを見ても、それがわかる。

今週は、いよいよ『オーストラリア』を見る。
楽しみ。
待ってましたア!








最終更新日  2009年03月08日 11時42分06秒
2009年02月21日
カテゴリ:私が見た映画
●チェンジリング(Changeling)

+++++++++++++++++++++

今夜、仕事の帰りに、ワイフと映画を見てきた。
『チェンジリング(Changeling)』
よかった、泣いた、感動した。
星は5つの、★★★★★。
見ているとき、K国による拉致被害者の皆さんの
苦しみや悲しみが、そのまま映画にダブった。

+++++++++++++++++++++

「チェンジリング」というのは、「取り換え」「子どもの誘拐」という意味だそうだ。
知らなかった。
家に帰って、辞書を引いて、はじめて意味を知った。
監督は、あのクリント・イーストウッド。
『マジソン郡の橋』でも泣いたが、今回も泣いた。
久々に大粒の涙を、ポロポロとこぼした。

クリント・イーストウッド監督の映画は、どれもすばらしい。
こういう映画を自由に制作できる「能力」が、うらやましい。

だれが主演でとか、そういう話は意味がない。
最初に「True Story」(真実の物語)という文字が、浮かび上がってくる。
それがすべて。
この一言が、すべて。

正義と勇気、この2つを忘れたら、人間はおしまい。
映画館を出るとき、改めて、それを確認した。







最終更新日  2009年02月21日 06時28分30秒
2009年02月07日
カテゴリ:私が見た映画

● 映画『アフター・デイズ(After Days)』

+++++++++++++++++++++

人類すべてが、ある日突然、消えていなくなったら……、
という映画が、これ。
主演者ゼロ、脇役ゼロという、どこかSF的、しかし
どこかドキュメンタリー風の映画。

おもしろくはないが、それでいておもしろい映画。
星はつけようがないが、あえてつければ2つの、★★。

要するに人間などいなくても、かまわないという映画。
「地球は人間必要としない。
しかし人間は地球を必要とする」と。

「そういうものだろうな」というのが、見終わったあとの
感想。

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●私の偏見?

DVD「アフター・デイズ」は、要するに「人間などいなくても、地球は困らない」
という映画である。
だから「地球を大切にしろ」ともとれるが、しかしその一方で、その底流に、
強烈なニヒリズムが流れているのがわかる。
「人間どもよ、自らの愚かさを知れ」と。

しかしこれは私の偏見かもしれない。
現在、地球温暖化の問題は、深刻さをましている。
心のどこかで、私たち人間は、罪の意識というか、うしろめたさを感じている。
そうした心情に、この映画が重なった。

この映画の本当のねらいは、(監督はそういう意図で、この映画を制作したのだろうが)、
「もっと地球を大切に」というところにあるのかもしれない。
しかしその力は、あまり強くない。
それで私は、「強烈なニヒリズム」を感じてしまった。

●ニヒリズム

ニヒリズムといえば、ニーチェ。
1844~1900年の人物である。
名前を、フリ-ドリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェという。

彼の思想の特徴といえば、恨み(ルサンチマン)ということになる。
つまり恨みが積もりに積もって、それがやがて虚無主義へとつながっていく。
が、よく誤解されるように、だからといってニーチェは、「生きることが空しい」と
説いたわけではない。
むしろ逆。

こうした虚無主義と闘うためには、人間は「超人」であるべきと、ニーチェは説いた。
超人というのは、強靭な精神力をもった、スーパーマンのような人物をいう。
もちろんその背景には、キリスト教的な理想郷の否定がある。
「天国などはない」「そういうものに救いを求めてはいけない」と。
だから繰り返すが、ニヒリズム、イコール、現実の否定ではない。
むしろ現実を徹底的に肯定するところに、(当然、自分の存在を解放するところに)、
ニヒリズムの原点がある。

●恨み(ルサンチマン)の増大

地球温暖化が進めば進むほど、人々の心の奥に、恨みが増大する。
やりようのない恨みである。
怒りの矛先を向けたくても、その向け先すらわからない。
ニーチェの時代には、それはキリスト教的な呪縛感を言った。
が、今は、地球温暖化。
ニヒリズムが生まれる土壌は、じゅうぶんある。
そしてそれが今、熟成されつつある。

そこで重要なのは、まず私たち人間は、自分の弱さと不完全さを再認識すること。
いくらがんばったところで、神の世界はやってこないし、またそういうものに
期待を寄せたところで、何一つ、問題は解決しない。
そこで私たちは今、どんな現実に直面しているかを知る。

しかしそれは言うまでもなく、このままでも、またこのままでなくても、
人類はやがてすぐ滅亡するという現実である。

●地球温暖化(地球火星化)

地球温暖化は、いわゆる温室効果によってもたらされる。
映画『アフター・デイズ』の中では、人間が消えれば、地球は元にもどるという
ような筋書きになっている。
が、実際には、そうではない。

温室の原因となっている、温室そのものは、仮に今、世界中の人間が化石燃料の
使用をやめたところで、消えるわけではない。
このまましばらく、(「しばらく」といっても、地球的規模の時間をさすが)、地球を
覆いつづける。
その結果、地球の気温は、2100年以後も、2200年以後も、上昇しつづける。

2100年までに、地球気温は平均して4~5度上昇すると言われている。
が、それで止まるわけではない。
一説によれば、それはいつのことかはわからないが、最終的には、地球の気温は、
400度近くにまで上昇すると言われている。

400度と言えば、「何とかなるような温度」ではない。

●では、どうするか?

…………?

この宇宙空間に放り出された人間には、もともと始まりはない。
そのため終わりもない。
ニーチェの思想によれば、われわれは神によって創造された特別な存在ではない。
無数の生き物の、ワンオブゼム(生き物の一部)でしかない。
まず、それを認める。
もっとわかりやすく言えば、滅亡することを恐れる必要はない。
仮に人類が滅亡し、やがて地球の気温が400度になったところで、それは地球の
歴史からみれば、「ほんのまばたきの瞬間」(「アフター・デイズ」)でしかない。
やがて地球に氷河期が訪れ、そのあと地球は、再生される。

そのとき人間でない人間が、再びこの地球に、誕生する可能性は、じゅうぶんある。
今は微生物かもしれないが、100万年後には、小さな哺乳動物のようになる。
さらに100万年後には、姿形は、まったくちがうかもしれないが、「人間」を
名乗るようになる。

これはあくまでもニーチェ思想に従えばという話になるが、個人という人間が、
いつかかならず(死)を受け入れるように、人類もまた、(全体としての死)を
受け入れる。

それがニーチェが説く、二ヒリズム、またそれができる人が、
「超人」ということになる。

●ニヒリズムの否定

私が感じた、強烈な二ヒリズムについて、ニーチェの思想に準じて、
私なりに解釈を加えてみた。
しかしニーチェ思想が、正しいわけではない。
また哲学にしても、ニーチェで完成されたわけではない。
少し辛辣(しんらつ)な言い方になるが、ニーチェは、「哲学の破壊者」にすぎない。

ニーチェのあと、ハイデッガー、サルトル……とつづいたように、私たちは
別の、(生きるための哲学)を模索している。
それについてはまた別の機会に書くとして、映画『アフター・デイズ』を見るときは、
そのニヒリズムに陥らないように注意する。
ニヒリズムはニヒリズムとして、一歩退いたところからながめる。

で、やはりここは、「自然を大切に」というテーマで、この映画に対する感想をしめくくり
たい。
けっして「生きるのは無駄」と思ってはいけない。
また最後の最後まで、夢と希望をあきらめてはいけない。
それができる間、私たちは人間として生き残ることができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
ニヒリズム ニーチェ 超人 哲学の破壊者 恨み ルサンチマン)






最終更新日  2009年02月07日 20時50分51秒
2009年01月28日
カテゴリ:私が見た映画
●『慰めの報酬』

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今夜、仕事が終わったら、映画『慰めの報酬』を
見てくる。
10代のころから、007シリーズは、すべて見てきた。
今回は、その最新作。

しかしタイトルがよく理解できない。

「慰めたから、報酬をもらうのか」、それとも
「慰められたから、報酬を与えるのか」、と。
いろいろ考える。

……とまあ、映画を見る前に、あれこれと内容を
考えるのは、楽しい。
それが私の趣味にもなっている。

予告編は、劇場で何度か、見た。
それによれば、007は、恋人をどうやら殺されるらしい。
それでその復讐劇が始まる(?)。
が、どうしてそれが、「慰めの報酬」につながるのか。
ひょっとしたら、『慰めの復讐』ではないのか。
いや、そんなはずはない。
タイトルは、何度も、見た。

で、今度の007は、ウクライナ系の美男子。
どこかロシアのプーチンに似ている。
おもしろそう。
プラス、楽しみ。

(追記)

『慰めの報酬』の評価は、星2つの★★。
主演した、ダニエル・クレイグは別として、脇をかためる女優たちがみな、
かっこのつけすぎ。
不自然。
日本映画に出てくる、女優たちのよう。
007特有の、新兵器もなければ、地下の大要塞もなし。
ただのアクション映画(失礼!)。
それにストーリーも不自然。
無理に無理を重ねたような流れ。
だから星は、2つ。
ついでながら、ワイフの評価は、星3つ。

帰りにこんな会話をした。
「ショーンコネリーの007がなつかしいね」
「そうね」と。

つぎの楽しみは、何といっても、『オーストラリア』。
ぜったいに見るぞ!

その前に、『チェンジリング』『レボリューショナリー・ロード』もある。
ワイフは、『ママミーヤ』(ABBA)が見たいと言っている。
ぜんぶ、見るぞ!






最終更新日  2009年01月28日 09時43分48秒
2008年05月16日
カテゴリ:私が見た映画
●ムダに生きるか?(live for Nothing or die for Something)
Rambo, the last Battle Field

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昨日、ワイフと、「MIxx」という、まあ、
どうしようもないほど、ひどいダ作映画を
劇場で見てきた。

ギャーギャーと騒ぎまくる、狂信的な女性だけが、
やたらと目立った。
それだけ。

近年には珍しい、ダ作中のダ作。
途中で「帰ろうか?」と、何度もワイフに声を
かけたほど。

舞台は、小さなスーパーマーケットの中。
そこでのシーンが、90%以上。
あとは白い霧(煙、あるいはフィルター)を
かけた外の景色だけ。

スーパーマーケットの外は、5~6メートル先は、
何も見えない。

この何も見えないところが、ミソ。
つまり白い霧(MIST)で隠しているから、
セットなど、何も必要なし。

恐らく制作費は、最低限の、そのまた
最低限ですんだはず。

「金、返せ!」と、叫びたくなるような映画
だった。(ホント!)

星など、つけようもない。あえて言うなら、
星は、マイナス5個!

むしろ、その映画に先立って紹介された予告編のほうが、
印象に残った。

『ランボー、最後の戦場』である。

近く、その『ランボー、最後の戦場』が、封切られる。
その予告編の中で、ランボーが、こうつぶやく。

「live for Nothing, 
or die for Something!」と。

「生きるためのものを、何ももたないか、
それとも、死ぬためのものを、何かもつか」と。

私はこの言葉を聞いたとき、心底、ドキッとした。
もう少しかみくだいて解釈すると、こうなる。

「何も目的や目標をもたず生きても、そんな人生には、
意味はない。命がけでする何かをもつことこそ、重要」と。

しかしそれでももの足りない。

「ただ無益に生きるか、それとも、命をかけて、
何かのために生きるか」では、どうか?

TSUTAYAの映画紹介の中の字幕では、
つぎのようになっている。

「ムダに生きるか、何かのために死ぬか」と。

あえて言うなら、私なら、この部分のセリフを
こうする。

「Nothing to live or 
Something to die」と。

そのほうが、すっきりとして、わかりやすい。

なお「@ピア」のHPには、つぎのようにある。

『孤独な戦いに身を置いてきたランボーの最後の戦いは、そのままスタローンへと帰っていく。自身のヒット作の誹謗中傷にも負けず、なお果敢に挑み続ける姿には、年齢に関係なく挑戦することの大切さを教えてくれる。『ロッキー』同様ヒットとなるか、スタローンのチャレンジに団塊世代を始めとする、世のお父さんたちも見守ることだろう』(同、HP)と。

がんばれ、シルベスター・スタローン!
あなたこそ、我々、団塊の世代の星だ!
『ロッキー・ザ・ファイナル』は、すばらしかった。
文句なしの、星5つ。★★★★★。

かならず、私とワイフは、劇場まで、足を運ぶぞ!






最終更新日  2008年05月16日 10時47分24秒
2008年02月05日
カテゴリ:私が見た映画
●ウォーターホース(Water Horse)

My wife and I went to the theater to see a film “Water Horse” on the day when it was released. It was just good, but a bit boring for me.

++++++++++++++++++

先日、仕事の帰りに、ワイフと
「ウォーターホース」という映画を見てきた。

封切り日初日ということで、まあまあ
の客の入りだった。
(全体で、30人前後だったかな?)

ウォーターホースというのは、いわゆる
ネス湖の怪獣のこと。

物語は、1人の少年が、ひとかかえもある
大きな卵を海辺で発見するところから
始まる……。

星は三つの、★★★。

「ウィリー」というシャチの映画が
昔、あった。その焼きなおし版かな、
という印象をもった。

途中で、少し、あくびが出た。

で、そのウォーターホースだが、
「ホース(馬)」というだけあって、
馬の顔、そっくり。

……というより、うちのハナ(犬)
の顔そっくり。

制作者は、きっと、ポインター種の
犬をモデルにしたにちがいない。
私は、映画を見ながら、そう思った。

家に帰って、しみじみとハナを見た。
やはり、よく似ていた。

ところで、今度、「いつか眠りにつく
前に」という映画が、封切られる。

原題は「EVENING」というらしい。
ワイフがもらってきたパンフレットには、
こうある。

「死の床にある母が語った物語は、
娘たちが知らない40年前の愛の物語」と。

フ~ン……。どこか、「マジソン郡の橋」
に似ている……?

私の母も、会うたびに、昔の話をするぞ。
しかし子どものころの話ばかり。
結婚してから現在までの記憶は、
とうの昔に、どこかへ消えてしまったらしい。

父や、父の父母(=私の祖父母)の写真を並べて
やったこともあるが、1~2日で、
興味を示さなくなってしまった。

今は、自分の実の母の話ばかり。
その実の母が、実家で、まだ生きて
いると思っているらしい。

生きていれば、今ごろは、140歳前後
ということになるが……。

最近は、施設の中で、ほかの女性たちと
よく喧嘩をするという。

先週も、ワイフが見舞うと、テーブルを
はさんで、1人の女性と喧嘩をしていたという。
テッシュペーパーを丸めて、投げあっていたという。

何でも相手の女性の菓子を、その相手の女性に
向かって、「食べるな」と、怒鳴っていたという。

そこでヘルパーさんがやってきて、
「トヨコさん(=私の母)、このお菓子は、この
人のものだから、この人が食べてもいいのよ」と、
諭(さと)していたとか。

そういうところは、実に私の母らしい。
昔から、ケチで嫉妬深い。ホント!

その話を聞いて、私は笑った。ワイフも笑った。

……ということで、映画の内容とは、大違い。

で、私はこういう映画は、あまり好きではない。
パンフレットのどこかに、「切ない映画」と
書いてあったが、まだ、「トランスフォーマー」
とか、「ナショナル・トレジャー」のような映画の
ほうがよい。

わかりやすい分だけ、おもしろい。

今度封切られる、「ライラの冒険」でもよい。

ところで、少し前、「シルク」という映画も見た。
この映画は、どこか「?」。ネチネチとした
暗い映画だった。

「どこまで深く人を愛せますか」「世にも美しく
切ない、驚くべき愛の結末」というような
文句が、パンフレットに並んでいた。
しかしこれは大げさ。

1人の男が、日本へ蚕(かいこ)の卵を仕入れに
行く。そこで日本女性と恋に落ちる。……という
部分の描写が、とくに、甘い。

星は2つの、★★。

以上、映画の話ばかりで、ごめん!

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●今日・あれこれ(2月5日)(Mt. Fuji)

I could see Mt. Fuji from Sanaru Lake, very clearly early in the morning when I was riding a byke. But I forgto to bring a camera with me. Then I went there again in the afternoon, but there were thick clouds which covered Mt. Fuji. We seldom can see Mt. Fuji from our place.

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昨日、朝、サイクリングに出かけると、
佐鳴湖からあの富士山が、まるまる、
くっきりと見ることができた。

が、そういうときほど、カメラを
もっていないもの。「残念」「残念」と
何度もつぶやきながら、ペダルを
こいだ。

で、昼過ぎ。
もう一度、佐鳴湖まで行ってみると、
白い雲がそのあたりを、覆っていた。
またまた「残念」「残念」と、何度も
つぶやいた。

「あんなふうに、富士山が見える日は、
1年でも何日もないのに……」と、ワイフに
こぼすと、「あとで、もう一度、行ってみたら」と。

で、仕事に行く途中に、佐鳴湖へ寄ってみた。
が、やはり厚い雲。
しかたないので、佐鳴湖の様子を、ビデオに
収めた。

こういうのを、「やけ撮り」とういう?
「やけくそ」の「やけ」。だから「やけ撮り」。

ハハハ。

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最終更新日  2008年02月05日 09時29分46秒

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