2007/05/28(月)04:30
ある友人からのメッセージ パウロ・コエーリョ
『私達は内なるこども、かつて自分であった子どもに耳を傾けなければなりません
その子どもを怖がらせてはなりません なぜならその子どもは独りぼっちで、しかもほとんど一度も注目されたことがないからです
私達はこの内なる子どもに、もう一度愛されていると感じさせてあげなければなりません
たとえそのために、他人には馬鹿げて見える行動をしなければならないとしても...
人間の常識なんて、神の目を通してみればそれこそ狂気そのものだということを忘れないで下さい
もし私達が魂の中に住んでいる子どもの声に耳を傾ければ、私達の目は輝きはじめるでしょう
なぜなら、その子どもとのつながりを保っていれば、私達は人生とのつながりを失うことはないからです』
パウロ・コエーリョ
心の奥底に追いやっていた小さい頃の思いが、少しずつ見えてくる。
自分ではない自分を演じ、それを自分だと思い込むことが、小さい頃に見つけた一番傷つかずに生きていく方法。
窮屈な生き方しか見つけられなかった子は、いつからか窮屈な生き方にもにも徐々に適応していく。
本当の自分と偽りの自分との境界がわからなくなるぐらいにまで塗り固めることで、他人に真意を読み取られない以上に、自分でさえも些細なことでは疑問を抱かないものとなる。
それがいつの日か楽になれる方法だと思ってきたのに、そうでもなかったのかもしれない。
いくら心の奥底に追いやろうとも、どれだけうまく塗り固めようとも、小さい頃の悲しい思いは消えることはなかった。
消すことはできないとわかってはいても、小さい頃の自分に対してどのように対処していいものかすらわからなかったのだが、今回は少し理解することができたような気がする。
ただただ抱きしめてあげればいいのだと。