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楽天・日記 by はやし浩司

楽天・日記 by はやし浩司

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社会時評

2009年08月31日
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カテゴリ:社会時評
●日本の総選挙(General Election of Japan, Farewell to the Rotten Politics of Japan!)

We feel something has been changing rapidly and dynamically. We hope this would be the end of rotten politicsof Japan.

+++++++++++++++++++

昨夜は、眠い眼(まなこ)をこすりながら、
夜遅くまで、選挙報道をテレビで見ていた。
結果は、みなさんご存知の通り。

民主党が、最終的に308議席。
自民党が、119議席。
民主党の完全圧勝で終わった。

これからは、30代を中心とした若い人たちが、
政治の中心を担うことになる。
すばらしいことである。

言い換えると、今までの自民党政治は、あまりにも
ドロドロしかった。
薄汚かった。
カネと権力。
言うなれば、腐敗したゴミの山。
それがその底流で、渦を巻いていた。

今回の総選挙は、一応、それを一掃してくれた。
これから先のことはわからないが、民主党政権の
これからに、強く期待したい。

がんばれ、民主党!

+++++++++++++++++++

●AS首相

 それにしても醜いのが、AS首相。
この場に及んでも、自分の責任を認めるどころか、安倍首相、福田首相の辞任劇を、
敗因の理由にあげている。
自分だって、国民の審判を受けて総裁になり、総理大臣になったわけではない。
そのAS首相が、そう言う。
そのおかしさ。

今回の敗因の理由の第一は、もちろん、AS首相、彼自身にある。
それを棚に上げて、テレビ画面に向かって、さかんに「自民党の3分の2の支持を得て、
総裁になった」と主張していた。
「私には責任はない」と言わんばかりの口調である。
自己矛盾もはなはだしい。

 本来は、選挙までの暫定内閣として発足したAS内閣。
そのAS内閣のAS首相は、そのつどああでもない、こうでもないという理由を
こじつけて、政権の座に居座った。
その見苦しさ。
つまりその結果が、今回の総選挙ということになる。

 本来なら自民党内部でさえ、袋だたたきにあってもしかたない立場。
ところがその袋叩きする人すら、今の自民党には、いない。
AS首相は記者の質問に答えて、「政治は大きなうねりの中で、よいときもあれば、
悪いときもある」というようなことを言っていた。
が、それはどうか?
へたをすれば、自民党は、このままバラバラになってしまうだろう。
もともと主義主張、つまり正義が(柱)にある党ではない。
金(マネー)と権力。
この2つだけで、これから先、どうやって自民党をひとつにまとめていくつもりなのか。

 先ほどざっと世界の報道記事に目を通してみた。
世界中が、速報の形で、日本の総選挙の結果を伝えていた。
「日本は今、大きな転換期を迎えた」というのが、おおかたの見方である。
そう、今、日本は、大きく変わりつつある。
この流れは、もうだれにも止められない!

(8月31日記)






最終更新日  2009年08月31日 08時47分13秒


2009年08月21日
カテゴリ:社会時評
●さすが受験国家!

+++++++++++++++++

韓国は、世界に名だたる「受験国家」。
押しも押される受験国家。
そのはげしさは、群を抜いている。
子どもたちは幼児期から受験塾に通っている。

で、現在、各界で活躍するエリートたちは、
そうした過酷な受験競争を勝ち抜いて
きた連中ばかり。
そうした傾向は、韓国系の新聞に
目を通してみると、よくわかる。

何かにつけて、点数と順位にこだわる。
ついでに何が気になるのか、この日本に
こだわる。

百聞は一見にしかず。

朝鮮N報の記事をそのまま紹介する。

大見出しは、『日本は、13位!』
(ごちそうさま!)

++++++++++++++++

+++++++++++++以下、朝鮮N報、8月20日より++++++++++++

 一方、日本は政治力(11位)、文化力(10位)などの不振で、ソフトパワー(8位)がハードパワー(3位)に比べて劣っている。特に、日本は国会や政党に対する信頼、政治家の国際的経験などが主要20カ国・地域(G20)の中でも中位以下にとどまっており、政治力の分野では、韓国同様に悩みを抱えていることが分かった。(朝鮮N報・8月20日)

+++++++++++++以上、朝鮮N報、8月20日より++++++++++++

 どうしてそうまで点数と順位にこだわる?
日本にこだわる?
少しは自分たちが体質としてもっている異常性に気がついたらよい。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(090821) 

●酒井N子の賠償責任

++++++++++++++++++

どうして酒井Nが、賠償責任?
まず、つぎの記事を読んでみてほしい(ヤフーNEWSより)

++++++++++以下、ヤフーNEWSより+++++++++++

酒井N容疑者が所属するサンミュージックに、CMやファッションブランドの打ち切りなどで億単位の賠償金が請求される可能性が出てきた。このうち、酒井容疑者がどれだけ負担するかが焦点になっている。

■田代Mは、8000万円請求される

 テレビに出ることは最近少なかった、のりピーことタレントの、酒井N容疑者(38)。とはいえ、CMにファッションブランド、裁判員制度PR映画と、その清純派キャラをビジネスにうまく生かしていた。

 それだけに、覚せい剤事件を起こして、巨額の損害賠償のうわさがささやかれている。元タレントの田代Mさん(52)は、内外タイムスの2009年8月18日付コラムで、自らも事件を起こした経験から賠償について語った。

 田代さんは、「すでに収録が終わっていた番組がお蔵入りしてしまい、賠償金を8000万円請求されてまだ返してる最中」と告白。そして、「のりピーの場合さらにCMの違約金なども発生してすごい額になってしまうのではないかと…」などと、つづっている。

 実際、酒井容疑者は、CMでは、トヨタ自動車と製薬会社のアラクスと契約しており、トヨタが契約の打ち切りを予定し、アラクスが契約解除の交渉をしている。CM制作には、数億円かかるとされるから、損害は大きい可能性がある。

 また、酒井容疑者のファッションブランド「PP rikorino」について、伊藤忠商事はすでに契約を継続しない決定をしている。150品目もあるといい、商品が店頭から撤去されたとも報じられている。

 さらに、酒井容疑者が出演の裁判員制度PR映画「審理」について、最高裁がDVD貸し出し中止などを行った。制作費だけで7100万円もかかっているという。

 このほか、ビクターエンタテインメントが、酒井容疑者のCD、DVDを出荷停止などにし、ベスト盤CDの発売も中止している。

 ただ、損害賠償の請求については、各企業や最高裁では、まだ決まっていないなどとしている。

++++++++++以上、ヤフーNEWSより+++++++++++

●法的根拠

 契約内容にもよる。
各企業と酒井N子、さらには各会社とプロダクション、またプロダクションと酒井N子
の間で、どのような契約が取り交わされていたのか。
それがはっきりしないので、ここではあくまでも、「?」というレベルで、ものを書く。
つまり、こういうこと。

 各企業は、プロダクションを通して、酒井N子に、モデルなどを依頼し、販促用の
DVDなどを制作していた。
それはわかる。

 ところが今回、酒井N子は、覚せい剤の所持、使用などで逮捕された。
それもわかる。
しかしどうしてこのことが、酒井N子への損害賠償請求へとつながっていくのか?
因果関係については、推察することはできるが、それを証明するとなると、至難の業。
「酒井N子が逮捕されたので、制作したDVDが使用できなくなりました」と。
どうやってその連続性を証明するのか?

 言葉は悪いが、そんなのは、各企業の責任。
各企業が、バカだっただけ。
ろくに人選もせず、イメージだけで販促用のDVDなどを制作した。
プロダクションにしても、通常、そこまで個人の私生活など、知るのは不可能。
覚せい剤などというものは、もともと隠れて使用するもの。
「知らなかった」を押し通せば、それですむ。
……すんでしまう。
(実際、知らなかっただろうし……。)

 『億単位の賠償金が請求される可能性が出てきた。このうち、酒井容疑者がどれだけ負担するかが焦点になっている』というが、その法的根拠は何か?

 たとえば冒頭に書いたように、契約書か何かに、「出演者が故意もしくは過失により、
DVDの発行を無理せしむべく行為をなしたばあいには、出演者が賠償の責を負う』
というような条項でもあれば、話は別。

 (そあたりは、どうなっているのかな?)

 それについて、あの田代Mさん(マスコミ界では、すでに「~~さん」づけで呼んで
いるが……)は、こう答えている。

『すでに収録が終わっていた番組がお蔵入りしてしまい、賠償金を8000万円請求され、まだ返している最中』と。

 本当かな?
本当に返している最中かな?
それはともかくも、田代Mさんは、どうして損害賠償責任を負ったのか?
考えれば考えるほど、わからない。

 で、問題は、酒井N子が、「裁判員制度PR映画」に加担していたということ。
よくある話である。
何でもないそこらのタレントが、ある日突然、日本を代表する、~~救済活動の
リーダーに変身したりする。
そこに至るプロセスは、何もない。
(その家に、ホームレスの人が何十人も寝泊りしているという話があるなら、私はまだ
納得するが、そういう話は、まったくない。)

 自分は億単位の大豪邸に住んで、億単位の年収を稼ぎ、何が~~救済運動だ!
偽善者もよいところ!
……というバカげた話の延長線上に、酒井N子がいる。

 ところで、彼らの合言葉を知っているか?

『中央で有名になって、地方で稼げ』だ。

私も若いころ、マスコミの世界で仕事をしていたから、そのあたりのことをよく知って
いる。
知名度があがればあがるほど、その分だけ、稼ぎが増える。
だから出演料5000円でも、一着数百万円もかけた衣装を身につけてテレビに出る。
……出たがる。
(NHKでは、どんな出演者でも、30分で5000円と、一律に決まっていた。当時)

 それに踊らされるのは、各企業、そして私たち、名もなき、力もない、一般庶民。

 何も酒井N子の肩をもつわけではないが、裁判員裁判制度のPR映画に使った、
7100万円は、担当職員たちに支払わせればよい。
「有名人を使えば、それだけ効果があがるはず」と考える、浅はかさ!
日本の司法関係者まで、ギャグに踊らされている!
このおかしさ!
少しは、自分に恥じたらよい!

(そう言えば、酒井N子は、その裁判員たちよって、裁判を受けるのか?)

 各企業は、たぶん、「イメージをつぶされた」とか何とか言って、怒っているのだろう。
しかし裏を返して言うと、そのイメージとやらを使って、私たち庶民をだますことに
失敗しただけではないのか。
損害賠償うんぬんという話ではない。

 もともと胡散(うさん)臭い世界での、痴話劇。
成り行きを注視したい。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司






最終更新日  2009年08月21日 12時16分14秒
2009年08月18日
カテゴリ:社会時評
自称「浮動票の王様」

++++++++++++++++++++

「王様」というのも、おおげさ(?)。
しかしひとつくらい、そういう肩書があってもよい。
私はその「浮動票の王様」。

支持政党はなし。
毎回変わる。
変わるが、私が動くところ、ドドーッと大衆も動く。
だから「王様」。

その浮動票の王様は、こう考える。

++++++++++++++++++++

★死に票にしない

 浮動票層には浮動票層のプライドというものがある。
その第一が、「自分の票だけは、死に票にしたくない」という自負心。
「どうせ一票を入れるなら、有効に使いたい。できればそれでもって、投票した人を
勝たせたい」と。

 そのため浮動票層は、明らかに敗れるとわかっている候補者には、票を入れない。

★判官(ほうがん)びいき

 自分自身が弱者のせいか、どうしても判官びいき的な心理が働く。
「絶対に勝つ」とわかっている候補者より、「この候補者は、ちょっとあぶないな」と
思われる候補者に入れる。
……入れようとする心理が働く。

 ぜったい勝つとわかっている候補者に票を入れたのでは、おもしろくない。
浮動票層にならない。

★当日の朝、候補者を決める

 浮動票層は、ギリギリまで票を入れる候補者を決めない。
私のばあいは、投票所のあの台の前に立ったその瞬間に、だれに投票するかを決める。
それまでは、(迷う)というよりは、(様子見)。

 だからよく浮動票層の人を対象にした事前調査などがなされるが、あれなどは、
ナンセンスもよいところ。
直前まで、だれに投票するかを決めないから、浮動票層という。

★基準は、消去法

 浮動票層は、「だれに入れるか」という決め方はしない。
「だれに入れたくないか」という基準で、投票する候補者をしぼっていく。
「だれに入れたくないか」という消去法で候補者を消していくと、最後に1~2名、残る。
その中から選ぶ。

 最初から(入れたい人)が決まっていたら、浮動票層にはならない。

★誇り

 世の中の人たちは、やや軽蔑の念をこめて、私たちを「浮動票層」と呼ぶ。
しかしこれほど失敬な呼び名はない。
浮動票層こそ、絶妙なバランスを保つ、民主主義の担い手。
どこかの政党に属し、それに縛られて、言うがままに操られている連中よりは、
はるかに常識的。
常識豊か。

 浮動票層というと、「何も考えない連中」と誤解されているようだが、実際には逆。
自由である分だけ、孤独。
孤独だから、自分で考える。

 浮動票層であることを、何ら、恥じることはない。
言うなれば、「自由思索層」。
「自由投票層」でもよい。
これから私たちを、そう呼んでほしい。

「浮動票」というと、腰の軽い、ふわふわとした人を連想する。
が、実際には、そうではない。

 で、そういう浮動票の王様が見るところ、今度の選挙は……。
この先は書かない。
浮動票層は、みな、同じように考える。
もしあなたが浮動票層なら、私の考えは、あなたのそれと同じ。
結果が見え見えの総選挙だが、それをダメ押しするのも、私たち浮動票層の役目。

 浮動票層の目標はただひとつ。
あのAS首相だけには、勝たせたくない!
言い気にさせたくない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 浮動票 浮動票層 衆議院議員選挙 国政選挙)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司






最終更新日  2009年08月18日 06時06分52秒
2009年08月16日
カテゴリ:社会時評
●「やさしさがないなとは思う」?

++++++++++++++++++

俳優の山城新伍が亡くなったことについて、
波紋が広がりつつある。
山城新伍のマネージャー氏は、次のように
語っている(ディリースポーツ・8月15日)。

++++++++++++++++++

『……山城さんは糖尿病に加え、認知症と高血圧を患っていたという。

 07年7月ごろより、都内を徘徊することが多くなり、昨年3月31日に東京・町田市内の老人ホームに入所。その際に町田市役所が元妻で女優の花園ひろみと一人娘で女優の南夕花に連絡したが、花園は「静かに暮らしていたのに」と連絡にさえ激怒。山城さんサイドの家族に、電話で怒鳴り散らしたという。

 その後、山城のマネジャーが花園らに連絡を取ったが、ついには音信不通になってしまったという。S雄さんは「優しさがないなとは思う。わたしから連絡を取ることもない」と肩を落とした。

 生前、山城さんは「引退した者やから何もしなくていい。このままひっそりとしてほしい。人と接したくない」と老人ホームを終(つい)の棲家に考えていたというが、「娘には会いたいなあ」とよくこぼしていたが、その願いはかなわなかった。

 なお密葬は近親者のみで18日に京都で行われ、四十九日法要後、大親友の梅宮辰夫が発起人となり都内で「お別れ会」を開く予定。骨は京都市内に、自身が建てた2カ所のお墓に分骨される……』と。

 この中でとくに気になったのは、『S雄さんは「優しさがないなとは思う。わたしから連絡を取ることもない」と肩を落とした』という部分。
「S雄氏」というのは、山城新伍の弟氏をいう。

 何があったのか?
私たち部外者の知るところではないが、この記事からも、よほどの確執があったらしいことは、容易に察しがつく。
元妻ですら、「静かに暮らしていたのに」と連絡にさえ激怒。山城さんサイドの家族に、電話で怒鳴り散らした』という。

 この記事を読んで、あなたなら、どう考えるだろうか?
弟のS雄氏のように、「優しさがない」と思うだろうか。
それとも別の考え方をするだろうか。

 こういうケースのばあい、まず念頭に置かねばならないことは、それぞれの家庭には、
言うに言われない複雑な事情があるということ。
表面的な部分だけをみて、それに自分の常識を当てはめて考えてはいけない。
どんなにあなたが社会経験が豊富で、常識豊かな人であっても、こと家庭の問題となると、
話は別。

 こうした問題で、安易にコメントを寄せる人というのは、それだけでノーブレインの人と考えてよい。(S雄氏がそうであると言っているのではない。誤解のないように!)
いわんや、その家族のことを批判するのは、最小限にしたい。
元妻の花園さんについても、『……花園は「静かに暮らしていたのに」と連絡にさえ激怒。山城さんサイドの家族に、電話で怒鳴り散らしたという』とある。

 問題は、そうした電話のやり取りを、だれが外部の人に漏らしたかである。
あるいはどうして私が知っているか、でもよい。
記事の内容からすると、マネージャー氏が、マスコミに暴露したと考えてよい。
となると、これまた背信行為ということになる。

 マネージャーという立場上、元妻や娘を批判したい気持ちはよくわかるが、一方的に、このような内容を暴露するのは、どうか?
たとえそうであっても、やはりこうした話は内々で伏せておくべきではないのか。
こんなことを暴露すれば、今度は、花園さんと弟氏の関係も、破壊されてしまう。
つまりこういうことが重なって、先の記事のような内容になったとも考えられる。

 「電話で怒鳴り散らした」とあるから、相当のわだかまりがあるとみてよい。
であるなら、なおさら、そっとしておいてやるべきではないのか。
何も、山城新伍の死を理由にして、ことを荒立てる必要はない。
(日本人は、葬儀という場面になると、どんな無礼なことをしても許されると考える傾向が強い。)
むしろ私も経験があるが、こうした事情をよく知らない人たちが勝手に騒ぎたてると、遺族はそれまで以上に、とことん傷つけられる。
それは身を引きちぎられるような苦痛と表現してもよい。

 恐らくディリースポーツのこの記事を読んで、花園さんや娘さんたちは、さらに激怒しているにちがいない。
傷口に塩を塗りこまれたような状態ではないか。

 私自身は、山城新伍が好きだったし、好きだ。
しかしそれはスクリーンを通してでの話。
もちろん実物の山城新伍を知らない。
知る必要もない。
興味もない。
元妻や娘さんに冷たくされたといって、それで私の山城新伍への気持ちが揺らぐわけではない。
どこの家にも、似たような話はある。
だったらなおさら、そっとしておいてやるべきではないのか。
静かに冥福を祈るだけである。






最終更新日  2009年08月16日 11時09分21秒
2009年08月15日
カテゴリ:社会時評
●「反戦の誓い」?(Making a Vow not to break out a War?)

++++++++++++++++++++++++++++++++

8月15日、麻生総理が「不戦の誓いを新たにし、
世界の恒久平和の確立に向けて積極的に貢献していくことを誓う」と
式辞を述べたあと、正午からは1分間の黙祷が行われたという。
(全国戦没者追悼式・日本武道館)

++++++++++++++++++++++++++++++++ 

●反戦の誓い?

「反戦の誓い」とは、何か?
私には理解できない。
文字通りに解釈すれば、「戦争に反対する誓い」ということになる。
それに、「誓い」といっても、いったいだれに対してするのか。

 何度も繰り返し書くが、戦後、日本がかろうじて平和を保つことができたのは、
「反戦の誓い」があったからではない。
世界最強のアメリカ軍が駐留していたからにほかならない。
もしアメリカ軍が日本に駐留していなかったら、あるいはあのまま日本を去って
いたら、日本は繰り返し、外国の攻撃にさらされていたはず。
これは(可能性)の問題ではない。
(確実にそうなったであろう)という話である。

 毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・北朝鮮、マルコス・フィリッピン。
それにスターリン・ソ連などなど。
アジアの国々が連合軍を組織して、日本を攻めたかもしれない。

 何もこう書くからといって、「反戦の誓い」がまちがっているというのではない。
言葉としては、美しい。
美しいが、それだけ。
もし仮に、アメリカのオバマ大統領が、「反戦の誓い」なるものをしたとしたら、
どうなる?
その瞬間から、世界中は、大混乱に陥るはず。
日本だけが、「反戦の誓い」とやらをしながら、自分だけ安全圏に逃れるのは、
果たして許されることなのか。

 もし全国戦没者追悼式で宣言することがあるとするなら、「反戦の誓い」ではなく、
「反省の決意」である。
私たち日本人は、世界各国から戦後、袋だたきにあってもしかたのないようなことを、
先の戦争でしてしまった。
いくら弁解しても、この事実をゆがめることはできない。
もし戦時中の日本軍の行動が正しかったと言うのなら、逆に、現在の日本が、その反対の
ことをされても、文句を言わないことだ。
どこかの国の植民地になったとしても、文句を言わないことだ。
つまりそこまで覚悟して、「反戦の誓い」は、意味をもつ。

 反戦も結構。
しかし先のK国のミサイル発射実験を例にあげるまでもなく、仮に、どこかの国が
日本を攻撃してきたら、どうするのか?
「自衛は反戦ではない」と、そのときは「誓い」を捨てるつもりなのか?

 反戦という以上、「戦争はしない」。
たとえどこかの国が攻めてきても、戦争はしない。
というのも、自衛と戦争の間に、線を引くことはできない。
現に先のミサイル発射実験のときには、敵地攻撃論、さらには最近に至っては、
先制攻撃論、核兵器保有論まで、政府の高官の口から出てきている。
「坐して死を待つことはない」と。

 自衛戦争は、即、「戦争」そのもの。
古今東西、どの国も、「自衛」を口実に、世界に向かって戦争をしかけていった。
つまりこれほどまでにいいかげんな「誓い」というのは、そうはない。
だいたい、だれに向かって誓うというのか?

 自分か?
日本国民か?
それとも世界か?
あるいは神や仏か?

 平和というのは、他国の平和をまず考えてやってこそ、守れる。
インドの元首相のネールも、そう言っている。
わかりやすく言えば、他国に脅威を与えない。
「日本は脅威ではありませんよ」という印象を与えてこそ、日本の平和は守れる。
誓うとしたら、「他国に脅威を与えるようなことはしません」でもよい。
そういう具体性、かつ、世界の人が納得する(誓い)であるなら、私も賛成する。
が、そうでないから、私は首をかしげる。
しかしそれにしても、10年、20年一律のごとく、「反戦の誓い」とは?

 少しは自分の頭で考えて、進歩しろ!

 あえて言う。
戦争はいやですと言って、逃げて回るのは、平和主義でもなんでもない。
ただの臆病という。
戦争になって、殺されても構いませんと言うのも、これまた平和主義でも
なんでもない。
ただの事なかれ主義という。
いざとなったら、国を守るために戦いますというのが、平和主義ということに
なる。

 つまり平和というのは、つねに積極的に求めてこそ、守れるもの。
「何もしないから、相手も何もしてこないだろう」という考え方は、甘い。
いかに甘いかは、日本軍が戦時中にしたことを思い浮かべてみればわかるはず。
日本軍は、そういう国々をつぎつぎと占領していった。

 それを棚に上げて、「反戦の誓い」はない。
すべきことがあるとするなら、「反省の決意」である。
勇気が必要だが、その勇気を世界に示してこそ、日本ははじめてアジア諸国のみならず、
世界の国々に認められる。
またそのときこそ、日本の平和が保障される。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 平和宣言 反戦の誓い 戦没者追悼式 平和主義 平和主義者 日本
の平和と安全)






最終更新日  2009年08月15日 20時37分22秒
2009年08月08日
カテゴリ:社会時評
●8月6日(The Day of A-Bomb in Hiroshima)

+++++++++++++++

2009年8月6日。

今日は原爆記念日。
朝、8時15分に、サイレンが鳴った。
「ああ、そうだった」と思って、一瞬、息を止めた。

先日、豊田町の(ゆや会館)で、原爆資料展を開いていた。
そのとき見た、痛々しい写真が、脳裏を何度もかすめた。

++++++++++++++++++

●もし……

 ナチスドイツによる、ユダヤ人大量虐殺を知って、多くの日本人は、こう思う。
「私たち日本人は、ああいう残酷なことはしない」と。
あるいはアメリカ軍による原爆投下を知って、多くの日本人は、こう思う。
「日本人は、ああいう爆弾は使わない」と。

 しかし本当に、そうか?
自信をもって、あなたは、そう言い切ることができるか。

 もしこの日本に、100万人単位のアジア系流民たちが住むようになり、
日本の経済を牛耳るようになったとしたら……。
日本の文化に同化せず、彼らの宗教を信じ、彼らの言葉を話したとしたら……。
そしてあなたの隣に住み、あなたの家より立派な家に住むようになったとしたら……。

 100万人なら、まだよい。
それが200万人となり、300万人となったとしたら……。
それでもあなたは、「私たち日本人は、ああいう残酷なことはしない」と、
自信をもって言い切れるだろうか。

 原爆についてもしかり。
敗戦直前、日本軍も原爆の開発をもくろんでいた。
ドイツへ研究者も派遣していた。
もしあのとき日本軍が原爆をもっていたとしたら、日本軍は容赦なく、それを使って
アメリカ軍を攻撃していただろう。

●日本の現実

 こうした残虐な行為を止めるゆいいつの方法があるとすれば、私たち1人ひとりが、
高い文化性をもつことでしかない。
高い人間性でもよい。
ふつう程度の文化性や、人間性では、足りない。
現に、シラーやゲーテ、ベートーベンを生んだドイツですら、それを食い止めることは
できなかった。
ジェファーソンやワシントン、リンカーンを生んだアメリカですら、それを食い止める
ことはできなかった。

 日本に、こうした世界に誇ることができるような賢人がいるか?
今までに、いたか?
残念ながら、答えは、NO。
まず、この現実に、目を向けなければならない。
つらいことだが、まず、それを認めなければならない。

●一億、総ギャグ化

 が、現実は、逆。
日本人は、ますます逆の方向に進みつつある。
その一つの例として、あのお笑いタレントをあげたい。
どこかの県の知事になった、あのお笑いタレントである。
(こう書くと、不愉快に思う人が多いことは、認める。
先日も、それについて書いたら、私のBLOGに、「お前は、何様のつもりか?」と
書き込んできた人がいた。)

何もお笑いタレントが、政治家になってはいけないと言っているのではない。
また、その政治家が悪いと言っているのではない。
彼とて、有権者に選ばれたから、知事になった。

あの県では、長い間、プロの政治家(?)による汚職事件が、相次いだ。
そういういきさつは、ある。
が、それでも、つまり全体として見たとき、日本人は今、一億が、総ギャク化している
としか、私には思えない。
あろうことか、当の県知事は、「総裁候補にしてくれるなら、衆議院議員に鞍替えしても
いい」というようなことまで言った。

こうした動きを見ていると、日本人が本来もっていた、あの(まじめさ)そのものが、
どこかへ消えてしまったとしか思えない。
その流れの中で、お笑いタレントが、府知事になったり、県知事になったりする。
そういう現実を、だれも、おかしいと思わない。
私は、それが「おかしい」と言っている。

 誤解があってはいけないので、再度、確認しておきたい。

 人生哲学を語りながら、その中に(ジョーク)があるなら、それはそれでよい。
しかし今の日本には、(ジョーク)ばかりで、人生哲学がない。
きちんとした政治論をもっている人が、たまにジョークを口にするのはよい。
(笑い)も、その中から、生まれる。

 たとえば県知事になるにしても、それだけの実績があるならよい。
民衆とともに歩きながら、少しずつ積み重ねあげてきたという実績である。
が、その実績がない。
ないまま、ある日突然、知名度だけを武器に、中央からやってきて知事になる。

この日本では、まじめに生きようとすればするほど、バカらしさを覚える。
社会そのものが、そういうしくみになってしまった。
その一例として、お笑いタレントをあげた。
私は、それが問題だと言っている。






最終更新日  2009年08月08日 10時54分46秒
カテゴリ:社会時評


●悪人の餌

 話は変わるが、たまたま数日前、1人の女優が覚せい剤所持と使用で、逮捕された。
先に、夫が逮捕され、その夫が、妻(=その女優)も使用していたことを認めた。

 その女優は、ある公的機関の、「覚せい剤撲滅運動」のポスターにも顔を出している。

 これはほんの一例だが、こうした矛盾は、いたるところにある。
たとえば難民救済運動。
どこかの有名タレントが、ある日を境に、突然、慈善運動家に変身したりする。
それ以前に、たとえば、若いときからボランティア活動をつづけてきたとか、
ホームレスの人たちに炊き出しをしてきたとか、そういう実績があれば、話もわかる。
そういう実績もないまま、「ある日を境に、突然」である。

 しかも将棋で言えば、いきなり「王手!」。
その運動のトップとして、君臨する。
雑誌やテレビを通して、さも私は善人でございますといった、様子をしてみせる。

 私は、それがおかしいという。
おかしいだけならまだしも、本当に困っている人に対して、失礼。
許しがたい冒涜と断言してもよい。
そういう知名人たちは、一見助けるフリをしながら、困っている人たちを、
その実、食い物にしている。

 どこかの県の知事になったお笑いタレントにしても、その疑いがないとは言わない。
(もちろん、そうであると、断言しているわけでもないが……。)
が、ふつうの常識のある人なら、自分に恥じて、つまりおこがましくて、そういうことは
できない。

 要するに、私は、「仮面」には注意したほうがよいと言っている。
悪をなすことは、悪いことだが、悪人を助けることは、もっと悪い。
昔、恩師の故松下哲子先生は、いつも、私にこう言っていた。
『悪人の餌にだけは、なってはいけませんよ』と。
 
●高い文化性

 高い文化性にせよ、人間性にせよ、それを養うには、(思考)しかない。
思考こそが、人間が人間である、ゆいいつの証(あかし)ということになる。
また思考によって、人間は人間であることを保つことができる。

 数日前もワイフとこんな会話をした。

 「もし裸の若い女性が部屋の中に入ってきて、こう言ったとする。
『抱いて!』と。
すてきな女性だ。
あたりにはだれもいない。
そのとき、それを断るというのは、ふつうの男なら、かなり勇気のいることだ」と。

 あるいは道で、大金の入った財布を拾ったときでもよい。
賄賂(わいろ)を、テーブルの前に、ドカッと積まれたときでもよい。
そういうとき、それを断る勇気が、あなたにはあるだろうか。
つまりそういうときに、私たちは、自分の文化性を試される。
人間性を試される。

 そのとき、「私は、まちがったことはしない」と言って、それを断ることができれば、
それはそれでよい。
そうでないなら、言葉はきついが、「偉そうなことは言うな」となる。

 つまりその延長線上に、ナチスドイツによるユダヤ人大量虐殺がある。
広島、長崎への原爆投下がある。

●もし……

 「戦争、反対!」「原爆、反対!」と叫ぶのは、簡単なこと。
大切なのは、それを口にする前に、高い文化性と、人間性が、自分の中にあるかどうか
ということ。
それがあってはじめて、私たち日本人は、世界に向かって、「日本人は平和を
愛する国民です」と言うことができる。
世界の人たちを納得させることができる。

 戦後、たまたま日本が平和を守れたのは、日本人が、それだけ平和を愛する
国民だったからではない。
また平和を守ったからでもない。
アメリカ軍という世界最強の軍隊が、日本に駐留していたから、である。
もしアメリカ軍が駐留していなかったら、日本は繰り返し、戦禍にのみ込まれていたはず。

 スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・K国……。
そういう国々が、日本に対して報復戦争をしかけてきたはず。
そのつど日本は、メチャメチャになっていたはず。
また報復されてもしかたないようなことを、日本軍は、戦争を通して、してしまった。
アメリカにしても、最後の最後まで、「Remember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)」を
合言葉にしていた!

仮にあのとき日本軍が原爆をもっていたとしたら、一時的には優位になっていたかも
しれない。
が、今ごろは、北海道から沖縄まで、日本は完全な廃墟と化していたにちがいない。
「日本」「日本人」という言葉すら、この地球上から消えていたかもしれない。

 それが現実。
まぎれもない現実。
8月6日。
今年もまた、去年と同じようなことを考えた。

(追伸)

 ついでに一言。
あどけない小学生に、平和宣言など、させてはいけない。
平和を守るのは、私たちおとなの責務。
こういう場で子どもを利用するのは、どこかのテロ組織が、自爆攻撃用にと、
子どもを利用するのと同じ。
「平和目的ならいい」「戦争目的は、だめ」というのは、おとなの勝手な論理に
すぎない。
あるいはどこでどう、線を引くというのか?

++++++++++++++++++++

6年前に書いた原稿を、そのまま紹介します。

+++++++++++++++++++++++++++

●子どもによる平和宣言(Declaration for Peace by Children)

+++++++++++++++++++++++++++

今年も、広島、長崎で、子どもを使った
平和宣言がなされた。

それについて、私はかねてより、「子どもに
そんなことをさせてはいけない」と書いて
きた。

平和を守るのは、おとなである私たちの
責任。
子どもたちの未来を守るのも、おとなで
ある私たちの責任。

子どもを使うのは、卑怯だ!

+++++++++++++++++

8月8日、韓国で奇妙な事件が起きている。
どこかに立てこもった一群の中の子どもたちが、韓国の大統領である、イ大統領を
口汚く、ののしっているという。

文章を簡潔にして、紹介させてもらう。

+++++++++以下、朝鮮N報++++++++++++

「李明博(イ・ミョンバク)、なんでそんなやり方で国を治めるんだ」
「お前が死んだら僕は気持ちよく笑えるだろう。この××野郎よりダメなやつ!」
「お前がそんなことをするなら、僕はお前を殺してやる」

 先月23日、体験学習のためソウルにやってきた地方の小学生たちが、曹渓寺(ソウル市鍾路区)に立てこもっている、「狂牛病(BSE)の危険のある米国産牛肉の全面輸入に反対する国民対策会議」(以下、対策会議)の芳名録に書いた、文や動画が公開され、韓国社会は衝撃を受けた。

この小学生たちは10歳前後、小学3~5年生の子どもたちだった。「立てこもっている人たちがけしかけた」という学校側の主張と、「自発的に書いた」という対策会議側の主張は食い違っている。

これについては警察の捜査で明らかになるだろう。






最終更新日  2009年08月08日 10時54分21秒
カテゴリ:社会時評

+++++++++以上、朝鮮N報++++++++++++

少しわかりにくい話なので、解説してみる。

現在、ソウルの曹渓寺というところに、アメリカ産の牛肉の輸入に反対する団体が、立てこもって、それに反対しているという。
その寺の芳名録に、その小学校を訪れた子どもたちが、芳名録に書き込みをした。
それが冒頭にあげた、文章である。

「李明博(イ・ミョンバク)、なんでそんなやり方で国を治めるんだ」
「お前が死んだら僕は気持ちよく笑えるだろう。この××野郎よりダメなやつ!」
「お前がそんなことをするなら、僕はお前を殺してやる」と。

これについて、(1)立てこもっている人たちが、子どもたちにけしかけた。(2)子どもたちが自主的に書いたと、意見が分かれているという。

が、どちらであるにせよ、つまりけしかけられたにせよ、自主的に書いたにせよ、その背後には、(おとなたちの意思)が、感じられる。
少なくとも、こうした言葉は、子どもたちだけの発想では生まれない。

そこで日本の子どもたちによる、平和宣言。
私は、平和宣言がまちがっているというのではない。
それ自体は尊いものであり、世界に向かって宣言して、当然である。

しかし、子どもを使って、それをしてはいけない。

5年前(03年)に、こんな原稿を書いたことがある。

++++++++++++++++++

●子どもによる平和宣言

 よくどこかの会場で、小学生くらいの子どもが、平和宣言をすることがある。「私たちは、平和を守り……。戦争に反対し……。核兵器を廃絶し……」とか。たいていは、……というより、ほとんどは、おとなたちが用意した原稿を、子どもが読みあげているだけ。たまたま、この原稿を書いている今日も、「地雷をなくそう、全国子どもサミット」(03年2月8日)があった。疑問がないわけでもないが、しかしそういうのなら、私も、まだ理解できる。

 しかし子どもを使って、平和宣言など、子どもに言わせてはいけない。子どもをそういうふうに利用してはいけない。それはあまりにも酷というもの。だいたいそんな子どもに、戦争だとか、平和がわかるわけがない。だれだって、戦争より平和のほうがよいと思っているに決まっている。

しかし平和というのは、それを求めて積極的に戦ってこそ、得られるもの。皮肉なことに、戦争のない平和はない。ただ「殺しあいは、いやだから」という理由だけで、逃げまわっている人には、平和など、ぜったいにやってこない。世界は、そして人間が本来的にもつ性(さが)は、そんな甘いものではない。

 たとえば戦後、つまりこの58年間、日本がかろうじて平和を保つことができたのは、日本人がそれだけの努力をしてきたからではない。日本人が平和を愛したからでもない。日本が、戦後、58年間という長きにわたって平和を保つことができたのは、アメリカという強大な軍事力をもった国に、保護されていたからにほかならない。

もし日本がアメリカの保護下になかったら、60年代には、中国に。70年代には、韓国や北朝鮮に、そのつど侵略されていただろう。台湾やマレーシアだって、だまっていなかった。フィリッピンに袋叩きにされていたとしても、おかしくはない。日本は、そういうことをされても文句は言えないようなことを、ほかの国に対して、してしまった。

しかももっと悪いことに、いまだに、公式には、日本はその戦争責任を認めていない。中には、今でも「あの侵略戦争は正しかった」と言う日本人すら、いる。今の北朝鮮を容認するわけではないが、彼らが日本を憎む理由には、そういう時代的背景がある。

 わかりやすく言えば、子どもが平和宣言をして、それで平和な国がやってくるというのは、まったくの幻想。平和というのは、それ自体は、薄いガラスでできた箱のように、もろく、こわれやすい。ときには、戦争そのもののように、毒々しく、醜い。仮に今、平和であるとしても、その底流では、つぎの戦争を求めて、人間のどす黒い欲望が渦巻いている。つまり、平和を口にするものは、一方で、そういうものと戦わねばならない。その戦う意思、その戦う勇気のあるものだけが、平和を口にすることができる。

子どもを使って平和宣言をさせるというのは、子どもを使って宣戦布告するのと同じくらい、バカげている。それがわからなければ、子どもに、援助交際反対宣言をさせてみればよい。子どもに、政治家の汚職追放宣言をさせてみればよい。あるいは覚せい剤禁止宣言でもよい。環境保護宣言でもよい。

そういうものが何であるかもわからないまま、無知な子どもに、そういうことを言わせてはいけない。そうそう、あのK国では、幼児までもが、「将軍様を、命がけで守ります」などと言っているという。幼児が自分の意思で、自分で考えてそう言うのなら話はわかるが、そんなことはありえない。繰りかえすが、子どもを、そういうふうに利用してはいけない。

 そんなわけで、私は、小学生や中学生が、片手を空に向けて平和宣言をしている姿を見ると、正直言って、ぞっとする。あるいはあなたは、アメリカやヨーロッパや、オーストラリアの子どもたちが、そういうふうに宣言をしている姿を、どこかで見たことがあるとでもいうのだろうか。残念ながら、私はないが、ああいうことを子どもに平気でさせる国というのは、全体主義国家か、あるいはその流れをくむ国と考えてよい。

 「地雷をなくそう、全国子どもサミット」では、ある子ども(滋賀の小学生)は、つぎのように話している。

「地雷でケガをした人を見るのは初めてで、結構びっくりしたからそんなにしゃべったりできなかったけれど、何かちょっとずつだけど、声がかけられるようになったからよかったと思っています」(TBS報道)と。私たちが聞きたいのは、子どもたちのそういう生の声である。

子どもたちのために平和を守るのは、私たちおとなの義務なのだ。どこまでいっても、私たちおとなの義務なのだ。それを忘れてはいけない。
(030209)

++++++++++++++++++

さらに進むと、自爆攻撃がある。
テロリストたちは、まだあどけない子どもを利用して、アメリカ軍などに対して、ゲリラ攻撃をしかけている。
一度、その指導風景がテレビで紹介されていたが、指導者らしき男は、子どもたちに向かってこう説明していた。

「死んでも、この世とまったく同じ世が、向こうの世界にある。だから恐れるな」と。

もしそうなら、テロなどしても意味はないということになるのだが、それはともかくも、子どもを使うということは、そういうことをいう。

平和宣言だからよい。
ゲリラ戦だからよくない。
そういうふうに線引きすること自体、まちがっている。
それこそ「平和のための戦争」ということになれば、どんな戦争だって、
肯定されてしまう。
どうであるにせよ、おとなたちは、自分が信ずる「正義」に従って、子どもを利用する。
それぞれのおとなたちは、それぞれの思惑をもって、子どもを利用する。
つまり「正義」ほど、いいかげんなものもない。
私はそれがおかしいと言う。

それがわからなければ、もう一度、最初に引用した、朝鮮N報の記事を読みなおしてみることだ。

(子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子供による平和宣言 子どもの平和宣言)

(補記)

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 この原稿を書いて、4か月になる(03年)。いろいろな原稿を書いているが、4か月前に書いた原稿という気がしない。遠い昔に書いたような気がする。ただ子どもに平和宣言させることに、全面的に反対というわけではない。子どもに戦争の悲惨さを教え、ついで平和の尊さを確認させるという点では、意味がある。しかしそれでも、私は、「それでいい」とは、どうしても思えない。

 いつだったか、どこかのカルト教団の取材に行ったときのこと。全国大会とかで、全国から数万人の信者が集まっていた。その席でも、やはり小学生代表が、こう叫んでいた。

「私たちは、○○導師様の教えを守り、この信仰を、世界に広めていきます!」と。小学生による平和宣言などというものは、私には、その延長線上にあるとしか思えない。

 繰りかえすが、平和を守り、子どもたちを守るのは、私たちおとなの義務である。しかしその平和というのは、自ら戦って、勝ち得るもの。「殺しあいはいやだ」と逃げてまわっていては、平和は絶対に守れない。

 同じく繰りかえすが、平和主義には、二つある。「殺されても、抵抗しません。文句を言いません」という平和主義。もう一つは、「平和のためなら、命すらおしくない。いざとなったら、戦争も辞さない」という平和主義。ここにも書いたように、「殺しあいはいやだ」と逃げてまわるのは、平和主義でも何でもない。ただの逃避主義でしかない。

 また先の原稿の中で書いたように、戦後の日本がかろうじて平和を保つことができたのは、それだけ日本人が平和を守ったからではない。また日本人が平和を愛したからでもない。日本がかろうじて平和を保つことができたのは、たまたまアメリカという国に占領され、その保護下にあったからである。

 私は60年代に、交換留学生として、韓国に渡ったが、彼らがもつ反日感情というのは、感情というレベルを超えた、「憎悪」そのものだった。今でも基本的には、その構図は、変わっていない。仮に北朝鮮が日本にめがけて核ミサイルを撃ち込んだとしても、それを喜ぶ韓国人はいても、悲しむ韓国人はいない。そういう現実を前にして、小学生を仕立てて平和宣言をする。そのオメデタサは、いったいどこからくるのか。(だからといって、私が戦争を求めているのではない。どうか誤解のないように!)

今朝の報道によれば、あの北朝鮮は、すでに核兵器を数個もち、さらに今後、半年の間に、5~6発の核兵器を製造する能力があるという。さらに今年の終わりには、核実験もするかもしれないという(クリントン政権時代の北朝鮮担当官・ケネス・キノネス氏)。そうなれば日本は、もうおしまい。金XXの影におびえながら、毎日ビクビクしながら、生活をしなければならない。

 小学生による平和宣言の話を書いているうちに、またまた頭が熱くなってしまった。私の悪いクセだ。しかし、これだけは言える。どんな形であるにせよ、おとなたちは自分たちの政治的エゴを追求するために、子どもを利用してはならない。子どもには、子どもの人権がある。その人権だけは守らねばならないということ。決して、子どもたちを、猿まわしのサルのように利用してはいけない。
(030628) 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
平和論 日本の平和 日本人 広島 原爆の日 はやし浩司 子どもによる平和宣言 子供による平和宣言)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●夏休み

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私にも夏休みがあって、明日から、その夏休み。
バンザーイ!

で、その夏休み。
いくつか心に決めていることがある。

(1) 運動を欠かさない。
(2) 映画を3本、観る。
(3) 温泉に2度行く。
(4) 三男に会いにC県へ行く。
(5) 実家にケリをつけてくる。(温泉に泊まってくる。)
(6) ノートパソコンを1台、買う。
(7) ワイフと喧嘩しない。

夏休みも、すべて、「即、実行!」を貫く。
今できることは、後回しにしない。
今日できることは、明日に延ばさない。
すべて、先手、先手!

プラス、のんびりできるところでは、
思いっきり、のんびりする。






最終更新日  2009年08月08日 10時53分50秒
カテゴリ:社会時評

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●故郷と決別する日

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近く、実兄と実母(ともに個人)の法事をする。
実家のあるM町で、それをする。
そのあと、実家を売る。
買い手は決まっている。
その契約をすます。

それがすんだら、家財を処分して、M町を去る。
同時に、故郷とは、決別する。

M町には、現在、親戚はいない。
実姉はいるが、M町から離れた、遠い、山の中に住んでいる。
M町に残るのは、墓のみということになる。
が、私は死んでも、あの墓に入るつもりはない。
ワイフも、ぜったいにいやと言っている。

私はその日を最後に、二度と、あのM町には
戻らない。
(よほどのことがあれば、別だが……。)
それを話すと、昨夜、眠る前にワイフが、
こう聞いた。
「さみしくないの?」と。

「そりゃあ、さみしいよ。
しかしね、それ以上に、うれしいよ。
やっと決別できるんだから……」と。

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●母への恩義

 人は、人とのつながりの中で生きている。
それが無数の糸となって、その人にからんでいる。
親子の糸は、その中でも、とくに太い。
が、親にもいろいろある。
たとえば父は、生涯にわたって、ただの一度も、私を抱いたことがない。
母が抱かせなかった。
父が結核をわずらっていたこともある。
が、母は、それにもまして、異常なまでに潔癖症だった。

 で、残されたのは、つまり私と母の間に残されたのは、細い糸。
が、いくら細い糸ではあっても、人は、その糸に、最後の希望を託す。
こと(故郷)に関して言えば、何もよいことはなかった。
(家族)を通した思い出の中で、楽しかったことなど、ほとんどなかった。
しかしそんな私でも、最後は、こう思う。

 「母も、私には、やさしいときがあった」と。

 それがあるから、今まで故郷を支えてきた。
無住の家となってからも、5年間、支えてきた。
しかしそれを仲のよい従姉(いとこ)に話すと、こう教えてくれた。
「浩司君(=私)、そんなことを、負担に思ってはだめよ。
そんなことは、親の務めなのよ。
子どもを産んだら、責任をもって子どもを育てる。
そんなことは、当たり前のことじゃない」と。

●浜松市が故郷 

 その故郷を、改めて振り返る。
「私にとって、故郷とは、何か?」と。
というより、18歳のときに故郷を離れて、今年で、すでに43年目になる。
いまだに「故郷」にこだわるほいが、どうかしている。
しかし「古里」は、「古里」。
どうしても、こだわってしまう。
なぜか?

 0歳から20歳までの20年と、20歳から40歳までの20年は、密度がちがう。
密度がちがうだけに、思いも、また複雑。
 
だからもうすぐ62歳になろうという私にしても、故郷を心の中から断ち切るのは、
容易なことではない。
本能に近い部分にまで、思い出が刷り込まれている。
が、ずるずると引きずるのも、よくない。
私はこの浜松市で居を構えたし、息子たちにとっては、ここが「故郷」。
その私がふらふらしていて、どうして息子たちの心が落ち着くか。

●解放

 しかし……。
私は、うれしい。
刻一刻と、その日が近づいてきているのが、実感としてわかる。
それがうれしい。
ルンルン気分とまではいかないが、ワクワクしている。
実家を売れば、たいした額ではないが、お金が入ってくる。
そのお金で、ワイフと温泉につかってくるつもり。

 そう、結婚する前から、私は実家に、収入の約半分を送ってきた。
その負担感……金銭的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがあった。
あるときから、それは重圧感に変わった。
「親だから……」「子だから……」「兄弟だから……」「大学まで出してもらったのだ
から……」「男だから……」と。
『ダカラ論』だけが、先行した。
それは真綿で首をしめられるような、苦しみだった。
ジワジワと……。
いつ晴れるともなく……。
だれが、というわけではないが、そういう雰囲気の中で、私は生まれ、育った。

 私は母にお金を仕送る。
母は母で、母の実家に、お金を仕送る。
こんな生活が、30年以上もつづいた。
だから私はそのつど、叫んだ。
「もう、いいかげんにしてくれ!」と。

 そう、そう叫ぶのも、これでおしまい。
私は、解放される!

●2人だけ

 だから昨夜、ワイフにはこう言った。
「もうこれからは、2人だけだね。
仲よくしようね」と。

 故郷から決別するということは、同時に、最後の糸を断ち切ることを意味する。
「ひょっとしたら、故郷は助けてくれるかもしれない」「暖かく私を包んでくれるかも
しれない」という糸である。

 しかしそれは、もう、ない。
期待もしていない。
いくら細くても、一本ぐらい、糸を残しておいたほうがよいという考え方もある。
何も自分のほうから断ち切ることもないではないか、と。

 それもそうかもしれないが、しかしそれは私の生き方ではない。
どうせスッキリするなら、何もかも打ち棄てて、心の中を整理したい。
私も、もう62歳。
人生も終盤期に入った。
モヤモヤとした過去にしばられ、立ち止まっている暇は、もうない。
残り少ない時間だからこそ、一瞬一秒を大切に、前に向かって進んでいきたい。

●あとは野となれ、山となれ

 さあ、決別するぞ。
心から消すぞ。
あとのことは、知ったことではない。
野となれ、山となれ。
ははは。

 世の中には、いろいろな家族がある。
家庭環境も、みな、ちがう。
事情も、みな、ちがう。
私は私。
あなたの考え方と、いくらちがっていても、私は私。
私の考え方が、まちがっていると言ってほしくない。
それに私がこういう考え方をするようになったからといって、私の責任ではない。
私の中にも、私自身の意思で作った部分もあれば、私の意思とは無関係に作られた
部分もある。

 ただ覚えておいてほしいのは、世の中には、私のような人間もいるということ。
けっして、少数派ではないということ。
今まで、みな、口に出して言わなかっただけ。
安易な『ダカラ論』に押されて、遠慮していただけ。

 ♪「さらば、ふるさと、さらば、ふるさと、ふるさと、さらばア~」と。

 私はこの歌を、明るくさわやかに歌って、あのM町を去る。

 
Hiroshi Hayashi++++++++AUG・09++++++++++はやし浩司






最終更新日  2009年08月08日 10時53分12秒
2009年07月19日
カテゴリ:社会時評
【首相、閣僚の脳検査を義務づけよう】

●AS首相

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夜遅く、山荘にやってくる。
途中、コンビニで、タブロイド紙(日刊ゲンダイ)を買う。
一面の大見出しには、「予想以上にAS自民は大敗する」(7・17)とあった。
それが気になった。
その下に、AS首相の、さらに醜い、あの表情が載っていた。

小見出しには、「どうやら精神に異常をきたしていると見えるバカ首相の
指令で、自爆玉砕選挙に突入していく、まるで勝てない
戦争をした戦前の東条英機政府さながら」と。

一国の宰相が、ここまで酷評される。
その異常さに、驚いた。

++++++++++++++++++++++++++

●権力の亡者

 当初、選挙までの暫定内閣だったはずのAS内閣。
1、 2週間で、その使命を終えるはずだった。
が、そのつど、ああでもない、こうでもないと、自分勝手な理由をこじつけて、
権力の座に居座ること、10か月。
自称「外交のAS」とか、「経済のAS」とか言って、いろいろやってはみた。

しかし外交面でも、経済面でも、さしたる成果はゼロ。
アメリカには相手にされず、ロシアやドイツを怒らせただけ。
「経済」といっても、日本国内はもとより、世界中に、金(マネー)をばらまいただけ。
自民党内部からでさえ、「AS首相に欠けるのは徳性」とまで、酷評される始末。
しかしそんなことは、当初から、わかっていたはず。

 あのAB元総理大臣の辞任劇の陰で暗躍したのが、AS氏であるという説もある。
AB元総理大臣は、「(ASに)裏切られた」と言って、辞任した。
陰謀と策略。
AS首相に張り付いたイメージは、この10か月、増大することはあっても、縮小
することはなかった。
「精神に異常をきたしていると見える」(日刊ゲンダイ)というのは、少し
言いすぎかとは思う。
しかし今、日本中の人たちが、それに近い印象を持ち始めている。

 たしかに、おかしい。
AS首相は、たしかに、おかしい。

●落下傘(候補)

 横山ノック氏(故人、元お笑いタレント)が、大阪府知事になったとき、だれもが
首をかしげた。
結末は、破廉恥事件を起こして失脚。
私たち日本人は、あの横山ノック氏を通して、何を学んだのか。
そのままその後を引き継いだのが、宮崎県。
宮崎県のAZ知事。

 自民党から衆議院議員への出馬要請受け、「総裁候補にしてくれるなら」という
条件をつけた。
だれしもお笑いタレント特有のギャグかと、わが耳を疑った。
しかしAZ知事は、本気だった。
そこで自民党の出した提案は、東京都X区、比例区第一位候補者……!

 が、日本人も、そこまでバカではない。
自分への逆風を知ると、「師匠のBタケシ氏に、『甘くない』と言われた」とか
何とか、これまた勝手な理由をこじつけて、突然、辞退表明。
「宮崎県知事に戻る」とか、言い出した。
今回の衆議院議員出馬騒動で、振り回されたのは、宮崎県民だけ。
AZ知事にしてみれば、宮崎県など、ただの踏み台でしかない。……なかった。

 この静岡県にしても、中央からやってくる政治家というのは、たいていこの種の
政治家と思って、ほぼまちがいない。
称して、「落下傘(候補)」と言う。
落下傘のように、ある日、突然、空から舞い落ちてくる。
落選すれば、また元の職場に、そのまま戻る。

●幻想主義者

 金(マネー)と女と権力。
まったく異質のもののように見えるが、これら三者は、(煩悩)という欲望を介して、
密接につながっている。
三者一類と考えてもよい。

 権力の魔力とやらを知りたかったら、歴史をながめてみればよい。
一度権力の魔力にとりつかれた政治家は、狂ったように、その座にしがみつこうとする。
政敵を粛清(殺害)することなど、朝飯前。
まともな政治家なら、まだ救われる。
しかしこの類の政治家は、まともでないから困る。
よい例が、あのスターリンである。
彼が率いた恐怖政治のもとで、いったい、どれほど多くの善良な市民が、命を
失ったことか。
何十万人?
何百万人?
あるいはそれ以上?

私はこうした政治家たちを、「幻想主義者」と呼んでいる。
「権力」という、おかしな幻想にとりつかれ、その奴隷となって自分を見失ってしまう。

 権力が人を狂わせるのか。
それとも狂っているから、その人をして、権力に向かわせるのか。
あるいは人は、権力に向かうと同時に、より狂人的になるのか。
しかしそんな政治家を抱いたら、それこそ市民こそ、えらい迷惑。

●自民党の終焉(しゅうえん)

 このまま何ごともなければ、日刊ゲンダイ紙が言うように、AS自民党は、
つぎの国政選挙で、大敗以上の大敗をする。
週刊誌によってちがうが、民主党の単独過半数確保は、ほぼまちがいないようだ。
すでに火事場のネズミよろしく、連立政権を組んでいたK党ですら、連立離脱を
ほのめかしている。

 「何ごともなければ……」というのは、「あのAS首相のことだから、何を画策
しているかわからない」という意味である。
何か問題が起きるたびに、それを理由にして権力の座にしがみついてきた。
今度は、自ら、何か問題を起こす。
そういうことも、じゅうぶん考えられる。
あるいは今、AS首相は、血眼(ちまなこ)になって、その問題をさがしている?
今のAS首相にしてみれば、(失うこと)イコール、自己否定ということになる。
それこそ徳性のある政治家なら、自己否定すらも、自ら心の中で消化することも
できる。
が、AS首相には、その徳性すらない。

●金権主義

 民主主義がこの世に生まれたときはもちろんのこと、この日本に民主主義が
もたらされたとき、民主主義はこれほどまでに金権に毒されやすいものだと
いったい、だれが予想しただろうか。
今の日本の民主主義は、その金権に毒されているというよりは、腐敗しきっている。
民主主義そのものが、金権の奴隷。
金権に操られるがまま操られ、金権の道具として、利用されている。

 はからずも「日刊ゲンダイ」は、AS首相を、あの東条英機にたとえた。
そう、あの東条英機にしても、自分の失敗を認め、すなおに退散していれば、広島の
原爆はなかった。
長崎の原爆もなかった。
東京大空襲もなかったかもしれないし、沖縄の玉砕もなかったかもしれない。

 歴史作家の加来耕三氏の言葉を、このように伝えている。

『まさしく、今のAS首相は東条英機ですね。
つまり冷静な判断力がなく、国民のことを考えられない。
頭にあるのは自分自身の有終の美だけなのでしょう。
いかに自分がかっこよく散るか、それしか考えていないように見えます」(一面)と。

●「精神に異常をきたしていると見える」(日刊ゲンダイ)

 AS首相の精神が、どうなのかということについては、わからない。
しかし一連の言動や失言からして、脳の何らかの障害が疑われても、しかたない。
「精神に異常をきたしていると見える」という発言については、「日刊ゲンダイ」社
(名古屋市中村区名駅4-4-12・購読は、中日新聞出版販売店)に
責任を取ってもらうことにして、もし仮にそうであるとするなら、当然に私たちは、
ドクターストップをかけなければならない。
今は無理なら、そういうシステムを早急に、作り上げなければならない。

 その第一歩として、首相はもちろん、閣僚級の人物については、最低でも、
脳ドックを受けてもらい、その診断結果くらいは、公表すべきではないのか。
就任時はもちろん、半年ごとに、公表したらよい。
認知症、脳梗塞、精神病などなど。
こうした心配のある人物は、そもそも国のリーダーとして、ふさわしくない。
国のリーダーになってもらっては、困る。
また任期途中でも、その心配が発生したら、ドクターストップをかける。

 これは当人のプライバシーがどうのこうのという問題ではない。
またそのレベルの話でもない。
民間航空機会社のパイロットでさえ、半年ごとに精密な健康診断を受けている。
もしその時点で、不適格の判定がくだされたら、以後、そのパイロットは、
操縦桿を握られなくなる。

 民間航空機会社の一パイロットでさえ、そうである。
が、どうして首相には、そういう検査が義務づけられていないのか。
現に、民間のタブロイド紙ですら、AS首相の精神の異常さを疑っている。
気づいている人も多いかと思うが、AS首相の失言の数々、漢字の読み違いなどは、
単なる「ミス」ではない。
ミスではすまされない。
話す言葉ですら、きちんとした文章になっていない。
ズタズタというか、支離滅裂。
私は専門家ではないが、私は、AS首相の認知症の初期症状を疑っている。
その心配をしている。

 そのためにも、つまり私たちがもつ不安や心配を解消するためにも、一度、
脳ドックを受け、それを公表してほしい。
そういうシステムを、一日も早く、確立してほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++JULY 09++++++++はやし浩司

●HPの修理

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「修正」というよりは、「修理」と書いたほうが、わかりやすい。
昨日見たら、私のメインのHPの一部が、ズタズタに壊れていた。
原因は、よくわかっている。

 私はメインのHPには、K7社製のHP作成ソフトを使用している。
が、このソフトは、WINDOW・ビスタには対応していない。
(もともとは、XP用に開発されたもの。)
そのソフトを、だましだまし、使っている。

 そのため、アニメーションや、ロゴ文字を挿入すると、それらが、
あちこちでゾンビのように現れる。
HPを破壊する。
(ウィルスによるものではないので、どうか、ご安心を!)

 その修理に、今朝、2時間ほどかかった。
ひとつずつ、アニメーションを消し、ロゴをふつうの文字に置き換えた。
破壊された写真については、一枚ずつ、(切り取り)→(張り付け)を繰り返した。
結構たいへんだったが、その分、楽しかった。

 秋に、WINDOW7が発売になる。
WINDOW7のほうでは、XP用ソフトが、そのまま使えるようになるという。
それまでの辛抱。
がまん。
プラス、秋が楽しみ。
64ビットマシンとは、どんなマシン?
ゾクゾク!
ワクワク!
市販パソコンの中では、最高性能のものを、買うつもり。

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最終更新日  2009年07月19日 10時57分45秒
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