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カテゴリ:正法誌No40
自分はまだ四合目か五合目にいるのに、既に頂上近くまで登っている人に「私よ
り先に上に登ってけしからん」という言い方は出来ないし、小学生が大学教授に 向かって「あなたはどうして私より先に大学教授になったのか」ということがで きないのと同じように神界の段階にある教祖は、すでに菩薩界にいる人に対して は「あなたは神界の私が説く教えに満足していなさい」ということは絶対にでき ないことなのであるが、現在の日本の教祖たちは正法を知らないために全ての人 に対して「私を越えてはならぬ、私に服従しなさい」という傲慢な態度をとって いて、それを正しいと思っているし、また、その教祖を盲信狂信している信者 は、そういう教祖を素晴らしいと思っているのである。 信者がその信仰している教団や教祖を愛するということは大事なことであるが、 その愛教心が他を排斥するようになったら、それはもはや愛でも何でもないので あるが、盲信狂信している人達は、愛教心を持つがゆえに既に真実の愛を失って いるということに気がつかないでいるのである。 その人が頂上目指してのぼろうと努力しているのを、誰もそれを止める権利はな い。 だのに正法を知らない教祖は、そういう権利を持っていると錯覚している。 日本人は長い間、儒教の道徳を日常生活の基準としてきた。 儒教では「恩」の大事さを説く。 天地の恩、先祖の恩、親の恩、師の恩等々、日本の道徳は恩づくめであった。 恩義のしがらみにからまれていろいろな悲劇も起こってきた。 その悲劇は今も日本の宗教団体では起こっている。 正法誌N040号 1981年 12月号より抜粋 【目次】(「BOOK」データベースより) 序章 ビッグバンの意図/第1章 エネルギーの法則/第2章 「良いこと」と「正しいこと」の違い/第3章 映画『マトリックス』に観る“正しいこと”/第4章 意識について/第5章 意識の進化論/第6章 新しい秩序へのヒント/第7章 自分のしたいことをするということ/第8章 立場について/終章 新しい地球に向けて
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Last updated
2011.01.09 18:13:23
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