それでもなお平穏な日々

2005/04/03(日)04:24

市民運動家の全体主義

ネット(33)

 ネットの論争を見ていると頑として自説を曲げない人がいる。 自説に根拠があって曲げない、これならわかるが、根拠もなく曲げない人がいる。 (今回の主題となるブログ) http://plaza.rakuten.co.jp/kouzen/  思想・主義は確かに自由だが、これを何らかの手段で発表すれば当然反対意見の人からは反論が来る。このときどういう対応が取れるかでその人の論者としての器がわかるのだが、上記サイトを見た方々はどう思うだろうか。 さて上記サイトでは国歌・国旗について意見を発表している。この意見についてはすでに私自身のブログにおいて関係する記事を書いているので省略する。  私が今回述べてみたいのは彼の人の意見を発するための思考方法である。いや、彼個人だけではなく同様の反論方法でしか発言できない人に共通する思考方法を推察してみたいと思う。 まずは彼と、対立する意見を出す人と、その両方の書き込みを比べてもらいたい。 発端は当然彼の記事である。その記事自体は国旗・国歌に対して彼の意見を述べているものだ。当然意見を異にする人たちが反論をするわけだが、反対論者は彼の意見に対し様々な判例、法規、世界的な常識などを自説の根拠として反論している。 本来であれば、彼はそれらの論拠を覆すことができる論拠を自ら発して反対論者と討議するはずである。 しかし。 しかしである。  当該ブログ管理人が行っていることは、 ○レッテル貼り  反対論者のブログを見て「戦車の写真があるから軍事オタク」などのレッテルを貼り、そのレッテルを侮蔑的に用いることで自らを相対的に有利に見せかける。ただしなぜ軍事オタクが侮蔑的な扱いをされるのかは示されないし示せない。 ○書き込み削除  なぜ削除かも明確にされずただ削除。管理者は誹謗中傷といっているが誹謗中傷であることは誰にも証明できない(なぜならその発言がすでに無いからである)。そして表面上反論が存在しないかのように言論を弾圧し、自らに正当性があるかに見せかける。 ○侮蔑的表現の羅列  根拠を示さず、ただひたすら相手を中傷する。「嘘つき」「恥知らず」「いい歳をしたおっさん」「非常に醜い」「情けない」等々。 ○法的誤謬  著作権法に関しての的確な指摘を幾つも受けているにもかかわらず、これに動じない。自分ではなくて法が間違ってる、とでも言いたげな大胆不敵な態度。  これらのことは何度も書き込まれるが、反対意見への根拠を示した反論はまったく無い。  さて、このような感情的な反論(とすら言えないが)しかできない管理人の思考方法はどのようなものなのだろうか? まず彼が自説を曲げないことから推測できるのは、彼が自説に絶対の自信を持っているということである。 同様に彼が根拠を示さないまたは示せないことから推測できるのは、この意見が根拠に基づく論理的帰結から得たものではなく、単純に感情的なものから発せられた可能性である。この推測は反対論者に対して感情的侮蔑を連発することからも裏づけされる。  論を証拠から構築せず、反論は感情的、しかし自説には絶対の自信を持つ。これが私から見た当該ブログ管理人の姿である。  このような発言をする人間がどのようなタイプか、まずはそこから焦点を当ててみよう。 幾つかのレスに見られるとおり論理的思考能力が低いため、複雑な世界観を理解することは困難だろう。 また容易に激昂して感情をあらわにし、他者の意見に対し耳を傾けられなくなることから社会的協調性が乏しく乏しいがゆえに広範囲の世界を見なくなっている可能性が高い。これは自らと対立する意見に対しての理解を示せないことにも合致する。 更に他者に対して攻撃的姿勢を崩さないことから温厚とはいえない性格、そして常に反対する相手を罵倒する姿勢には高いプライドが垣間見える。 全般に自己の意見を絶対視し、これに対する反論を許さない姿勢は強い独善性の顕著な表れでもある。  次にこのような人物像が持つ世界観とは、どういった世界観になるかを推測してみよう。 まず論理的思考能力の低さと視野の狭さからは、最も単純明快な世界観しか持てないことが推測できる。すなわち善と悪の2つしかない世界である。当然「善なるもの」は自分であり、「悪」は自らに対立するものとなる。 他者に対する独善性とプライドの高さは自らの知性を過大評価し、周囲の者(知性の劣るもの)は自らの叡智に従うべしという行動論理・考え方となる。 これらを合わせた「周囲の反対意見を持つものは悪でなおかつ知性が低い」と考える姿勢は、差別弾圧を容易に形成する。すなわち選民思想である。  当該ブログ主と同様な思考法をもって全盛期に世界で一大勢力となった2つの国家・集団を覚えておられるだろうか? その集団も当初は市民のためと称して活動して支持を集めていた。そしてついにはその主義・主張はその国家において主導権を握った。  私の記憶にある限り、それらはナチス、ソビエト共産党と呼ばれた組織である。 国家全体主義の名の下に無数のユダヤ人を虐殺したナチス、共産主義の名の下に同国人を粛清し続けた旧ソ連。 いずれも自らの無謬を信じ、言論を弾圧し、対立するものを抹殺し、過去の自国の歴史を否定して、それが市民・国民のためであると欺き続けた。 実に良く似ているではないか。  そして彼らの末路は歴史が物語っているのである。

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