2008/07/29(火)09:36
隠れていること、親しみの場所
「隠れいているということは、霊的な生活にとって欠くことのでない要素です。 孤独、沈黙、普通の仕事、立派な計画もなしにただ人々と一緒にいる。眠る、食べる、働く、遊ぶ、こうした他の人々となんら変わるところのないすべてのこと、それがイエスの生きた人生であり、イエスが私たちに求めておられるのもそのような人生です。私たちがイエスのように「知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛さ」れるようになるのは、隠れていることにおいてです。また、私たち神との本当に親しい関係、人々への本当の愛を見出すことができるのも、隠れていることにおいてです。 多忙な活動の間にあっても、イエスは神と2人だけになるために、絶えず隠れた場所へと戻って行かれました。神との隠れた生活がないなら、私たちの、神のための公の生活が実を結ぶことはないでしょう。」