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テーマ:小学生ママの日記(28701)
カテゴリ:こどものこと
ブログを読み直してみると、我ながらここんところずっとこの話ばっかりだな…(^^;)
できるだけここに書いて、グチ発散と頭の整理をしようとしているのだが、それでもやはり、 気がつくとこのことばかり考えている。 夢にも見たし、さっきなんて空想の世界で必死になってMちゃんママを説得していた。 自分でも笑えるんだけど、「世の中の戦争は、互いが自分を正義といいながら戦っているんです。お互いがもっと相手の立場に立って思い遣らないと…」とかなんとか(笑) 私大丈夫だろうか?(笑) 一昨日3人のママ友に話して、なんとか理解者を得たことにはホッとした。 その晩、2日ぶりに帰って来た夫にも詳しく話を聞いてもらった。 子どものことなので「聞いてもらった」というのもヘンだが、10月頭に退院してから 夫の仕事は忙しくなるばかりだ。 先週は3日徹夜で、4日目も真夜中の3時ころに帰って来た。 行くとやることが多すぎ、疲れきって帰れなくなるらしい。 それでも彼曰く、少しずつでも前に進んでいることが実感できているから大丈夫なのだそうだ。 きっと私には理解できないような、辛い事も大変な事もあるんだと思う。 体も疲れきっているはずだけど、普段聞けなくてごめん!と、根気よく私の話を聞いてくれた。 それだけでも本当に嬉しくて、今思い出しても涙が出てくる。 お互いの問題を共有しようとする夫の姿勢は、どこの家庭でも同じだと思うが、 夫婦関係にとってとても大切なことだ。 話を聞いた夫は、 「心配な事はただ1つ。そのMちゃんママがサツキやメイに危害を加えないかってこと」 私もそう思う。あまりに一方的すぎて、そのくらい鬼気迫る勢いをMちゃんママには感じる。 あとのことでは、概ね私のやり方は間違ってないと思うと言ってくれた。 そして「因果応報。人の事を悪く言う人を、僕だったら信用できないヤツと思うよ。」とも。 私がどうしてそんなふうに、知らないところで一方的に悪く言われたりするのだろうか。 私にやっぱりヘンなところがあるのかなと聞いてみたら、夫は 「ヒバちゃんはあまりにも輝きを放ちすぎるから、やっぱりそういうのが鼻につく人間はいると 思うよ。昔から何度も言っているけど、ヒバちゃんにはそういうところがある。それにポリシーを 突き通すとどうしても誤解も受けやすいし、そういうことも覚悟しないとやっていけない」 と言った。 私は、この「輝きを放ちすぎる」という表現に、本当に本当に感謝している。 夫が私を肯定してくれた事をすごく感じた。 端で聞いてたら「なにそれ…」って感じかもしれないけれど(=^-^=) 今まで夫には同じようなことを何度も言われていた。 よくも悪くも私は昔から目立ち、人を威圧する(そんな気はさらさらないが)雰囲気があるのだ。 まわりは最初から私のイメージを固定してしまうので、それだけですでに誤解も生まれるし、 それ以外の言動をしても誤解を招きやすい。 いや、でもそれだけじゃないかも。 自分が正しいと思ったことを、今まで何のてらいなく発言しているつもりだったが、 そもそも口調はきついし、私にももっと相手の立場に立って優しく話すような思いやりが 必要なのかもしれない。 そもそもそんなこと人に言う事じゃないのかな。 私は内面を隠さず誰にでもさらけ出す事で、敵意がないことをアピールしているつもりだったけど…。 もちろん夫をはじめ、そんなイメージと内面のギャップをわかって楽しんでくれる人もいるし、 私もそのイメージだって自分だと思うから、それでいいんだと思う。 今まで夫はそのことを「威圧的」とか「高圧的」って表現していたけれど、そう言われると 自分ではそんな気がない分、否定されているように感じていた。 でも夫が今回言ってくれた「輝きを放ちすぎる」という言葉には愛を感じたぞ!(笑) まぁとにかく、私のそういう部分をMちゃんママはすべてと受け止めてしまったんだろうな。 直接的な関わりは一切なかったから、こればかりは私にはどうしようもできなかったのだ。 先入観になんの疑問も持たないことで、自分も我が子も他人も苦しめるなんて悲しい事だ。 「ポリシーを貫くと、誤解も受けやすい」 夫はきっと会社でそういうことを体感しているんだろうな。 以前、実際それで転職に追い込まれたし、同じ業界で転職したから、 未だに前の職場からの悪口が耳に届くらしい。 夫も私も自分が正義だと言うつもりはないけれど、少なくとも人を貶めたり、 誰かのせいにしたり非難ばかりする人とは一緒にしてもらいたくない。 相手を威嚇して吠え立てるのではなく、自分に恥じない自分でいたい。 (ただし夫は私よりもっとしたたかで、手八丁口八丁、今までの経験も生かして(?) 今の会社ではうまく立ち回っているらしい。なるほどね。) 昨日は久々の読書会だった。 『フラッシュ』カール・ハイアセン 詳しい内容や感想ははぶくけど、テーマは『環境問題』と『正義を貫くということ』 いやぁ、読書って不思議で、どんな本でもその時の自分の状況と照らし合わせて感じてしまうのだ。 「私は私の正しいと思うことを貫こう」 簡単に今の自分の抱えている問題と、自分の思いと本の内容と照らし合わせて話してみたら、 メンバーの中にも同じような問題を持っていると話してくれたり、自分の体験を話してくれる人も いて、本の登場人物の言動や人物像もあれこれ話せて楽しかった。 ここではどの人も「私」を見てくれる。「ママ」な私でも「妻」な私でもない。 私の言葉を、話をきちんと聞いてくれる。 ただこの本はヤングアダルトというジャンルで、キャラクターが個性的だったりストーリーも痛快で エンターテインメントとしてはよくできているが、正義vs悪という単純な図式や内容の単純さを 考えると、子どもがこのジャンルばかり読むのは考えものだ、という話にもなった。 ヤングアダルトというジャンルは定義が曖昧で、最近よく聞かれるようになったのだが、海外では あくまでも子ども向けに書かれたメッセージ性の強い(説教臭い?)ものとされているようだ。 日本では大人にこのジャンルを好んで読む人が多いらしく、それも不安だよね、と言う話。 うーん、私もそうかも。気をつけよう。人間はもっと複雑で生々しい生き物なのだ。 物事のハッキリ見えないところも存在することを、忘れてはいけない。 そんな話ができて有意義だったはずなのだが、昨日は一日、朝の幼稚園のバス停で会う他の ママたち、マンションですれ違って挨拶するママたち、名前も知らない、ほとんど接点のない 人たちまでもが皆、Mちゃんママからあれこれと私のことを聞き、私をひどい人間と思って いるんじゃないかと思えてしまう。 私は誰にでも自分から挨拶するが、私がしないと絶対にしない人もいる。 もしかしてあの人も…って。 自分の良心に従って頑張ろう!と思っているのだがら、 こんなふうに感じてしまうのが自分でも意外だった。 極めつけはメイの幼稚園バスのお迎えの時。 ちょうどサツキたちの下校時刻と重なるのだが、ばったりMちゃんママと会ったのだ。 どうもまだMちゃんのお迎えをしているみたい。 普通に「こんにちは~」と挨拶をしあったのだが、それまで私と話していた他のママが 突然無言になった。 彼女はMちゃんママとも共通の友人で、それもMちゃんママとは割と仲が良いらしいので、 何かしら話しているというのは知っていた。 でも私とも普通に接してくれるし、私も何も説明する気はない。 その彼女が一瞬、とまどっているのを感じて(考え過ぎかな)、とにかく悲しい気持ちで一杯。 気分が落ち込み、どよ~んとしてしまった。 そこにサツキが帰って来てまたMちゃんの今日のわがままっぷりを話し、要するに今日は Mちゃんとまた揉めたんだなぁと思ったら、どうにも我慢できなくなってしまった。 「サツキ、Mちゃんとはしばらく距離をおいたら? Yちゃんと遊ぶとまたMちゃんも絡んでくるから、しばらくYちゃんとも遊ぶの控えてみたら? 優しくできないならなるべく近づかないようにしなさいよ。」と言ってしまった。 なんで私がこんなこと言わなくちゃいけないんだろう。 私のバカーーー!(-_-メ) そんな自分の発言にまたイライラし、モンモンとする。 そんで夜、サツキとメイがやったやらないのくだらないケンカをいつまでもしているのを見て、 ついに爆発してしまった。 無言で2人の腕をつかみ、そのまま引っ張って玄関から強引に追い出してしまった。 この1ヶ月、一度もカーッとなって怒らなかったのに!! メイの大泣きの声が廊下に響く。 とにかく、数を数える。1、2、3、4、5… 自分の心を落ち着けて、1分経った頃にドアを開けたら、 なんと裸足のサツキがメイを抱っこしていた。 ホッとした。 ポリシーを貫くって難しい。 心は揺れる。 疑心暗鬼になったり、イライラしてしまったり。 でもこの2人のためにも、私がめげるわけにはいかないのだ。 精神を病んでいるヒマもない。 受け止め方はどうでも、私は私。 私を見てもらって、感じてもらって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。 ただもっと、したたかさや柔軟さが必要なのかもしれないとは思うけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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