DCPRG最後の新宿リキッドルーム 2003/12/26
2003/12/26(FRIDAY)
long heavy echo bridge over jisus
@新宿リキッドルーム
DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN
職場の納会でお酒がはいってしまったので、ウーロン茶で残業をしてから(笑)リキッドルームへ。
これで最後のリキッドルームです。
10時ごろからずーーーーーーーっと独りでロビーで待っていて、飽きたので(笑)、
深夜1:00頃に赤犬のライブをちょびっとだけ観ました。
おバカなバンドっぽくしてるけど、実力派(?という表現が適当かはわからないが)のようで、楽しい楽しいライヴでした。
「YMCA(ヤングマン)」っぽい曲で、「UNCO」というのがあって、超おもしろいダンスナンバーなのでした。
フロア前方のキッズが羨ましくなるほど(笑)。
デートコースペンタゴンロイヤルガーデンが始まったのは、予定の2:40よりも50分ぐらい押した3:30ごろでした。
友だちも来てくれて、はじめてこのバンドを誰かと堪能することができました。
「Catch 22」で狂乱の(?)宴の幕開けです。
菊地さんのCDJのスクラッチが冴えていて、カラダはもう既に興奮状態になっていきます。
「構造III」「構造I」の類まれなる(笑)グルーヴをひとしきりカラダに沁みつかせると「Playmate At Hanoi」でフロアキッズのダンスモードもMAXに(笑)。
それをクールダウンするかのように「Stain’ Alive」のめちゃ80年代のバラッドなイントロ・・・。
「Hey Joe」最後の曲「構造V」では後ろにいた子たちがいつのまにか隣にいて(笑)、
周囲の人口密度が更に増していきました。それぞれにそれぞれのDCPRG。
もうこの熱をどこにも放出させられない状態のまま、メンバーはハケていきました。
アンコールで菊地さんによる、この現在のリキッドルーム解体によせる思いを込めたMC。
前回のリキッドルームのワンマンの時にも感じたけど、
とにかく彼のこのハコに対する思いがなんとも言えないぐらい切なく響いてきました。
もぉ・・・この時点で(涙こそは出てなかったが)ワタシはホロっと(笑)・・・。
Wonderful Summerという曲をCDJで流して、菊地さんが’フロアのライトを全部つけろ’という合図を送ります。でも照明はつきませんでした。
歓楽街育ちという菊地さんが、このリキッドルームはもとムーランルージュというキャバレーで、
楽屋にもその名残がある、というのでまたウルウル・・・。
世界中のDJ、世界中のバンドが口を揃えてこのハコの音の良さを絶賛した、という話。
ワタシは今日、恥ずかしながら初めてそれを感じていました。
ワタシはワタシにとって最後であるこのハコのこのフロアの天井を、隅から隅まで眺めました。
初めてのリキッドルームは、東京スカパラダイスオーケストラ。
デザイナーをしてる友だちが誘ってくれた招待で、ヒジョーにエキサイティングなライヴだったなぁ。
彼女と朝までフロアに座って、駅までの道でラーメン屋に入った記憶があります(笑)。
その当時付き合ってた(と思われる・笑)彼に車で送ってもらったこの新宿歌舞伎町。
当時いた職場のデザイン会社は相当な荒みようで、気持ちがささくれだっていた日でした。
それからずっと後に、このDCPRGでたくさんたくさん忘れられない思い出ができて、
その後このハコといえば一人の男の人を思い出すことになります(笑)。
すべて関連してしまうことになるのです(笑)。
そんなことを考えているうちに「構造IV」、そして「MirrorBalls」でとーとー涙が出てきてしまいました。
DCPRGの終盤ではいつもこーなのですが(笑)、今日はいつもと違う感覚に襲われます。
ワタシに最高のグルーヴを提供してくれるこのバンドの、最上級のダンスナンバーで締めくくられ、
菊地さんの「次は大友良英さんのDJでお楽しみください」の一言で宴は終わり。
大友さんのも聴こうと思ってたのに、それどころではなく(涙が溢れてきて・笑)、
こゆときって友達と来てるとバツが悪いな(苦笑)、なんて思いながら、
最後にフロアをひととおり全部眺め、感慨にふけっちゃったりなんかしました。
DCPRG are
菊地成孔・坪口昌恭・吉見正樹・芳垣安洋・大儀見元・栗原正己・ジェイソン=シャルトン
藤井信雄・高井康生・津上研太・後関好弘・関島岳郎・青木泰成・佐々木史郎