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楽天・日記 by はやし浩司

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育児エッセー

2009年08月26日
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カテゴリ:育児エッセー
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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   26日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●看護師より、ホステス(Hostess rather than Nurse)

韓国の朝鮮N報が、『公務員より、ホステスのほうが、
女子高生に人気』と題して、こんな記事を掲載している。

+++++++++以下、朝鮮N報(090729)+++++++++++++++

 日本の女性たちが就きたがらなかった職業、ホステスが最近、堂々と、あこがれる高所
得の職業として人気を集めている。今年、東京の文化学研究所が女子高生1154人を対
象に世論調査を行ったところ、ホステスが40種の人気職業のうち12位になったという。
公務員は18位、看護師は22位だった。

 こうした現象の裏には、日本では高卒の若い女性の就業機会が非常に少ないという現実
がある。ところが最近、深刻な不景気の影響で、多くの女性が抵抗感なくホステスなどの
職業を選ぶ傾向が増えている。日本でホステスとして1年間働くと、難なく10万ドル(約
1億2000万円)以上稼げる場合もある、と米紙ニューヨーク・タイムズは報じた。

 一部の女性は桃華Eさん(27)のようなシンデレラ・ストーリーを夢見ている。シン
グルマザーの桃華さんはホステスを経て、テレビで人気者となった。衆議院にはホステス
の経験のある太田K議員(29)がいる(衆議院解散前)。ホステスに対しては日本の宗教
団体や女性団体が、ホステスが客との性関係を強要されることで、女性が性風俗産業に進
出するきっかけになっていると批判している。

+++++++++以上、朝鮮N報(090729)+++++++++++++++

 朝鮮N報の記事を整理してみる。

(1)40種の人気業種のうち、ホステスが、12位。
(2)公務員は、18位、看護師は、22位。
(3)1年間ホステスとして働くと、約1億2000万円の収入になることもある。
(4)桃華さんは、ホステスを経て、テレビで人気タレントとなった。
(5)ホステスを経験した、太田Kという衆議院議員もいる。

 この分だと、近い将来、「おとなになったら、ホステスになる」と言う幼稚園児が、
続出するようになるかもしれない。
ホステスという職業に偏見はないが、非生産的職業であることには、ちがいない。
社会の中で、有機的に人と関わりあっていくという要素も希薄。
時代が変わったのか?
それともそう考える、私の頭が古いのか?

 朝鮮N報は、「1億2000万円」という数字をあげているが、
1桁まちがえているのではないか?
10万ドルが正しいのか?
それとも1億2000万円が正しいのか?
しかしいくら何でも1億2000万円はない。
10万ドルは、1200万円。
1月に、100万円。
それなら納得できる。

 が、その額にしても、平均的な看護師の約5倍。
私たちが子どものころには、「芸人」「芸能人」というのは、「まともな職業」としては、
認められていなかった。
江戸時代の昔には、さらにそうであったにちがいない。
が、今はちがう。
有名テレビタレントたちが、「文化人」として、国や都から表彰される時代になった。

だから今、「女子高校生たちが、ホステスになりたがっている」という記事を読んでも、
頭の中が混乱するだけ。
どうも自信がもてない。
「これでいいのかなあ……?」と思ったところで、思考が停止してしまう。
しかしこれだけは言える。

 職業というのは、日々の研鑽の中で、進歩、進化するものであるということ。
絶え間ない学習と努力が、それを裏から支える。
が、ホステスの第一の条件は、(若さ)と(美しさ)。
つまり若いうちは、それなりに稼げるかもしれないが、30代、40代になったら、
どうするのか。
タレントになったり、国会議員になったりするのか。
が、そういう人は、例外。
よほどの能力とチャンス、それに魅力に恵まれないと無理。
……とまあ、そう言い切る自信も、私にはない。

 お笑いタレントが、府知事になったり、県知事になったりする時代である。
『ゴルゴ13』の愛読者が、総理大臣になったりする時代である。
つまり日本中が今、ギャク化している。
女子高校生の世界も、またしかり。
そのひとつが、これ。
「看護師より、ホステス」と。






最終更新日  2009年08月26日 06時21分41秒
カテゴリ:育児エッセー


 要するに、(1)日本人の自己中心化がより進んでいるということ。
そのために、(2)安楽にお金を稼いだ方が得という風潮が、蔓延しているということ。

 こうした風潮に対して、「ホステスに対しては日本の宗教団体や女性団体が、
ホステスが客との性関係を強要されることで、女性が性風俗産業に進出する
きっかけになっていると批判している」と、記事は結んでいる。
それを読んで、少しだけ、安心する。

 で、今、子どもたちのもつ職業観は、大きく変わった。
小学校の高学年児でも、「おとになったら、お笑いタレントになりたい」と言う子どもは、
いくらでもいる。
が、それはそれ。
ここまで変わっているとは、私も知らなかった。
東京の文化学研究所が、女子高生1154人を対象に世論調査を行ったということだから、
これらの数字は、信頼してよい。

 再び、「これでいいのかなあ……?」と思ったところで、この話は、おしまい!
このつづきが、どうしても書けない。

(補記)

 子どもでも、たとえば正月のお年玉をもらったりすると、新しいフルートを買うために、
貯金すると言う子どもがいる。
(現在教えている、中2のOKさんが、そうだぞ!)

 一方、そのまま享楽的に使ってしまう子どももいる。
意味のないおもちゃや、ゲーム機器を、それで買ったりする。

 前者を、生産的な考え方をする子どもというなら、後者は、非生産的な考え方
をする子どもということになる。
しかし子どもでも、飽食とぜいたくに慣れてしまうと、ものの考え方が、非生産的に
なる。

 一部の子どもたちがそうであるのは、しかたのないことかもしれないが、それが
全体となってきたとしたら、この日本は、どうなるのか?
つまりそれこそまさに、「亡国の風潮」。
「これは個人の問題」「個人がそれでよければ、それでいいんじゃナ~イ」という
レベルの話ではない。
またそれですませてはいけない。

 宗教団体や女性団体だけに任せておくのではなく、教育界、さらには国をあげて、
改めて、この問題を考えなおしてみる必要がある。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(特集)【子どもの人格論】□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの人格】

●幼児性の残った子ども

++++++++++++++++

人格の核形成が遅れ、その年齢に
ふさわしい人格の発達が見られない。

全体として、しぐさ、動作が、
幼稚ぽい。子どもぽい。

そういう子どもは、少なくない。

++++++++++++++++

 「幼稚」という言い方には、語弊がある。たとえば幼稚園児イコール、幼稚ぽいという
ことではない。幼稚園児でも、人格の完成度が高く、はっと驚くような子どもは、いくら
でもいる。

 が、その一方で、そうでない子どもも、少なくない。こうした(差)は、小学1、2年
生ごろになると、はっきりとしてくる。その年齢のほかの子どもに比べて、人格の核形成
が遅れ、乳幼児期の幼児性をそのまま持続してしまう。特徴としては、つぎのようなもの
がある。

(1) 独特の幼児ぽい動作や言動。
(2) 無責任で無秩序な行動や言動。
(3) しまりのない生活態度。
(4) 自己管理能力の欠落。
(5) 現実検証能力の欠落。

 わかりやすく言えば、(すべきこと)と、(してはいけないこと)の判断が、そのつど、
できない。自分の行動を律することができず、状況に応じて、安易に周囲に迎合してしま
う。

 原因の多くは、家庭での親の育児姿勢にあると考えてよい。でき愛と過干渉、過保護と
過関心など。そのときどきにおいて変化する、一貫性のない親の育児姿勢が、子どもの人
格の核形成を遅らせる。

 「人格の核形成」という言葉は、私が使い始めた言葉である。「この子は、こういう子ど
も」という(つかみどころ)を「核」と呼んでいる。人格の核形成の進んでいる子どもは、
YES・NOがはっきりしている。そうでない子どもは、優柔不断。そのときどきの雰囲
気に流されて、周囲に迎合しやすくなる。

 そこであなたの子どもは、どうか?






最終更新日  2009年08月26日 06時21分03秒
カテゴリ:育児エッセー


【人格の完成度の高い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、年上に見える。
○自己管理能力にすぐれ、自分の行動を正しく律することができる。
○YES・NOをはっきりと言い、それに従って行動できる。
○ハキハキとしていて、いつも目的をもって行動できる。

【人格の完成度の低い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、幼児性が強く残っている。
○自己管理能力が弱く、その場の雰囲気に流されて行動しやすい。
○優柔不断で、何を考えているかわからないところがある。
○グズグズすることが多く、ダラダラと時間を過ごすことが多い。

 では、どうするか?

 子どもの人格の核形成をうながすためには、つぎの3つの方法がある。

(1) まず子どもを、子どもではなく、1人の人間として、その人格を認める。
(2) 親の育児姿勢に一貫性をもたせる。
(3) 『自らに由(よ)らせる』という意味での、子育て自由論を大切にする。

++++++++++++++++++

今までに書いた原稿の中から
いくつかを選んで、ここに
添付します。

内容が少し脱線する部分があるかも
しれませんが、お許し下さい。

++++++++++++++++++

(1)【子どもの人格を認める】

●ストーカーする母親

 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居するこ
とになった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していた
のが、娘の実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも…
…」と考えていたが、そのもくろみは、もろくも崩れた。

 が、結婚、2年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家
庭騒動の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、
珍しくない。しかしここからが違った。なおこの話は、「本当にあった話」とわざわざ断り
たいほど、本当にあった話である。

 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)
による復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当
たった!」「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた
人生を返せ!」と。それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、
はやく死んでしまえ!」「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろっ
てやる!」「親を不幸にしたものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。それだけではな
い。

どこでどう監視しているのかわからないが、娘の行動をちくいち知っていて、「夫婦だけ
で、○○レストランで、お食事? 結構なご身分ですね」「スーパーで、特売品をあさっ
ているあんたを見ると、親としてなさけなくてね」「今日、あんたが着ていたセーターね、
あれ、私が買ってあげたものよ。わかっているの!」と。

 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、
何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が
悪くなると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、
フラフラするわ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえる
のに」「もう、長いこと会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしく
ないわよ」「明日あたり、私の通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。

●自分勝手な愛

 親が子どもにもつ愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛。ここで
いう代償的愛というのは、自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手でわがままな愛を
いう。たいていは親自身に、精神的な欠陥や情緒的な未熟性があって、それを補うために、
子どもを利用する。子どもが親の欲望を満足させるための道具になることが多い。そのた
め、子どもを、一人の人格をもった人間というより、モノとみる傾向が強くなる。いろい
ろな例がある。

 Aさん(60歳・母親)は、会う人ごとに、「息子なんて育てるものじゃ、ないですねえ。
息子は、横浜の嫁にとられてしまいました」と言っていた。息子が結婚して横浜に住んで
いることを、Aさんは、「取られた」というのだ。

 Bさん(45歳・母親)の長男(現在18歳)は、高校へ入学すると同時に、プツンし
てしまった。断続的に不登校を繰り返したあと、やがて家に引きこもるようになった。原
因ははげしい受験勉強だった。しかしBさんには、その自覚はなかった。つづいて二男に
も、受験期を迎えたが、同じようにはげしい受験勉強を強いた。「お兄ちゃんがダメになっ
たから、あんたはがんばるのよ」と。ところがその二男も、同じようにプツン。今は兄弟
二人は、夫の実家に身を寄せ、そこから、ときどき学校に通っている。

 Cさん(65歳・母親)は、息子がアメリカにある会社の支店へ赴任している間に、息
子から預かっていた土地を、勝手に転売してしまった。帰国後息子(40歳)が抗議する
と、Cさんはこう言ったという。「親が、先祖を守るために息子の金を使って、何が悪い!」
と。Cさんは、息子を、金づるくらいにしか考えていなかったようだ。その息子氏はこう
話した。

「何かあるたびに、私のところへきては、10~30万円単位のお金をもって帰りまし
た。私の長男が生まれたときも、その私から、母は当時のお金で、30万円近く、もっ
て帰ったほどです。いつも『かわりに貯金しておいてやるから』が口ぐせでしたが、今
にいたるまで、1円も返してくれません」と。

 Dさん(60歳・女性)の長男は、ハキがなく、おとなしい人だった。それもあって、
Dさんは、長男の結婚には、ことごとく反対し、縁談という縁談を、すべて破談にしてし
まった。Dさんはいつも、こう言っていた。「へんな嫁に入られると、財産を食いつぶされ
る」と。たいした財産があったわけではない。昔からの住居と、借家が二軒あっただけで
ある。

 ……などなど。こういう親は、いまどき、珍しくも何ともない。よく「親だから……」「子
だから……」という、『ダカラ論』で、親子の問題を考える人がいる。しかしこういうダカ
ラ論は、ものの本質を見誤らせるだけではなく、かえって問題をかかえた人たちを苦しめ
ることになる。「実家の親を前にすると、息がつまる」「盆暮れに実家へ帰らねばならない
と思うだけで、気が重くなる」などと訴える男性や女性はいくらでもいる。

さらに舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)との折り合いが悪く、家庭騒動を繰り返してい
る家庭となると、今では、そうでない家庭をさがすほうが、むずかしい。中には、「殺し
てやる!」「お前らの前で、オレは死んでやる!」と、包丁やナタを振り回している舅す
ら、いる。

 そうそう息子が二人ともプツンしてしまったBさんは、私にも、ある日こう言った。「夫
は学歴がなくて苦労しています。息子たちにはそういう苦労をさせたくないので、何とか
いい大学へ入ってもらいたいです」と。






最終更新日  2009年08月26日 06時20分27秒
カテゴリ:育児エッセー



(2)【育児の一貫性】

子育ての一貫性

 以前、「信頼性」についての原稿を書いた。この中で、親子の信頼関係を築くためには、
一貫性が大切と書いた。その「一貫性」について、さらにここでもう一歩、踏みこんで考
えてみたい。

 その前に、念のため、そのとき書いた原稿を、再度掲載する。

++++++++++++++++++++++

信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外で
はない。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本
である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、
反対にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような
調子で、同じようなパターンで、答えてあげること。こうしたあなたの一貫性を見ながら、
子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことができる。こうした安定的な人間関係が、
ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基
本的信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの3つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。
これを第1世界という。園や学校での世界。これを第2世界という。そしてそれ以外の、
友だちとの世界。これを第3世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第2世界、つづいて第3世界へと、応用して
いく。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第2世界、第3世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の
基本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親
側の情緒不安や、親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなば
あい、子どもは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、
人間関係になる。これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分
野で現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ね
たみ症状などは、こうした基本的不信関係から生まれる。第2世界、第3世界においても、
良好な人間関係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れ
る。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安
心して」というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分
をさらけ出せる環境」をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役
目ということになる。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよ
い。

● 「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
● 子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じよう
に接する。
● きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くな
るというのは、避ける。

+++++++++++++++++++++

 よくても悪くても、親は、子どもに対して、一貫性をもつ。子どもの適応力には、もの
すごいものがある。そういう一貫性があれば、子どもは、その親に、よくても、悪くても、
適応していく。

 ときどき、封建主義的であったにもかかわらず、「私の父は、すばらしい人でした」と言
う人がいる。A氏(60歳男性)が、そうだ。「父には、徳川家康のような威厳がありまし
た」と。

 こういうケースでは、えてして古い世代のものの考え方を肯定するために、その人はそ
う言う。しかしその人が、「私の父は、すばらしい人でした」と言うのは、その父親が封建
主義的であったことではなく、封建主義的な生き方であるにせよ、そこに一貫性があった
からにほかならない。

 子育てでまずいのは、その一貫性がないこと。言いかえると、子どもを育てるというこ
とは、いかにしてその一貫性を貫くかということになる。さらに言いかえると、親がフラ
フラしていて、どうして子どもが育つかということになる。
(030623)
(はやし浩司 一貫性)

++++++++++++++++++++++

(3)【子育て自由論】

●親子でつくる三角関係

 本来、父親と母親は一体化し、「親」世界を形成する。

 その親世界に対して、子どもは、一対一の関係を形成する。

 しかしその親子関係が、三角関係化するときがある。父親と、母親の関係、つまり夫婦
関係が崩壊し、父親と子ども、母親と子どもの関係が、別々の関係として、機能し始める。
これを親子の三角関係化(ボーエン)という。

 わかりやすく説明しよう。

 たとえば母親が、自分の子どもを、自分の味方として、取り込もうとしたとする。

「あなたのお父さんは、だらしない人よ」
「私は、あんなお父さんと結婚するつもりはなかったけれど、お父さんが強引だったのよ」
「お父さんの給料が、もう少しいいといいのにね。お母さんたちが、苦労するのは、あの
お父さんのせいなのよ」
「お父さんは、会社では、ただの書類整理係よ。あなたは、あんなふうにならないでね」
と。

 こういう状況になると、子どもは、母親の意見に従わざるをえなくなる。この時期、子
どもは、母親なしでは、生きてはいかれない。

 つまりこの段階で、子どもは、母親と自分の関係と、父親と自分の関係を、それぞれ独
立したものと考えるようになる。これがここでいう「三角関係化」(ボーエン)という。

 こうした三角関係化が進むと、子どもにとっては、家族そのものが、自立するための弊
害になってしまう。つまり、子どもの「個人化」が遅れる。ばあいによっては、自立その
ものが、できなくなってしまう。

●個人化

 子どもの成育には、家族はなくてならないものだが、しかしある時期がくると、子ども
は、その家族から独立して、その家族から抜け出ようとする。これを「個人化」(ボーエン)
という。

 が、家族そのものが、この個人化をはばむことがある。

 ある男性(50歳、当時)は、こんなことで苦しんでいた。

 その男性は、実母の葬儀に、出なかった。その数年前のことである。それについて、親
戚の伯父、伯母のみならず、近所の人たちまでが、「親不孝者!」「恩知らず!」と、その
男性を、ののしった。

 しかしその男性には、だれにも話せない事情があった。その男性は、こう言った。「私は、
父の子どもではないのです。祖父と母の間にできた子どもです。父や私をだましつづけた
母を、私は許すことができませんでした」と。

 つまりその男性は、家族というワクの中で、それを足かせとして、悶々と苦しみ、悩ん
でいたことになる。

 もちろんこれは50歳という(おとな)の話であり、そのまま子どもの世界に当てはめ
ることはできない。ここでいう個人化とは、少しニュアンスがちがうかもしれない。しか
しどんな問題であるにせよ、それが子どもの足かせとなったとき、子どもは、その問題で、
苦しんだり、悩んだりするようになる。

 そのとき、子どもの自立が、はばまれる。

●個人化をはばむもの 

 日本人は、元来、子どもを、(モノ)もしくは、(財産)と考える傾向が強い。そのため、
無意識にうちにも、子どもが自立し、独立していくことを、親が、はばもうとすることが
ある。独立心の旺盛な子どもを、「鬼の子」と考える地方もある。

 たとえば、親のそばを離れ、独立して生活することを、この日本では、「親を捨てる」と
いう。そういう意味でも、日本は、まさに依存型社会ということになる。

 親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子。かわいい子イコール、よい子とし
た。

 そしてそれに呼応する形で、親は、子どもに甘え、依存する。

 ある母親は、私にこう言った。「息子は、横浜の嫁に取られてしまいました。親なんて、
さみしいもんですわ」と。

 その母親は、自分の息子が結婚して、横浜に住むようになったことを、「嫁に取られた」
と言う。そういう発想そのものが、ここでいう依存性によるものと考えてよい。もちろん
その母親は、それに気づいていない。

 が、こうした依存性を、子どもの側が感じたとき、子どもは、それを罪悪感として、と
らえる。自分で自分を責めてしまう。実は、これが個性化をはばむ最大の原因となる。

 「私は、親を捨てた。だから私はできそこないの人間だ」と。

●子どもの世界でも……

 家族は、子どもの成育にとっては、きわめて重要なものである。それについて、疑いを
もつ人はいない。

 しかしその家族が、今度は、子どもの成育に、足かせとなることもある。親の過干渉、
過保護、過関心、それに溺愛など。

 これらの問題については、たびたび書いてきたので、ここでは、もう少しその先を考え
てみたい。

 問題は、子ども自身が、自立することそのものに、罪悪感を覚えてしまうケースである。
たとえばこんな例で考えてみよう。

 ある子どもは、幼児期から、「勉強しなさい」「もっと勉強しなさい」と追い立てられた。
英語教室や算数教室にも通った。(実際には、通わされた。)そしていつしか、勉強ができ
る子どもイコール、優秀な子ども。勉強ができない子どもイコール、できそこないという
価値観を身につけてしまった。

 それは親の価値観でもあった。こうした価値観は、親がとくに意識しなくても、そっく
りそのまま子どもに植えつけられる。

 で、こういうケースでは、その子どもにそれなりに能力があれば、それほど大きな問題
にはならない。しかしその子どもには、その能力がなかった。小学3、4年を境に、学力
がどんどんと落ちていった。

 親はますますその子どもに勉強を強いた。それはまさに、虐待に近い、しごきだった。
塾はもちろんのこと、家庭教師をつけ、土日は、父親が特訓(?)をした。

 いつしかその子どもは、自信をなくし、自らに(ダメ人間)のレッテルを張るようにな
ってしまった。

●現実検証能力 

 自分の周囲を、客観的に判断し、行動する能力のことを、現実検証能力という。この能
力に欠けると、子どもでも、常識はずれなことを、平気でするようになる。

 薬のトローチを、お菓子がわりに食べてしまった子ども(小学生)
 電気のコンセントに粘土をつめてしまった子ども(年長児)
 バケツで色水をつくり、それを友だちにベランダの上からかけていた子ども(年長児)
 友だちの誕生日プレゼントに、酒かすを箱に入れて送った子ども(小学生)
 先生の飲むコップに、殺虫剤をまぜた子ども(中学生)などがいた。

 おとなでも、こんなおとながいた。

 贈答用にしまっておいた、洋酒のビンをあけてのんでしまった男性
 旅先で、帰りの旅費まで、つかいこんでしまった男性
 ゴミを捨てにいって、途中で近所の家の間に捨ててきてしまった男性
 毎日、マヨネーズの入ったサラダばかりを隠れて食べていた女性
 自宅のカーテンに、マッチで火をつけていた男性などなど。

 そうでない人には、信じられないようなことかもしれないが、生活の中で、現実感をな
くすと、おとなでも、こうした常識ハズレな行為を平気で繰りかえすようになる。わかり
やすく言うと、自分でしてよいことと悪いことの判断がつかなくなってしまう。

 一般的には、親子の三角関係化が進むと、この現実検証能力が弱くなると言われている
(ボーエン)。






最終更新日  2009年08月26日 06時18分39秒
カテゴリ:育児エッセー


●三角関係化を避けるために

 よきにつけ、あしきにつけ、父親と母親は、子どもの前では、一貫性をもつようにする
こと。足並みの乱れは、家庭教育に混乱を生じさせるのみならず、ここでいう三角関係化
をおし進める。

 もちろん、父親には父親の役目、母親には母親の役目がある。それはそれとして、たが
いに高度な次元で、尊敬し、認めあう。その上で、子どもの前では、一貫性を保つように
する。この一貫性が、子どもの心を、はぐくむ。

++++++++++++++

以前、こんな原稿を書いた。
中日新聞に発表済みの原稿である。

++++++++++++++

●夫婦は一枚岩

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができる
のか。その中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。

ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。「お父さんの給料が少ないでしょう。
だからお母さんは、苦労しているのよ」と。

あるいは「お父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうなら
ないでね」と。母親としては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、
母親から離れる。離れるだけならまだしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもら
う。賢い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そし
て船頭役は母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。

たとえば何か重要な決断を迫られたようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょ
うね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と言うなど。仮に意見の対立があっ
ても、子どもの前ではしない。

父、子どもに向かって、「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」
母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。

こういう会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう
援護する。「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意
見があるなら、子どものいないところで調整する。

子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」
と、まず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、
子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教
育の大原則。

 ある著名な教授がいる。数10万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中
で、こう書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会
だ」と。

しかし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子
どもに見せてはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものば
かり。

その教授はほかに、「子どもとの絆を深めるために、遊園地などでは、わざと迷子にして
みるとよい」とか、「家庭のありがたさをわからせるために、二、三日、子どもを家から
追い出してみるとよい」とか書いている。とんでもない暴論である。わざと迷子にすれ
ば、それで親子の信頼関係は消える。それにもしあなたの子どもが半日、行方不明にな
ったら、あなたはどうするだろうか。あなたは捜索願いだって出すかもしれない。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつ
くる。そういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話
しあう様であり、いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。

古いことを言うようだが、そういう「様(さま)」が、子どもの中に染み込んでいてはじ
めて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築き、よい家庭をもつことができる。

欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。
その第一歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。

++++++++++++++++++

● あなたの子どもは、だいじょうぶ?

あなたの子どもの現実検証能力は、だいじょうぶだろうか。少し、自己診断してみよう。
つぎのような項目に、いくつか当てはまれば、子どもの問題としてではなく、あなたの
問題として、家庭教育のあり方を、かなり謙虚に反省してみるとよい。

( )何度注意しても、そのつど、常識ハズレなことをして、親を困らせる。
( )小遣いでも、その場で、あればあるだけ、使ってしまう。
( )あと先のことを考えないで、行動してしまうようなところがある。
( )いちいち親が指示しないと行動できないようなところがある。指示には従順に従う。
( )何をしでかすか不安なときがあり、子どもから目を離すことができない。

 参考までに、私の持論である、「子育て自由論」を、ここに添付しておく。

++++++++++++++++++

●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。

釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、も
ともと「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行
動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは
言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込ん
でくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を
変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。

ある母親は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつにな
ったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるい
は自分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、
精神面での過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のも
とだけで子育てをするなど。

子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子ど
もになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がな
い。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同
士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り
飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、
子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。
(040607)
(はやし浩司 現実検証能力 ボーエン 個人化 三角関係 三角関係化)

+++++++++++++++++

【終わりに……】

 子どもは子どもらしく……とは、よく言う。しかし「子どもらしい」ということと、「幼
児性の持続」は、まったく別の問題である。

 また子どもだからといって、無責任で、無秩序であってよいということではない。どう
か、この点を誤解のないように、してほしい。
(はやし浩司 子供らしさ 幼児性の持続 子供の人格 人格の完成度)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『アイスエイジ・3D』

+++++++++++++++++++++

内容はともかくも、映像のすごさに驚いた。
何といっても、3D!
迫力満点!

いろいろな3D映画を見てきたが、これは格別!
料金も、通常の1・5倍。
しかし見る価値はある。

ときどき3Dメガネをはずして画面を見たが、
「今まで、こんなひどい2D映画を見てきたのか」と知り、
がっかり。

内容は子ども向け映画ということで、星は3つの
★★★。
しかし一見の価値ありということで、星は5つの
★★★★★。

おとなでもじゅうぶん、楽しめる。

ハリウッド映画は、やはり、すごい!

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最終更新日  2009年08月26日 06時17分47秒
2009年08月16日
カテゴリ:育児エッセー
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(157)



●友を責めるな、行為を責めよ



あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうするだ
ろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの鉄
則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こういう
ことだ。



 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子どもに、
「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよ
し。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになる。



友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろというのは、子
どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子ども
は窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい。ではどうする
か。



こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふかし
すれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。



コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむけ
る。そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。
そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友
をほめろ』と。



 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子ども
の性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモア
があっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっ
ていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わ
る。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自
分を演ずるようになる。



つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけだが、これは子育
ての中でも高等技術に属する。ただし一言。



 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭
で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調
べてみると、その子どもが主犯格だった。



……というようなケースは、よくある。自分の子どもを疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思
ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよけいに、友を責めても意味がない。何でも
ない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言である。











●子どもの抵抗力



 怪しげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがとれ
る、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。



 西洋医学では、「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という
治療原則を打ち立てる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れ
たからだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ち立てる。人体に足りないも
のを補ったり、体質改善を試みたりする。



これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考えることができる。私がたまたまその男
の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけの抵抗力があったからにほかならな
い。



 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力
を養うという方法もある。たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚
えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親はしかったり
する。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑を
はねのける子どももいる。



東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問題」とい
うことになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医学の本質はここにあ
る。東洋医学はもともとは「病気になってから頼る医学」というよりは、「病気になる前に頼る医
学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えてもよい。ではどうするか。



 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、
自分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ
早いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切に
し、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親
だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。



「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」と。いつも問いかけながら、要は子どものリズムに
合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のある子どもに
する。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(159)



●船頭は一人



 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。そ
の中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。
「お父さんの給料が少ないでしょう。だからお母さんは、苦労しているのよ」と。あるいは「お父さ
んは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」と。母親としては
娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離れるだけならま
だしも、母親の指示に従わなくなる。



 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢
い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は
母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。たとえば何か重要な決断を迫られた
ようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよ
う」)と言うなど。



仮に意見の対立があっても、子どもの前ではしない。父、子どもに向かって、「テレビを見なが
ら、ご飯を食べてはダメだ」母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。こういう会話はまずい。こう
いうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。「お父さんがそう言っている
から、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子どものいないところで調整する。



子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」と、まず
子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、子どものいない
ところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教育の大原則。



 ある著名な教授がいる。数10万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こ
う書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。し
かし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見せ
てはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。



 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ
ういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、
いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。古いことを言うようだが、
そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築
き、よい家庭をもつことができる。



欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。その第一
歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(160)



●子どもの一芸論



 Sさん(中1)もT君(小3)も、勉強はまったくダメだったが、Sさんは、手芸で、T君は、スケー
トで、それぞれ、自分を光らせていた。中に「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプ
の子どもは、一度勉強でつまずくと、あとは坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういうと
きのため、……というだけではないが、子どもには一芸をもたせる。この一芸が、子どもを側面
から支える。あるいはその一芸が、その子どもの身を立てることもある。



 M君は高校へ入るころから、不登校を繰り返し、やがて学校へはほとんど行かなくなってしま
った。そしてその間、時間をつぶすため、近くの公園でゴルフばかりしていた。が、一〇年後。
ひょっこり私の家にやってきて、こう言って私を驚かせた。「先生、ぼくのほうが先生より、お金
を稼いでいるよね」と。彼はゴルフのプロコーチになっていた。



 この一芸は作るものではなく、見つけるもの。親が無理に作ろうとしても、たいてい失敗する。
Eさん(2歳児)は、風呂に入っても、平気でお湯の中にもぐって遊んでいた。そこで母親が、
「水泳の才能があるのでは」と思い、水泳教室へ入れてみた。案の定、Eさんは水泳ですぐれ
た才能を見せ、中学2年のときには、全国大会に出場するまでに成長した。S君(年長児)もそ
うだ。



父親が新車を買ったときのこと。S君は車のスイッチに興味をもち、「これは何だ、これは何だ」
と。そこで母親から私に相談があったので、私はS君にパソコンを買ってあげることを勧めた。
パソコンはスイッチのかたまりのようなものだ。その後S君は、小学3年生のころには、ベーシ
ック言語を、中学一年生のころには、C言語をマスターするまでになった。



 この一芸。親は聖域と考えること。よく「成績がさがったから、(好きな)サッカーをやめさせ
る」と言う親がいる。しかし実際には、サッカーをやめさせればやめさせたで、成績は、もっとさ
がる。一芸というのは、そういうもの。



ただし、テレビゲームがうまいとか、カードをたくさん集めているというのは、一芸ではない。ここ
でいう一芸というのは、集団の中で光り、かつ未来に向かって創造的なものをいう。「創造的な
もの」というのは、努力によって、技や内容が磨かれるものという意味である。



そしてここが大切だが、子どもの中に一芸を見つけたら、時間とお金をたっぷりとかける。そう
いう思いっきりのよさが、子どもの一芸を伸ばす。「誰が見ても、この分野に関しては、あいつし
かいない」という状態にする。子どもの立場で言うなら、「これだけは絶対に人に負けない」とい
う状態にする。



 一芸、つまり才能と言いかえてもいいが、その一芸を見つけるのは、乳幼児期から四、五歳
ごろまでが勝負。この時期、子どもがどんなことに興味をもち、どんなことをするかを静かに観
察する。それを判断するのも、家庭教育の大切な役目の一つである。 






最終更新日  2009年08月17日 01時16分12秒
カテゴリ:育児エッセー
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(153)



●先生と話すときは、わが子は他人 



 親と話していて、「うちではふつうです」「K塾では問題がありません」と言われることぐらい、会
話がしにくいことはない。たとえば、私「このところ元気がありませんが……」、母「家ではふつう
です」、私「どこかで無理をしていませんか」、母「K塾では問題なく、やっています」と。



 先生と話すときは、わが子でも他人と思うこと。そう思うことで、親は聞き上手になり、あなた
の知らない子どもの別の面を知ることができる。たとえば子どもが問題を起こしたりすると、ほ
とんどの親は、「うちの子にかぎって!」とか、「友だちに誘われただけ」とか言う。しかし大半
は、その子ども自身が主犯格(失礼!)とみてよい。子どもを疑えということではない。子どもと
いうのはそういうもので、問題を起こす子どもほど、親の前では自分を隠す。ごまかす。



 溺愛ママと呼ばれる母親ほど、親子の間にカベがない。一体化している。だから子どもに何
か問題が起きたりすると、母親は自分のこととして考えてしまう。先生に何か問題がありますな
どと言われたりすると、自分に問題があると言われたように思う。思うから、「子ども(私)には
問題はありません」となる。しかしこういう盲目性が強ければ強いほど、親は子どもの姿を見失
う。そして結果として、子どもの問題点を見逃してしまうことになる。

 先生というのは、学校の先生も塾の先生も限らず、子どもをほめるときには、本音でほめる。
しかし問題を指摘するときは、かなり遠慮がちに指摘する。つまり何か先生のほうから問題を
指摘されたときには、かなり大きな問題と思ってまちがいない。そういう謙虚さが、子どもの問
題を知るてがかりとなる。言いかえると、子育てじょうずな人というのは、一方で聞きじょうず。
自分のみならず、自分の子どもをいつも客観的にみようとする。



会話をしていても、「先生の意見ではどうですか?」「どうしたらいいでしょうか?」「先生はどう
思いますか?」という言葉がよく出てくる。そうでない人はそうでない。中には、「あんたは、言わ
ないでくれ」と言った母親すらいた。しかしそう言われると、教師としてできることは、もう何もな
い。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(154)



●先生とは距離を保つ



 先生という立場が特殊なのは、その間に「子ども」がいることによる。だからそのため当然、
ふつうの人間関係とは異なってくる。異なって当然。先生とて人間とはいえ、その特殊性を忘れ
ると、先生と子どもの関係そのものまで破壊することになりかねない。そこでいくつかの教訓。



(1)先生とは、淡く水のようにつきあう……子どものことは子どものこと、事務的なことは事務
的なこととして、淡々とすます。これは教師の側についても同じことで、互いに深入りは禁物。
個人的な相談ごとはタブー。家族の問題を相談するのもタブーということになる。受ける教師に
ついていうなら、親からの相談は、子どもの問題に関してのみとなる。



(2)先生の批判、批評はしない……子どものいる前ではもちろんのこと、ほかの父母とも、先
生の批判、批評はしない。中には「あなたどう思う?」と聞いてくる親がいるかもしれないが、相
槌を打つのも避ける。相槌を打てば打ったで、今度はあなたの言った言葉として広まってしま
う。もし先生に問題があるなら、そのときはそのときで、慎重にことをすすめる。教育は信頼関
係で成りたっている。その信頼関係を破壊すれば、教育そのものが崩壊する。



(3)一部の父母の動きに同調しない……父母といっても、いろいろな人がいる。八人まではま
ともでも、まともでない人(失礼!)も、一、二人は必ず、いる。そういう人の動きのウズに巻き
込まれると、それこそたいへんなことになる。現に今、私の近辺でも、「言った、言わない」がこ
じれて、親どうしが裁判所で争っているケースがある。子どもへの過関心が高じて、育児ノイロ
ーゼやうつ病になっている親はいくらでもいる。



(4)ひんぱんな相談は避ける……あなたから見れば一対一かもしれないが、先生からみると、
一対一ではすまない。「先生は私だけに関心がある」と思うのも、また「私だけに特別の関心を
もってほしい」と思うのも、この世界ではまちがい。先生というのは、本当に忙しい。たった一人
の子どもですらもてあましているあなたが、三〇人も押しつけて、しっかりめんどうをみろという
のも、身勝手ではないか。そういう視点からも、先生との間には距離を置く。



 教育、教育といいながら、その底流では親たちの醜い欲得がウズを巻いている。とくに受験
期の親たちはそうで、ひょっとしたらあなた自身もその中に巻き込まれてしるかもしれない。し
かしもしそうなら、今すぐ、そのウズの外に出たほうがよい。あなたの思い出を醜くするのみな
らず、親子の間に大きなキレツを入れることにもなりかねない。 











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(155)



●先生泣かせの二人衆



 先生にも得意な子ども、苦手な子どもというのがいる。ただその前提として、問題のない子ど
もというのは、教えやすいが、しかし教えやすい子どもを教えるのは、教育とは言わない。指導
という。教育が教育なのは、教えにくい子どもがいるからであり、またそういう子どもを教えるか
ら教育という。で、その苦手な子どもだが、多くの先生たちの意見を総合すると、つぎの二つに
集約される。



(1)抑えのきかない子ども……近年問題になっている、集中力欠如型多動性児(ADHD児)に
みられるように、抑えのきかない子ども。ほかに新しい現象として、イメージが乱舞する子ども
もいる。言うことなすこと、突飛もなく、言動がクルクルと目まぐるしく変わるなど。テレビやゲー
ムなどの映像文化の悪影響ではないかと私は思っているが、まだ「思っている」という段階の
話である。テレビやゲームは、右脳ばかり過度に刺激し、論理的な思考をするのをさまたげ
る。



(2)無気力な子ども……まさに笛吹けど踊らずといったタイプの子ども。先生が説明していると
きは、ただぼんやりとしているだけ。そして何かの作業に移ると、とたん、「わかんな~イ」「でき
な~イ」と。そして家へ帰ると、親には、「先生は何も説明してくれない」「わからないと言っても、
ぼくを無視した」などと訴える。もう25年ほど前だが、ある幼稚園の先生に協力してもらい調査
したことがあるが、学習なら学習面だけで、とくに無気力になる子どもは、1~2人はいることが
わかった。さらに高校生についていうなら、進学高校のばあい、1年生で、約10%が燃え尽き
症候群に襲われていることがわかっている。



 原因はさまざまであり、またその対処のし方もさまざまである。しかしこうした問題で注意しな
ければならないことは、(親がそれをなおそうとして無理をする)→(子どもの状態がますます悪
くなる)の悪循環である。こうした悪循環を感じたら、一歩、二歩と、親のほうが引きさがる。も
っと言えば、あきらめる。まずいのは、「まだ何とかなる」という淡い希望をいだき、無理に無理
を重ねること。子どもは行き着くところまで行き着く。







==========================



ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(156)



●先生は年上の子ども



 私はときどき、年少の子どもを年長の子どもの間に置いて、学習させることがある。たとえば
小学五年生の子どもを、中学生の間に座らせて勉強させるなど。しばらくの間はそれにとまど
うが、やがてそれになれてくると、子どもに変化が現れてくる。こんなことがあった。



 N君はどこかつっぱり始めたようなところがあった。目つきが鋭くなり、使う言葉が乱暴になる
など。そこで親と相談して、中学生の間に座らせてみることにした。で、それから数か月後、気
がついてみると、N君のつっぱり症状はウソのように消えていた。あとで母親に話を聞くと、こう
教えてくれた。



N君の趣味はサッカー。その一緒にすわった中学生の中に、サッカー選手がいたのだ。N君は
毎回家へ帰ると、親たちにその中学生の話ばかりしていたという。それがよかった。N君はい
つしかその中学生をまねるようになり、勉強グセまでもらってしまった。母親はこう言った。「サ
ッカーの試合があったりすると、こっそりと隠れて応援に行っていたようです」と。



 何が子どもに影響を与えるかといって、同年齢あるいはそれよりもやや上の子どもほど影響
をあたえるものはない。そこでもしあなたの周辺に、(1)1~2歳年上で、(2)めんどうみのよい
子どもがいたら、無理をしてでもよいから、その子どもと遊ばせるとよい。「無理をして」というの
は、親どうしが友だちになったり、仲よくしながらという意味である。あなたの子どもはその子ど
もの影響を受けて、すばらしい子どもになる。



 もちろん悪い友だちもいる。親はよく一方的に交際を制限したり、相手の子どもを責めたりす
るが、そうすればしたで、それは子どもに向っては、友を取るか、親を取るかの二者択一を迫
るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよいが、友を取ればその時点で親子の間に大
きなキレツを入れることになる。そういうときは、どこがどう悪いかだけを話し、あとは子どもの
判断に任せるようにする。









最終更新日  2009年08月17日 01時15分22秒
カテゴリ:育児エッセー
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(149)



●成長を喜ぶ



 あなたの子どもは、つぎの二つのうちのどちらだろうか。たとえば何か新しいことができるよう
になったとき、(1)うれしそうに、「見て、見て!」と、あなたのそばにやってくるだろうか。それと
も(2)新しいことができるようになっても、何も報告しないか、あるいはそれを隠すだろうか。



 (1)のようであれば、よし。しかし(2)のようであれば、あなたと子どもの関係は、かなり険悪
な関係にあるとみてよい。あるいはすでに断絶状態かもしれない。が、それだけではない。



 こんな家庭があった。その家は男ばかりの四人の子どもがいたが、どの子どもも、屈託がな
く、実に伸びやかであった。ふつうは下の子は「おさがり」をもらうのをいやがるものだが、その
家ではそうではなかった。母親が兄のズボンを下の子にはかせたりすると、下の子どもが、
「見て、見て」とあたりを走り回るのである。



そこでその秘訣をさぐってみると、それは母親の言葉にあった。母親はおさがりを下の子には
かせるとき、決まってこう言うのだ。「ほら、あんたもお兄ちゃんのがはけるようになったわね。
よかったわね」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。つまりこうした働きかけが、下の子
をして、生き生きとさせていた。



 子どもを伸ばすということは、子ども自身が、自らの力で前向きに伸びていく力を支えるという
こと。よく「子どもを伸ばす」という言葉を使う人がいるが、子どもはゴムでも、あめ細工でもな
い。伸ばそうと思っても伸びるものではない。しかし子ども自身の力を使えば、それができる。
そして子どもをそういう方向にし向けることを、「伸ばす」という。



 その一つの方法が、「成長を喜ぶ」ということになる。子どもが何か新しいことができるように
なるたびに、あなたのところへやってきて、「見て、見て」と言う。そしてそれを見たあなたは、心
底喜んでみせる。こういうリズムが子どもを伸ばす。そうでなければそうでない。



 ではあなたという親子はどうだろうか。(1)のようだろうか、それとも(2)のようだろうか。もう
一度、よく観察してみてほしい。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(150)



●性は無



 私たちの世代では、男が遊び、女が遊ばれた。男はいつも加害者であり、女はいつも被害者
だった。しかし今は、違う。女が遊び、男が遊ばれる時代になった。たとえば小学低学年児に
ついて言えば、いじめられて泣かされるのが男、いじめて泣かすのが女と言う構図がすっかり
できあがっている。



先日もある母親がそう相談してきた。「いつもうちの子(小1男児)が、Aさん(小1女児)に叩か
れています。どうかしてください」と。それがよいのか悪いのかという判断は別にして、今はそう
いう時代なのだ。……私の時代では、男が女に泣かされるということ自体、考えられなかった
が……。



 性についても同じ。このポイント集を読んでいるのは、ほとんどが女性だから、私がこう書い
ても、多分反論はないと思う。「女性だから遊んではいけないというのは、偏見でしかない」と。
実際、非公式の調査だが、女性の約60%は、高校を卒業するまでに初体験をすませている。
もちろんそのため、トラブルは絶えない。妊娠、中絶の問題、さらには性病の問題ほか。しかし
私の結論はこうだ。



「性に関しては、我、関せず」である。たとえば性体験をすると女生徒でも、妙になまめかしくな
る。Mさん(中2女子)もそうだ。筆箱の中に、電話番号を書いたメモを入れていたので、「これ
は何?」と声をかけると、肩をよじらせながら、「うふん……いいじゃ~ン」と。



 このMさんのケースでも、私は迷った。親に言うべきかどうかである。しかし結局は言わなか
った。確たる証拠があるわけではないし、言えば言ったで、それで私とMさんの信頼関係は消
える。いや、そのときも女房に相談すると、女房はこう言った。「あ~あ、私も学生時代、もっと
遊んでおけばよかったア」と。だから私はますます、「我、関せず」を貫くようになった。



 所詮(しょせん)、性は無。考えようによっては、厳粛でもあるが、また考えようによっては、排
泄行為そのもの。問題にするのも、また問題にしないのも、どこかピントが合わない。もうこの
問題だけは、事務的に、性教育をしたり、避妊教育したりするしかない。止めようとしても止め
られるものではないし、もう私たちのコントロールできる範囲を超えている。いや、そのことはす
でにあなた自身が、一番よく知っていることかもしれない。この現象はすでに、もう20年近く前
から始まっていたからである。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(151)



●世間体は子育てを見苦しくする



 今でも世間体を気にする人は多い。しかし世間体を気にすればするほど、それは他人の目
の中で生きることになる。そしてそれは同時に、自分の人生をムダにすることになる。



 生きる美しさというのは、いかにその人がその人らしい人生を送っているかで決まる。が、他
人の目の中で生きる人には、それがない。ないばかりか、皮肉なことに、はた(=世間)から見
ても、それほど見苦しい人生はない。私の知人に、こんな女性(70歳)がいる。ことあるごとに
「世間」という言葉を使う。「世間が笑う」「世間体が悪い」「世間が許さない」など。長くつづいた
封建時代の悪弊とも言える。あの江戸時代には、人々は、他人と変わったことをすることすら
許されなかった。



 もっともこうした生きざまが、その人個人のものであれば、問題はない。が、こうしたものの考
え方が子育ての領域に入ってくると、話がかなりおかしくなる。ある母親は、毎朝、自分の娘
(高1)を車で駅まで送っていた。近所に娘の学校の制服を見られるのが恥ずかしいというの
が、その理由だった。



あるいはこのH市では、市内のS進学高校に入れなかった子どもは、隣町のB高校に入学す
るのが習わしになっているようなところがある。B高校は全寮制。S進学高校に入れなかった
子どもは、親のメンツのために(?)B高校へ進学する……ということらしい。(もちろんそうでな
いケースも多いが……。)



 しかしそれですめばよいが、こうした親の生きざまは、やがて親子の間に深刻なキレツを入
れることになる。子どもというのは、「どんなことがあっても、親は私を守ってくれる」という安心
感があってはじめて、豊かな心をはぐくむことができる。親にしても、「どんなことがあっても、私
は子どもを支えます」というのが、真の愛情ということになる。



もっと言えば、「世間が何と言おうと、また世間が何と思おうと、私はあなたを守りますからね」
という確たる信念が、親子のきずなを深める。が、こうした生きざまは、子どもの側に疑念や不
信感をもたせ、ついで、心に大きなキズを入れることになる。たいていはそのまま親子の断絶
へとつながっていく。



 「世間」という言葉が頭をかすめたら、すかさずこう思いなおしてみたらよい。「あなたはあな
たよ」と。たったこれだけのことだが、それであなたはあなたの子どもの心を守ることになる。親
子のきずなもそれで太くなる。











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●子どもは先手を取る



 子どもはウソをつかない……と書いても、今ではそう思う人は少ない。たとえば子どもという
のは、塾などをやめたくなっても、「やめたい」とは言わない。たいていはその塾の悪口を言い
始める。「先生がまじめに教えてくれない」「ふざけている」「眠っている」など。つまり親をして、
「そんな塾ならやめなさい」と言うようにしむける。こんなことがあった。



 ある学校の先生が、その子ども(小4男児)に、こう言った。「君はほとんど宿題をやってこな
いが、今度宿題をやってこなかったら、親に言いつけるからな」と。先生は軽いおどしのつもり
でそう言っただけなのだが、その日からその子どもは家へ帰ると、さかんにその先生の悪口を
言うようになった。「えこひいきする」「ぼくだけ叱る」「授業中にものを投げつけた」など。やがて
親はその先生のことを、ひどい教師と思うようになったが、それこそその子どもの思うツボ。つ
まり子どもが先手を打ったことになる。



 こうした例は、たいへん多い。先生とて生身の人間だから、ときにはハメをはずして騒ぐこと
もある。失敗することもある。そういうことがすべていけないとなったら、先生とてこわくて授業そ
のものができなくなる。たとえば2002年の3月、北海道でこんな事件があった。



何でもその先生が、スキーの指導中に、「自殺するつもりですべれ!」と号令をかけたというの
だ。しかしこの言葉が大問題になった。なって、日本を代表するM新聞に載った。たしかにこの
発言には問題はあるが、しかし全国のニュースになるほどの問題かというと、そうではない。



逆に言うと、こんな発言程度で全国のニュースになるとすると、学校の先生も、こわくて何も言
えなくなる。ますます萎縮する。先生が「自殺するつもりで」と言ったのは、「思いきって」という
意味だったのだろう。だれも本気にしないだろうし、本気にするほうがおかしい。私はこのニュ
ースを読んだとき、その前提として、教師と生徒の間の信頼関係が崩壊していたのではないか
と思った。信頼関係がしっかりしていれば、冗談は冗談ですんだはずである。あるいは冗談と
して処理できたはずである。



 子どもを疑えということではないが、しかし信じ過ぎるのもよくない。よくないことは、現場の教
師なら、だれしも知っている。そのことを私は言いたかった。







最終更新日  2009年08月17日 01時14分47秒
カテゴリ:育児エッセー
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(145)



●性格は化学反応



 子どもの性格は、環境によって大きな影響を受ける。ここにあげるのは、あくまでも一般論だ
が、たとえばつぎのようなものがある。



(1)ケチの長男、ズボラな二男……一般的に長男や長女は防衛に回ることが多く、そのため
ケチになりやすい。それに反して二男や二女は、モノにこだわらなくなり、気前よくなったり、ズ
ボらになったりしやすい。



(2)男一人と、女一人は、ともに一人っ子……男の一人と、女の子一人の家庭では、ともに一
人っ子の性格をもちやすいことを言ったもの。ともにわがままで、社会性がなくなるなど。反対
に双子というのは、互いによい影響を受けやすく、社交的で活発になる。



(3)女二人は憎しみ相手……年齢の近い姉妹は、互いにはげしいライバルになりやすく、ばあ
いによっては、互いに憎しみあうことがある。私の知人の娘たちだが、一人の男性をとりあっ
て、まさに殺し合い寸前までのことをしたという。



(4)年上の姉と甘えん坊……年上のめんどうみのよい姉がいると、下の弟は、二人の母親を
もったような状態になり、甘えん坊になりやすいことを言ったもの。



(5)足して二で割ると、平均児……兄弟や姉妹では、互いにできふでき、性格などが正反対に
なりやすいことがある。兄には神経質に手をかけすぎたり、反対に弟は放任したりすることなど
によるが、そういうとき親はよくこう言う。「足して二で割れば、お互いに平均児なんですけどね
エ」と。



(6)年の近い姉は、男まさり……男の間でもまれて成長すると、女の子も男まさりになったりす
る。そのときでも、すぐ下に弟がいたりすると、さらに男まさりになったりする。いわゆる姉御(あ
ねご)タイプになりやすい。



(7)末っ子は甘えん坊……末っ子が甘えん坊になるのは、親側に、「この子が最後だ」という
思いが強いからである。そのため、どうしてもあれこれ手をかけてしまう。また親側にも、子育
ての余裕ができ、子どもをより広い包容力で包むことができる。そのため末っ子は甘えん坊に
なりやすい。つまり依存心がつきやすい。



(8)まん中の子は、人なつっこい……兄弟や姉妹が三人以上いると、まん中の子どもは、愛情
不足から、人なつっこくなりやすい。しかしその反面、心を許さないという面もある。



(9)総領の甚六……長男や長女は、それだけ期待もされ、手もかけられて育つため、おっとり
とした性格になることを言ったもの。つまりそれだけできが悪くなることを言ったもの。



 これらは冒頭に書いたように、あくまでも一般論である。子どもというのも、置かれた環境の
中で、長い時間をかけて性格がつくられていく。そういう面はたしかに否定できない。













ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(146)



●子どもの性質



 子どもにも生まれつきの性質というものがある。その一つが、敏感児と鈍感児(決して頭が鈍
感という意味ではない)。たとえばA子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだ
った。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはが
ゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してき
た。



 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児を
いうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体
の約30%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分け
て考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘
など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過
敏児だった。



 このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示
に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろく、ちょっとしたこと
で泣き出したり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、環境になじまず、不適応を
起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん
息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、一過性、反復性など、定型がない。
そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さ
んのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。



  ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももい
る。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもっ
た子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心
にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざ
けていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせ
たりする。



このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそ
うとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態
にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言って
よい。



その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。
「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どうい
うことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。











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●伸びる子ども、伸び悩む子ども



「あなたはどんどん伸びる」「あなたはすばらしい子になる」と。そんな前向きな暗示が子どもを
伸ばす。実際、前向きに伸びていく子どもは、やや自信過剰なところがあり、挫折しても、それ
を乗り越えてさらに前に進んでいく力をもっている。そういう意味でも、この時期、とくに幼児期
から少年少女期にかけては、子どもはやや自信過剰なほうが、あとあとすばらしい子どもにな
る。



 反対に子どもの「力」をつぶしてしまう親がいる。力というより、伸びる芽をつんでしまう。過関
心や過干渉など。親はよく、「生まれつき……」という言葉を使うが、生まれつきそうであるかど
うかは、神様でもわからない。(それとも、あなたは赤ちゃんを見て、それがわかるというのだろ
うか?)そういう子どもにしたのは、親自身にほかならない。



そこで伸びる子どもと、そうでない子どもを分けると、つぎのようになる。



伸びる子ども……ものごとに攻撃的かつ積極的。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口
からよく出る。現実感が強く、ものの考え方が実利的になる。頼れるのは自分だけというような
考え方をする。ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールが
でき、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さな
い。将来性のある創造的な趣味をもつ。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンク
ールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。前向きに伸びようと
する。



伸び悩む子ども……ものごとに防衛的かつ消極的。「いやだ」「つまらない」という言葉が多い。
ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりする。一
時的な快楽を求める傾向が強く、趣味も退行的かつ非生産的。たとえば意味もないカードやお
もちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。衝動性が強くなり、ほしい
ものに対して、ブレーキをかけられない。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足さ
せたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識がない。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(148)



●設計図タイプの親



 親が自分の子どもに夢や希望を託すのは、悪いことではない。それがあるから親は子どもを
育てる。子育てもまた楽しい。しかしそれが過剰になったとき、過剰期待となる。が、さらにそれ
が進んで、中には、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に子どもをあてはめようとする親
がいる。「やさしくて思いやりのある、スポーツマンタイプの子ども」「高校はS高校で、大学はA
大学。将来は医師か弁護士」と。しかし……。



 設計図をもっている親は、独特の話し方をする。たとえばこんな言い方。「私はどこの高校で
もいいと思っていますが、うちの子はS高校へ入りたいと言っています。そんなわけで、どうかう
ちの子の希望をかなえさせてあげてください」と。そこで子ども自身に聞くと、「ぼくはどこでもい
いけど、お母さんがS高校でなくてはダメと言っている」と。



 あるいはこんなことを頼んできた親もいた。いよいよ娘(高3)が大学受験というときになった
ときのこと。私に「娘は地元の大学でないと困ります。私から言っても言うことを聞きませんの
で、先生、あなたのほうから説得してください。なお、私がこうして先生に頼んだことは内密に」
と。



 このタイプの親は、自分の頭のどこかに描いた設計図に合わせて、自分の子どもの外堀を
埋めるような形で、子どもをしばりあげていく。そして結果的に、自分の思いどおりの子どもを
つくろうとする。親にしてみれば、自分だけがそういう言い方をしていると思っているが、教える
側は無数の親と接している。そしてそういう親たちを類型化することができる。その一つが、こ
のタイプの親ということになる。



 子どもはたしかにあなたから生まれ、あなたの子どもかもしれないが、同時に、別個の人間
である。古い世代の人の中には、まだ子どもを「モノ」のように思っている人も多い。が、しかし
こうした意識は、きわめて原始的ですらある。もしあなたがここでいう設計図タイプの親なら、自
分自身の中の原始的な親子観を疑ってみたらよい。



子どもはあなたの思いどおりにはならないし、ならなくて当たり前。またならなかったからといっ
て、嘆くこともない。現に今、あなただって、あなたの親の設計図どおりにはなっていないはず
だ。だったら、自分の設計図を子どもに当てはめないこと。もともと親子というのは、そういうも
の。そういう視点で、自分の子育て観を改める。









最終更新日  2009年08月17日 01時14分07秒
カテゴリ:育児エッセー
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(141)



●スラスラ読んでも意味がない



 思考と情報の加工は、まったく別のもの。たとえばこんな会話。A「今度の休みにはどこかへ
行くの?」、B「そうだな。伊豆へでも行こうか」、A「伊豆なら、下田まで足をのばしたら」、B「そ
れはいい……」と。



 このAとBは、一見考えているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層部分に
蓄えられた情報を、そのつど加工して外に出しているにすぎない。しかしふつうの人は、こうい
うのを「思考」と誤解している。錯覚と言ってもよいかもしれない。



 思考にはある種の苦痛がともなう。それは複雑な数学の問題を解くような苦痛である。だか
らたいていの人は、無意識のうちにも、できるだけ思考するのを避けようとする。あるいは他人
の思考をそのまま受け入れてしまう人がいる。カルト教団の信者がそうである。徹底した上意
下達方式のもと、「上」からの思想をそのまま脳の中に注入され、彼らはそれを自分の思想と
錯覚している。



それはちょうどわけもわからず、掛け算の九九を暗記している幼稚園児のようなものである。
掛け算の九九をペラペラと口にすると、一見賢い子どもに見えるが、その実何もわかっていな
い。何も考えていない。いわんや算数ができる子どもということにはならない。



 そういう視点で子どもの世界をのぞくと、また別の見方ができる。たとえば年中児にもなると、
本をスラスラと読む子どもが現れる。一見、国語力のある子どもに見えるが、その実、その本
の内容はほとんど理解していない。ただ文字を音に変えているだけ。

 あるいはたいへんもの知りの子どもがいたとする。口だけは達者で、まさにああ言えば、こう
言う式の反論もしてくる。しかしだからといって、その子どもは頭のよい子ということにはならな
い。賢い子どもということにもならない。もっと言えば、情報が多いからといって、思考力がある
ということにはならない。

 先にも書いたように、思考するということは、それ自体たいへんなことである。そして思考をし
たからといって、何かの「考え」にたどりつくことができるとはかぎらない。それはちょうど砂場の
中で、小さな宝石を見つける作業に似ている。まさに見つかればもうけものという世界。だから
これまたたいていの人は、「考えるだけムダ」と考える前に、考えることをやめてしまう。

 話は飛躍するが、日本の教育の最大の欠陥は、「思考」と「情報」を混同し、情報を与えるこ
とを教育と誤解している点である。このことは日本という島国を一歩離れてみるとすぐわかるこ
とだが、それについてはまた別のところで書く。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(142)



●子どもの自我



 ほぼ30年ぶりにS氏と会った。会って食事をした。が、どこをどうつついても、A氏から、その
30年間に蓄積されたはずの年輪が伝わってこない。話そのものがかみあわない。どこかヘラ
ヘラしているだけといった感じ。そこで話を聞くと、こうだ。



 毎日仕事から帰ってくると、見るのは野球中継だけ。読むのはスポーツ新聞だけ。休みは、
晴れていたらもっぱら釣り。雨が降っていれば、ただひたすらパチンコ、と。「パチンコでは半日
で5万円くらい稼ぐときもある」そうだ。しかしS氏のばあい、そういう日常が積み重なって、今の
S氏をつくった。(つくったと言えるものは何もないが……失礼!)



 こうした方向性は、実は幼児期にできる。幼児でも、何か新しい提案をするたびに、「やりた
い!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になって「やりたくない」とか「つまらない」と言う
子どもがいる。フロイトという学者は、それを「自我論」を使って説明した。自我の強弱が、人間
の方向性を決めるのだ、と。たとえば……。



 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望
をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動
できる。



 反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口
にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこ
る)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえ
ばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。



 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。
反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分
からない子どもといった感じになる。



 その道のプロなら、子どもを見ただけで、その子どもの方向性を見抜くことができる。私だっ
てできる。しかし20年、30年とたつと、その方向性はだれの目から見てもわかるようになる。
それが「結果」として表れてくるからだ。先のS氏にしても、(S氏自身にはそれがわからないか
もしれないが)、今のS氏は、この30年間の生きざまの結果でしかない。



 帰り際、S氏は笑顔だけは昔のままで、「また会いましょう。おもしろい話を聞かせてください」
と言ったが、私は「はあ」と言っただけで、何も答えることができなかった。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(143)



●こわい極端主義



 人類は過去、数10万年もの長い間、生きてきた。その間、親は代々、子どもを育ててきた。
その人類がいくら変わったといっても、ここ100年や200年の間に変わったと考えるほうがお
かしい。子育てもそうだ。いくら変わったといっても、ここ100年や200年の間に変わったと考
えるほうがおかしい。つまりもしだれかの子育て法をみて、「どこか不自然」と感じたら、その子
育て法は疑ってみたほうがよい。



 たとえば少し前、Tヨットスクールという、これまたおかしな教育法を実践する団体があった。
当時の塾長は目下、刑事罰を受けているが、あれなどもその一例である。最近でも不登校児
やその親に向かって、はげしい罵声を浴びせかけて不登校をなおす(?)という人まで現れた。
私もその人の本を2冊読んでみたが、理論らしい理論がどこにもないのに驚いた。自身も非行
少女だったとかで、父親の目を盗んで車を無免許で運転していたとか……。



そういうところから彼女の教育法を編み出した(?)ということらしいが、それ以上のことは書い
てなかった。もっとも私がもっている情報は、この2冊の本だけなので、ここでコメントすること
はできない。ひょっとしたら彼女の教育法は本当にすばらしい教育法なのかもしれない。ある
いはそうでないのかもしれない。しかしどこか不自然である。だいたいにおいて、「不登校をな
おす」という言い方がおかしい。不登校を悪と決めてかかっている。本当に不登校は、悪なの
か? 正さなければならないことなのか?



 話がそれそうなので、もとに戻すが、子育てで警戒しなければならないのが、極端主義であ
る。子育てというのは、どこか灰色のまま、何となくまあまあの状態でなされていくもの。白黒は
っきりさせるのも、ギスギスするのも、子育てではあまりよい結果は生まれない。そもそも人間
という生き物は、いいかげんな生き物なのだ。またそのいいかげんさがあるから、進化した。こ
こまで生き延びてくることができた。子どももまさにそうで、そのいいかげんさがあるから、その
中で羽をのばし、自分をのばすことができる。



 またまた話がそれそうなので、もとに戻す。要するに子育ては、『まじめ七割、いいかげんさ
三割』である。しかしこのことは別のところで書いたので、ここまでにしておく。











ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(144)



●寸劇指導法



 具体性をともなわない指示は、子どもには意味がない。よい例が「友だちと仲よくするのです
よ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。こういうことを言っても、言う親の気休め程度
の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもっていってあげてね。○○君は喜
ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で先生が何と言ったか、あとでママに話
してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるのですよ」というのもそうだ。



 交通事故について話す前に、こんな例がある。その子ども(年長男児)は何度言っても、下水
溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果がなかった。
そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説明した。近所の
家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。子どもは相当ショッ
クを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ばなくなった。



 交通事故については、一度、寸劇をしてみせるとよい。私も授業の中で、ときどきこの寸劇を
してみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみせるのであ
る。……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。子どもが苦し
みながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」と泣き出すかもしれな
いが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜いてはいけない。迫真の演技であればあ
るほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、以後道路へは飛び出さなくな
る。



 もしあなたの子どもが、何度注意しても同じ失敗を繰り返すというのであれば、一度、この寸
劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで納得する。









最終更新日  2009年08月17日 01時13分32秒
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