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楽天・日記 by はやし浩司

楽天・日記 by はやし浩司

全4件 (4件中 1-4件目)

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●日本について

2007年09月04日
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カテゴリ:●日本について
●血統空想

++++++++++++++

「私だけは特別でありたい」という
思いは、だれにでもある。そのひとつ
が、「血統」。

「私の血統は、特別だ」「だから私は
特別な人間」と。

あのジークムント・フロイトは、
そうした心理を、「血統空想」という
言葉を使って説明した。

年齢で言えば、満10歳前後から
始まると考えられている。

しかしそう思うのは、その人の勝手。
それはそれでかまわない。しかし、その
返す刀で、「私以外は、みな、劣って
いる」と考えるのは、まちがっている。
自己中心性の表れそのものとみる。

EQ論(人格完成論)によれば、
自己中心性の強い人は、それだけ
人格の完成度の遅れている人と
いうことになる。

わかりやすい例でいえば、今でも
家系にこだわる人は多い。ことあるご
とに、「私の先祖は、○○藩の家老だ
った」とか何とか言う。

悪しき封建時代の亡霊とも考えられる。
江戸時代には、「家」が身分であり、
「家」を離れて、個人として生きていく
こと自体、不可能に近かった。

日本人がいまだに、「家」にこだわる
理由は、ここにある。

それはわかるが、それからすでに、
約150年。もうそろそろ日本人も、
そうした亡霊とは縁を切るべきときに
来ているのではないのか。

+++++++++++++++

 かつて福沢諭吉は、こう言った。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)と。

その「天は人の上に……」という名言が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つぎのような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。それに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も関心を持っていないアメリカの社会制度に、諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないのだ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み出すことになる』と。

 意識のちがいというのは、恐ろしい。恐ろしいことは、この一文を読んだだけでもわかる。いわんや明治の昔。福沢諭吉がそのとき受けた衝撃は、相当なものであったと考えられる。そこで福沢諭吉らは、明六社に合流し、悪しき亡霊と闘い始める。

 明六社……明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847~1889年の人である。教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した人でもある。

 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評されたこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したのが、「明六社」。その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。

 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。

 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こうした運動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。

 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、

(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 

 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた年から、ちょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)その100年の間に、この日本は、本当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する人たちまで現われた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者までいる。

 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であったことを忘れ、武士の立場で、武士道を礼さんするから、おかしい。悲しい。そして笑える。

 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。そんなことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかるはず。そういったことを、反省することもなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あの江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であったことを忘れてはならない。

 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六社の啓蒙運動の中に、集約されている。

 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本に、封建時代の負の遺産を、ひきずっている人は多い。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜んでいる。たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっている人となると、ゴマンといる。

 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、わからない。それが精神的バックボーンになっていることすら、ある。

 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?

 理由は簡単である。

 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をしなかったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へと、手渡してしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人が変わらないかぎり、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されてしまう。

 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その個人にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習慣のない人には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊を、生き残らせてしまった。

 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、間近で知ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここで、こうした封建時代の負の遺産の清算を進めなければならない。

 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人個人の問題として、である。

 ……と話が脱線してしまったが、これだけは覚えておくとよい。

 世界広しといえども、「先祖」にこだわる民族は、そうは、いない。少なくとも、欧米先進国には、いない。いわんや「家」だの、「血統」だのと言っている民族は、そうは、いない。そういうものにこだわるということ自体、ジークムント・フロイトの理論を借りるまでもなく、幼児性の表れと考えてよい。つまりそれだけ、民族として、人格の完成度が低いということになる。

(付記)

 この問題は、結局は、私たちは、何に依存しながら、それを心のより所として生きていくかという問題に行き着く。

 名誉、財産、地位、学歴、経歴などなど。血統や家柄も、それに含まれる。しかし釈迦の言葉を借りるまでもなく、心のより所とすべきは、「己(おのれ)」。「己」をおいて、ほかにない。釈迦はこう説いている。

『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』(法句経)と。「自由」という言葉も、もともとは、「自らに由る」という意味である。

 あなたも一言でいいから、自分の子どもたちに、こう言ってみたらよい。「先祖? そんなくだらないこと考えないで、あなたはあなたはで生きなさい」と。

 その一言が、これからの日本を変えていく。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 血統空想 封建時代 武士道)







最終更新日  2007年09月04日 13時21分19秒


2007年08月06日
カテゴリ:●日本について
【さあ、夏休み!】

++++++++++++++

今日(8月7日)、1日仕事をすれば、
私は、夏休みに入る。

バンザ~イ!

夏休みの間、講演が1つと、旅行が1つ。
あとは予定なし。

いや、この夏休みを利用して、書斎を
改造する。

あとは予定なし。

++++++++++++++

●イスラム教

++++++++++++++

キリスト教とイスラム教は、たいへん
よく似ている。よく「兄弟」にたとえられるが、
おおかた、まちがっていない。

ちょうど1000年を経て、ほぼ同じ場所で
生まれたという点も、「よく似ている」。

唯一の大きなちがいは、
キリスト教では、イエス・キリストを、
「神の子」と位置づけているのに対して、
イスラム教では、ムハンマドを、
「Messenger(予言者)」と位置づけて
いる点である。

イスラム教では、イエス・キリストもまた、
「Messenger(予言者)」と位置づけている。

++++++++++++++

 韓国のキリスト教徒の一団が、アフガニスタンで、現地の反政府勢力(タリバン)に拉致されて、すでに20日間近くになる。すでにうち2人が、殺害されている。

●イスラム原理主義

 このところ、毎日のように書店へ立ち寄っては、イスラム教の本を読む。興味がある。もっと知りたい。私にとっては、決して、無縁の世界ではない。留学時代の友人の何割かは、そのイスラム教徒であった。イランについて言えば、原油との関係において、日本人にとっては、決して、無縁の国ではない。

 イスラム教の世界にも、近代化の波が押し寄せたことがある。その筆頭にあげられるのが、トルコ。

 トルコは、第一次大戦に敗北し、オスマントルコが解体されたあと、近代化の道を歩んだ。それまでの政教一致の国家体制から、政教分離の国家体制へと、大変革した。

 こうしてアラブの世界にも、つぎつぎと、近代国家が生まれていった。アルジェリア、シリア、エジプト、それにイラクもそうだ。

 が、これに対抗する勢力も生まれてきた。それが、ハサン・アル・バンナー(1906~49)率いる、『イスラム同胞団』である。イスラム同胞団は、イスラム教に基づく、国家建設こそが、アラーの教えに従ったものだと、民衆に向かって説いた。

 私たちが今、「イスラム原理主義」と呼んでいるのは、それをいう。が、そのイスラム同胞団は、そののち反英闘争と結びつき、さらに最近では、反米闘争へと結びついていった。

 つまり歴史が長い。長いから、ここらあたりで、ちょっと日本がでかけて行って……というようなやり方で、理解できるような問題でもないし、解決できるような問題でもない。今回のイランの核開発問題にしても、そうだ。

 アメリカは、一時、単独でも、イランの核開発施設を攻撃する構えを見せたが、言うなれば、これはアメリカ型合理主義と、イスラム型原理主義の対立と考えてよい。そのイランは、1979年のホメイニ革命によって、政教一致の国家体制を築いている。

 しかしここで注意しなければならないのは、私たちがイスラム教に対してもっている、偏見と誤解である。ものの考え方が、どうも西欧的というか、西欧の立場でしか、イスラム教の世界をみない。たとえばここでいうイスラム同胞団にしても、「原理主義はおかしい」というふうに、すぐ考えてしまう。またそういう前提で、ものを考えてしまう。

 しかしもとを正せば、イスラム同胞団にしても、イギリスの植民地政策への反発から生まれたものである。事実、イギリスは、イスラム同胞団を、徹底的に弾圧したこともある。そういう歴史があることも忘れて、今ここで、「イスラム原理主義は……」と論ずることは、危険なことでもある。

 が、しかし皮肉なことに、こうした原理主義は、国家の近代化の足かせとなるだけではなく、ばあいによっては、国家そのものの近代化を後退させる原因ともなりかねない。イランについて言えば、国家が目ざした工業などの近代化は、ことごとく失敗。原油を売るだけの国になってしまった。わかりやすく言えば、西欧との差をますます広げている。

 そこで今回のイランの核兵器開発問題について言えば、そうした(あせり)が、イランをして、核開発に向かわせたとも考えられなくはない。このままでは、イランは、アラブ社会の中でも、「顔のない国」になってしまう。イランは、それを恐れた(?)。

 ところでイランの核兵器開発問題は、決して日本とは無縁の問題ではない。もし国連の安保理で、経済制裁ということにでもなれば、日本は、この地域から、最大の油田開発の1つを失うことになる。(すでに実質的に、失っているが……。)アザデガン油田が、それである。日本に与える影響は、甚大である。

話をもとに戻す。

現在、アフガニスタンで拉致された、韓国のキリスト教徒の問題は、大詰めを迎えつつある。

「捕虜と交換しろ」と主張するタリバン側。「ぜったいにならぬ」とがんばる、政府側。その間にあって、アメリカ批判を強める韓国側。水面下では、お金で解決しようという動きもあるという。

ただこうしたタリバン側の行動に対して、タリバンに対する風当たりが、このところ一段ときびしさをましているという。それまではタリバン・イコール、反政府勢力というふうに考えていた人たちが、タリバン・イコール、ただの強盗集団と考え始めたという。

……ということで、この話は、ここまで。つづきは、キリスト教徒たちが無事、解放されてから書いてみたい。

【補記】

 現実の数字。

 日本の原油、中東依存度は、2002年……85・3%
              2003年……88・5%

 さらにそのうちわけは、

     アラブ首長国連邦 ……22・9%
     サウジ      ……22・4%
     イラン      ……13・8%
     カタール     …… 9・2%
     クウェート    …… 6・9%
   (以上、経済産業省、02年「エネルギー生産・需給統計年表」)

 中東の政治的安定は、日本にとっても、死活問題なのである。こうした現実を無視して、「イラン問題は、日本には関係ない」と、どうして言うことができるのか。

 04年2月、日本とイランが開発に合意した、「アザデガン油田」は、推定埋蔵量260億バレルで、世界第二の大油田ともくされている。

 もし、イランの核疑惑問題がこじれるようなことがあると、日本は、この油田の利権すらも失うことになる。すでに日本は、5年前、アラビア石油のカフジ油田の利権の半分を、失っている。

 悲しいかな、ここは、中東最大の宗主国であるアメリカに、日本は、泣きつくしかないのである。アメリカの機嫌をそこねたら、アザデガン油田はもちろんのこと、日本は、中東から原油を輸入することすら、ままならなくなる。

 日本の立場は、きびしい!







最終更新日  2007年08月07日 04時36分50秒
2007年07月31日
カテゴリ:●日本について
●今朝・あれこれ(7月31日)

++++++++++++++

今日(7月31日)から、
マガジン9月号の原稿を書く。
9月3日号である。

ちょうど1か月先ということになる。

そのころ、日本は、どうなっている
だろうか?

9月期決算を迎えて、輸出産業が
大きな打撃を受けるまで、円高は
進むだろう。

原油は1バレル70ドル台をキープ。
あるいは80ドル台に上昇する
かもしれない。

もしそうなれば、それがきっかけで、
物価は上昇。インフレは加速するだろう。

今までは中国様々。中国特需のおかげで、
日本は、経済破綻を免れることができた。

しかしこれからは、そうはうまくいか
ない。

そこでねらうは、インド、ブラジルというこ
とになる。

安倍総理大臣が8月下旬にインドを訪問
するのには、それなりの理由がある。

インド特需をねらって、すでに
韓国は本格的に戦略を始動させている。
N大統領は、すでにインドを訪問して
いる。

乗り遅れるな、日本!
がんばれ、日本!

経済の国際試合。つぎの開催地は、
インドと決まった!

9月3日になれば、おおかたの流れ
が、わかってくるはず。

そうそう日銀が政策金利をどの程度
あげるかによってもちがうが、
金利の上昇幅が、予想を超えた
ばあいには、世界にバラまいた(円)が
日本に逆流することになる。

舵取りをまちがえると、それがきっかけ
で、ハイパーインフレから、円安へ。
一気に、なだれをうって、進むかも
しれない。

9月になれば、その動きも、わかるはず。

まあ、国内政治は、今のままだろう。
参議院で過半数を取ったからといって、
今のところ民主党は、身動きは取れないはず。

へたに解散風を吹かそうものなら、
民心は、民主党から離れる。私たちは何も、
国会を解散させるために、民主党に1票を
入れたわけではない。

民主党は、ここは、地盤固めをしたほうが
よい。……ということを、民主党もわかって
いるはず。

9月……6か国協議も、大きな進展がないまま、
様子見といった感じになるだろう。

教育改革は、ここで足踏み。つづく
憲法改正論議も、しばし棚上げ。
そんな状態で9月を迎え、10月に
向かうだろう。

++++++++++++++

●織田信長

 昨日、小5のM君と、織田信長について、話をした。織田信長を理想の指導者として称える人も多い。郷里の岐阜県岐阜市では、毎年、信長祭りなるものをしている。M君も、そうした視点で、つまり信長は偉人であるという視点で、信長について調べていた。

私「織田信長は狂っていたというテーマで、夏休みの宿題を書くといいよ」
M「そんなことを書いたら、賞はもらえない」
私「何だ、賞をねらっているのか?」
M「そうだよ……」と。

 しかし信長は、どこからどう調べても、おかしい。狂っていた。14歳で初陣に出たときから、殺戮(さつりく)と焼き打ちの繰りかえし。特筆すべきは、一向宗の弾圧である。一向宗の信徒を一か所に集め、兵糧攻めにしたあと、信長は一人残らず殺している※。

 もちろん信長は、民衆のために戦った人ではない。民主主義や、自由、平等を求めて戦った人でもない。「日本を支配する」という己(おのれ)の、野望を満足させるために戦った人にすぎない。大義名分など、どこにもない。わかりやすく言えば、信長は我利我欲のかたまりのような人だった。

 もちろん歴史は歴史だから、そうした人物であっても、そらなりの評価は必要である。しかし、信長という人物を一方的に美化するのは、たいへん危険なことでもある。以前、どこかの県知事は、信長を称え、「今の日本に必要なのは、信長のような人物である」と、新聞や月刊誌などで述べていた。

 もしその県知事が、ほんの少しでも信長について勉強したら、そんな言葉は、口から出てこなかっただろう。あるいは信長が活躍した(?)ような、まさに恐怖政治の時代が、「理想の時代」とでも言うのだろうか。

 同じようなことが、徳川家康についても言える。ただ家康については、その後つづく300年という江戸時代に、国策として徹底的に美化される一方、家康について都合の悪い記録は、それ以上に徹底的に抹消された。だから家康にまつわる、都合の悪い記録は、今、ほとんど残っていない。

 が、それ以上に残念なのは、こうした問題について、この日本では、自由に討論する雰囲気さえないこと。とくにこの静岡県では、徳川家康は、「大偉人」として評価されている。家康の悪口を書いただけで、袋叩きにあう。そんな雰囲気さえある。

 これでいいのか、日本!、……と問いかけたところで、この話は、おしまい。私ひとりくらいが叫んだところで、この流れを変えることはできない。これから先、何十年も、何百年も、織田信長にせよ、徳川家康にせよ、こうした人たちは、「偉人」と評価されていくのだろう。

 ちなみに、中学校の教科書では、こうなっている。

 「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。

注※1……北陸における一向一揆は、1488(長享2)年に、一向宗の門徒らが守護の富樫政親を攻め滅ぼしたのが始まる。以後、加賀は「百姓の持ちたる国」と呼ばれ、織田信長によって1582(天正10)年に鳥越城が落城するまでつづいた(参考:「織田信長BLOG」)。

++++++++++++++

信長について書いたわけではないが、
以前、こんな原稿を書いたことがある。
(中日新聞発表済み)

++++++++++++++

「偉い」を廃語にしよう

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

 日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。

 中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
 実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧の生活を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。

 由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。

 家康にしても、その後300年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこであなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。そこで提言。

 「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。

 「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。







最終更新日  2007年07月31日 20時23分29秒
2007年07月03日
カテゴリ:●日本について

●安易な復古主義に警戒しよう!

++++++++++++++

右に寄りすぎた(?)、安倍内閣。
安倍総理大臣はともかくも、その
周辺の人物たちは、まるで右翼団
体の構成員のよう。

連日、愛国心だの、国歌だの、国旗
だのと、まるで右翼の街宣車がが
なりたてているような言葉を口に
している。

あげくのはては、憲法改正、さらに
は、天皇の国家元首制?

が、何よりも気になるのは、あの
復古主義。その復古主義について、
もう一度、ここで考えてみたい。

++++++++++++++

●安易な復古主義

安易な復古主義に警戒しよう!

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●明治の偉勲たち

 明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847~1889年の人である。教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した。

 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評されたこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したのが、「明六社」。その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。

 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。

 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こうした運動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。

 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、

(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 

 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた年から、ちょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)この日本は、本当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する人たちまで現われた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者までいる。

 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であったことを忘れ、あたかも自分たちが、武士であったかのような理論を展開するから、おかしい。

 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。そんなことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかること。それを、反省することもなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あの江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であったことを忘れてはならない。

 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六社の啓蒙運動の中に、集約されている。

 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本は、封建時代の負の遺産を、ひきずっている。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜んでいる。たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっている人となると、ゴマンといる。

 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、それが精神的バックボーンになっていることすら、ある。地域によっては、その地域全体が、カルト化しているところさえある。

 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?

 理由は簡単である。

 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をしなかったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へと、手渡してしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人が変わらないかぎり、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されてしまう。

 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その個人にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習慣のない人には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊を、生き残らせてしまった。

 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、間近で知ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここで、こうした封建時代の負の遺産の清算を進めなければならない。

 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人個人の問題として、である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 復古主義 封建主義 呆け時代の亡霊 明六社 福沢諭吉)






最終更新日  2007年07月03日 08時59分19秒
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