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ゲーム関係のサイトをくるっと見回すと本日は「ファイナルファンタジー13がXBOX360でも発売される。」という衝撃!の発表に沸いているようです。
40を超え、おっさんから老獪の域に突入しつつある私にとっては「ふ~ん」で済んでしまうのですが、ゲーム業界にとっては一大事なようですね。 確かにゲーム機というものが「ゲーム機が売れる←→ソフトが売れる」のスパイラル効果でその市場のシェアを獲得していくという特殊な商品であるがゆえ、キラーコンテンツというべきソフトがどのハードで発売されるかというのはとても大事な事というのは理解できるのですが、消費者までが一緒になってそれに一喜一憂している現在の状態というかそんな風潮は、(ゲーマーという立場に立つと理解できるとはいえ)「コンテンツ産業が作り出すエンターテイメントを欲する人」、又はもっと抽象化して「娯楽を買う一消費者」という立場に立つと非常に奇妙でいかがわしいものに見えてしまいます。 コンテンツ産業が生み出す音楽、漫画、アニメーション、映画、ゲームという"コンテンツ"は、それを自分の生活に取り込むことによって"癒し"や"感動"をもたらしてくれ、時には自分の生き様の指標となる人生観を変える価値を与えてくれるものです。そしてその"癒し"や"感動"や"新しい価値感"を与えてくれた作品、ひいてはそのクリエイター達にその対価と「がんばって次の作品もよろしくです!」という気持ちを込めてお金を投資するわけですね。本来非常にシンプルであるべきものなのだと思うのです。 音楽を聴きたいからといってCDショップに行くと、SONY用CDコーナーとPANASONIC用CDコーナーに分かれていて、自分の聴きたい音楽が自分の持っているメーカーと違う方から発売されていたらぞっとしますよね。 それが当たり前のようになっているのがゲームというコンテンツビジネスなのです。 カンファレンスなんかで、企業のトップという大の大人が"どや顔(してやったり顔)"で 「皆様お待たせしました、FF13はXBOX360でも発売いたします」 「おおおーーー!大ニュース!」 翌日はニュース、ブログがいっせいに「FFがマルチ化!」ってとりあげ、2ちゃんねるが祭りになる。 クリエイターも消費者も関係ない、無駄で、俗で、さもしい、自らが自らの業界の「未成熟さ」を露呈する空虚な事をやっているように思えるのです。 こうやって考えてみると、SONYも任天堂もマイクロソフトも"わがまま"です。 企業の論理を考えると確かに「自社製品」をデファクトスタンダード化させたいという思いは納得できるのですが、そこを一歩譲歩して ・自分達が扱っているゲームというコンテンツ ・そのクリエイター ・その価値を享受する消費者 を真剣に、かつシンプルに見据えたとき、結果として大きな何かを皆(消費者もクリエイターも企業も)笑って享受する事ができるのではないでしょうか? 原油高騰、穀物高騰、戦争、政治、領土、温暖化 私達はあまりにも世の中を複雑にしすぎたようで、その反動が近々くるような気もします。 せめて娯楽であるゲーム産業ぐらいスクラッチ&ビルドして原点に立ち返ってほしいなぁと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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