イエスの喜びと満足のために☆

2008/02/07(木)00:39

主の中にいき、主が共にいてくださる

信仰(3)

明日、先日受けたPET-CTの検査結果がわかります。どんな結果であっても、主の最善は変わりありません。どのような結果にしろ、主の中に生き、主が共におられる。それで十分ですね。 昨日からマルコの福音書を読んでいますが、1章から進みません。一つの御言葉の中に深く潜っていたい・・そんな風に感じながら味わっています。 「時は満ちた、そして神の王国は近づいた。回心せよ、そして、福音の中で信ぜよ」                             マルコ1:15ここ、岩波訳の注解にはこうなっています。 『他の訳はほぼ一律に『福音を信ぜよ』。本訳は直訳であるが、「福音」が対象的であるよりは、生きた空間ないし場であることをよりよく示唆する。「信ずる」とは、神ないしイエスに全幅の信頼を持つ事。と書かれてあります。 回心とは、まことのいのちの中で生きることそのように思わされてなりません。主の恵みは何よりも深く、その憐れみにふれる時、言葉を超える想いに溢れます。主よ・・と御名を呼ぶだけで、圧倒的な臨在に満たされます。 主よ、あなたの御座の前から満ち溢れる憐れみと恵み、どうしようもなく感動して、胸が震えます。あなたの中へ、その一つの中に導かれ、あなたによって信じる恵みを感謝いたします。どうぞ、御言葉の扉を開いて、あなたの溢れる御心を知ることができますように。その御心の深さを、その思いの高さを、あまりにも知らないでいることをお許しください。まことの隣人なる方を深く愛し,その御想いを敏感に感じ取リ、御前に仕える事ができるようにと願います。日々あなたの御口から出るお言葉に生き、十字架を負って歩むことを教えてくださいますように。主の柔和さと謙遜を、あなたのくびきを負うことを通して学ばせてください。あなたが祈られたように、祈ることを教えてくださいますように。父なる神の喜びであられるお方を捧げるために、深く主を味わい知ることができますように。あなたの中で、あなたを深く求めます。光輝く御顔を照らし、あなたの中にわたしを見ることができますように。あなたのいのちにあって、あなたと共に歩ませてくださる事を感謝いたします。わたしの慰め、わたしの喜び、わたしの希望、私のすべてなる方。主の恵みは、どんな時にも満ちていることを感謝します。主よ、わたしの主よ、神の恵みにとどまります。一切のことはあなたの中にあって許されており、あなたの御名がほめ称えられるためである事を信じます。アバ父よと、呼ぶ御子の御霊を内に遣わしてくださったことを感謝いたします。あなたを呼ぶ事でさえ、あなたの御霊によることはなんという素晴らしい事でしょう。イエスにある信仰によって、祈る恵みに感謝いたします。主のおられるところを求め、愛します。あなたのいのちによって一つとされている兄弟姉妹を愛する、それはごく自然なものである事を知ります。自然ないのちは決して意識されるものではないからです。あまりにも、多くの事が、不自然に成され、あなたのいのちから遠く離れている事を見ます。どうぞ、あなたの中に立ち帰り、あなたのいのちの中で生きるクリスチャンが起こされますように。主イエス・キリストの中で心から祈ります・・  アーメン        

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