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   ハイファイピカソ 店長日記

   ハイファイピカソ 店長日記

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2008/01/31
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カテゴリ:想う

 

     日々のサロンワークを綴る「ハイファイピカソ店長日記」

     このブログはハイファイピカソの日常を書くものなので

     個人的な感情や想い等は、極力書かない様にしていますが、

     今回は16周年に想う僕の気持を書いてみます。

                        しかも 前編、後編に分けて。(ゴメンチャイ)

 

 

          

        今年僕は4月で44歳になります。

        そして ミサオさんは7月で48歳。

        娘の日向子(ヒナコ)はこの春に中学生になります。

 

        こうしてハイファイピカソと佐藤家が毎日幸せに過ごせるのは

        今日来てくださった お客様一人一人のお陰様です。

 

        僕は今年 理美容人生26周年ですが、

        最初は理容師として釧路で3年間住み込み修行をして

        21歳に札幌に来て2店目のサロンに就職しました。

        この頃は、コンテストに燃えていた時期です。

        釧路管内のコンテストで運よくたまたま新人賞を頂き、

        意気揚々と札幌の理容室に就職し 面接では社長に

        「コンテストでトップになりたいです」とハッキリ言っていました。

        社長はそんな生意気な僕に全面協力をしてくれて

        年に3回のコンテストに出場し続ける事が出来ました。

        しかし、現実は甘くなく、何度出ても勝てないんです。

        毎晩薬を飲みながら朝まで練習をしているのに

        何度出ても どうしても勝つ事ができない。

        22歳.jpg

        22年前、左が22歳の時の僕です。

        右はコンテストの練習モデルをしてくれていた当時高校生のT君。

  

   どうしても どうしても 勝てなかった。

   社長の奥さんは毎晩練習をしている僕に 深夜2時になると

   夜食を作ってくれました。

   毎日朝方まで練習して2時間くらい寝てまた仕事をするという毎日でした。

        

   この時期はコンテストに勝つ事に異常に執着していた。

   でも、何度出ても勝てない。

   いつも慰めてくれるのは 社長と奥さんだった。

   

   また、この時はコンテストの練習と同時に

   東京に美容の勉強のために毎月通っていました。

   毎月毎月、社長に給料の前借をして 全て練習のためにお金を使っていた。

 

   勝てないまま そんな生活が2年以上続いた24歳の時に

   隣の美容室に凄い店長がいる事を思い出しました。

   その店長さんは原宿で働いていて テレビCMのヘアメイクもこなし、

   さらに札幌に来た時には 普通の郊外の美容室を超繁盛店にまで

   成長させた凄い人でした。

   

   僕は 勝つためには この方にコンテストのモデルメイクをお願いするしかない

   と勇気を振絞ってお願いに上がりました。

   

   その凄い先輩がミサオさんです。

   そして 迎えた88年10月のコンテスト。

         24歳.jpg 24歳の僕です。

   この大会で勝てなかったら もう諦めようと思っていました。

   正直言って寝ないで練習を続けるには体力が限界だったから。

 

       24歳2.jpg

       結果発表の時に 遂に僕の名前が呼ばれました。

            内心諦めていた その時に

               遂に 自分の名前が呼ばれました。

 

           24歳3.jpg

                    嬉しかったな~

 

   

      そして 凄い先輩美容師(もの凄く恐かった)と翌年結婚しました。(笑)

           25歳.jpg

          僕が25歳、ミサオさんが29歳です。

          前年まで僕は家賃2万円のワンルームでテレビ無し、電話無し

          だったのに こんなソファーのある部屋に引っ越せました。(爆)

 

 

  それから3年間勤務して 僕が28歳、ミサオさんが32歳の時に

         28歳.jpg

             ハイファイピカソを創業する事ができました。

    

     当時は従業員がいました。(許可を得ていないので写真は載せません)

     

 28歳の若い自分が またもや意気揚々と自信満々で創業したんです。

 まさに身の程知らずとは当時の僕のことでした。

 当然 これまた世の中は甘くない。

 完全予約制のアトリエサロンは28歳の未熟者には無理だったのか

 お客さんが全く来てくれないんです。

 店の中は覗いてくれるんだけど 予約の電話が全く入らない。

 92年6月に創業し ハイファイピカソも幻か・・・ と覚悟しながら 

 とにかく今日の仕事を精一杯やろうと必死でした。

 

 そんな 死にそうなハイファイピカソを助けてくれたのは お客さんだった。

 お客さんが こんな未熟で下手くそな美容室の事を 

 大切なお友達、ご家族に宣伝をし始めてくれたんです。

 それも「カットが上手」って美容師にとっては一番嬉しい言葉で

 お客さんが僕たちの知らないところで 

 ハイファイピカソをセールスしてくれ始めたんです。

 

     一周年.jpg

     創業一周年記念パーティーの写真です。

     一年間ハイファイピカソをご愛顧いただいたお客様をご招待して

     「One Year's Memorial Presentation」を開催しました。

     このパーティーには 僕が7年間勤務していたKAWANOの

     河野社長も出席して下さりました。

     パーティーに来ていただいたお客様の中には 

     僕がKAWANO勤務時代からお世話になった方々も数名いました。

     河野社長はそのお客様方に対して「これからも佐藤を宜しくお願いします」と

     お一人お一人ビールを注いでいってくれました。

     そして 創業してからのお客様にも お一人お一人 ビールを注いで

     河野社長は「佐藤を可愛がってあげて下さい」と深々と頭を下げて周るんです。

     その河野社長の姿に 僕は涙がとまらなかった。

 

 

     今想うと その時の我々は本当にレベルが低かった。

     でも、ヘアデザインを創り出すことには 全身全霊をかけていました。

     余裕もお金もプライドも何もかも無かったけど 情熱はありました。

     カットと言うものに本気に取り組んでいた。

     創業時の苦難の時に支えてくれた方々がいるから

     僕たちは今日も大好きな美容師を続ける事が出来ていると

     本当に本当に心から想っています。

     言葉では意を尽くせないほどに 感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

    創業時は こんな感じでした。

    創業時.jpg 

    B&G、パロマ・ピカソ、フィオルッチなどを揃え

    「うちはその辺にある美容室とは違いますよ」みたいな表現をしていた。

    トレンドやカルチャーの最先端。そしてどこよりもクオリティーの高いカット。

    そんな意識がもの凄く強かった。

 

    16年後の今は こんな感じです。

    酒4.jpg   

   「お酒の品揃えは札幌のどこの美容室よりも豊富だよ」と言わんばかりです。

                   ↑ オイ!

 

      創業した時は僕は28歳。

      そして お客様に支えられ30代に入りました。

                    

                                        つづく 

     

       






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最終更新日  2008/01/31 02:36:43 PM
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