世界史工房李香日録

2005/05/08(日)04:45

馬上のサンシモン

労働者階級は,なにものも所有していない。なんとしてもこれを持てる者にかえなければならない。労働者階級の財産は腕だけである。この腕に,万人に役立つ使用法を考える必要がある。彼らは,遊蕩好きの民の間に置かれた奴隷のようなものである。社会の中に,彼らにふさわしい場所を与え,彼らの利益を大地の利益に結びつけなければならない。ようするに,労働者階級は,現在,組織もなければ連帯もなく,権利もなければ未来もない。彼らに権利と未来を与え,協同と教育と規律によって彼らを立ち直らさなければならない。 さて,誰の言葉でしょう。マルクス?エンゲルス? いえいえ,マルクスとエンゲルスが1848年に共産党宣言を出す4年前に出版された書物にある言葉です。 著作のタイトルは『貧困の根絶』。著者はルイ・ナポレオン。偉大なるナポレオン1世の甥にしてフランス第二共和政の初代大統領,1851年クーデタで独裁体制を築き,1852年国民投票によってナポレオン3世となり,第二帝政を開いた人物。 鹿島茂の『怪帝ナポレオン3世 第二帝政全史』(講談社,2004)で紹介されています。 ナポレオン3世は,同時代人だったマルクスに,『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』という著作で散々罵倒されたためもあって,ナポレオン1世の出来損ないの茶番とするイメージが定着しています。彼がサン・シモン主義の影響を受け,労働者の保護を行ったことについても,マルクスがサン・シモン主義自体を「空想的社会主義」という言葉で批判していたこととあいまって,現実を知らない愚かな夢想家の思いつきの域を出ない事業であったというように,否定的にとらえられていました。 ところが,歴史学がマルクス主義の呪縛から解放されるとともに,それまでのナポレオン3世の最悪に近いイメージについても検討が加えられ,ナポレオン3世がサン・シモン主義に基づいておこなった産業振興策こそが,フランスの工業化を実現したのだということが明確になり,またナポレオン3世の労働者保護政策も,そもそも労働者保護こそが,ナポレオン3世の最大の政治信条であり,彼は一貫してその目標のために行動していたのだという,肯定的な評価に転じてきました。 こうした最新の研究動向に立って,『怪帝ナポレオン3世』は,ナポレオン3世のどうしようもない女好きや,優柔不断さといった短所も紹介しつつ,「評価されざる偉大な皇帝」の社会改革者としての信念と業績に光を当てています。 ナポレオン3世を,「陰謀好きなたんなる馬鹿」と思いこんでいた人に,特におすすめ。 あと一カ所,『怪帝ナポレオン3世』に引用された『貧困の根絶』から孫引き。 もしすべての住民から毎年徴収される税金を,必要もない官職を増設したり,不毛な記念碑を建立したり,あるいは平和のさなかにアウステルリッツの会戦の時よりも金のかかる軍隊を設けたりするといった非生産的な用途に用いるなら,そのとき税金は重圧となり,国を疲弊させ,取るだけ取ってなにも与えない凶器と化す……したがって,国家予算の中にこそあらゆる制度を変えるテコの最初の支点を見いだすべきであり,また国家予算の目的とは労働者階級の生活の向上でなくてはならない。 世界最大の凱旋門や,主体思想塔や金日成像といった不毛な記念碑を作り続け,先軍政治の名のもと予算を始めあらゆる面で軍隊を優遇し,社会主義を標榜しながら国民の1割といわれる餓死者を出して国家体制そのものが住民に対する凶器と化した現在の北朝鮮という国家を,1844年のルイ・ナポレオンが痛切に批判していると考えるのは,牽強付会に過ぎるでしょうか。

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