男の役割と女の役割-17
男は男らしく、女は女らしくあることが一番美しいのである。友人間には、お互いに相手を尊敬するという敬愛の念がなければならない。それがあってこそ友人同士は親にも言えないようなことでも腹の中を打ち明けて秘密でも相談できるのである。夫婦は時には友達のようでなければいけないといっても、お互いに敬愛の念は失ってはならないのである。ギリシャでは「心を許しあった友一人を持つことは、一万人の親族があるよりも尊いことである」といわれてきた。夫婦はどんな秘密でも話し合えるようでなければならない。だがしかし、その秘密を話すことによって今までの調和が崩れ、遂に離婚となりかねないということになるのである。そこは智慧を働かせて言ってはならないのである。ある時、阿難がブッタに問うた。「大徳よ、善き友があり、善き仲間とともにあることは、聖なる道のなかばに相当するものとおもわれますが」とこのことについて、智慧第一といわれた舎利弗は「善き友を持つことは道のすべてである」といっている。それに対してブッタはこういっておられる。「善いかな、サーリプッタ、善いかな、サーリプッタ、まことに然り。善き友があり、善き仲間とともにあることは、まさに、この聖なる道のすべてである」ブッタは讃嘆してサーリプッタにいわれた。釈尊に一番信頼されていたのは舎利弗であった。だから、ある時は釈尊の代わりに舎利弗が説法されたのであった。善き友というのは、いわゆる友達としてなんでも話し合えるというのではなくて、お互いに人格を高めあえる友でなければならないのである。夫婦としていることがお互いに人格を傷つけあって、いささかも向上に役立たないというのであったらそれは悲しいことである。正法誌N038号1981年 10月号より抜粋恐るべし。ゴータマ・ブッダの智慧。最も古い仏典の精読から、ブッダの思索の成り立ちとその核心に切り込む。「ゴータマ・ブッダの仏教」の真実とは何かを明らかにする、画期的論考。